鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】   作:ていん?が〜

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第8話:虚像の淵(バグ・イン・ザ・シェル)

 キヴォトスの夜空は、今日も無数の星とヘイローの輝きで満ちている。

 

 「あはは! 見て見て、アルちゃん! この特上ローストビーフ、口の中で溶けちゃうよ~!」

 

 ゲヘナ学園の喧騒から少し離れた高級レストラン『ベル・フェブリエ』。普段の便利屋68なら、入り口のメニュー表を見ただけでハルカが「死んでお詫びします!」と叫びながら逃げ出すような店だ。

 だが、今の彼女たちのテーブルには、宝石のように彩られた前菜、湯気を立てる肉料理、そして最高級のシャンメリーが所狭しと並んでいる。

 

 「ふふん、当然よ。便利屋68の活動がこれほどの実を結んだのだもの。この程度の贅沢、ハードボイルドなアウトローとしては通過点に過ぎないわ!」

 

 アルはワイングラス(中身はぶどうジュースだ)を優雅に傾け、足を組んで微笑んだ。その姿は一見、いつもの「見栄を張るアル」に見えるが、その指先は驚くほどに安定しており、グラスの縁を叩くリズムには、かつての真神を追い詰めた時のような絶対的な余裕が微かに混じっている。

 

 「わぁ……アル様が、アル様が眩しすぎます……! こんなに豪華な食事を……あぁ、私、幸せすぎて明日には爆発して消えてしまうかもしれません……!」

 

 「落ち着いて、ハルカ。まだメインディッシュの続きがあるんだから」

 

 カヨコは苦笑しながら、山盛りのサラダを口に運ぶ。彼女だけは、アルがカラス銀行から持ち帰った「1億円」という大金の出所に、拭いきれない違和感と微かな恐怖を抱いていた。

 だが、目の前で無邪気に肉を頬張るムツキや、自信満々に振る舞うアルを見ていると、それを口にするのは無粋な気もしていた。

 

 

 ディナーを終え、夜風に吹かれながら事務所へと続く裏通りを歩く4人。

 

 「ねぇねぇ、アルちゃん。そういえばさ」

 

 ムツキが、アルの影を飛び越えるようにステップを踏みながら振り返った。

 

 「最近、アルちゃんがずっと読んでたあの学者さんの本、全然読んでないよね? ほら、あの『精神生理学』とかいう難しそうなやつ」

 

 アルの足が、一瞬だけ止まる。だが、彼女はすぐに、いつもの少し得意げで、それでいてどこか「デキる女」を装った明るいトーンで答えた。

 

「あ、あの本? ふふん、もういいのよ!全部知っちゃったから、読み終えたも同然ってわけ! 彼の言葉も理論も、その裏側にある……繊細で、どこまでも純粋すぎる精神の在り方も、ぜーんぶ私の知識の一部になっちゃったんだから!」

 

「えー、あんなに分厚かったのに? アルちゃん、あんなに苦労して辞書引きながら読んでたじゃん」

 

 ムツキがニヤニヤしながらからかうと、アルは一瞬顔を赤くしたが、すぐに咳払いをして胸を張った。

 

 「そ、それは効率的な情報収集のためのプロセスよ! 結果として完璧に理解したんだから、もうあの紙の束に用はないわ!」

 

 アルはそう言って、快活に笑い飛ばした。その笑顔には、深淵を覗いた者特有の翳りは微塵も感じられない。

 

 アルは夜空を見上げ、天高く指を差した。

 

 「さぁ! 今度はあっちのビルにある夜間限定のデザートビュッフェに行くわよ! 胃袋の隙間までハードボイルドに埋め尽くすんだから!」

 

 「あはは! アルちゃん最高~! 行こ行こ!」

 

 「アル様! どこまでも、地の果てまでも追いかけますぅぅ!!」

 

 「……ちょ、まだ食べるの!? 待ちなさいよ二人とも!」

 

 3人がアルを追いかけて走り去っていく。その喧騒が遠のいた路地裏、ゴミ回収業者が積み上げた生ゴミの上に、一冊のハードカバーが汚物まみれで無造作に棄てられていた。

 

 本の表紙には、眼鏡を光らせ、教鞭を執りながら自信満々に微笑む真神怜の写真。

 そして、そのタイトルは、皮肉にも今の真神の末路を予言していたかのようなものだった。

 

 

 『精神の解体:観測者は如何にしてその対象に喰われるか』

 

 

 

 

 場面は一転し、重厚な静寂が支配するカラス銀行の深部へ。

 巨大なモニターの前に、数人の老紳士たちが居並んでいた。

 

 「ターゲットの現在のプロフィールを読み上げろ」

 

 冷徹な声が響き、モニターに現在の陸八魔アルの画像が表示される。

 

 『氏名:陸八魔アル。ゲヘナ学園所属。便利屋68を自称する集団のリーダー。自由奔放でアウトローを気取るが、本質的には小心者であり、計画性のなさが目立つ。現在の賞金首ランク――低』

 

 「……次に、1年前の彼女だ」

 

 画面が切り替わる。そこに映し出されたのは、分厚い眼鏡をかけ、おどおどとした表情で周囲を伺う、どこにでもいる大人しそうな少女の姿だった。

 

 『1年前の記録:同じくゲヘナ学園生徒。目立った活動記録なし。成績は中程度。性格は内向的。当時の通称――モブアル』

 

 会議の出席者の1人が、資料を机に叩きつけた。

 

 「以上のプロフィールは、ゲヘナの公的記録、および学園内のデータベースに載っている“公式”なものだ。……だが、それ以前の記録が、驚くほどに存在しない」

 

 「……存在しない、だと?」

 

 「ああ。彼女がどこで生まれ、どこの中学にいたのか。家族構成、住居、過去の通院記録に至るまで、全てが空白だ。まるで1年前に突如としてキヴォトスの空から降ってきた……あるいは、この世界のシステムが吐き出した『バグ』のように不自然極まりない」

 

 室内を不穏な沈黙が満たす。

 老紳士の一人が、静かに口を開いた。

 

 「真神が負けた原因は明確だ。当行はルールに基づき、担当行員である御手洗に対戦相手の情報を開示した」

 

 彼はモニターに映る御手洗の顔写真を忌々しげに睨みつけ、さらに言葉を継ぐ。

 

 「だが、その情報が御手洗を通じて陸八魔アルへ渡り、真神自身の内面を徹底的に調査される隙を与えてしまった。結果として、彼は自身の『思考の根幹を成す全人格』を彼女に喰われる事態を招いたのだ」

 

 その言葉に、他の出席者たちが微かにどよめいた。カラス銀行の誇る「解体屋」の一人が、一介の学生に精神を崩壊させられたという事実は、銀行の威信に関わる汚点である。

 

 「正体不明のギャンブラーにより他行の賭場がいくつか壊滅したという噂もある。我らカラス銀行を脅かす不穏分子は排除しなければならない」

 

 議長席の男が重々しく宣言すると、モニターには新たなマッチングデータが転送された。

 

 「次の試合は、第10支部主催の『1/2ライフ』昇格戦。……特例を適用する。陸八魔アル、およびその担当行員である御手洗に対し、対戦相手の情報は一切秘匿せよ。情報の非対称性こそが、彼女を仕留める鍵となる」

 

 

 議長が、モニターに表示されたある名前を指し示した。

 

 「……対戦相手は、「彼女」だ」

 

 

 

 

 場所は変わり、薄暗い舞台袖のような場所。

 

 そこでは、数人の男たちが不自然な姿勢で立ち尽くしていた。彼らの首には細いワイヤーが巻き付けられ、天井の梁から吊るされている。男たちの意識は朦朧としており、まるで意志を持たない人形のようだった。

 

 「少女は眠りました。……いえ、少女は目覚めました。舞台の照明が、彼女の冷え切った頬を赤く染め上げるのを感じて」

 

 寝巻きにフードを被った女が、男たちの間を縫うように歩きながら、朗々と声を出す。その手には一冊の演劇台本が握られていた。

 

 「男たちは、恐怖に震えながらも、王女の命じるままに踊り続けます。……さあ、第三幕。裏切り者の処刑シーンです。動いて」

 

 彼女がワイヤーを引くと、男たちは意思に反して、ガクガクと壊れた玩具のような動作で互いの首を絞め始めた。苦悶の声が漏れるが、彼女はそれを美しい旋律であるかのように聞き入っている。

 

 「男は涙を流しました。その雫が床に落ちる音は、まるで悲劇の終幕を告げる拍手のようでした」

 

 彼女はフードをゆっくりと脱ぎ、狂気を含んだ瞳で虚空を見据えた。その視線は、まだ見ぬ対戦相手、陸八魔アルを舞台の「生贄」として既に捉えているようだった。

 

 「配役(キャスト)は揃いました。幕は、誰にも知られずに上がり始めます。……さあ、始めましょう。朝比奈 美夜子の台本に、あなたの絶望という名の台詞を書き込ませて頂戴」

 

 彼女は、客席のない暗闇に向かって、優雅に、そして深くお辞儀をした。

 

 氏名:朝比奈 美夜子(アサヒナ ミヤコ)

 年齢:23歳

 職業:舞台演出家 / 脚本家

 

 【NEXT GAME:蠱毒ノ双子、偽像迷宮(ジェミニ・ラビリンス)】

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