クラスのギャルに、なぜかよしよしされないと眠れない身体にされた件 作: 聡明
「……ちょっと! あんた、マジで何やってんの!?」
それが、彼女──
場所は、県立星ノ森高校の旧校舎2階、物理準備室。
放課後のチャイムが鳴り響いてから既に2時間が経過し、西日が差し込む埃っぽい室内で、俺、
「……あと、少し。これさえ、パッチを当てれば……」
目の前の古びた液晶モニターには、緑色のコードが濁流のように流れている。
3年前、突如としてサービスを終了した個人運営のSNS『アステリズム』。
消えゆくログを修復し、このローカルサーバーに永久保存する。それが、親からも学校からも見捨てられた俺に残された、唯一の生きる理由だった。
カチ、カチ、カチ。
キーボードを叩く指先の感覚はもうない。最後にまともな食事をしたのはいつだったか。
胃袋は空虚を通り越して、熱を帯びた鉄の塊でも詰め込まれたかのように重苦しい。
その時、机の上のスマートフォンが震えた。
期待などしていない。恐る恐る画面を開くと、そこには母からの短いメッセージがあった。
『今月から仕送りは停止します。お前のような役立たずの失敗作に、これ以上金を捨てるつもりはありません。アパートも解約したので、今月末までに出ていくこと』
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
ああ、そうか。
俺という人間は、ついに唯一繋がっていた血縁からも不要だと宣告されたわけだ。
「……あ、はは」
乾いた笑いが漏れる。
視界が急激に狭まる。立ち上がろうとした足に力が入らず、俺の体は椅子ごと後ろへ倒れそうになった──その時。
ガラリ、と準備室の引き戸が乱暴に開いた。
「えっ、誰かいるのめっちゃ珍し……あんた同じクラスの!!ってか、顔色真っ白だし、幽霊かと思ったんだけど! マジで危ないって」
ジャラリ、と耳元で複数のピアスが鳴る音がした。
強烈な、花の蜜を煮詰めたような甘い香水。
意識を失いかけていた俺の視界に飛び込んできたのは、輝くような金髪だった。
鋭利に切り揃えられた、美しい姫カット。
耳には銀色のピアスがいくつも並び、派手なブルーのカラコンが、床に這いつくばる俺の無様な姿を冷たく見下ろしている。
クラスの頂点に君臨する一軍ギャル、瀬戸内聖。
「……瀬戸内さん。……すみません、今、片付け、ますから……」
俺は震える手で机を掴み、這い上がろうとする。
聖は不機嫌そうに舌打ちをすると、カバンをドサリと床に置いた。
「あんた、マジでやばい薬とかやってんの……?」
「……いえ。ただの、寝不足、です……」
「ふーん」
彼女は安堵したように俺から視線を外し、窓際のソファに腰掛けようとした。だが、ふと彼女の視線が、俺が死守していたモニターに止まった。
そこには、修復中の画像データが映し出されていた。
拙い、けれど熱量のこもった一枚のイラスト。
──かつて、俺に世界を教えてくれた絵師の初期作品。
聖の身体が、一瞬だけ石のように固まった。
「あんた、それ」
「…あ。これ、ですか? 昔の、マイナーなサイトのログで……。もう、僕以外に持ってる人は、いないかもしれない。だから、僕が直さないと、この絵があった証明が、消えちゃう、から……」
俺は必死に説明しようとしたが、言葉が続かない。
極限の空腹と、精神的な絶望。
支えを失った身体が、今度こそ限界を迎えた。
「……っ」
俺の体が崩れ落ちるより早く、彼女が動いた。
「待って。……あんた、それのために、こんなになるまで……?」
聖の声から、さっきまでの棘が消えていた。
彼女は俺の横に駆け寄ると、俺の胸ぐらを掴んで強引に上を向かせた。
「これ食べて、命令ね。こんなところで倒れられたら私の寝覚めが悪いし」
彼女がポケットから取り出したのは、コンビニの、少し高いナッツ入りチョコバーだった。
震える手でそれを受け取ろうとするが、指に力が入らない。
すると聖はとため息をつき、自ら包装を剥がすと、俺の口元にそれを押し付けた。
「噛んで。飲み込んで。あんたが倒れたらそのデータの続き、誰も直せないんでしょ」
暴力的なまでの甘み。俺は泥を啜るような必死さでそれを咀嚼した。
彼女の手が、俺の頬を支えている。
派手なネイルが施された指先は、驚くほど温かかった。
「……あ、りがとう、ございます。……助かった、かな」
少しだけ人心地がついた俺を見て、聖は安堵したように息を吐いた。
だが、俺の異変は止まらなかった。
一度温もりに触れてしまったせいで、これまで張り詰めていた緊張の糸が、プツリと切れてしまったのだ。
「……っ……う、ぁ……」
親からの絶縁。孤独。
誰にも顧みられない作業。
そして、目の前にいる、あまりにも眩しい太陽のような少女。
そのギャップに耐えられず、俺の目から勝手に涙が溢れ出した。
「え、ちょっ泣くことないじゃん! チョコ、そんなに美味しかったの?」
「……わか、らない。……でも、僕……もう、頑張れ、なくて……。……一人、だった、から……ずっと……」
俺は情けなく、ボロボロと泣いた。
クラスの一軍ギャルの前で、最底辺のオタクが、赤ん坊のように。
聖は狼狽えたように手を動かしていたが、やがて、その動きが止まった。
「あんた。バカだよね、ホント。一人で抱え込みすぎ」
彼女はそう呟くと、俺の隣の椅子を蹴り飛ばし、自分の足を組んで俺の目の前に座った。
「ほら。こっち」
「……え?」
「いいから。返事はいらない。これは、私の気まぐれ」
彼女は俺の頭を両手で掴むと、そのまま自分の膝の上──柔らかいスカートの感触が残る太ももの上へと引き寄せた。
「……ひ、膝枕、は……よく、ない、です……。汚れます……」
「黙れ、あんまし動くな。……ごほんっ、よしよし。頑張ったね」
彼女の白く細い指が、俺のボサボサの髪をゆっくりと梳き始める。
耳元で、彼女のピアスがチリリと小さく鳴った。
その音と、一定のリズムで髪を撫でる指の感触。
「よし、よし。……いい子。もう大丈夫だから……私が、見ててあげるから」
「……あ……あぁ……」
その言葉は、俺が人生で最も欲していた言葉だった。
彼女のカラコン越しの瞳が、至近距離で見つめてくる。
そこには、さっきまでの嘲りなど微塵もなかった。
あるのは、ただ深い──溺れるほどの母性と、自分を肯定してくれる熱だけだ。
3日間、どうしても閉じることができなかった瞼が、重くなる。
彼女の指が、こめかみを優しくなぞる。
その、言葉にできないほど甘美な刺激に、俺の脳は屈服した。
「……おやすみ、零くん」
それが、俺の人生が終わるはずだった日の、最後の記憶。
そして翌朝、俺は悟ることになる。
昨夜のよしよしが脳に刻み込まれた俺の身体は、もう彼女なしでは、眠るという生存本能すら維持できないほどに、作り変えられてしまったのだ。
旧校舎の埃っぽい準備室。
金色の聖母による、残酷なまでの救済が始まった。