Den Cityの夜景が窓の外を無機質に流れていく。
ハイヤーの後部座席。私の隣に座る財前の横顔が、青白い街灯に照らされる。その中には、隠しきれない焦燥と屈辱が深い影を落としていた。
「……私を監視し、逐一上に報告するのが君の仕事か、花沢」
低く湿った財前の声が、密閉された車内に沈む。私は手元の端末から目を離さず、抑揚を抑えた声で応じた。
「滅相もございません。私はただ、社益が損なわれぬよう現場を最適化する立場。……もっとも、次回の役員会議であなたの処遇が決定するまでは、ですが」
義妹であるブルーエンジェルが、ハノイのカードを使用したという事実。そして、彼女が
事実上の更迭。それは『トカゲの尻尾』を切り捨てるための前段階に過ぎない。今の彼に残された起死回生の一手は、Playmakerを捕らえ、身の潔白を証明することのみ。
「……財前部長。これ以上の独断は、あなたのキャリアを完全に終わらせることになりますよ」
わざとらしい警告。それに付随する事務的な所作。眼鏡のフレームを押し上げる指さえも、私は計算の外には置かない。レンズの奥では、内部ネットワークのセキュリティログが高速で流れていく。
すべては、リボルバーの描いたシナリオ通りだ。ブルーエンジェルという駒に毒を仕込み、Playmakerを誘い出す。私はその舞台袖で、SOLの防壁を内側から腐食させる役割を担っている。
「分かっている。だが、今は私の地位などどうでもいい。妹を救うためには、あの男から真実を聞き出さねばならない」
ハンドルを握る運転手には聞こえないほどの小声。財前の拳が震えた。その殺意にも似た激情は、真の元凶であるハノイの騎士ではなく、目の前の『
情報の選別と操作がいかに容易く人の目を曇らせるか――私は改めてその事実を冷ややかに噛み締めた。
やがて、辿り着いたのは橋の下。潮風と排気ガスが混じる場所で合流したのは、夜の闇に同化するようなライダースーツを纏った女だった。
「……あら、晃。連れがいるなんて聞いてないわよ?」
ゴーストガールこと、別所エマ。
あらゆる電脳世界を股にかけるトレジャーハンターが、値踏みするような視線をこちらに向ける。
「彼女は上からの派遣だ。気にするな」
財前の短い紹介に、事務的な一礼を返す。秘書という仮面は、こうした場面でこそ真価を発揮する。
「秘書の花沢と申します。今回の件、上層部は『事態の迅速な収拾』のみを求めています。現場の運用につきましては、あなたの手腕に一任いたしますので、どうかご安心ください」
「へぇ……意外と話が分かるのね。てっきりお堅い秘書さんかと思ってたけど。嫌いじゃないわよ、そういうの」
そう笑みを浮かべながらも、彼女の視線はこちらを射抜くようだった。プロとしての直感か、あるいは単なる好奇心か。だが私は、それを無関心という名の防壁で受け流した。
***
翌刻、LINK VRAINSの一角。
幾何学的なビル群が歪曲し、折り重なる茨のように空間を埋め尽くしている。そこは自由を剥奪された巨大な監獄。Playmakerという唯一の獲物を、その骨の髄まで食らい尽くすために構築された死の檻だ。
「……ッ、ぐ、ああああ……!」
ノイズが混じりそうなほどの悲鳴。拘束プログラムがPlaymakerの肉体を無慈悲に軋ませる。私はその苦悶を、一切の感情を排して目に焼き付けていた。隣に立つ財前の拳からは、剥き出しの憎悪が伝わってくる。
「さあ、早く喋らないと全身が引きちぎれるぞ!」
財前がさらに圧を高める。アバターの四肢が不自然に歪み、不快な警告文が端末に映し出された。私は財前の震える指先に静かな釘を刺す。
「部長。彼がここで意識を失えば、真実の追求は不可能になります。……今は冷静に、情報の抽出を優先すべきかと」
「そうはいかない! こいつは、私のすべてを……妹の未来さえ奪おうとしているんだ!」
怒声を受け流しながら、私は手元の端末をフリックした。眼鏡の奥、視界には彼らには見えないバイナリの深淵が広がっている。
SOLの最新鋭セキュリティ。本来ならば即座に検知されるはずのこの異常事態を、私は内部権限を駆使し『緊急メンテナンス』の暗闇へと葬り去っていた。
(……耐えなさい、Playmaker。あなたの『審判』はここではない)
心の中で、氷のような独白を落とす。
彼はまだ、リボルバーが用意した舞台に上がる資格を証明していない。ここで壊れるのなら、その程度の価値しかなかったということだ。
その時、空間のデータ密度が上昇し、周囲の風景が激しくちらつき始めた。
空を裂くような電子の咆哮。SOLの監視を完全に潜り抜け、その『主』が降臨するためのパスが、私の指先によって開かれる。
(来る……!)
空間が爆ぜた。
財前も、ゴーストガールも、そしてPlaymakerも、その圧倒的な威圧感に言葉を失う。雷光の中から悠然と降り立ったのは、ハノイの騎士・リボルバー。
「Playmakerを離せ。この男の相手をするのは私だ」
ここからは、彼の独壇場だ。リボルバーは財前たちを一瞥し、不要なノイズを排除するかのようにデータストームを呼び寄せる。その暴風の中で、彼は冷酷に真実を告げた。
ブルーエンジェルがハノイのウイルスに侵されたこと。そして、その除去プログラムを握っているのは、自分だけであることを。
「なぜ妹を……!」
財前の叫びを、リボルバーは『誰でもよかった』という無慈悲な一言で切り捨てる。Playmakerを誘い出すための生贄――その残酷な論理こそが、私たちの歩む道なのだ。
リボルバーは、ブルーエンジェルの命をチップとしたデュエルを要求する。
「道はひとつだけだ。さあ選べ! お前自身で、義妹の未来を!」
無茶な要求だ。だが、財前には拒否権などない。
その時、リボルバーの視線が、誰にも悟らせぬ速度で私を射抜いた。声には出さないその合図。それだけで、『花沢』として凍らせていた私の胸に、確かな熱が灯る。
やがて、拘束を解かれたPlaymakerが走り出す。その背中に、財前が震える声を絞り出した。
「……私は君にひどいことをした。なのに君は、妹のために……憎まれて当然の私のために、戦ってくれるのか」
贖罪にも似た問いかけ。Playmakerは振り返り、ただ一言の断絶を告げた。
「俺はお前を憎んでなどいない。……俺が憎むのは、ハノイの騎士だけだ」
その言葉が、私の胸をかすかに抉る。復讐と憎悪、そして孤独。彼が背負うものの重さは、我々ハノイの騎士が背負う業と同じ色をしている。
(……ええ、そうね。だからこそ、ここで終わらせなければならない)
吹き荒れるデータの風が瓦礫を噛み砕いていく。財前もゴーストガールも、その異常なエネルギーになす術もなく立ち尽くしていた。
――好機だ。今この混乱の中であれば、私の離脱を疑う者はいない。
「財前部長。先ほどのデータストームの影響で、本社との通信にラグが生じております。私は、最上流回線からデータの保全とバックアップに回りますが……この場をお任せしても?」
「……ああ、頼んだぞ」
財前の隣を辞し、背を向ける。その瞬間に浮かべた笑みを見るものは誰もいない。
ネットワークの空白地帯へと滑り込んでから、わずか数分。私の意識は、花沢という虚飾を脱ぎ捨て、ハノイの騎士――『ヴェスパー』へと回帰していた。
幾多のモニターが明滅するハノイの拠点。その中心を見据える鴻上博士の背中は、かつての面影を残しながらも、今はただ滅びへの執念だけで形を保っているように見えた。
「……戻ったか」
博士の掠れた声に、私は視線だけを向けて短く応える。
『はい。SOLの追跡ログは全て攪乱済みです。……始まりますね』
メインスクリーン上には、Dボードを駆り、疾走する二人の姿が映し出されていた。
「――我が手に宿れ、新たな息吹!」
リボルバーが右腕を掲げ、そのスキルを発動する。
瞬間、私は手元のコンソールを加速させる。ストームアクセスに伴い発生した膨大な
(……掴み取って、リボルバー。その荒ぶる風の中から、私たちが望む未来を)
だが、現れたのは救済の光ではない。嵐の裂け目から這い出したのは、破壊の権化――『トポロジック・ボマー・ドラゴン』。
空間を焼き切るような衝撃波が、物理層を超えて私の手を微かに震わせた。モニターが放つ暴力的なまでの光を、瞬き一つせず受け止める。
「――良き力だ」
リボルバーの陶酔を含んだ声が響く。その力はあまりにも禍々しく、そして美しい。
多くの犠牲を積み上げた先にしか存在し得ないその力。それ彼が肯定するならば、私もまたそれを抱きしめよう。たとえそれが、目の前の少年を、そして世界を破滅させる
リボルバーは容赦なくフィールドを蹂躙した。自ら生成した『ドラゴノイドトークン』をあえてボマー・ドラゴンのリンク先に送り込み、強制的な破壊効果を誘発させる。光がフィールドを薙ぎ払い、すべてを更地へと変えていく。
「くっ……!」
Playmakerの声がノイズ混じりに届く。さらに、破壊された『コンデンサー・デスストーカー』の効果が、両者のライフを等しく削り取っていく。
鳴り響くアラート。Playmakerのライフは1000。対するリボルバーは残り100。それでも彼らの瞳に宿る意志は、少しも揺らいでいない。
ボマー・ドラゴンの攻撃宣言。窮地に追い込まれたPlaymakerが放つ『リンク・リスタート』による巻き返しの一手。そして彼もまた、データストームへと手を伸ばした。
「こいつが逆転のキーカード!」
新たに掴み取ったサイバースの輝きが、反撃の狼煙を上げるかに見えた。だが、リボルバーはそれを許さない。
「トラップ発動! 『リモート・リボーン』!」
「このタイミングでトラップだと!?」
彼はPlaymakerの墓地から、あえて『コンデンサー・デスストーカー』を、ボマー・ドラゴンが指し示すリンク先へと蘇生させた。
相手のモンスターすらも自らの起爆剤へと変える――即座に再起動した『
コンソールに『DRAW』の文字が冷たく浮かび上がる。だが、それは終焉ではなく、さらなる戦いへの幕開けに過ぎない。
「スピードデュエルでは、私とお前の戦いは窮屈すぎる。次なるステージが我々を待っている――」
二人がデータストームの巨大な渦に呑み込まれ、中継映像が激しく乱れた。ここから先は、システムの介在しない魂と魂のぶつかり合いになる。私は震える指先を隠すように強く握りしめ、暗転したモニターの向こうに潜む地獄を見据え続けた。
***
「ここが、お前との新たな戦いの舞台だ」
荒れ狂う嵐の『目』――世界の喧騒すらも届かないその聖域。再構築されたマスターデュエルのフィールドで、二人は対峙していた。
薄暗いハノイの拠点のモニターには、ノイズ混じりの映像と、リボルバーのバイタルデータ。そして、フィールドログの羅列だけが流れてくる。
(リボルバー……。あなたは今、彼に何を見ているの?)
リボルバーの戦略は驚くほど静かだった。スピードデュエルでの苛烈な攻めとは対照的に、『天火の牢獄』を用いた徹底的な防御。サイバースという存在そのものを否定し、その意志であるイグニスを封殺する絶対的な檻。
デュエルディスクに宿るイグニスが搔き消え、Playmakerの顔が驚きに歪む。それを見つめる私の胸の奥で、かつて自分の内に書き留めた言葉が、苦い味となって蘇った。
(――もし、Playmakerが本当にあの事件の復讐者だというのなら、彼の前に立つ壁は私が代わろう)
だが、現実に彼の前に立ちはだかっているのは、私ではなくリボルバーだ。
彼が語るイグニスの真実。
私は知っている。彼が、そして鴻上博士が、どれほどの恐怖を持ってその『意思』を視ているかを。
イグニスという火種が、ネットワークという文明を焼き尽くす未来。それを防ぐために、私たちはこの泥沼の戦いに身を投じたのだ。
リボルバーの猛攻が続く。『ヴァレルロード・ドラゴン』の一撃がフィールドを貫き、彼のライフを、そして精神を削り取っていく。
膝を突き、地に伏せるPlaymaker。
――チェックメイトだ。そう確信したはずだった。
だが彼は何かを数えるように、唇を小さく動かしている。その姿は、自らの魂に何かを刻みつけているようにも見えた。
「俺はまだ……まだ戦える!」
フィールドでは、Playmakerの新たなエース『ファイアウォール・ドラゴン』が顕現し、リボルバーのヴァレルロード・ドラゴンと激突する。やがて天火の牢獄が砕け散り、サイバースたちの鼓動が加速する。
一進一退の攻防。だが、復讐という名の執念が、リボルバーの鉄壁を突破した。
「俺には、絶対に勝たなきゃならない理由が三つある!」
スピーカーから漏れ出たその震える声に、私の指先が止まる。
復讐、真実、そして『友』――彼が挙げた
「十年前、三つ……。まさかお前は、十年前の事件の……」
「そうさ。俺はその『復讐の使者』だ!」
その言葉に、リボルバーの、そして目の前に立つ鴻上博士の空気が変わった。私自身の背筋にも、氷のような冷たさが走る。
「十年前……。それが本当であれば、恐ろしい因縁だな」
博士の低い声が響く。
私の予感は、最悪の形で的中した。彼はあの日から一度も止まることなく、出口のない地獄の底を這い続けてきたのだ。私たちが、『贖罪』という大義を盾に戦場を構築していた間、彼はただ一人、奪われた自分自身を取り戻すためだけに戦っていた。
かつて私が、彼を『不完全』と称した言葉が、呪いのように自分に跳ね返ってくる。
彼は吸収しているのだ。リボルバーとの戦いを通じ、憎しみさえも糧にして、自らの刃を研ぎ澄ませている。
運命の歯車が、耳障りな音を立てて噛み合った。
「ファイアウォールの攻撃! ――テンペストアタック!」
放たれた光線がヴァレルロードを貫き、リボルバーのライフがゼロを示す。
それと同時に、イグニスがPlaymakerの腕から飛び出した。飢えた獣のように、一直線にリボルバーへと襲いかかる。
「――ぐっ……!」
次の瞬間、イグニスの牙がリボルバーの右腕へ深々と食い込んだ。歪んだ悲鳴と共に、腕のデータが脆く崩れ、砕け散る。
イグニスは止まらない。さらに奥へ、核へ――そのすべてを喰らい尽くそうと、牙を深く突き立てようとした、その時。
(……させない!)
その思考と、鴻上博士による強制介入プログラムの起動は、ほとんど同時だった。LINK VRAINSの空から断罪の
光の渦中、私はその爆心へとダイブする。
立ちこめる煙を切り裂き、リボルバーの傍らへ降り立った。衝撃でうずくまり、よろめきながら身体を起こそうとする彼の背を、後ろから抱き留めた。
「……ッ、ヴェスパー……」
掠れた声で名を呼ぶ彼に、私は応えない。ただ、白光の向こう側――呆然とこちらを見つめるPlaymakerを、冷たい仮面の奥から見据えた。
勝利を手にしながらも、その眼に宿る孤独な復讐の灯火。
「……今日は私の風は吹かなかったようだ。だが、お前がそのAIを手にしている以上、これは始まりのデュエルに過ぎない。お前とは、いずれまた……」
リボルバーが放った除去プログラムが、Playmakerの手元へと飛ぶ。それがブルーエンジェルを救うための対価であり、私たちと彼を繋ぐ、残酷なまでの鎖。
『Playmaker。……今は、私が彼を預かりましょう』
加工音声によって歪められた声が、空の彼方へと消える。イグニスの声も、嵐の咆哮も、遠ざかっていく。
突き刺さるPlaymakerの視線を、かつてないほど重く感じていた。彼が復讐の使者として覚醒した今、私たちが歩む道はより深く、逃れられない
『……撤退します』
私の言葉を合図に、身を包むデータが粒子となって霧散していく。遠ざかる意識の端で、私は願わずにはいられなかった。
いつか来る、真の決着。その時、彼の灯す光が本当に救いとなるのか、それとも――。