ふとにっき   作:居酒屋の枝豆

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第4話

 風が高い。

 

 神霊廟の屋根よりも、もっと上の空で鳴っている。

 

 我こと物部布都は、山へ続く川原に立っていた。

 

 水は浅く、石の上をさらさらと流れている。

 陽射しは強いが、川風があるから暑くはない。

 

 来るつもりはなかった。

 

 ただ、歩いていたら山のほうへ足が向いただけである。

 

 石をひとつ拾って、ぽいと投げる。

 水面に三回跳ねて、沈んだ。

 

「三段か。微妙だな」

 

「自己採点が厳しいですね」

 

 背後から声。

 

 振り向けば、黒い翼。

 

 ブンが手帳を片手ににやりと笑っている。

 

「何を記しておる」

 

「“神霊廟の危険人物、山に現る”」

 

「危険ではない」

 

「今のところは」

 

 失礼千万。

 

 文はひらりと宙に浮き、布都の周りを一周する。

 

「今日は何を?」

 

「何もせぬ」

 

「珍しい」

 

「珍しくはない」

 

 文はふむ、と顎に指を当てる。

 

「ではインタビューを。最近のマイブームは?」

 

「……川」

 

「ざっくりですね」

 

 川原の上流から、水しぶき。

 

 銀色の尾が跳ねる。

 

 若鷺姫が浅瀬から顔を出した。

 

「こんにちは」

 

「うむ」

 

 若鷺姫は水面に肘をついて、布都をじっと見る。

 

「今日は静かですね」

 

「うむ」

 

「燃えてませんね」

 

「燃やさぬと言っておろう」

 

 なぜ皆、そこを基準にするのか。

 

 文がすかさず書きつける。

 

「“本人、否定”っと」

 

「やめよ」

 

 しばらくして、草むらががさりと揺れた。

 

 白狼天狗。

 

 犬走椛が警戒の目でこちらを見る。

 

「問題は起こしていませんね?」

 

「起こしておらぬ」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

 椛はしばらく睨んだあと、小さく頷く。

 

「なら、自由にどうぞ」

 

 それだけ言って、巡回に戻る。

 

 山は平和である。

 

 少なくとも、今日のところは。

 

 布都は川縁に座る。

 

 石は丸く、少し冷たい。

 

 足先を水に浸すと、ひやりとした感触が走る。

 

「冷たいな」

 

「山水ですから」

 

 若鷺姫が笑う。

 

 文は近くの岩に腰掛け、足をぶらぶらさせている。

 

「布都さんって、意外と何もしない時間好きですよね」

 

「……嫌いではない」

 

 水音が一定に流れる。

 

 遠くで鳥が鳴く。

 

 風が草を揺らす。

 

「記事にならないなぁ」

 

 文がぼやく。

 

「平和は売れぬか」

 

「売れませんねぇ」

 

「では書くな」

 

「でも、こういう日があるって記録は大事ですよ」

 

 文は少し真面目な顔になる。

 

「“神霊廟の布都、川辺で石投げ。異変なし。”」

 

「地味である」

 

「それがいいんですよ」

 

 布都はもう一度石を拾う。

 

 今度は少し平たいものを選ぶ。

 

 軽く手首を返す。

 

 ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ。

 

 四段。

 

「おお」

 

 若鷺姫が拍手する。

 

 文も思わず顔を上げる。

 

「成長してますね」

 

「当然である」

 

 少しだけ、誇らしい。

 

 たったそれだけのこと。

 

 だが、川原ではそれで十分だ。

 

 空は高く、雲は薄い。

 

 布都は膝を抱え、流れを眺める。

 

 火も寺も異教も、今は遠い。

 

 水の音だけが、規則正しく続いている。

 

 こういう日があるから、

 次に誰かと顔を合わせても、たぶん少しだけ穏やかでいられる。

 

「また来ます?」

 

 若鷺姫が聞く。

 

「気が向けば」

 

「曖昧ですね」

 

「我はそういうものだ」

 

 文がぱたんと手帳を閉じる。

 

「じゃあ今日は解散ですね。何も起きませんでしたし」

 

「何も起こさなかった、の間違いである」

 

「それ、記事の見出しにしましょうか?」

 

「やめよ」

 

 笑い声が川に溶ける。

 

 布都は立ち上がり、山道の方へ歩き出す。

 

 背後で水が流れ続ける。

 

 本日、異変なし。

 

 ただ、少しだけ石投げが上達した。

 

 それだけで、悪くない午後であった。

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