教会の聖堂に戻った俺は、アーシアを一旦近くの長椅子に横たえた。
「アーシア、しっかりしろ! ここを出れば、アーシアは自由だ。いつでも、また遊べるようになるんだぞ!」
ゆっくりと目を開けるアーシア。微かに上がったか細い手を俺は両手で握りしめるが、その手も、身体も冷たく、生気が感じられない。
「私、少しの間でも……お友達が出来て、幸せでした……」
「なに言ってんだよ……まだ連れて行きたい所、いっぱいあるんだからな! カラオケだろ、遊園地だろ、ボウリングもだ! ラッチューくんだって、もっとたくさんとってやるさ! 他にもそうだ、アレだよ、アレ、ほら! ああ、そうだ! 俺のダチも紹介するよ! 松田と元浜っていって、ちょっとスケベだけどすっげーいい奴らでさ! 絶対アーシアと仲良くなってくれるからさ!」
自分でも、何を言いたいのかよく分からない……それでも、ボロボロと泣きながら、必死で瀕死の少女にかける言葉を探す。
「ああ……そうだ! みんなでわいわい、馬鹿みたいに騒ごうぜ!」
わかってる。
アーシアは死ぬ。それが現実。
否定したいさ。でも、否定する力が俺にはないんだよ……。
やれるもんなら、俺の命くらいあげてやりたい。
それすらも、俺にはできない。
「この国に生まれて……イッセーさんと一緒に学校に行けたら……どんなにたのしいだろう……」
「行けるさ、俺が部長に頼み込むよ! 一緒に……」
アーシアの手が、そっと俺の頬をなでる。
もう残ってないはずなのに。さっきよりも冷たくなっているはずなのに。
まるで、
「……私のために、泣いてくれる……私を、みてくれる……もう私……なにも―――――ありがとう……」
すっと、手が落ちる。
ありがとう。
全能の神への敬意と感謝を決して捨てなかった少女の最期の言葉は、何一つできなかった、役立たずな悪魔への感謝だった。
癒されたのだと、救われたのだといわんばかりに、アーシアの死に顔は綺麗に微笑んでる。
涙が止まらない。
何で……アーシアが死ぬんだよ?
生まれてすぐ、赤ん坊のうちに親に捨てられて。
大人の思惑と都合で、生まれ育った場所を、友達を捨てさせられて。
聖女として崇められて、癒しの力として使われて、偶像として扱われて。
優しさから悪魔を癒して、魔女と呼ばれて協会を追われて。
堕天使に拾われて、利用されて、力を奪われて、それでも――笑顔で死んだ。
なんだよそれ……。
「なあ神様! この子を連れて行かないでくれ! お願いだ! この子はただ友達が欲しかっただけなんだ! なにも悪いことなんかしてない! 自由を奪われて、友達を奪われて、力を奪われたこの子から、命までとらないでくれよ!!」
アーシアを抱きしめて、天を仰いで絶叫する。
意味があるかなんて知らない。叫ばずにはいられないんだ。
「俺が悪魔だから駄目なんスか!? 悪魔の俺が友達になったから駄目なんスか!? 頼む、頼みます! 神様ぁぁぁぁぁーーーーー!!!」
俺は無力だ……。
助けたかった少女の死を前にしても、天につばを吐くことしかできない。
悔しい……情けない……。
「悪魔が協会で懺悔ぇ? たちの悪い冗談ね」
唐突に響く、俺以外の声。振り向けば、長椅子に腰掛ける堕天使がいた。
「レイナーレ……!」
「ほらみて? ここへくる途中に
「木場と子猫ちゃんは……」
俺が言葉に含んだ感情を軽く流して、レイナーレは腕の切り傷に手を当てる。
緑色の光が生じ、傷口がたちまちふさがっていく。
「素敵でしょう? どんな傷も治ってしまう。神の加護を失った私たち堕天使にとって、これはすばらしい贈り物だわ。これで私の堕天使の地位は磐石になる。ああ……偉大なるアザゼル様、シェムハザ様。お二人の力になれる……!」
「――知るかよ」
……地位。そんなくだらないもののために、こいつはアーシアの命を奪って、その力を使おうとしてる。
それは、協会に属するものだけでなく、悪魔や堕天使まで癒すアーシアの優しさに対する、これ以上ない侮辱としか思えない。
「堕天使とか、悪魔とか、そんなもんこの子には関係なかったんだ!」
「優れた神器を宿した者の、これは宿命よ」
「何が宿命だ! 静かに暮らすことだってできたはずだ!!」
「それは無理よ。神器は人間には過ぎた力。異質な力を持つものは爪弾きにされるわ」
頭に浮かんだのは、自分の身の上を語ったときの、アーシアの悲しげな表情。
アーシアは、治癒の神器を持っていたがために、生まれ育った場所から引き離された。
悪魔を治癒したがために、教会から追放された。
「仕方ないわよね。それが人間という生き物だもの。こんなに素敵な力なのにねぇ~」
確かに人間は、異質を嫌う。それは事実だ。
でも……
お前がアーシアを殺したことを正当化する理由にはならねぇんだよ!
「俺は、アーシアの友達だ! 友達として、守ろうとした!」
「でも死んじゃったじゃない、アハハ! その子死んでるのよ!? 『守る』とか『守らない』とかの話じゃない! あなたは『守れなかった』のよ!! あの時も、そして今も!」
「わかってるよ……だからこそ、赦せねぇんだ。 お前も……そして俺も! 全部赦せねぇんだ!! ……返せよ。アーシアを返せよォォォォォォォォッッ!!!!」
『
ずいぶん、懐かしい響きだ。前に聞いたのは、俺が小学生の頃。はぐれにあいつが殺されかけたときに、頭にきて、初めて能力を発動させて以来だ。
まさか、これまで『リセット』されてるとはな。
でも、今はそんなことより! あいつをぶん殴ることが先決だ!!
「うおおおおぁぁぁぁぁ!!」
一直線に突っ込むが、あっさりと空中に逃げられる。
「さっきよりは力が増しているみたいね。でも、一の力が二になったところで、同じことだといったでしょう?」
レイナーレは両手に槍を形成して、一気に投げつけてきた。それに対し、俺は……。
あえて動きを止めて、プロモーションも解除した。
ドシュッ!!
「ガ、ッハァッ!!」
両足のふとももがぶち抜かれるとともに、以前味わった、内側から体を焼かれる感覚が襲ってくる。その痛みが傷口から、徐々に体全体に広がっていく感じだ。
「光は悪魔にとって猛毒に等しい。触れるだけで身を焦がし、激痛が駆け巡るわ! その痛みは、悪魔にとって最大級のもの! あなたのような下級悪魔如きでは……」
「ごちゃごちゃうるせぇぞ……」
ジュウウウウウゥゥッ!
悪態をつきつつ、両手で左右の槍をつかむと、何も覆われていない右手のほうから肉の焼ける音がしてきた。
痛ぇ……いうだけはあるよな。
けど、んなもん知るか。
ズリュッ。
強引に二つの槍を引き抜いて、そのまま握りつぶす。
「この程度の痛み、アーシアの受けてきた苦しみに比べたら……どうってことねぇんだよ!」
『Boost!』
蓋がなくなった傷口から、どばっと血が溢れる。
抜かなくてもどうせ消えてたんだから、結果は同じだ。
「たいしたものね。下級悪魔の分際でここまでがんばったのは褒めてあげる! でも……」
脚が僅かにふらつく。踏ん張ろうとするが、力が入らず、そのまましりもちをついてしまった。
「もう限界ねぇ。私の光は派手さはないけど、殺傷能力は高いの。中級悪魔でも、傷を負えば簡単には治らない。
それをまともにくらって、しかも素手でつかむなんて。光が体中をめぐって全身にダメージを行き渡らせているから、とっくに死んでもおかしくないのよ? 下級悪魔のくせに、呆れるほど頑丈ねぇ」
悪かったな。こちとら師匠から根性と、そこだけは評価されてんだ。ほかはまったく才能ないって言い切られたけどな。
しかし、指摘されたとおり、体中が滅茶苦茶痛い。ここ一年では、多分最大級の痛みだ。筋肉も骨も、今この瞬間にも焼かれているみたいだ。
それはさておき、言われっぱなしってのはムカつく。とりあえず、ちったぁ言い返そうか。
「そっちこそ、派手さはないけど、殺傷能力は高いたぁ……素の性格は可愛げがなくて、棘だらけのお前らしいよ。らしすぎて笑えてくるぜ、レイナーレ!」
はは、言ってやった。途端に、レイナーレは表情をさらに醜くゆがめて、殺意も量を増した。あぁ……もう夕麻ちゃんの面影さえないな。
ほんと、器の小さいやつだ。これじゃどんなに優れた力をもっていようが、宝の持ち腐れだ。
そんなやつが、アーシアの優しさを自分のために利用しようとしている。到底、赦せないよな。
思って、アーシアのほうを見ると、さっきと変わらず、やさしい笑顔を浮かべて目蓋を閉じている。
優しいアーシアは、敵討ちなんて望まないかも知れない。でもな、悪いけどこれはアーシアのためだけじゃないんだ。俺の、けじめのためでもある。
さっきの攻撃、その気になれば砕くなり避けるなり、どうとでもできた。でも、俺はあえて受けた。
アーシアの痛みの数億分の一でも味わわないと、気がすまなかったんだ。つっても、それでも自分を赦せそうにないけど。
たとえクソ堕天使を殴り飛ばしても、赦せない。俺は一生、自分を赦さないだろう。
「神様……いや、悪魔なんだから、魔王様か」
それに、アーシアほど敬虔な信者を救わなかった神が、神様仏様と呟く典型的な日本人の願いを聞いてくれるとも思えないしな。例え悪魔じゃなかったとしても。
そういえば、神さんから魔王にもそろそろ紹介しようって言われたっけ。いまなら出世の道が開けるかも。
「なあに、独り言? それとも痛さのあまり壊れちゃった? アハハ」
耳障りな笑い声を上げる、堕天使。怒りとともに、少しずつ体に力が入ってくる。
「俺も、一応悪魔の端くれなんで、頼み、聞いてもらえますか? いまから腹立つ元カノの堕天使をぶん殴りたいと思うんです。手助けも、手当ても要りません。絶対、カタをつけますから。
だから――あのクソムカつく堕天使を、ぶっ飛ばさせてください!!」
足に力を入れると、傷口から面白いくらい血があふれ出す。
ほんの少し動かすだけでも、体中にかなりの激痛が走り回る。けど、動く。まだ動ける。
目の前の堕天使をぶっ飛ばせば、それで済む。その後はもう、知ったことじゃない。
「なっ!? う、嘘よ! 立ち上がれる筈がない、体中を、光が内側から焦がしているのよ!? 光を緩和する能力も持たない下級悪魔が、耐えられるはずが……」
お前の御託は聞き飽きた。
こちとら今まで、何回死にかけたと思ってんだ。十超えてから数えてねぇんだよ。
たかが全身に激痛が走って、出血多量になったくらいでガタガタ抜かすほど、平穏な生活は送ってない。
「ああ、痛ぇよ。体中痛くて、今にも死にそうだ。でもな、それ以上に……てめぇを殴りたくて、たまらねぇんだよ」
左手の篭手を見る。この状況でも何も言ってこないところを見ると、ドライグのやつ、まだ寝てやがるのか。
暢気なもんだぜ。相棒が今から元カノ殴ろうとしてるって時に。
これが終われば、いい加減あいつも目を覚ますかな? しっかりしてくれよ、赤龍帝様!
「おおおおお!!」
『
篭手から、凄まじい緑色の光が放たれ、悪魔の翼も広げられる。そして、大気を振るわせるほどの赤い覇気が、俺の全身から噴出す。
「光栄に思え、レイナーレ……力が落ちたとはいえ、一年ぶりの二段開放だ。帝王と呼ばれた龍の力を見られるなんて、早々ねぇぞ!!」
「あ、ありえない。この力……上級? いや、それ以上……!? ば、馬鹿な。それはただの
まだ勘違いしてんのか。おめでたすぎるぜ、夕麻ちゃん。
一歩、足から血を噴出して進む。
「ひっ! う、嘘よ! こんなはずがない! 私は、『
苦し紛れに、光の槍が飛んでくるが、軽く腕を払って、消し飛ばす。
「ひぃぃ!! 嫌ぁ!」
バッ!
俺に背を向けて、レイナーレは黒い翼を広げようとしている。
だが、俺から離れた覇気が、やつを拘束し、その動きを止める。
「逃がすか、馬鹿」
「わ、私は……私は! 至高の……」
一気に肉薄して、全ての覇気を左拳に集中させる。身を屈め、伏せた反動で思い切り飛び上がり、堕天使と空へ向けて、龍を纏った拳を放つ。
「機神! 翔・龍・拳!!」
ドゴォ!
「吹っ飛べ、クソ天使ィィィ!!」
拳に肉と骨を砕く感触が伝わり、堕天使が吹っ飛ぶ。
その後を赤い龍が追いかけ、圧倒的な力の塊が、やつの体を貫いた。
ギャオォォォォォォーー!!
「うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!」
叫びながら、レイナーレは教会の窓ガラスをぶち破って、吹っ飛んでいった。
スカッとした。胸がすく想いだ。でも、なぜか涙が溢れてくる。
「ざまーみろ……夕麻ちゃん」
覇気の余波で、教会の天井もほとんど吹っ飛んだ。
心配になって見てみるが、アーシアは何とか無事だった。
でも、もう彼女は動かない。笑ってはくれない。
「……アーシア」
名を呟いても少女は返事を返してくれない。
また、別の涙が溢れてきた。