軍団を持つ代わりに、少数精鋭の下僕悪魔にチェスの特性を元とした強大な力を分け与える。それは同時に他の種族を悪魔に転生させ、その力は死後間もない者を蘇らせる程に及ぶ。
稀代の天才アジュカ・ベルゼブブ様が生み出し、悪魔の世界において多大な影響を与えた、画期的なシステム。
その悪魔の駒に影響を及ぼすだなんて、イッセーの言うとおり、彼女たちは超が幾つついてもおかしくない天才といえるでしょうね。
それを私は、さも自分の実力で素晴らしい眷属を得たかのように悦に浸っていた。それどころかさっきの話の通りなら、私はあのままでも助かるイッセーを恩着せがましく、そして無意味に悪魔にしてしまったという事に他ならない。少しどころか、これ以上無い程おめでたいわ。
しかもここへ来て見聞きした事実から、イッセーが各神話の神々と太い繋がりがあるのは明白。かつて世界最強の一角にいたイッセーを悪魔にした事で、とんでもない影響が既に起こっているのは想像に難くない。最悪、冥界が滅ぶ可能性すらある。
-―だけど。
『俺は部長のこと、部長として好きですよ』
--それでも。
『難しいことはよくわかんねえ……けどな、お前に負けて倒れそうになったとき、うっすらと覚えてることがある。――部長が泣いていたんだ!! 俺がお前を殴る理由は、それで十分だ!!』
――私は……。
『あのときに言ったとおりですよ。右腕でも足でも両目でも差し出して、また何度でも、何度でも助けに行きますよ。だって俺……リアス・グレモリーの
さっき、一端に過ぎない彼の歴史の重みに圧されて、私は何も言えなかった。けれど、今度こそこれだけは言わなきゃいけない。
強張り、萎縮する全身の機能を叱咤して、魔法使いと吸血鬼に面と向き合った。
「……それでも、今のイッセーは私の眷属よ。なにより――それは、私がイッセーを好きになった事と何の関係もないわ!!」
「よく言ったね。数ヶ月一緒に住んでいただけの小娘が、随分な口をたたくじゃないか? イッセーの事を何も知らない癖に」
「ええ、貴方たちに比べればまるで全然でしょうね! それでも好きな物がひたすらおっぱいで、嫌いな物は身内を馬鹿にする輩っていうのはみてて分かったわ! 後、ひたすら醤油好き!」
「あぁ~、あれは凄まじいものがあるからね。誰にどう言われてもこれっぽっちも揺るがない嗜好だから」
ライリが納得顔で賛同すると、明もうんうんと頷いている。私達でも分かってるんだから、何年も一緒にいた彼女たちなら当然よね。
家は勿論、外でもマイ醤油を持ち歩くくらいだし、料理の時もよく隠し味に使うものね。炒飯はともかく、ペペロンチーノにも醤油をかけたときは驚いたわ。しかも信じられない位に美味しいし。
「私のした事の影響は決して小さくはないでしょうし、そもそも何もかもがイッセーを従えるに不足しているというのも理解したわ。それでも、私は……兵藤一誠の
精一杯の気迫を籠めて宣言する私を、二人の実力者は冷ややかに見つめてくる。心臓から体中を巡る血液まで凍りつきそうな悪寒を耐え忍んで、唾を飲み込んだ瞬間だった。
「クッ、フフフ……」
「プ……クク」
噴出した後、室内に響く――爆笑。
「「ハハハハハハハハハ! アッ、ハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」」
突然の展開に、私は目を見開いて佇むしかない。他の皆も同じだろう。
表面上はにこやかでも、水のように静まりきった雰囲気を漂わせる明は天井を仰いでお腹を抱えているし、燃え盛る炎の様にいつ爆発しても不思議はないような危なげな熱気を放っていたライリは机をバンバンと叩いて悶えている。その両者がまるで姉妹のように異口同音の笑い声を上げて、子供を通り越して赤ん坊のように感情をむき出し、さっきまでの冷ややかさを失わせた瞳からは涙まで浮かべている。
「自分、の力不足をそんな堂々と……さ、流石、サ、サーゼクスの……妹。ば、馬鹿だ! 見事な馬鹿だァァーーーッ!!」
「身の……ぅぷ! 身の程知らず、を絵に描いたような癖して……よくもまぁ……ぷふーーーーーーッ!」
口走る台詞とは裏腹に、二人の声色からは侮蔑や嘲りといった類の感情は感じられず、純粋に可笑しいから笑っているという体だった。
というか何気なくお兄様を呼び捨てにしているのだけれど、知り合いでも対して不思議が無いのが恐ろしいわ……。そんな相手に啖呵を切っただなんて、我ながらいい度胸になったものね。
どれ位経ったか、たっぷり笑った二人は晴れやかな笑顔を私達に向けてきた。そこからはさっきまでのような悪感情は見受けられない。
「はぁ、笑った笑った。とにかく、ちゃんと覚悟を決めたのならいいんだ。イッセーが悪魔になった影響も、仔細無い様私達や神が動いたからさ」
そういう事なの。なら、最初のあの敵意は……いいえ、あれは純粋に、イッセーの立場を危うい物にしかけた事に対するものなのでしょうね。
「今更受け入れられないとかふざけた事ぬかしたらぶっ殺すつもりだったけど、まあいいかな。あ、勘違いしてもらっちゃ困るけど、君はようやくスタートラインに着いただけなんだよ?
最低でも最上級悪魔程度にはならないと、イッセーにはまるで釣り合いがとれないからね。本当は魔王くらい言いたいところだけど、それは流石に酷だし、イッセーの目指すハーレムに支障をきたしたらあれだしね」
……軽い口調だけど、最初の殺すという件も含めて、冗談でもなんでもないようね。
けど、いいわ。イッセーは今でもどんどん強くなっている。昔日の力を取り戻すのも、決して遠い日では無いでしょう。今でさえ大きな差があるのに、これ以上開けば完全に私はおまけどころか、イッセーにまとわり着く埃も同然になってしまうわ。
彼の師匠、彼の幼馴染、彼を知る各神話の神々にも、絶対に認めさせて見せるわ。
兵藤一誠の主はリアス・グレモリーを置いて他にはない、と。
「間に合った……って、皆、何をそんなに緊張気味で?」
いつの間にか姿を現したイッセーに、皆の視線が集中する。
……まず私がするべきなのは、イッセーに全ての事実を包み隠さず話すこと。
その結果イッセーの怒りを買っても、全てを受け止めるわ。それこそが、イッセーに対して今の私が出来る、唯一の誠意だから。
―――――
あまりの衝撃に、久々に明の飯が食えるとはしゃいでいた気分が一気に消し飛んじまった。
俺は、実はあのままでも助かった?
そんでもって、部長が俺を眷属に出来たのは明とライリの作った装置のお陰?
「それ、マジなのか?」
「あれは起動すると同時にイッセーの体内に溶け込む様になってたからね。首に貼っつけてあった装置が消えてるから、間違いないよ」
二人の技術力の凄まじさの恩恵を最も受けてきた俺にとって、平然と告げる明を疑う余地は無い。
でも、まさか……。
「部長、一つだけいいですか?」
「……ええ。何でも言って頂戴」
何だか全身を強張らせている部長や、心配そうに見てくる皆を見ると、まさか、本当に……。
「もしかして……ええっと……あのぅ……」
「……」
どもる俺に、皆の視線が集中する。うおおお……まさか、マジで……。
「まさか俺、それが原因で眷属クビになったりとかするんですか!?」
「……………………え?」
何を言ったのか理解できない、という表情で、部長が固まった。この反応からすると、クビはないみたいだけど……。じゃあ、まさか。
「じ、じゃあそれとも、レーティング・ゲームで制限が掛かるとか、出場禁止とかですか!?」
「いや、前にゲームのルールブックを見たことがあるけれど、ルール上の制限以外で駒が問題になる事はないみたいだよ。強力すぎる能力が制限を受けるとかはあるみたいだけどね」
おお、明ナイスフォロー! でも、そうなるともう、問題点が思いつかないんだけど……。まさか、俺の知らない悪魔業界の問題とか!? うわ、そうなるとマジでどうしようもない! 畜生、こうなったら神さんに泣きつくしか……。
「ちょ、ちょっと待ってくれないかい、イッセー君」
「え? 何だよ!?」
携帯をとりだそうとした俺を、木場が手で制す。も、もしかして活路が思い浮かんだ!? さすがイケメン
「あ、あの……イッセー君はそれでいいんですか?」
「……何がですか?」
朱乃さんが不安げに聞いてくるけど、質問の意図が読めない。いいって……なにが? 部長や朱乃さんのおっぱいはいつでも最高にいいですけど。
「だ、だから、私は人間のまま助かった筈のイッセーを悪魔にしてしまったのよ?」
――あ~、そこですか。
「それがどうかしましたか?」
「……どうかしましたか、って……」
呆れと驚きが入り混じって、混乱してしまった小猫ちゃん。え、そんなに変な事言った?
「あの、私と違って、イッセーさんは人間のままでも死ななかったんですよね?」
「みたいだね」
「しかも私とも違って、悪魔になりたがったわけでもないんだろう?」
「そうだけど」
……ん? もしかして。
「皆、俺が怒ると思ってるんですか? ……何で?」
「な、何でって……」
二の句を告げないでいる部長に、思ったままの言葉を伝える。
「だって……部長は俺を助けようとしてくれたんでしょう?」
理由や動機がどうであれ、そこに俺を助ける意志があったのが事実なら、俺が怒る理由はどこにも見当たらないですよ。
「!? で、でも、私は……私のした事は!!」
「結果は結果。そんで過程は過程。少なくとも俺は悪魔になった事は悪い気はしませんし、問題だって今の所は起こってないんだからそれでいいでしょう」
つうか、そこら辺問題が起こらない様に、神さん、明、ライリは勿論、他にも色んな人が動いてくれてたんだろうな。……その中にロキが思い浮かぶ辺りが何だかとっても不安だ。すっげえ恩着せられそう。
「……それともやっぱ俺じゃあ、部長の眷属には不足ですか?」
「そんな事は有り得ないわ!!」
うお、間髪いれずに叫ばれた。……部長の赤くなった顔は今までにも何度か見たはずなんだけど、今日のお顔はいつも以上に可愛らしい。明朗快活で晴れやかな感じが、いい意味で子供っぽい!
ドンッ! ヴァゴッ!
「ゴハッ!!」
突如胴体の両側から走った衝撃に、体中の空気が追い出される。
鳩尾には服の内側に衝撃だけを転移させた明の掌底。その正反対の背中側からはみんなに視認できない速さで動いたライリのパンチが叩き込まれた。耐え切れるギリギリを見切った一撃なんだろうが、何だっていきなり……。三戦の構えや硬功夫じゃあるまいし。
「さーさー。とにかく食べよう。今日はじっくり煮込んだプラチナシンデレラ牛に、ベジタブルスカイ直送の新鮮極まる野菜を投入したすき焼き鍋だ」
パチン。
シュン!
明が指を弾くと、テーブルの上にでかい鍋が現れる。ぐつぐつと煮込まれたプラチナシンデレラ牛の肉は芳醇なダシを鍋に提供し、それを吸いながらもハリを失っていない野菜が燦然と鍋の中で輝いている。
敏感な鼻が感じ取る旨みの臭いに、全身の細胞が喜び、沸き立ち始めた。
ガオオオオオオオオ!!
俺の腹も必死で自己主張を始めるが、それは他のみんなも同じ様で、ガタガタと椅子に座りながら物欲しそうに鍋を注視する。
いつの間にか手元に置かれた茶碗や箸、取り皿に十黄卵に気がつくと、明が満面の笑みで言ってきた。
「じゃあ、イッセー。お願い」
スッ。
澱み無い動作で合掌の構えを作る俺に全員が習い、食への感謝を告げる。
「この世の全ての食材に感謝を込めて、いただきます」
『いただきます』
「食べたいものはお申し付けください。お取り致します」
オルトも気が利く様になったよな。ライリのプログラミングがあるとは言え、どことなく行動に温かみが感じられる気がする。最初の頃はもう……パワーダウンしたとはいえオーバースペックに任せるがままの、家事と書いて戦争って読む勢いだったからな……。
ま、まあいい。よし、食おう!
先ずは十黄卵を取り皿に開ける。
パカァ!
割れるなり多数の卵黄を落とす卵に皆が驚いているが、すぐに気を取り直してかき混ぜ始めた。
俺は懐から取り出した醤油を卵に垂らし、速攻でかき混ぜて肉や野菜を放り込んでいく。
黄色い卵と絡んで程よい温もりになった肉と野菜を口に放り込み、すかさず極楽米を掻きこむ。咀嚼するごとに口の中に広がる様々な旨みが舌を染め上げ、脳に信号を送り続ける。
このダシ……鍋池の汁を元に相当アレンジしてある。比較的和風な鍋池の味にステーキ昆布、シチューワイン等の食材が加わって、見事に和洋折衷の味が出来上がっている。しかも俺たちと違ってグルメ界の食材を食べなれていない皆にも味わいやすいよう、少し薄味にしてある。
明らしい気遣いだなぁ。それにあれこれ言ってても、料理に一切私情を挟まない辺りもとてもらしい。そのプロ根性は俺にとっても指標であり、目標だ。……俺の場合、まずは誇れるだけの技術を磨かなきゃいけないんだけどさ。
また卑屈に染まりそうな頭を切り替えて、すき焼きの旨みを細胞へと取り込んでいく。
そんな俺を嬉しそうに見てくる明達を見て、久々の研究所を満喫している事を改めて自覚する。
ドォォォォン!!
部屋全体を振動させる勢いで拳を振り下ろしながらも傷一つつかない机から、二人の分からず屋へ顔を向けて吼える。が、二人も負けじと迫力を滲ませて対峙してくる
「ふざけんじゃねぇぞ、コラァァァッ!」
「はっ? それはこっちの台詞だッ!!」
「調子にのるなよ、クソガキ共ッ!!」
食後、身を強張らせる皆を余所に、俺は明とライリは仲良くいがみ合っていた。鍋物における恒例の行事みたいなものであり、また絶対に譲れない一戦でもある……しめの一品を巡って!!
「絶ッッ対にラーメンだ!!!」
「いいや、モチだね!!!」
「おじやったらおじや!!!」
普通なら何をこんなに必死になってるんだ、こいつらはと思うところなんだろうけど、皆は感心するような視線を向けてきている。このすき焼き鍋を食った以上、無関心ではいられないでしょ!? やっぱ!
いっそ多数決にしてしまいたいが、さっきのあれこれの影響でオカ研メンバーの印象が悪い可能性が高い以上、どうしたってこいつらがごねる事は火を見るより明らか! ならば……。
「いつもどおり、ジャンケ――」
その時、ビクンと身体を震わせたオルトが、滅多に無い程の大声で叫んだ。
「皆様! たった今、イッセー様の部屋の近くの端末で何者かが不正アクセスを試みているのを感知しました! 恐らく侵入者かと!」
……なっ。
「侵入者、だと? この研究所に、しかも今の今まで気づかれること無く入り込んだっていうのか!?」
明が普段の様相からは考えられない程の狼狽の色を見せるが、それも仕方が無い。そんなの、明だって不可能な筈だろ! それどころか、並みの空間転移じゃあここへ入り込む事も出来ないってのに!
「科学的、魔法的、時空的に防御されたこの研究所に、人知れず潜り込んだ? 一体どんな化け物だよ!? そもそもプロテクトで弾かれる筈だろ!」
「手段は分かりませんが、全てのセキュリティが悉く無効化されています。既に、レベル4までのデータが持ち出されかけています」
レベル4!? そんな所まで手を出してやがるのか!!
ライリが席を立って叫ぶ。
「オルト! 監視カメラで気づかなかったの!?」
「申し訳ございません。巧妙に隙間を縫われまして……」
クソ! とにかく今は、相手の確認と捕縛が先決か!
「明、ライリ、オルト、行こう! 部長と皆は……」
「全員で行こう。相手は下手をすれば私以上の空間転移能力の持ち主だ。ここに置いといてちょっかいかけられるより、近くにいた方が守りやすい」
「……情けないけれど、私達では身を守れるかも定かではないものね。指示に従うわ」
明の意見に部長が賛同し、ライリが俺の肩をぽんと叩いてくる。
「イッセーもあんまり無茶は駄目だよ?」
わかってるって。大体、俺が生き汚いのはお前らが重々承知してるだろ?
そして次の瞬間、明が指を打ち鳴らすと、一瞬で目的地の端末の元へとジャンプし、侵入者の姿が……。
目に入ってしまった。
――
明とライリは構えを取ってそいつと俺たちの間に移動し、更にオルトがその後ろに立ちふさがった。
腰に二本の長剣を挿した黒いコートの男は、長身から垂れる黒と金が入り混じった髪を揺らして、金の右目と黒の左目を端末からこちらの方へとずらした。
その瞳は一直線に俺を貫き、値踏みするように天辺からつま先までを眺め回すと、微かに嬉しそうに眉を動かす。
……なんで、こいつが?
緊張の余り、誰一人声を出せない俺たちを見かねたように、奴が口を開いた。
「久しいな、『赤龍拳帝』。いやまったく、元気そうで何よりだ」
気楽に、あくまで気楽にかける声とは裏腹に、雰囲気はどんどん剣呑さを帯びていく。明とライリも、即座に構えた戦闘体勢を崩さず、冷や汗を滲ませていた。
「……イッセー、あのイケメン知り合い? どうもドラゴンさんみたいだけど? しかもめっちゃ強い」
「この気、邪竜の類か。……少し、いや、かなり不味いかな」
ここへ来てから散々二人の凄まじさを見せ付けられてきた部長達が、二人の弱気な発言に目を剥く。
非常識なまでの実力を備えた二人を、更に上回る非常識。そんなものが目の前にいるだなんて、想像したくもないだろう。
俺はオルトより少し前に出て、黒い男に語りかける。
「……そっちこそ、元気そうじゃねえか。てっきりあれで死んだとばかり思ってたぜ」
「邪竜はしぶとさが売りだ。とはいえ貴様に破れ、ボロボロの状態で時空の狭間に投げ出された瞬間は流石に死ぬかと思ったのは事実だがな。どうやら俺には運……『食運』があったらしい」
食運だと……? まさか、こいつは!!
「そうだ。俺はグルメ界に流れ着き、あの世界の食材を食らう事で生き延びた。すると、本来ならば全快には十年以上はかかるだろうダメージが、たった一年と少々でこの通りだ。グルメ細胞、といったか。どうやら俺の身体は、そいつを取り込んだらしい」
なんてこった……こんな怪物がグルメ細胞を取り込むとか、鬼に金棒どころじゃねえぞ。
数千年にわたる鍛錬の結果、天龍の領域に足を踏み入れた最強の邪竜。
かつて、俺がこの拳で打ち砕いた筈のドラゴン。
「本当に、しぶといな。
叫ばれた名前に、皆が息を呑むのが空気の振るえで伝わってくる。世界に数多くいる邪竜の中でも、特に指折りの化け物が目の前に立っていると分かれば無理も無い。加えて、その実力は未知数の域でもあるんだから。
確実なのは、かつて俺と戦った時以上の力をこいつが身につけているという事。そうでなくたってクロウ・クルワッハが明達三人と本気でやりあえば、研究所ごと消し飛んじまう。
だが奴はふうっとため息をつくと、戦う気は無いとばかりに両手を広げて見せた。
「そういきり立つな。『
「で、むざむざ研究を持ち逃げしようとする不心得者を見逃せとでも? それを研究者本人に提案する辺り、舐めているととっていいんだね?」
「上等じゃねえか、黒トカゲ!! 微塵に砕いてハンバーグにしてやらぁ!!」
深く気と感情を静める明と、それらのリミッターを外しつつ己の手綱を握るライリ。動と静、相反する二つの武術家としてのあり方を極めた達人の姿。それを前に、クロウ・クルワッハも静かに、濃密なオーラを纏う。
細胞レベルでの圧倒的な危機感が呼び起こされ、反射的に逃げるどころか生存を諦めてしまいそうなプレッシャー。
だが、クロウ・クルワッハは突如腰の長剣、その内の青白い方へと手を伸ばし、軽く構えた。
……何だ? あの剣。聖剣のような神々しさを感じるのに、どこか非常に危ういというか……しかも、このオーラ。下手をすれば……
「じゃあな」
ズバッ!!
『!?』
別れの言葉と共に空を切り裂いたかと思えば、そこへ生じた割れ目へ身を投じ、姿を消した。
あの剣でここへ……? あれはいった――
ドス。
……い?
突然胸に走った衝撃に視線を下げれば、さっきの剣が、俺の胸を貫いている。
痛みを感じる事すらなく、俺の意識は沈んでいった。
「お帰り。首尾はどうだったかね?」
「危うく忘れそうになったが招待状は残してきたぞ。すぐに来るだろう。それと、望みのデータだ」
「ありがとう。早速作業を始めよう。すぐに済ませなければ」
「そうか。なら俺は一足先に祭りの本会場に行っているぞ」
「分かった。……ところで、少し嬉しそうに見えるのは気のせいかな?」
「ん? そうか? ああ、恐らくは久々に兵藤一誠と出会えたからだろうな。今思い起しても、あれほど血沸き肉踊った戦いはない。今すぐにでも戦いたくなったが、何とか堪えてみせた」
「随分楽しみにしているんだね」
「勿論だ。最低でも前と同じほどに強くなるまでは戦えない。でなければ俺が楽しめない……俺も結局はあの女とそう違いはないらしい」
「今更だよ。我々は元々、全てを自己満足の為の要素としかみなさない者の集まりだ。私達同士はおろか、自分自身でさえもね」
「ああ、その通りだ。ならばやるべき事などただ一つ。……存在の一片在る限り、全てを味わい尽くすだけだ」