――はぐれ悪魔。
上級悪魔の下僕が、主の元を逃走、または主を殺して自由になる事件が極稀に起こる。
強大な力を、自分の為だけに使いたくなる連中が、主の元から去って好き勝手に暴れまわる。
俺はドーナシークにこれと間違われた。いやな言い方をしてしまえば、野良犬だ。
見つけ次第、悪魔ははぐれを消滅させる事に成っている。
これは他の存在でも危険視されて、天使、堕天使も、はぐれは見つけ次第殺す事にしている。
俺も神さんに戦わされたことがある。
ライオンみたいなでかい獣とか、タコとウニが混ざった様な怪物とか。
強さはそいつ次第で大分変わるけど、何でも主の所から逃げ出した悪魔は、力を制御できずに外見も力も醜悪になるケースがあるらしい。あの二体も、元々は普通の人間型だったと聞く。
現在、俺を含めたオカルト研究部のメンバーは、町はずれの廃屋近くまで来ていた。
「報告によれば、この先の廃屋で誘き寄せた人間を食べているそうで、それを討伐するのが、今夜のお仕事ですわ」
人間を喰らう……。それが、制御を外れた悪魔の邪悪さ。
今の今まで、何度となく遭遇した事はあったけど、最初に見た時の衝撃は未だに忘れていない。
戦ってる最中は気が張っていたから平気だったけど、悪魔を倒して、頭の血が抜けた途端、胃の中身を全部ぶちまけてしまった。
時間は深夜、周囲を高い草木で囲われた、そこそこ立派な大きさの建物が見える。
不穏な空気……それぐらいしか言えない程度の曖昧さだけど、確実に嫌な気配が漂っている。
「……血の臭い」
小猫ちゃんはそう呟くと、嫌そうに鼻を袖で覆った。小猫ちゃんなりに、この空気を感じているのか、それとも、本当に血の臭いがするのか。まさか、小猫ちゃんの嗅覚は、文字通り猫並みか?
暗い夜道を進んでいくにつれて、不穏な程度だった空気はどんどん悪くなっていく。だいぶ前から、明確な敵意と殺意が感じられるようになった。
鬼が出ようが蛇が出ようが、部長は守る!
「イッセー。あなた、チェスは分かる?」
前を歩く部長が、いきなりそんな事を言う。
「はい、一応、基本的な事は……」
下手クソで一、二回しか勝った事ないけどね。神さん、何でもかんでも強すぎるんだよ。
「主である私が
先の大戦で、他の陣営同様、悪魔も大きな打撃を受けて、以前の様な軍勢を率いるほどの兵力は無くなってしまったわ。その為、少数精鋭の制度を取るようにしたの。それが、『
「悪魔の駒……」
反芻するように呟く。確か、どっかで聞いたことがある様な……。
「この制度ができたのはここ数百年の事なのだけれど、これが意外にも上級悪魔には好評だったわ」
「好評って……チェスのルールが、ですか?」
「お互いの駒――つまり眷属の強さを、競うようになったのよ。その結果、チェスの様な実際のゲームを、下僕を使って上級悪魔同士で行うようになったわ。これを私達は『レーティング・ゲーム』と呼んでいるけれど、このゲームが悪魔たちの間で大流行。今では大会も行われ、駒やゲームの強さが悪魔の地位、爵位に影響するほどになったわ」
なるほど。
そのゲームに強ければ、悪魔としての名誉が得られるってわけですか。
その内、俺もゲームに参加する事になるんだろうか。
「フフ、安心なさい。私はまだ正式にゲームに参加する資格を持たないから、当分はレーティング・ゲームをする事は無いわ」
部長が軽く笑ってそう言った。もしかして、少しビビってると思われたのかな。まあ、怖くないと言えば嘘になるけど。
それよりも気になる事がある。
俺はなんの『駒』か、だ。
「部長――」
言いかけて、俺は後に続く言葉を飲み込んだ。
全身を、不快な感覚が駆け巡る。
淀んだ空気が激しく動き、濃密な敵意と殺気を届けてくる。
何かが来る。そう認識すると、思わず反射的にブーステッド・ギアを発動させていた。
「不味そうな臭いがするわ? でも美味そうな臭いもするわ? 甘いのかしら? 苦いのかしら?」
不気味な声色が響き、柱の陰から姿が見え……。
「おっぱい!」
思わず叫んでしまった。だって見えたんだもん。
暗がりから見えるのは、彼女の上半身。その身には何も纏っていなかった。
かなりの美人だ。そして何より、おっぱいがまるみえ! それだけで最高と言える!
何だこれ。俺が今まで戦ってきた怪物は何だったんだ。
「はぐれ悪魔バイサー。貴方を消滅しに来たわ」
そんな俺を尻目に、部長は胸を張って言った。
「主の元を逃げ、己の欲求を満たす為だけに暴れまわる不逞の輩。グレモリー公爵の名において、貴方を消し飛ばしてあげる!」
「こざかしい小娘だこと。その紅い髪の様に、あなたの身を鮮血で染めてあげましょうかぁ!!」
バイサーは、自分の胸を揉みし抱く。うおおあああぁぁ! ヤバい、これだけで俺、卒倒しそうだ!
しかし、部長は冷静に鼻で笑って見せた。
「雑魚ほど洒落の効いた台詞を吐くものね」
俺は未だに、あのおっぱいに夢中だった。
「バイサー……ただの見せたがりのお姉さんにしかみえねぇ!!」
だらしない顔をしている自覚はある。でもしょうがないだろ。目の前におっぱいがあって、その持ち主自らおっぱいを揉んでいるんだぞ! 興奮しなけりゃ男じゃねえ!!
なんて、スケベ根性を丸出しにしていると、暗がりからバイサーが一歩進み出てきた。
ズンッ。
巨大な足音が、廃屋を揺らす。化け物としか形容できない、巨大な四足歩行の下半身。尾は蛇で、独立して動いている。大体五mくらいの大きさだ。
驚くべきなんだろうが、今まで見てきたはぐれ悪魔の中では比較的ましな外見だ。そしてなにより、あんないいおっぱいがある! すなわち、希望があるということだろう!!
ひたすらバイサーが揉みし抱いている胸を凝視していると、魔方陣が浮かんでいる事に気がついた。
皆がとっくに回避行動を取る中、俺は一足遅れて部長と同じ方向に飛び退いた。
ドオオオン!
魔力の一撃を受けた壁が、解けて貫通していた。
「うわっ。やっぱ化け物だ」
「油断しちゃ駄目よ、イッセー。祐斗!」
「はい!」
部長の命を受けて、木場が飛びだした。速い。凄い速さだ。目で追うのがやっとだった。
「イッセー、さっきの続きをレクチャーするわ」
部長は悠然と立って言う。
悪魔の駒の特性の事か。
「祐斗の役割は騎士、特性はスピード。そして、祐斗の最大の武器は剣」
確かに、木場の速さは凄い。あっという間にバイサーの懐に入ると、剣を二閃、振るった。次の瞬間、二本の巨大な腕が落ちると共に、悲鳴がこだまする。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああ!」
悲鳴を上げるバイサーに、小柄な人影が近づいていく。小猫ちゃんだ!
「おのれぇぇぇえええ!!」
バイサーは顔を醜く変形させ、胴体が縦に裂けて、牙が生えた大きな口が現れた。その姿は、俺が戦ったはぐれ悪魔に負けず劣らず、醜悪な姿だった。
そのまま倒れ込むように小猫ちゃんに襲いかかり、なんと小猫ちゃんはそのまま巨大な口に飲み込まれてしまった。
「小猫ちゃん!!」
叫び、突撃しようとする俺を、部長が手で制止する。
「大丈夫よ」
確信に満ちた答えに、俺はバイサーの方を見る。すると、巨大な口をあの細腕で力づくでこじ開ける、小猫ちゃんの姿が見えた。
ていうか、服が所々破けてる……。っていかんいかん!
「小猫は戦車。特性は至ってシンプル。馬鹿げた力と防御力。あの程度じゃびくともしないわ」
「……吹っ飛べ」
小猫ちゃんはそのまま、体を捻るように口から出ると、強烈な右フックで牙を砕きながら、バイサーを吹っ飛ばした。
ドドンッ!
巨大な体が、柱に叩きつけられ、柱をへし折って向こう側で落ちた。
なんてパワーだ! そういや森沢さんが、小猫ちゃんは怪力、なんて言ってたっけ。
怪力なんてレベルじゃねーぞ! 森沢さん、アンタ凄いよ。よりにもよってこんな所に惚れるだなんて、俺には真似できない。
「最後は、朱乃」
「はい、部長。あらあら、どうしようかしら」
朱乃さんがいつも通りの笑顔を浮かべながら、ゆっくりと歩いていく。その時、部長の後方で、さっき木場が斬り落としたバイサーの両腕の片方が、ぴくり、と動いた。
そして、跳ねるように飛んで部長へと襲いかかる。
「部長!」
突然呼びかけた俺の方を向いた為、部長はバイサーの腕とは正反対の方を向いてしまっている。何してんだ、俺は!
篭手を振り上げながら腕との距離を詰め、部長の横を通って、覇気を込めた拳を叩き込む。殴り飛ばされた腕は壁に激突し、跡形もなく消し飛んだ。
「あ、ありがとう……」
尻もちをついた部長に、呆けたように礼を言われ、思わず少し照れてしまう。
「あ、いや、体が勝手に動いただけですから。ていうか、下僕の俺が、主を守るのは当然ですよ!」
部長はすっと立ち上がると、朱乃さんへと命を下した。
「朱乃、やってしまいなさい」
「部長に手を掛けようなんてオイタをする子は、お仕置きですわね」
朱乃さんは両手に雷を迸らせながら、バイサーに近づいていく。
な、なんか、怖いですよ? 朱乃さん。
「朱乃は女王。全ての駒の力を兼ね備えた、無敵の副部長よ」
「ぐぅぅぅ……」
弱りながらも、朱乃さんを睨みつける。朱乃さんはそれをみて、不敵な笑みを浮かべた。
「あらあら、まだ元気そうですわね。では、これはどうでしょう?」
朱乃さんが天に向かって、手を翳す。
カッ!
刹那、屋内が強く照らされ、雷が落ちた。
「ガガアアアァァァァッ!!」
凄まじい叫び声に比例するかのごとく、朱乃さんの頬がピンクに染まっている。心底楽しそうだ。
「朱乃は魔力を使った攻撃が得意なの。そして、彼女は、究極のSよ」
「あらあら、まだ元気そう……何処まで耐えられるかしらぁ!! うふふふふふ!」
更に、電撃が加えられる。まだ終わらない。まだまだ終わらない。
「わ……笑っている……」
とても楽しそうですが、それが非常に怖いです、朱乃さん。
「朱乃、そのくらいにしておきなさい」
部長に言われて、ようやく朱乃さんは電撃を止める。そして、喜悦一色の笑顔を向けた。
「もうおしまいなんて……ちょっと残念ですわね。うふふ……」
冗談に聞こえない。いや、冗談じゃないんだろうな、きっと。でも、笑顔は可愛いです。朱乃さん。
電撃にやられて、ボロボロになったバイサーへ、部長が近づく。
地面に突っ伏すはぐれに向かって手を翳すと、重い口調で話しかけた。
「最後に言い残す事は有るかしら?」
部長が聞くが……。
「殺せ」
出てきたのは、たった一言だった。
「そう、なら消し飛びなさい」
ドンッ!
部長の掌から、ドス黒い魔力の塊が撃ちだされ、バイサーの巨体以上の大きさの塊が、その体を覆う。
魔力が宙へと消えた瞬間、バイサーの姿はそこにはなかった。
部長が言った通り、消し飛んだようだ。
「終わりね。皆、帰りましょうか」
「「「はい、部長」」」
部長が魅力的な笑顔を浮かべ、俺以外のみんなもにこやかに返事をする。張り詰めていた空気が霧散して、いつもの陽気な感じを取り戻していた。
はぐれ悪魔。少し前まで、敵以上の認識はなかった。でも、悪魔となった以上、それ以上の物を感じられずにはいられない。
好き勝手に暴れ、人を食い殺した怪物。死んだ事に同情の余地は無い。
しかし、あいつもまた何かを思い、主の元を離れたんだろうか……。
悪魔の戦いか……。みんな、俺が思っていたよりもずっと強い。
今の俺じゃ、まともにやっても勝てるかどうか……少なくとも、ブーステッド・ギアなしじゃ、勝負にならないな。
頑張って、追い付かないと……
決意を新たにすると共に、俺の中に一つの疑問が生まれる。
「あの……部長」
「なあに?」
かわいらしく返事をしてくれる部長。
「それで、俺の駒は? 俺の下僕としての役割って、何なんでしょう?」
予想はしていた。ああ、そうさ。色々考えたけど、俺に似合いの駒なんて、一つしかなかった。
次点で戦車。でも、希望としては戦車か騎士が良い。
しかし、部長の答えは、そんな儚い思いを粉々に打ち砕いてくれた。
「ポーンよ」
そう言って、部長は朱乃さんと歩きだす。
「ポーンって、あの……」
俺の声に、すっと振り向いて、真正面から言ってくれた。
「そう。イッセー。あなたは
頭の中に、ポーンのイメージが浮かぶ。
チェスの駒としては、大体特徴の無い形になって、一マスずつ前にしか進めない、駒の半数を占める程数が多い、最弱の駒。
すなわち……。
「一番下っ端ぁぁぁぁあああーーーーーーっ!!」
帰り道、木場がポンっと肩を叩いてきやがった。
……
…………
…………………
死ね!! イケメン騎士ォォォォォォオオオオオオオーーーーーーーーーーッ!!!