「ちわーっす。……どうかしたんですか?」
アーシア、ゼノヴィア、氷美神と一緒に放課後のオカ研部室に入ると、部長がやけに緊張した面持ちでソファに座って腕組している。お茶を淹れる朱乃さんの笑顔もどこか気迫を帯びていて、二人共何やら臨戦態勢に近しい身構え様だ。木場は苦笑してるし、小猫ちゃんは我関せずでお菓子を食べてるし、ギャスパーは段ボールに入って震えながらゲームしてるし……ギャスパーは隠れたりせずスルーの姿勢をとれてる分、前に比べたらマシだけど。
あれ、ていうかアザゼル先生またいないんだ。最近いない事が多いよな。何かあったのかな。
「いえ……ついさっき連絡があったのだけど、この後ちょっと来客があってね。それでその……イッセーに用事があるらしくて……」
「俺に?」
直接俺に連絡をするでもなく、部室に来るってことは……多分、三大勢力の関係者だよな? 来客があるのも、俺に用のある人物がいるのもとくにおかしなことじゃない。けれど、わざわざ部長を介すとなると……何かしらの意図があるのか? それとも単に、この間冥界で散々暴れたせいで相当腫れ物扱いされてるのか? けれど四凶もデスザウラーもクロウ・クルワッハも、レクナだって手加減出来る相手じゃなかったし、もうあれはしょうがない。
……まあいいか。とりあえずは直接本人を目の前にしないとなんとも言えん。
「そう言えば、部長は夏休みってどうするんですか?」
部長と対面する形でソファに座りながら聞くと、部長は少し嬉しそうに言う。
「夏休みだし、故郷に帰るの。毎年の事なのよ? 勿論、眷属である皆も一緒にね。氷美神も来るの?」
水を向けられた氷美神だが、当人は懐からゲーム機を取り出してギャスパーと対戦しながら、目も向けずに答える。
「ああ。俺にとっては別に故郷でもなんでもないが、なんでも新鋭悪魔の顔合わせがあるそうじゃないか。サーゼクス様にも打診されたし、兄さんが顔を出すだけでも無駄にはならないと言うからな」
「そう……良ければ、滞在中は私の実家へ来ない? ……イッセーもいるしね」
部長の付け加えた一言に、顔をゆっくり上げた氷美神が無邪気に口角をつり上げるが、目は全く笑っていない。
「……なら、お邪魔させてもらうとしようか」
「ええ……歓迎するわ」
バチン!
二人の間に火花が散った。視線とともに発射される気当たりがぶつかり合い、盛大に空中で弾けて室内の空気を大きく揺らす。
ポンポン。
後ろに立って肩を叩く木場は、震える声で言った。
「イッセー君、頼むからお二人を宥めてくれないかい? 心臓に悪い……」
「そうか? 仲良さそうで結構じゃないか」
こうして言い合えるのも、互いに気を許しているからこそだ。これがアフロディーテとフレイヤだったら、遥かに毒々しいやりとりの後、まったく同時のタイミングで堪忍袋の緒が切れて殺し合いに発展しかけて、その直前に俺の手で気絶させている。
しかもあいつら、そのやりとりを楽しんでいるもんだから始末が悪い。いっぺん少し懲らしめようと思って一ヶ月は身動き取れない程度にボコボコにした時の充実しきった恍惚顔と来たら……脳内保存ものだった。これは単純にエロかったためであって、断じて殴ることそのものに興奮したわけじゃあない。多分。
「あのさ。気のせいじゃなければ、イッセー君ってこういう場面や空気に慣れてるよね? しかも……割りと楽しんでない?」
「まあな。明とライリが血達磨になるまで殴りあうなんてのも日常茶飯事だし、女神達も時と場合と個人によっては魔界の瘴気みたいな空気出しまくるから。それに比べたら、部長たちは全然爽やかなもんだよ。ギスギスした内にも入らないさ。あと楽しいかどうかと言われれば……本格的にいがみ合うならともかく、戯れ合う分には見てて飽きないし、人とぶつかってまで求められるってのは結構嬉しいからな。つまりはまあ、満喫してる」
「…………案外噂なんて目じゃないくらい、君は鬼畜なのかもね。ある意味偉大だよ」
苦笑いするイケメンだが、生憎遥かにドギツいやりとりに慣れてしまった俺にとって、二人のにらみ合いはもう安らぎすら覚えるんだ。
いっぺんフレイヤとアフロディーテを両手に侍らせて酌をされてみろよ? ストレスと魅了の
ジュズルルルルル。
エオスの血液を吸いながら、睨み合いを終えた部長へ聞いてみる。
「それで、来客って誰なんですか?」
「ええ、それが……」
「イッセーただいまー♥」
後頭部に当たる弾力に富んだ双峰と、甘く名前を呼ぶ声に含まれた労を労えという副音声に、取り敢えずは後ろ手に頭を撫でて答えてやる。
「おかえりレクナ。それで、わざわざオカ研の部室にまで来るだなんて、どういう用件だ?」
「まあ、ちょっとした案内と仲介役さ。そろそろ来るんじゃないかな、と。それよりさ、働き詰めで私もお腹が空いたんだけど……」
軽く飛び上がってストンと俺の横に腰を下ろすと、意味深に潤んだ眼を向けるレクナへ左手を差し出す。
「俺が出そうか、それとも自分でやるか?」
「これ以上主の手を文字通り煩わせないよ。いただきます」
ガブ。
ジュズルルルルル。
レクナは両手で左手を捕まえると、その手首に思い切り牙を突き立てた。動脈が俺の眷属の牙によって突き破られ、大量の血液を口内に注がれているのがよく分かる。サービスに手首へ循環される血液の濃度を高め、ついでに血脈を操作して循環のペースを早めてやる。
そろそろ常人ならショック死するレベルの出血量だけど、これぐらいで日頃頑張ってくれてるレクナが喜んでくれるのなら安いもんだ。現にめちゃくちゃ美味そうに喉を鳴らしながら恍惚とした顔で血を吸ってるし。
実際、レクナは勿論、妲己を筆頭にマラコーダ眷属のメンバーには随分助けられてるもんな……。妲己は流石の辣腕で冥界の俺の土地を適切に管理できるよう体制を整えてくれてるし、美剛、ミルドレッド、マーマデュークの三人もグルメ界で美食屋として働きつつ、書類整理などのデスクワーク含む雑務もこなしていると聞く。
俺も暇を見つけてはワームホールで冥界の俺の領地に作った屋敷を訪れたり、影分身を向こうに向かわせたりしてはいるんだけど、その事に対して妲己は俺の顔が見られて血が吸える事は喜ぶが、俺が訪れる事自体にはあまりいい顔をしない。
この間も、学校を終えて夕食までの短い時間でも何かできることはないかと行ってみたら、俺から血を吸った後で柔らかく微笑んだ妲己は……
『イッセー様。その様に逐一配下の負担を減らそうと気を配るのも、御身の美徳とは存じますが……恐れながら、部下を信じて任せるのも、上に立つ者としては重要なことです。無論、こういった仕事に一刻も早く慣れようというお心持ちは存じ上げておりますし、ご立派であると思われます。ですが、三大勢力を含む神話体系においての要たるイッセー様にとって今最も大事たるは、御身を第一に考える事です。
多少なりとも時間が出来たなら、休息であれ鍛錬であれ、ご自分の為にご利用ください。それが愚考なれども、貴方様の身を案じる私めへのお力添えとなりますゆえ』
恭しい言葉ながら、妲己の声には確かな重みと凄みがあった。その根底にあるものが俺への愛情だと明確に理解できるのが何とも気恥ずかしい限りだけど。
上に立つ者として、か。確かに、上級悪魔になるのが決定づけられてる身としては、考えなきゃいけないことだよな。今はレクナ一人だけど、眷属だってこれからまだまだ増えるんだ。しっかりしなきゃ。
ジュル。
ん、いつの間にか吸い終わったのか。唾液を塗布したレクナの舌が離れると同時に、傷口を瞬時に修復する。そして自由になった左手をグーパーして、いまさっき牙が突き立てられた部分の痛覚が正常に機能している事を再確認してみる。うん、ちゃんと痛い。
それを見たレクナが楽しそうに微笑む中、部室の魔法陣が見覚えのある紋様に変化し、そこから炎が立ち上る。
「あ、来た」
事も無げにレクナが呟いた次の瞬間、炎が収まった魔法陣の中央に二人の男性が現れる。白髪の髪も髭も頼もしく見える執事を伴う赤いスーツを着こなす紳士は、俺を目にするとペコリと頭を下げた。
「初めまして、赤龍拳帝殿。私はフェニックス家の現当主を務める者で――ライザーとレイヴェルの父です」
「パーティーの招待状?」
高級品であろう封筒に蝋で封をされた招待状を透かしてみたり嗅いでみたりと、一通り弄った俺の声に、フェニックス卿が頷く。
「この度、マラコーダ様とその
そう言って懐から複数枚の招待状を出し、俺の右手側にてソファーに座る部長へと手渡した。フェニックス卿から渡された招待状を目に映し、再び卿へと視線を戻した部長は恐る恐ると言った様子で訊いた。
「あの……先日の一件でお家を騒がせた身でこんな事を言うのもなんですが……何故、私達を? 正直な所、少し得心がいかないのですが……」
「それは……」
口にだすべきかと卿が逡巡する間に、部長の反対、ソファーの左手側に座るレクナが言う。
「勿論、グレモリー家及びイッセーとの和解が済んでいる事をアピールするためだよ。だろう、フェニックス君」
お見通しだと言わんばかりにドヤ顔で笑うレクナに内心でツッコむ余裕は、俺にしか無いらしい。表情を引き締めるフェニックス卿へ追い討ちをかけるかの如く、困惑する部長への説明も兼ねてレクナは続ける。
「先日のリアスとライザー・フェニックスの婚約破棄の為のレーティングゲーム。及びその後の婚約パーティーでライザーがキレたイッセーに叩きのめされた事がそもそも原因なんだけど、最大の切っ掛けはなんと言っても……四凶とデスザウラーにクロウ・クルワッハ、そしてこの私を相手にイッセーが大立ち回りを繰り広げた事だ。
その後、フェニックス家と商業取引をしていた貴族や業者の半数近くが、取引や契約の中止、停止を求めてきた。その原因は取りも直さず……」
「……俺か」
「勿論」
指で頭を抑える俺を尻目に、レクナは両手を広げてやれやれと言った体で頭を横に振りつつ、実に楽しそうに口端を歪める。
「サーゼクス君やグレモリー卿、それにフェニックス卿が根回しした事もあるし、悪魔にとって例の一件は大した事にはなっていなかった。精々一部の貴族が『グレモリー家のわがまま娘が伝説のドラゴンを使って婚約を解消させた』なんて陰口叩いてたくらいさ。
ところが、だ。イッセーの本来の実力と影響力を知る者からすれば、あの一件は『赤龍拳帝が目をつけた女に手を出そうとした身の程知らずのボンボンが反則使って勝ちを掠め取った挙句、怒りを買って叩きのめされた』という話になる。ちなみに、冥界襲撃以来は悪魔側でもそういう風に捉えられてるよ」
マジですか!? いや、半分以上はあってるけど……流石にそこまで一方的にライザーが悪いみたいになってると、少し思う所がある。
野郎が本来の期間を強引に早めた事を差し引いたって、結局は家同士の決め事を力任せに破談させた俺に非があるからな……。当然、部長を救い出した事に後悔はないけれど。
「ん? ちょっと待てよ。反則ってもしかして……」
「そりゃ、ライザーがゲーム中にフェニックスの涙を四つ使った事さ。あの後、少ししてその事が公表されたんだ」
極当たり前に暴露された実情に、レクナとフェニックス卿以外の全員が目を剥いた。非公式の競技で行われた身内の不正を自分から公表だなんて……一体なにが?
「……あのレーティングゲームから少し経った頃から、ライザーの眷属に対して悪魔は勿論、種族を問わず挑戦目的の契約が爆発的に増えた上に、暗殺まがいの襲撃さえ受けまして。数が多いのは勿論の事、中には
その数も質も日に日に上がり、あのままでは眷属が全員潰れるか、断り続けて致命的な悪評が生じるのは時間の問題だった為、フェニックス側が不正に上限以上の涙を使用した事を明かした結果、挑戦者は激減しましたよ。当然ながら、あらゆる方面で軽くはないペナルティを課されましたが……」
鎮痛な面持ちの紳士にも、レクナは両腕を組んで憮然と言ってのける。
「きちんと涙の受け渡しをやっておけばまだここまでの状況にはなっていなかっただろうに。まあ、自業自得だね」
「……さっきからなんかやけに刺々しいけど、どうしたんだレクナ?」
俺の指摘にピクっと目元を引き攣らせたレクナは薄っすらと殺気をまとい出し、ゆっくりと目を閉じて深呼吸をした。
「ふーっ。その様子じゃ知らないんだろうけど、あのクソガキ――ライザー・フェニックスはレーティングゲームの最後の最後、こんな事をほざいてたんだよ」
怒りを抑えこみながら手元に魔法陣を出すと、テーブル中央にゲーム終盤の、既に意識が飛びかけた俺とライザーが対峙している場面の映像が映し出された。
大量の血反吐を吐き出しながら、肉が裂け骨が折れて原型を留めていない手で拳を握る俺に表情を引き攣らせたライザーが、特大の炎を出すと同時に叫ぶ。
『下級悪魔の、しかも人間如きが転生しただけの屑がぁぁぁッ! いい加減しつこいんだよ!! 最早ゲームだろうと関係あるか! フェニックスの豪火によって、治療すら意味を成さない程に焼きつくしてやるっ!! 身に余るこの栄誉をとくと噛み締め、地獄に堕ちるがいい!』
『ウォオオオオオオオオッ!!』
啖呵を切ったライザーに獣同然の咆哮を上げて突っ込む俺に、部長が割って入った。そこでレクナは映像を止めて、俯きながらゆるゆると尾を伸ばし始める。尾が部室の天井まで届く程度の長さになった辺りで顔を上げたレクナは、額の片隅に血管を浮かべながら美しい笑顔を見せつけている。
当然ながら俺以外の全員は固唾を飲んで身を強張らせ、フェニックス卿に至っては冷や汗が滝のように垂れている。哀れみすらも覚えるような紳士の姿に毛ほどの感情も寄せず、レクナは着火寸前の笑顔で首を傾げる。
「それでフェニックス君。分かってるとは思うけれど、私が君の家に出資をしたのはあくまでビジネスだという事を忘れてはいないよね? 君の所のクソガキとリアスの婚約破棄はあくまでもそれぞれの家の話だ。イッセーの眷属である私は直接的には関係がない。その上で聞いておきたいんだけれど」
一旦切ってから十秒ほどの間を置いて、俺の最初の眷属たる
「赤龍拳帝にこれだけの狼藉を働いておいて、まさか婚約破談程度で相殺できると思ってるほど、おめでたくはないよねえ? もしそうなら今すぐ考えは改めておいた方がいい。場合によっては……貴族だろうがなんだろうが、塵も残さず叩き潰すぞ」
ポフ。
俺のために憤ってくれる兵士の姿に感じ入るあまり、思わず手が出た。頭を撫でるに従って、レクナのボルテージが目に見えて下がっていき、尾もしっかりと収納された。手が離れるなり、こっちを向いたレクナは頬を赤く染めて恨めしげな表情で唇を尖らせる。
「……イッセー。茶化さないでよ」
「いや、嬉しさ余って可愛さ百倍って感じで、つい」
そんな様子がまたしても可愛くて、つい笑ってしまう。更に顔を赤くして前に向き直るレクナの姿に、状況についていけないフェニックス卿は目を白黒させていた。なんか本当にすいません。
「はぁぁ。とにかく、君の所の三男坊がイッセーを殺害しようとした事について、それ相応の賠償は必要だ。これはフェニックスのためでもある。
なにせこの映像が出回り始めた途端、あちこちの女神共から外交担当のセラフォルーを通してうちの所へ連絡が来た挙句、揃いも揃って怒りが限界を超え過ぎて一周回って冷静になってたくらいだから。責任は絶対とらせるって言って一旦の矛は収めてくれたけど、一歩間違えば経済的にも勢力的も生命的にも滅ぼされるよ?」
うわぁ……やっぱりこの一件も相当キテるんだ。心配してくれるのは嬉しいけれど、もう少し穏便にいこうぜ。
いや、俺が穏便を望んでいると理解しているからこそ、水際で耐えてくれているのか。でなきゃ主神を怒鳴りつけて三大勢力に正式に抗議を出させるくらいはするだろう。
「なあ。それって、俺が許すって言えば済む話じゃないのか? 別に俺は大して気にしちゃいないし……」
見下されるのも蔑まれるのも慣れてるし、殺されそうになるだなんて一々数えてたら十を何乗しても足りやしない。つうか、あの時点でもバオウとガオウに押し付けてた力を開放していればどうにでもなったし、ある意味ではフェニックスは俺の我侭と影響力に巻き込み事故を食らったに等しい。
「イッセーはそれでいいんだろうけど、貴族共の中にはこの一件を切っ掛けに台頭著しいフェニックスの権勢を削いでおきたいって思惑を抱えるところも幾つかあってね。そんな連中が煩く騒いでる上に、そもそも感情を抜きにしてもイッセーを重要人物として捉えてる神話勢力からしてみれば面子が許さないんだってば。
その上で何の対価も無しに許すだなんてあからさまな情けを掛けたら、それこそフェニックス家は取り返しの付かない傷を負うって」
あぁ……改めて実感させられる我が身の重さか。巻き込み事故どころか完全に天災に巻き込まれた格好じゃねえか。
「そもそもさ、イッセーって何か欲しいものはある?」
「限界はありますが、フェニックス家の名に掛けて手をつくして用意いたします」
「うーん……」
腕を組んで考えこんでみるが……何にも思い浮かばねえや。土地はアザゼル先生から提供されたのがあって持て余してるくらいだし、利権だの利益だのは俺自身の研究で不足ない程度には稼げてるし。
「特には思いつかないなぁ。ていうか、どれくらいなら賠償に足るって言い切れるんだ」
「そうだねぇ。まあ、ああは言ったけど、レイヴェル・フェニックスがイッセーの回復に寄与した一件を差し引いて……はたから見ても明確に痛手と言い切れるくらいじゃないかな」
本当に差し引いてんのかと言いたくなるけれど、女神達の勢いからするとそれくらいは妥当な線か。
「じゃあ……どこかとにかく都市部や生物の生息地帯から離れまくった土地とかありますか。出来れば一面不毛の荒野とかがいいんですけど」
「それは、心当たりはいくつかありますが……その、どういった意図で?」
チアノーゼでも起こしたように顔が青紫色になった辺り、察しはついたけどあまり考えたくはないらしい。少し気の毒に思いつつも、可能な限りの綺麗な笑顔できっぱりと言ってのける。
「勿論、いざって時の戦場に」
ズジュルルルルルル。
フェニックス領の地図を元に具体的な内容を詰めるレクナとフェニックス卿を横目に西王母の血を飲む最中、はたと思い至る。
レクナの口ぶりから、レイヴェル・フェニックスが俺に血をくれた事は周知らしいし、聞いても問題ないだろう。一段落した所を見計らって、訊いてみる。
「所でフェニックス卿。そちらのお嬢さん……レイヴェル・フェニックスは、あの後大丈夫ですか?」
ここへ来てから大分老けこんだ印象の紳士は、突然の言葉に一瞬反応が遅れる。
「あ、え、ええ。こちらでもその一件は聞き及んでいます。幸い、レイヴェルは大事ありません」
「そうですか。……よかった」
あれで後遺症とか残ってたらどうしようって思ってたけど……何事もなくて良かったよ、ほんと。
安堵のため息をついたのと同じタイミングで、話がついた。レクナが幾つかの土地を赤ペンで囲むとフェニックス卿は丁寧にそれを畳んだ。
「それじゃあ、イッセーの要望通りの荒野地帯と、その他市街の一等地や希少物の存在する複数の山岳、森林地帯。これをこちらが譲り受けるという事で」
「はい。……マラコーダ様。どうか、くれぐれもよろしくお願い致します」
「わかってるって。事がイッセーに関することなら、私も契約は遵守する。他勢力の説得は任せておきな」
「では、私はこれで。後日、フェニックス領にてお待ちしております」
登場と同じエフェクトでフェニックス卿が派手に消えた途端、弛緩する皆を尻目にレクナが横から抱きついた。
「イッセー、あのさ……この後、二人でちょっと出かけない?」
度重なる状況の激変に、部室内の時が凍る。そんなものなど知ったことかと言わんばかりに色気と期待の視線を叩き込んでくる愛しの
「ふぅ。……幾ら何でも大げさだろ」
部屋に備えられた最高級のシャンパンを飲みながら、俺は窓から冥界の百万ドルの夜景を見下ろしている。レクナの言葉に従って、部室の魔法陣から連れて来られた先はなんと――冥界における最上級ホテル『THE SATAN』。
フォーマルな衣装で二人揃って最高級のフルコースを堪能し、スパでゆったりとした後は……最上級の中のトップとも言われるというスウィートルームでこうしている。
そして肝心のレクナはと言えば……エステにスパと、散々肌に磨きを掛けた挙句、最後の仕上げだと言って浴室に。
うん、幾ら何でもここまで誂えられれば嫌でも悟るよ。
あいつ……俺を食う気だッ!!
勿論性的な意味で!
そ、そりゃあ嫌だなんて欠片も無いよ? むしろバッチコイと言いたいくらいなんだけど、前にもアザゼル先生に言った通り、俺にとって現時点で童貞を捨てるという事は平和で一般的な日常を捨てることに等しい。
ここでレクナを抱いたが最後、どこからともなく察しをつけた女神や大妖、その他諸々が押しかけまくって、エロゲさながらの酒池肉林となること請け合いだ。そうなりゃ絶対、学校生活も色によって侵食される。具体的にどういう事になるかは夜の友としてしか考えていない。
しかし、さっきから浴室から漂うこの香水の匂い……恐らくは、妲己が手塩にかけて用意した逸品だろう。呪いすら超えた強烈な魅了の類……いや、どちらかと言えば元から存在する好意を助長し呷るといった方が正しいか。適用範囲を明確かつ補助的にした反面、効果そのものを絶大に跳ね上げたのか。
お陰でさっきからもう浴室に侵入しようとする自分を抑えこむので必死だよ!! 常人なら理性が飛んで獣どころか、興奮のあまり血管が切れて良くて気絶、最悪失血死だぞ? なんて危険物作りやがるあの女狐!
興奮を抑えこまんとグラスを置いて、瓶からシャンパンを一気飲みする。
カチャ。
からになったボトルをテーブルに置くと同時に、浴室と部屋を隔てる扉が開いた。
……落ち着け、俺の煩悩よ。ここからが本番なんだ。そう自分に言い聞かせながら、目を閉じて後ろを振り向く。
スッ。
パタン。
足音が外へ出て、扉が閉じた。いいか、俺よ。どんな衣装が来ても驚くんじゃない。下着姿だろうが露出だらけだろうがウェディングドレスだろうが、冷静に、くれっぐれも冷静に対応するんだ。
しつこいほどに肝にも命じ、頭で考えられる全てのパターンを考えてから、ゆっくりと目を開けた。
そして――
「……イッセー」
――――――――。
「あっ。ねえ、イッセー……童貞頂戴?」
――――――――ハッッッ!!!
気がついた瞬間には、俺は既にレクナを優しく抱きしめている真っ最中だった!!
あ、危なかった……精神が正常を知覚すれど、完全に魂と身体は欲望のままに動いていたぜ! レクナの可愛らしい笑顔で精神が追いついてなきゃ、一気に後戻りできない所まで行ってた!
ていうかこいつ、妲己の入れ知恵か自分の判断かは分かりかねるが、想定していた中でも最強の装飾で来やがった……。
それは即ち――裸。スッポンポンですよ、
そして当然……乳も鎖骨も腹筋も臍も腰もあそこも太ももも脛も足先も全部オールクリア! そして全身から漂う香水によって増幅されるレクナの魅力が、こちらの理性を完全粉砕してみせた!
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!!!
精神がギリギリで踏みとどまった事実が若干恨めしい! そりゃ魅了によるブーストを考えたら判断を分散させかねない服なんか邪魔なだけだよな!!
「ぁぁ。……もぅ、焦らす事無いよ。ベッドが待てないなら、今すぐここでして♥」
今すぐここで!? そんな輝かしい言葉遣いがあったのか!
お言葉に甘え、体重をかけてレクナを押し倒そうとした直前、またしても精神力が歯止めをかける。
うぐおおおおおおおおおおおおお!!
分かってる、分かってるよぉ。幾ら綺麗で色っぽくても、今の俺には手を出せない事情があるんだって。
精神と煩悩がせめぎ合う中、その狭間に一つの境地を見出し……そこへ向けて全てを解き放つ!!
「ん、む、んん。――ぇあ!?」
ディープキスを交わした俺は、即行でレクナの舌を引きずり出し……欲望の赴くままに、牙で舌を突き破って最大出力で吸血する!!!
「ぉひゅッッッ!! ひぅ……りゅ…………!!!!」
ジュズルルルルルルル。
足元が震え、崩れ落ちそうになるレクナを支えてなおも血を吸う。その間、ずっとレクナはずっと強く純粋な眼差しで俺の眼を見続けた。
そこに非難は一切含まれていない。ただ、俺に対する確かな愛情を示し続けている。
その瞳にたまらなくなって、更に血を吸う。もし吸血で満足しきれなければ、さもなきゃ吸血で満足してもなお欲望が振りきってしまえば、それこそ行き着く先は一つしかない。
だけど、俺は止まるつもりもないし、こいつもそれを望んじゃいない。だから……!!
バシ!
……反射的に、飛来する弾丸状の炎を拳が打ち砕く。レクナの香水すらかき乱すほどの鉄臭さに、急速に精神が切り替わり、名残惜しいがレクナの舌から牙を外し、射線から相手がいるであろう、いつの間にか開いている窓際へ視線を移す。
冥界の月を背に立ちすくむ、長身の女性。背丈やスリーサイズ含む体型はレクナとおおよそ同じくらいで、要はグラマラスなモデル体型だ。手には物々しい、化け物のような赤黒い大型拳銃が握られているが、女はそれを懐にしまいこんだ。
白い長髪、白いロングコート、鋭く釣り上げられた紅い瞳。そして何より、この濃いというにも足りない据えたような錆びたような血の匂い。
愉悦に口を歪める仕草も懐かしく思えるほど強烈に記憶の底から蘇る
「一番手として少々挨拶を、と思ったんだが……逢瀬の最中とは。それとも食事かな? どちらにしても無粋に邪魔を入れたのは謝罪しよう。兵藤一誠様」
「それよりも、どうやってここへ? 魔法と魔力は勿論、機械的にも散々ガードされたこの最上階へ、どうやって……」
「やりようは幾らでも……とまでは言わないが、仲間内の力を多少借りてね。それと、先程申し上げたとおり、私の目的はあくまで
「ふん、それのどこに安心しろって? 相変わらずのイカれようかよ、白吸血鬼。第一、今更なんで再戦なんかしようとする!?」
血の匂いを振りまきながら慇懃無礼にまくし立てる女を、俺は鼻で笑った。
対する純白の吸血鬼は牙を晒して獰猛に笑い、俺を指さした。
「理由は色々あるが、敢えて一つを上げるのなら……
「誰に物を言っている。俺にある心の準備は……闘争だ。教授すると謳うなら、教える対象の胸の内位は察する努力をしてみせろ――アルカード」