英雄に殺された俺が聖女として転生したら、討伐対象が自分でした 作:TSメス堕ちいいよね…
不思議な人だ。
アルフレッドは聖女リシェルを測り損ねていた。
初めて出逢った時は、神々しく、近寄りがたい存在を想像していた。祈りと慈悲に満ち、常に穏やかな微笑みを浮かべているような――そんな、絵画の中の人物のような姿を。
しかし森の中で見せた姿は、アルフレッドの想像していた聖女像とはあまりにも違っていた。
迷いなく指示を出し、躊躇なく判断を下す。
倒れた少年を見下ろすその眼差しには、慈悲よりもむしろ冷えた理性が宿っていた。
あれは――いっそ冷酷にすら見えた。
もちろん彼女が無闇に命を奪う人間でないことくらい、アルフレッドにも分かっている。あの場での判断は正しかった。むしろ迷っていたのは自分の方だ。
だが、それでも。
アルフレッドは、あの時の彼女の横顔を思い出す。
夕暮れの森の薄暗さの中、リシェルは倒れた少年を静かに見下ろしていた。
祈りを捧げるでもなく、目を逸らすでもなく。
ただ淡々と、そこにある現実を受け止めるように。
聖女、と呼ばれる人間の顔ではない。
少なくとも、彼が思い描いていた聖女の顔ではなかった。
不思議な人だ。
改めてそう思う。
しかし――
分からないからこそ、気になってしまうのかもしれない。
アルフレッドは小さく息を吐いた。
もしあれが彼女の本当の姿なら、自分はどう思うのだろう。
聖女ではなく、一人の人間としてのリシェルを見た時。
――自分は、失望するのか。
それとも――
そこまで考えて、アルフレッドは苦笑する。
「……何を考えているんだ、俺は」
たかが数日共に行動しただけの相手だ。
聖女がどんな人物であろうと、自分の人生には関係ないはずだ。
そう思うのに。
森の中で見た、あの静かな横顔が、どうしても頭から離れなかった。
☆
勇者と旅をして数日。今日も今日とて街道を進む。
王都の喧騒は遠くなり、道はすっかり田舎道へと変わっていた。背の低い丘と麦畑がゆるやかに続き、遠くで風車がのんびりと回っている。
平和な景色だった。
実に、退屈なほどに。
私は荷馬車の荷台に腰掛けながら、ぼんやりと空を眺めていた。
御者台ではアルフレッドが手綱を握っている。旅に出る際、馬車を借りるべきだと提案したのは彼だった。徒歩でも問題はないと言ったのだが、聖女に長旅を歩かせるわけにはいかないと頑として譲らなかった。
(過保護なことだ)
とはいえ、荷台の藁の上は意外と快適だった。
風が吹くたび、麦の穂がさざ波のように揺れる。その音を聞きながら、リシェルは小さく欠伸をした。
「……眠いのですか?」
不意に声がかかった。
視線を向けると、アルフレッドが肩越しにこちらを見ていた。
「いえ、そういう訳では」
「無理をなさらないでください。まだしばらくは揺れますが」
「揺れは気にしていません」
むしろ、こうして揺られている方が都合がいい。
歩かなくて済むし、考え事もしやすい。
(……それにしても)
視線を前へ戻す。
アルフレッドの背中は大きかった。鎧を脱いでいる今は旅装束だが、それでも肩幅は広く、姿勢も真っ直ぐだ。
勇者。
その称号は、どうやら伊達ではないらしい。
(まあ、戦闘能力は本物だな)
森での一件を思い出す。
剣を振り抜いた瞬間、迷いはなかった。あの反応速度と判断力は、訓練だけでは身につかない類のものだ。
――だが。
(甘い)
少年を抱き上げた時の顔を思い出す。
あの表情。
あれは、勇者の顔ではない。
ただの、優しい男の顔だ。
(あれでは、魔族相手には長く持たない)
私は空を見上げた。
雲がゆっくりと流れている。
あまりにも平和だ。
その時だった。
ガタッ、と馬車が大きく揺れた。
「……?」
荷台が傾く。
私は咄嗟に縁を掴んだ。
「すみません、轍です」
アルフレッドが声を上げる。
馬車は少し進んだところで止まった。
「どうしました?」
「少し確認します」
アルフレッドが御者台から降りる。
馬車の後ろに回り、しばらく車輪を見ていたが、やがてため息をついた。
「……困りました」
「何か問題でも?」
「車輪が外れかけています」
「……」
「直せるのですか」
「直します」
きっぱりと言う。
そして袖をまくり、車輪に手をかけた。
ぎし、と軋む音がする。
しばらく無言で格闘していたが、やがてアルフレッドの額に汗が浮かび始めた。
「……手伝いましょうか」
「いえ、大丈夫です」
即答だった。
「聖女様にこんな作業をさせるわけには」
「ただ押さえるだけでも」
「大丈夫です」
譲らない。
私は小さく息を吐いた。
(面倒だな)
本気を出せば、車輪程度一瞬で直せる。
だがそれは、聖女の力ではない。
魔族の身体能力だ。今の非力では、大したことはできないだろう。
(さて、どうするか)
アルフレッドはまだ車輪と格闘している。
悩んでいる間に、ようやく固定が終わったのか、彼は立ち上がった。
「お待たせしました」
「早かったですね」
「応急処置ですが」
アルフレッドは馬の様子を確認してから、再び御者台に戻った。
馬車がゆっくりと動き出す。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、アルフレッドがぽつりと言った。
「……聖女様」
「なんでしょう」
「こういう旅は、慣れていらっしゃいますか?」
「いいえ」
即答した。
「初めてです」
「そうですか」
アルフレッドは少しだけ笑った。
「実は俺もです」
「勇者なのに?」
「勇者だからです」
不思議な答えだった。
アルフレッドは前を見たまま続けた。
「今までは、剣士として仕事をしていただけでした。こんなふうに、誰かと一緒に旅をするのは初めてです」
「……」
「少し、緊張しています」
私は黙っていた。
しばらくして、ふっと視線を逸らす。
(変な男だ)
勇者が、緊張していると言う。
しかも、聖女との旅で。
(本当に、この男は)
空を見上げる。
雲は相変わらずゆっくり流れていた。
馬車はきしきしと音を立てながら進む。
どこまでも平和な道だ。
(まあいい)
私は藁の上に背を預けた。
(今はまだ)
旅は、始まったばかりなのだから。