願いの物語シリーズ【夢咲里菜】 作:とーふ@毎日なんか書いてる
重く苦しい沼の底に居る様な感覚から、僅かに浮かび上がり、私は高熱を出した日の朝よりも気怠い体を動かして、目を開いた。
仰向けに倒れている体は、天を仰いでいるが、その視界にはどんよりとした雲の他にも何人かの顔が見える。
涙を堪え、私を見下ろしている朝陽。
泣きじゃくる朝陽の娘である綾ちゃんと、その綾ちゃんの肩を抱く朝陽の息子である光佑君。
そして、私の体に縋りつく様にして泣いている陽菜。
あぁ、会わない様にしていたというのに、会ってしまった。
電話で話しているだけでも、愛おしい貴女が、こんなにも近くに居て、何も感じない訳が無い。
私は震える体を奮い立たせて、右手を伸ばす。
「お母さん!?」
「……ひな、大きくなったわね」
陽菜の頬に手を当てて、その体温を確かめる。
しかし、私の手は汚れてしまっていて、陽菜の頬を泥で汚してしまった。
それを申し訳なく思い、手を離そうとするが、陽菜が私の手を掴んでしまった為に離す事が出来なかった。
「お母さん……! お母さん……」
「ひな……ごめんね、ごめん」
「いい! 全部! 全部良いの!! これからは、お父さんもお母さんも、一緒だから! だから」
「おとう、さん? ジョージは」
「里菜。大丈夫。助かりましたよ。まだ意識は戻ってませんが、息もしてます。心臓だって。だから、もう頑張らなくて良いんです。もう!」
「……そっか」
私は目を閉じて、ジョージを想った。
彼が居るのならば、もう何も心配は要らないと。
私がここで終わっても、陽菜は大丈夫だと。
私はそう思えた。
「お母さん!?」
「……なぁに? ひな」
「お母さんは、もう、どこにも行かないよね?」
泣きじゃくりながら、そう訴える陽菜に私は何も言う事が出来なかった。
そして、何も答えられない私の代わりに、答えを口に出来る人間が現れる。
いや、彼を人間と評しても良いのか分からないけれど、見た目は人間によく似ていた。
「俺を呼んだのはお前か。夢咲里菜」
「……っ!!? 天野!!」
「お前の願いは、お前の中に居た神によって奪われた。だが、まぁサービスだ。叶えておいてやったぞ」
「……あり、がとう」
「それと。まだ願いがあるんだろう? 聞きに来てやったぞ」
「……そう、ね」
私の言葉に、陽菜たちの顔が驚愕に染まる。
そして、誰よりも早く反応したのは陽菜だった。
目尻に涙を浮かべたまま、雨で柔らかくなった土を掴んで、男に向かって投げる。
「こっちに来るな!! お母さんに近づくな!!」
しかし、彼にその泥の塊は当たる事はなく、まるで映像が映し出されているかの様に通り抜けてしまう。
それでも陽菜は必死に投げつけ、最後は彼から私を守る様に覆いかぶさった。
「駄目! お母さん!! 願いなんて、天野に願いなんてしないで! 私が、私ならなんでも出来るから! お母さんのお願い! 陽菜なら、なんでも叶えられるから!! だから」
「いいの」
「……え?」
「もう、どのみち、私はながく、ないから」
「そ、そんなの私が、何とかするから、だから、だから!」
「ねぇ、天野さんって、言ったかしら」
「あぁ」
「お母さん!!」
「私の願い。聞いてくれる?」
「やだ! やだって言ってるじゃん!! 聞いてよ!!」
私は最後の力を振り絞って、起き上がり、痛いくらい私の体を叩いていた陽菜を抱きしめた。
これで最後だ。惜しむものは何もない。
「陽菜。私は、駄目なお母さんだった。でも、最期に、最期くらい陽菜のお母さんとして、貴女の幸せを願いたいの」
「やだよ……ちがう。違うもん」
「だから、ね? 幸せに生きて。これがお母さんとして、私ができること。願うこと」
「やだっ! 違う! わたし、違うもん!! ひ、ひな! お母さんの事、お母さんだなんて思った事ないもん! ひなのお母さんは朝陽さんだもん! だから、お母さんは関係ないの! ひなの幸せなんか願わなくても良いの!! だから!」
「……よかった。なら、もう心配、いらないね」
「え?」
私は天野と呼ばれた人を見て、小さく頷いた。
そして次の瞬間に私の体は光の剣で貫かれた。
一瞬陽菜を傷つけられたかと思ったが、どうやらこれは私にだけ刺さるらしい。
なら、良かった。
「お母さんと、幸せになって、陽菜」
「ちがっ」
地面に向かって倒れ、私は空を仰ぎながら、私に抱き着く陽菜の背を撫でる。
ずっと、こうしていたかった。
こんな世界を望んでいた。
ただ、それだけだった。
「……あぁ」
私は雲が流れ、陽の光が差し始めた空を仰ぎ見る。
「いい、てんき」
曇り続けた空は、ようやく晴れ間を見せた。
終わりは、いつだって穏やかだ。
それが幸福という物なのだろう。
「里菜」
「りーな」
「まったく。僕のお姫様は大分お寝坊さんなようだ」
深い眠りの中に居た私は誰かの私を呼ぶ声にゆっくりと目を覚ました。
知らない家の、知らない部屋の中、ベッドに寝ていた私はまだぼやけた視界の中で、声の主を探した。
「目を覚ましたかい? 随分長く寝ていたね。まぁ君にしては珍しく大分はしゃいでいたからね。仕方ないかな。でも、ずっと寝てるから陽菜達もすっかり拗ねていたよ?」
「それは、ごめんなさい、ね?」
「ハハハ。良いさ。里菜は頑張り屋さんだからね。少しくらい休んだって誰も悪くは言わないさ」
「そう?」
「あぁ。ゆっくりと休むと良い。ここには怖いものは何も無いからね」
「ふふ」
「ん?」
「なんだかあなたの言い方を聞いてるとまるで子供になったみたい」
「気分を悪くしたかな」
「いいえ。不思議と悪くない気分だわ」
白い壁に囲まれた部屋で、僅かに開かれた窓からは春の陽気を告げる風が入ってきていた。
心地よい。
「さて。君が起きたのなら本格的に作戦会議をしないとね」
「作戦会議?」
「そうさ。さっき陽菜達が拗ねていると言っただろう? 特に陽菜が酷く怒っていてね。寝ている君をベッドから落として起こす! なんて言ってたくらいさ」
「あら。それは困ったわね」
「そう。困ったお姫様さ。だから、僕は考えたんだ。何か陽菜にプレゼントをして機嫌を取ろうってね!」
「あなた……困るとすぐにソレよね。朝陽を怒らせた時も、私との約束を忘れてた時も、どうしようもなくなると何か買ってきて、どうか機嫌を直してくれ! ってさ」
「よ、よく覚えているなぁ」
「忘れる訳無いでしょ」
「嬉しいやら、困ったやらだね。これは。しかーし。これまでも困難な状況をプレゼント作戦で乗り越えてきたのだから、今度も大丈夫。信頼できる作戦と考えよう!」
「まぁ、そうね。陽菜へのプレゼント、か。うん。良いと思う」
「良かった。じゃあ良かったついでに、陽菜へのプレゼントで何かオススメはあるかな。陽菜の好きな物とか」
「陽菜の好きな物、か」
私は目を閉じながら考える。
そこで、あぁと思い返すものがあった。
誕生日に、何かの記念に、陽菜が欲しがっていたけれど、結局渡せなかったものがあった。
「大きな、陽菜よりも大きなぬいぐるみが欲しいって、言われた事があったわ」
「そうなのかい? それは中々大物だね。でも、里菜の事だから、もう渡してるだろ?」
「いいえ。それだけは、駄目だったの。郵送じゃ出来なかったから」
「……そうか。それは残念だったね」
「そう、ね」
後悔が滲む。
こんな夢の中で思い出してしまうなんて、酷く空しい。
生きている間に渡してあげれば良かった。
でも、もう叶わない夢だ。
「じゃあ、これから買いに行こうか」
「え?」
「今からでも遅くはない。陽菜はきっと、待ってるよ」
「でも、わたし」
「大丈夫」
彼は私の左手を握ると、穏やかに笑った。
その笑顔の意味は分からない。
でも、何故か酷く安心する事が出来る。
「そうね。分かった」
「あぁ。嬉しいよ。里菜」
「……でも、ごめんなさい。わたし、まだ眠いの」
「良いさ。時間はたっぷりある。だから、ゆっくり眠ると良い」
「わか、ったわ」
「おやすみ。里菜」
「えぇ……おやすみなさい。ジョージ」
目を閉じて、ベッドに体を預けた私の頬をジョージは撫でて、手を離す。
そして柔らかい声で、私の名前を呼んだ。
「良い夢を。里菜。愛しているよ」