1980年代末期。すべてを塗りつぶすような冷たい雨が、研究所のコンクリートを叩いていた。
神奈川県、政府直轄・超心理学研究所。その敷地の最果てにある資材廃棄区画には、役目を終えた精密機器や実験装置が鉄の塊として積み上がっていた。
「やれやれ。これだけの予算をゴミに変えることだけは、得意な連中だ」
志村博士はチャコールグレーのセダンの傍らで白衣の襟を立てた。今日をもってこのプロジェクトを去る彼にとって、ここは最後に見届け、立ち去るだけの場所にすぎなかった。
だが、錆びついた瓦礫の山の中に場違いな色彩が沈んでいた。
鮮やかなショッキングピンクのスタジャン。
志村博士は水飛沫を上げてその場所へ歩み寄った。
「まさか」
そこにいたのは冷たい泥の上に無造作に投げ出された少女だった。
身長157センチ。雨に濡れて額に張り付いた薄茶色のショートヘア。
それは、志村博士がその卓越した技術のすべてを注ぎ込み、指先ひとつまで精密に組み上げた――自律型感情調律アンドロイド、H-99だった。
マスターである少年、春日恭介が軍に連れ去られた後、非戦闘用である彼女は用済みのスクラップとしてここに放り出されていた。鮮やかなピンクの袖口には泥が跳ね、白い頬にも薄く土汚れが付着している。
「おい、H-99。応答しろ」
博士は泥の中に膝をつき、彼女の顔を覗き込んだ。
澄んだ青い瞳に光はない。システムは完全に沈黙していた。
頬を幾筋も伝う雨が土汚れを洗うように滑り落ちていく。その雨粒の軌跡は暗がりのなかで、彼女が流すことのできない涙のように見えた。
「お前のような機体が、こんな場所で泥を被っていいはずがない」
博士は静かにそう口にした。彼は彼女の肩を抱き寄せ、その身体を持ち上げた。157センチの小柄な体格には、精密な人工骨格と高密度の駆動系が詰まっている。そこには機械としての確かな質量があった。
博士はセダンのドアを開け、助手席に彼女を静かに横たえた。シートが濡れることも泥がつくことも今の彼には些細なことだった。
「いいか、H-99。お前を、こんなところで終わらせはしない」
博士は彼女の頬の泥を大きな指でそっと拭った。
「帰るぞ。また、動けるようにしてやるからな」
セダンのエンジンが始動し、車は静かに研究所を後にした。
助手席で横たわるショッキングピンクのシルエットが暗い車内でかすかな光を反射している。
300年という果てしない航海の、それが静かな、けれど確かな始まりの夜だった。
(第2話へ続く)