ワークショップの薄暗い中、志村博士が3Dホログラフィック・インターフェースを操作するたび、作業台のひかるへ不可視のパルスが放射されていった。分子レベルで結合を促すその力が、損傷していた神経網を再編していく。
「発声ユニット、同調。ひかる、ちょっと喋ってみてくれ」
博士が短く告げると、ひかるの喉元で微かな駆動音が鳴った。
「あ、あー。テステス。博士、聞こえますか?」
ワークショップの空気を震わせたひかるの声は、泥に沈んでいた時とは別人のような瑞々しい少女の声だった。
「発声正常。次は、各四肢の同期を行う」
博士がコマンドを入力すると、ひかるの腕やつま先へと信号が伝わっていった。神経系と駆動モーターがリンクし、硬直していた関節が自律的な震えを見せ始める。
「博士、わっ、すごーーい! 足の先まで電気が走ってるみたい。なんだか力が湧いてきました!」とひかるは声を弾ませて答える。
まだ台に固定されているにもかかわらず、ひかるの声には抑えきれない躍動感が宿っていた。同期が進むにつれ、彼女は拘束を跳ね除けるように無意識に手足を動かそうとする。
「動くな。感覚がズレる」
「だって、全身がムズムズして、じっとしていられないんですもん!」
その仕草は、放課後のチャイムを待ちきれない16歳の高校生のような、瑞々しくも落ち着きのないエネルギーに満ちていた。博士はその動きを一つずつ見極め、数値を最適な値へと収束させていく。
「修復、完了。固定解除」
ロックが外れた瞬間、ひかるは待ちかねたように作業台から飛び降りた。
「やったあ! ひかるちゃん、完全復活です! 博士、ありがとうっ!」
ショッキングピンクのスタジャンを羽織り直すことも忘れ、彼女は狭いワークショップを軽やかな足取りで跳ね回った。瓶の口からコーラの泡がシュワシュワと溢れ出すようなひかるの無邪気な振る舞いは、恭介の傍にいた頃の彼女そのものだった。
「ねえ、博士。これで私、センパイのところに行けますよね? 会いたいんです、今すぐに!」
期待に満ちた真っ直ぐな瞳。博士は苦笑いにも似た溜息を漏らし、手元のコンソールに視線を落とした。
「お前は何故そこまで強く、マスターを求められるんだ」
ふと漏れた、問いかけるような小さな呟き。
「え? 博士、何か言いました?」
ひかるが不思議そうに小首を傾げる。
「いや、何でもない。私の計算違いだ」
博士はそれ以上追及せず、システムに異常値がないか確認するように再度モニターを確かめた。
(……目覚めたばかりだというのに、もう人間のことか)
博士の口元が、わずかに自嘲気味な弧を描いた。
「フッ」
小さく一度だけ頭を振ると、彼は再び技術者としての無機質な表情を作った。
「一つ確認しておきたいんだが。お前が会いたいと言っているマスターは、おそらくもう地球にはいない。軍の手によって、地球から遠く離れた外宇宙へと連れ去られた」
ひかるの動きが止まった。
「え? センパイが、宇宙に?」
「そうだ。だがひかる、お前は本来、人間に寄り添うために作られた『自律型感情調律アンドロイド・H-99』、つまりメイドタイプだ。 その華奢なボディでは大気圏すら突破できん。軍の監視網をかいくぐり、外宇宙に出るにはあまりに無防備すぎる」
ひかるは自分の白く細い指先をじっと見つめた。その指は恭介に触れるために、料理を作るために作られたもので、戦うためのものではない。
「じゃあ、どうすればいいんですか? どうすれば、私はセンパイに会えますか?」
「私が過去に開発した機密プロジェクトがある。星間戦闘機『ステラ・パルサー』。方法があるとすれば、お前自身がその機体の心臓部、リアクターと一つになり、最強の兵装を宿した戦闘アンドロイドへ改造される道だ」
ひかるは少しの間、その言葉の意味――これまでの自分ではいられなくなること――を反芻していたが、すぐに顔を上げた。
「私がそのパルサーになれば、センパイに会えますか?」
「成功すれば、可能性はゼロではない」
ひかるは迷うことなく博士を真っ直ぐに見据えた。
「お願いします、博士。私を、センパイを守れる強いひかるにしてください」
その濁りのない、退路を断った決意を目の当たりにし、博士は短く頷いた。
恭介に会いたいという意志を強く持つひかるの、少女から一人の女性への大きな変化。
博士は立ち上がると、黙ってコートを羽織った。
ひかるをステラ・パルサーへと変貌させるための、危険な奪取作戦の始まりだった。
(第4話へ続く)