泥にまみれたセダンがワークショップの前に滑り込んだのは、夜明けまでまだ数時間という刻限だった。志村博士は乱れた息を整える間もなく、アタッシュケースを抱えて室内へと飛び込んだ。
「博士! おかえりなさい!」
作業台の上でショッキングピンクのスタジャンを羽織って待っていたひかるが、弾かれたように顔を上げた。雨に濡れ、疲労困憊した博士の姿を見て、彼女の青い瞳に不安が走る。博士は無言で持ち帰ったケースを台の上に置いた。
ロックを外すと、アタッシュケースの隙間から、冷たく鋭い白光が溢れ出した。
ケースの中に鎮座しているのは、脈動するように明滅する『エターナル・リアクター』。ひかるは思わず息を呑み、その美しい光の塊を見つめた。それが自分の、そしてステラ・パルサーの命の源になることを彼女は直感的に理解していた。
「ひかる、準備はいいか」
博士の問いかけに、ひかるは静かに頷いた。
彼女は迷うことなく自らショッキングピンクのスタジャンを脱ぎ捨て、作業台へと横たわった。16歳の少女の姿をしたメイドロボット・H-99としての、それが最後の時間だった。
「麻酔プログラムを開始する。意識が遠のくが、恐れることはない」
「博士、怖くなんてありません。だって、これでセンパイのところへ行けるんですから」
ひかるの言葉が途切れると同時に、システムが深いスリープモードへと移行した。博士は深く息を吐き、技術者としての冷徹なマスクを被り直すとメスを手に取った。
それは、長く過酷な手術の始まりだった。博士はまず、彼女の華奢な骨格を補強することから始めた。料理を作るための繊細な指の関節は、極限のGに耐えうる高強度のチタン合金製ジンバルへと交換され、柔らかな人工皮膚の下には、真空と熱放射を防ぐための特殊な複合装甲シートが隙間なく埋め込まれていく。メイドロボットとしての外見機能を残しつつ、その内部構造を星間航行に耐えうるスペックへと物理的に置換していく作業は、狂気じみた精密さを要求された。
数時間に及ぶ改造手術を終え、最後に博士は、彼女の胸部奥深くにエターナル・リアクターを据え付けた。光ファイバーの束がリアクターに接続された瞬間、ひかるの全身に青白い稲妻が走り、新たに組み込まれた強靭なフレームと回路に莫大なエネルギーの奔流が流れ込んでいった。
モニターには臨界点ギリギリで脈動する波形が映し出されている。博士は一睡もせず、その強大な力に彼女の自我が飲み込まれないよう調整を続けた。
やがて、狂ったように鳴り響いていた冷却装置の音が静まり、窓の外が白々と明け始めた頃、ワークショップに深い静寂が戻った。
博士が最後のコマンドを入力し、システムの再起動を実行する。ゆっくりと瞼を上げたひかるの瞳には、かつての淡い青色ではなく、深淵な宇宙の星々を映したような、鋭く、けれど深い慈愛を湛えた光が宿っていた。
その姿を見つめ、博士の口から漏れたのは、開発コードネームではなく、志村が心の中で慈しんできた少女の名前だった。
「目覚めたか、ひかる」
博士の言葉に、ひかるは自分の、今はもう鋼鉄の強度を宿した掌をじっと見つめ、ゆっくりと身体を起こした。
「はい、博士。体が、とても熱いです。この力があれば、どこへだって行けます。博士、私の『翼』は、どこにありますか?」
(第6話へ続く)