ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』 作:ガチャガチャクツワムシ
駆はあえてケルベロスの背には乗らず、燃え盛る肉壁の通路を、ポケットに手を突っ込んだまま悠然と歩き出した。
傍らを歩むのは、白銀の毛並みに鮮やかな青い鬣を蓄えた、巨大なライオンを思わせる魔獣。その姿は、神話の化身としての気高さと、外敵を断罪する獣としての猛々しさを同居させていた。
駆はガンプで狙いを定め、淡々と肉の標的を撃ち抜いていく。一発ごとに肉が弾け、魔力による腐食が広がっていく。それは戦闘というよりも、不快な害虫の巣を熱消毒していく作業に近かった。
「ア、アア……ありえない! 夢の中は私の無敵の領域のはずだ!!」
のたうち回る魘夢の絶叫が、鉄の軋みと共に響く。だが、駆はそれを鼻で笑い、一歩ずつ、確実に核へと歩を進めていく。
「無敵、ねぇ。お前さん、自分の『質』を勘違いしてないかい? 向こうの世界じゃ、そんな小細工は格下の悪魔がやる手口だよ」
駆の冷徹な声が響く。魘夢が焦燥に駆られ、無数の肉の触手を全方位から突き出させた。狭い通路を埋め尽くすほどの肉の奔流。だが、駆の歩みは止まらない。
「ケルベロス、右だ」
駆が短く命じると、白銀の魔獣が低く唸る。その強靭な顎が開かれ、超高温の獄炎──『アギダイン』が吐き出された。迫りくる触手は一瞬で灰へと変わり、熱波が車内を支配した。焦げた肉の異臭が立ち込める中、駆はガンプのシリンダーを軽く弾く。
「……リハビリの標的にしちゃあ、少しばかり柔らかすぎる。もっと『抵抗』してみなよ。そうしないと、調整にもなりゃしない」
駆は挑発するように口角を上げた。その瞳には、魘夢という存在への敬意など微塵も存在しない。
パニックに陥った魘夢が、客車の至る所から巨大な眼球を出現させ、「強制昏倒催眠・眼」を乱発する。視線を合わせれば即座に眠りに落ちる、魘夢最強の術式。しかし、駆はそのすべての視線を、あざ笑うかのように正面から受け止めた。
「眠れ、眠れ、眠れえええッ!」
「……悪いね。俺の精神は、もっとドロドロした深淵を覗くのに慣れてるんだ。お前さんの薄っぺらな悪夢じゃ、子守唄にもなりゃしないよ」
駆の精神防壁は、自らの師による厳しい訓練によって強固に構築されている。鬼の術式程度では、彼の意識の表層を揺らすことすら叶わない。駆は歩みを止めず、目の前に現れた巨大な眼球を、至至距離からガンプでブチ抜いた。
「ぎぃ、あぁああああ! 視覚が、私の視覚が焼けるッ!!」
「煩いね。……ケルベロス、少し黙らせろ。次は『マハラギオン』だ」
命令と共に、ケルベロスが再び咆哮し、周囲を焼き払う火焔を吐き出す。客車一面を覆っていた肉壁が、叫び声を上げる暇もなく消し飛んだ。再生が追いつかない。この空間における「理」が、デビルサマナーという異物によって上書きされ、魘夢の支配権が急速に剥ぎ取られていく。
「ひっ、あ、あぁ……来ないでくれ、化け物め!」
「化け物、か。デビルサマナーには最高の褒め言葉だ」
駆は、もはや形を保つことすら危うい肉の塊──その深奥にある、巨大な頚の骨を剥き出しにした「核」を冷たく見据えた。
魘夢は最後の足掻きとして、周囲の肉をすべて核に集め、盾のように固めようとする。だが、その努力を嘲笑うかのように、駆はガンプのシリンダーを回転させ、一発の特殊弾を装填した。
「逃げ場も、再生の時間も、これ以上は無駄だよ」
駆が静かにトリガーを引く。放たれた弾丸は肉の盾を易々と貫通し、核の正中へと突き刺さった。
次の瞬間、ドッ、という空気が圧縮されるような重低音が響き、核の内部から青白い霊火が噴き出した。物理的な破壊ではなく、存在の根源を焼き尽くす一撃。
「ア……ガ……私の、私の完璧な……夢……が……ッ」
絶叫は形にならず、核は内側から砕け、崩壊を開始する。駆は背を向け、一歩踏み出した。直後、凄まじい轟音と共に核が完全に粉砕される。列車全体を繋ぎ止めていた異質な魔力が消失し、悍ましい肉壁は煤となって剥がれ落ち、空へと散った。
解体完了。魔界と化した列車はただの残骸へと戻り、冷たい夜風が車内を吹き抜ける。
駆はガンプをホルダーに収め、返り血一つ浴びぬまま、地獄の業火が消えゆく通路を悠然と歩き去っていった。その背後では、ケルベロスが凛とした佇まいで、消えゆく悪夢の残滓を冷徹に見届けていた。