ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』 作:ガチャガチャクツワムシ
東の空が白み、朝靄の立ち込める森に黄金の陽光が差し込み始めた。
無限列車の残骸から離れた深奥──。神代駆が放った一撃により、数本の巨木をなぎ倒して吹き飛ばされた猗窩座は、全身の骨を砕かれ泥濘の中に横たわっていた。再生は呪いのように停滞し、指一本動かすことすらままならない。
(……動けぬ。この俺が……立ち上がることすら……)
数百年ぶりに味わう「死」の予感が、光の奔流となってその指先を掠めようとした、その時だった。
「おやおや。なんとも無様な。……これではまるで、舞台から転げ落ちた道化のようではないか」
不自然に関節を鳴らす音とともに、一体の「人形」が影の中から這い出してきた。猗窩座の濁った金色の瞳が、その異形を捉える。
「……何だ……貴様……。鬼でも……人間でもない……」
「初めまして、と言っておこうか。誇り高き武の求道者よ」
人形は倒れ伏す猗窩座の傍らに立ち、大げさな身振りで一礼した。その口から漏れるのは、朗々と響く、芝居がかった不気味な声だ。
「君に今ここで消滅されては困るのだよ。私の用意した脚本が、台無しになってしまうからね」
「……消えろ。貴様の……助けなど……」
「おっと、つれないことを言わないでくれたまえ。……ああ、そうだ。せっかくの縁だ、君の『主(あるじ)』に伝言を頼めないかな?」
人形は楽しげに、首を不自然な角度に傾けた。
「『是非、一度直接お会いして、最高の舞台を共に繕おうではないか』……とね。鬼舞辻無惨様によろしく伝えておくれ。彼のような優れた素材(キャスト)を、私はずっと探していたのだから」
「……貴様……無惨様を……ッ!」
その傲慢な物言いに、猗窩座の瞳に怒りが宿る。だが、人形は構わずに指先で猗窩座の額に触れた。その瞬間、悍ましい魔力の紋様が奔り、上弦の鬼の肉体を覆い尽くす。
直後、太陽の完全な光がその身を飲み込んだ。だが──。
(……焼けない……? 何故だ、日光を浴びて、何故……!)
本来ならば灰すら残さず焼き尽くすはずの陽光が、まるで透き通る水のように猗窩座を通り抜けていく。そこにはもはや、この世界の理(ルール)など存在しなかった。
「一時的な処置に過ぎないがね。この世界の理など、私にとっては書き換え可能な戯曲に過ぎないのだよ」
人形は満足げに頷くと、自らの足元に広がる影の沼へと、音もなく沈み込み始めた。その視線は、遠く離れた場所にいるはずの駆たちの方さえ向いていない。
「楽しみにしておくといい。無惨という『怪物』が舞台に上がり、私がタクトを振る時……この世界(劇場)は完成するのだから」
人形は、誰もいない虚空に向かって深く一礼してみせた。次の瞬間、人形だけが影の中に溶けるように消え去った。後に残されたのは、本来死ぬはずの陽光の下で、再生し始めた己の肉体をただ呆然と見つめる猗窩座だけだった。
──一方、列車の残骸付近
黄金の龍、コウリュウを退散させた駆は、静まり返った森の空気を一息に吸い込み、ガンプを懐に収めた。
東の空を見つめるその瞳には、先ほどまでの冷徹な殺気は微塵もなく、いつもの不敵な笑みが貼り付いている。
「……あーあ。相変わらず、趣味の悪い脚本を書くねぇ、あいつは。……ま、あんな雑魚共をけしかけて、一体何がしたかったんだろうな。相変わらずのセンスの無さ(…………)には恐れ入るよ」
駆はふと、猗窩座が消えた森の深奥へと視線を向けた。胸の奥に、ざらりとした不快な感触が残る。
「……なんか嫌な予感がするな。あの三流脚本家のことだ、ろくな事考えちゃいないだろうしね。……ま、今は目の前のことだ」
駆は毒づきながら独りごちると、重傷を負い、膝をつきながらも気丈に振る舞う煉獄の方へと歩み寄った。
「煉獄、随分と派手にやられたねぇ。……死なれちゃ寝覚めが悪い。少し、じっとしてなよ」
「神代、少年……。君は、一体……」
「……お喋りは後だ。こっちのルールで、強引に繋ぎ止めてあげるからさ」
駆は不敵に笑いながら、致命傷を負った煉獄の治療へと向かった。