ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』 作:ガチャガチャクツワムシ
産屋敷邸の静謐な空気の中、神代 駆(かみしろ かける)と柱たちは産屋敷様の前に膝をついていた。施設消滅の報告と三年前の真実、そして人形師の脅威について、駆がすべてを語り終えたその時だった。
産屋敷様が深く静かな慈愛に満ちた声を出す。
「……そうか。駆、君はそんなにも重いものを独りで背負い、私たちのために戦ってくれていたんだね。ありがとう。そして、すまなかった……」
その言葉に、居並ぶ柱たちが一様に頭を下げる。だが、その謝罪に応じる間もなく、産屋敷様の御前──その何もない空間が歪み、漆黒の衣を纏った男が音もなく姿を現した。
「……ッ、何奴だ!」
不死川が即座に抜刀の構えを取り、他の柱たちも一斉に殺気を放つ。だが、その男は柳に風と受け流し、低い声で告げた。
「──久しいな、デビルサマナー・神代駆」
男の顔は不気味な面で隠されていたが、その纏う空気は紛れもなく、駆の元の世界の守護者──「超国家機関ヤタガラス」の使者であった。駆は驚くふうもなく、ふう、と小さく溜息をつくと、緊張に包まれる周囲を余所に、肩の力を抜いた砕けた敬語で応じた。
「……お久しぶりですね。ヤタガラスの使者殿。わざわざこんな場所まで来られるなんて。それで? 事前に報告は済ませていたはずなんですけど、アンタが直接姿を見せたってことは、よっぽど状況が悪いんでしょう?」
駆のあまりに普段通りな態度に、柱たちは毒気を抜かれたように顔を見合わせた。使者の男は表情を変えず、駆に向かって一巻の古びた巻物を投じる。
「左様。あの『人形師(パペッティア)』が、この地への本格的な介入を開始した。世界を渡るあやかしの術式が、この領域の因果を、位を、歪め始めているそれが我らが住まう時空まで影響を及ぼす懸念が強まった……」
「やっぱりですか? そうじゃなきゃアンタ達がこの地に介入するわけない……それで此は?」
駆は投げられた巻物を片手で受け止め、内容を確認しながら苦笑いを浮かべた。
「ヤタガラスからの『謝罪』と『助力』だ。……神代、お前をこの異邦の地への来訪が、この世界の住人に多大なる被害を強いる結果となった。その業、我らも分かち合おう」
巻物が光の粒子となってガンプへ吸い込まれた瞬間、端末の画面に未知の術式が次々と書き込まれていく。日輪刀に悪魔の魂を宿らせる秘儀──『錬具術(れんぐじゅつ)』の解禁された。
「……錬具術。へぇ、これを使えって? アンタらにしては、随分と太っ腹な謝罪じゃないですか」
「皮肉を言う暇があるなら、備えよ。……デビルサマナー神代駆。反撃の時は来た」
使者の男が消えようとしたその時、産屋敷はその澄んだ瞳で静かに制した。
「待ってほしい。……今、君たちが話したことは、この世界の命運に関わる。ヤタガラスの使者よ、そして駆。この先、一体どのような事態が起こるのか、双方の考えを聞かせてもらえないだろうか」
その問いに、使者の男は動きを止め、その面の下から厳かで、どこか無機質な声を響かせた。
「……産屋敷殿。報告いたします。人形師なる存在が本格的な介入を開始した今、事態はもはやこの世界における『鬼という存在対人間』という矮小な枠組みを完全に逸脱いたしました。奴は自らの好奇心を満たすため、この世界の理そのものを書き換え、弄ぶでしょう。……そうなれば、この世界の人間だけでは、もはや太刀打ちすることさえ叶わぬ、法則の崩れた絶望的な戦場へと変貌いたします」
使者の無機質な宣告に、場に凍り付くような緊張が走る。その傍らで、駆は居住まいを正して産屋敷を見つめ、言葉を重ねた。
「……前提として、三年前の話をさせてください。三年前の自分の実力をもってすれば、この世界の『鬼』を駆逐することは、決して不可能ではありませんでした。あの時点で自分が全力を出せば、今頃この国に鬼は一匹も残っていなかったはずです。……だからこそ自分は、あの会議で鬼の即時殲滅を提案し、速やかにこの世界の火種を消し去るつもりでした」
その告白に、すでに柱を引退しながらもこの場に立ち会っていた胡蝶カナエは、三年前の光景を鮮明に思い出していた。
──あの日、上弦の弐である童磨と遭遇し瀕死の重傷を負い駆に助けられた日。MAGを絞り出し、力の大半を使い果たして「ガス欠」状態だったはずの駆が、上弦の弐という強大な鬼を、赤子を扱うかのように一方的に圧倒していた姿を。自分を救ってくれたあの次元の違う武威を目の当たりにしているからこそ、カナエには駆の言葉が空言ではないと確信できた。
カナエは深く頷き、他の柱たちの間にも重い納得が広がる。そして、ヤタガラスの使者がその事実を冷徹に肯定した。
「──神代の言葉に偽りはない。三年前、彼がこの地において振るった力は、すでにこの世界の理を超越し、全ての因果を断ち切るに足るものであった。産屋敷殿。奴はすでにこの世界を『自分の遊び場』として認識してしまいました。今後は、鬼舞辻の配下だけでなく、人形師の手によって強化され、理を外れた異形の軍勢がこの地を侵食しにくるはずです」
駆はガンプの画面を見つめ、丁寧に締めくくった。
「……だからこそ、今ある力だけでは足りないのです。彼らが自分に教えてくれた力、そしてこの『錬具術』が必要になります」
産屋敷は静かに頷き、深く納得したように目を閉じた。
「……なるほど。かつて駆が選ぼうとした道、そして今私たちが直面している危機の正体がよく分かったよ。使者よ、そして駆、ありがとう」
使者の男は、最後に一瞥だけ駆に送り、今度こそ影に溶けるように消え去った。