ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』 作:ガチャガチャクツワムシ
産屋敷邸の地下、幾重にも結界が張られた秘匿研究室。そこでは、鬼を人間に戻すための薬、そして無惨を弱体化させるための毒の調合が最終段階を迎えていた。
「珠世さん、この成分の比率はこれで……」
「ええ、カナエさん。これで完成です。あとは時間をかけて馴染ませるだけ……」
柱を引退したカナエと、鬼の珠世。この二人が薬の調整を一手に引き受けたことで、蟲柱・胡蝶しのぶには、戦士として更なる高みを目指すための「時間」が生まれた。
数日後、しのぶは駆に伴われ、柱たちが地獄を這いずる「修練の間」の観戦席へと向かっていた。
「あらあら……皆さん、随分と楽しそうですね?」
いつもの微笑みを絶やさぬしのぶ。だが、修練の間に足を踏み入れ、その光景を目にした瞬間、その笑顔はピキピキと音を立てて凍りついた。
視界の先では、悲鳴嶼がスカサハの放つ『マハザンダイン』に飲み込まれ、実弥がクー・フーリンの『冥界破』で血肉を飛ばしている。そして、すぐさま天使の手によって「全快」させられ、また絶叫と共に突撃していく無限のループ。
「(……これが、稽古? いえ、これは……ただの虐殺ではないかしら?)」
しのぶの額に青筋が浮かぶ。彼女は引きつった笑顔のまま、隣でリンゴを齧る駆に向き直った。
「神代さん、私がこれから行う修行とは?」
「しのぶちゃん。あんたがやるのは、サマナーの基礎、つまり『自身のMAGを自覚し、回路に通す』作業だ」
「隠してたつもりだろうが、独学だと出来てないところも多く、下手するとMAGが過剰に仲魔に供給されて暴走する可能性があるんだ」
「成る程……わかりました」
しのぶは覚悟を決め、管を握りしめた。
駆が床を叩くと、背後の影から二体の悪魔が現れた。冷酷な知性を湛えた『女神サラスヴァティ』と、知識の番人『魔神トート』。
「あら、新しい生徒さんね。……あらあら、回路が細すぎて見ていられないわ」
サラスヴァティが琵琶を爪弾くと、しのぶの体内のMAGが強引に吸い上げられた。
「……ッ!? ……神代、さん……体が、内側から……」
顔から血の気が引き、骨の髄まで干からびるような凄まじい枯渇感。
「甘いですよ、お嬢さん。知恵を絞りなさい」
トートの筆が、しのぶの脳内に複雑怪奇な魔道術式を直接書き込んでいく。情報の奔流に脳が焼け、MAGの枯渇に肉体が悲鳴を上げる。
「ひるむな! 枯渇してからが本当の修行だ。空っぽになった回路を、無理やり異界の地脈に繋ぎ直せ!」
駆の厳しい声が飛ぶ。しのぶは一呼吸ごとに完全に枯渇し、膝を突く。だが、その度に天使の『メディアラハン』で「万全」に引き戻され、再びゼロまで絞り尽くされる。
「あ……ら……。これ、は……本当に……拷問、ですね……」
汗と疲労で髪が張り付くしのぶの横で、駆は淡々と変な色をしたリンゴを齧っていた。しのぶはそのリンゴに不信の目を向ける。
「……そんなに美味しいのですか、それは?」
「これか? ぶっちゃけ味は『砂を混ぜた鉄クズ』みたいな最悪な味がする。これは空間のMAGを吸着した『触媒』なんだよ。食わなきゃ維持できねえからな。修行時代、外の一時間が中の一年になる設定の時も、文字通りこれしか食うものがなかったし」
その言葉に、サラスヴァティとトートが深く頷いた。
「ええ、本当にかわいそうだったわねぇ。駆ちゃんだけじゃないの。あの偏屈な主(師匠)も、この『空間の欠片』を食事代わりにしていたわ」
「ああ……。二人して、死んだ魚のような目をして、無心でこれを咀嚼し続けていた光景は、今思い出しても背筋が凍るよ」
「…………」
しのぶの瞳に、最大級の「哀れみ」が灯る。
地獄の修行、歪められた時間、そして師弟揃って「死んだ魚の目」で砂の味を咀嚼し続ける虚無の日々。
「……神代さん。……修行が終わったら、甘くて美味しい……本物の、本当の食べ物をたくさん用意しますからね。……蜜の入った林檎も、温かいご飯も」
「え? あ、ああ……。なんでそんな、捨てられた子犬を見るような目で見るんだよ。……ほら、再開だ!」
駆は照れ隠しに視線を逸らした。しのぶは胸の内に「この人を二度とこんな目に遭わせてはならない」という誓いを秘め、再びMAG切れの激痛へと飛び込んでいった。