ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』 作:ガチャガチャクツワムシ
上弦の弐・童磨が支配する空間は、吸い込むだけで肺が壊死する「絶対零度の魔域」と化していた。
「……あはは、そんなに怒らないでおくれよ。可哀想に、一人で僕に挑むなんて」
上位悪魔ロキ、そして冥府の女王ヘルの影を背負い、虹色の瞳を輝かせる童磨。その扇から放たれる冷気は、もはや物理的な氷ではない。触れたものの「生命の輝き」を直接奪う呪い──【虚飾の吹雪】であった。
「……っ、ハァ……ハァ……」
しのぶは、凍てつく肺を押さえながら膝をつく。傍らで彼女を守る仲魔の姿が、ノイズのように激しく明滅していた。上位悪魔の理を正面から受け続ける負荷は凄まじく、彼女のMAG(マグネタイト)は既に限界に達しつつある。背後には、負傷しながらも必死に刀を構えるカナヲと伊之助の姿があった。
しのぶの脳裏には、仲魔が消滅した瞬間に発動させるべき、自らの体に37キロもの毒を巡らせた「奥の手」がよぎる。
「……さようなら、可愛いしのぶちゃん。僕の中で永遠に──」
童磨が慈悲深い聖母のような笑みで、氷の睡蓮を咲かせようとしたその瞬間。
──ドォォォォォン!!
空間の「理」が、強制的に書き換えられた。部屋の壁が、存在そのものを「消去」されたかのように円形に消失する。
「……どうやら最高のタイミングだったようだな」
砂塵の中から現れたのは、愛用のガンプを無造作に構えた神代駆であった。
「……ピクシーから報告は受けてたけど、上出来だわ、しのぶちゃん。カナヲちゃんに伊之助も、よくここまで繋いだな。特訓通りだ」
「駆さん……! すみません、私のMAGが……もう……」
「気にすんな。あとは俺の方で肩代わりするわ。空っぽになる前に、こいつの『虚飾』を剥ぎ取ってやる」
駆は異界バックから数個の魔石を取り出ししのぶに渡すとMAGが回復し、安定を取り戻した仲魔の光に、しのぶが驚きの目を見開く中、駆は不敵な笑みを童磨へと向けた。
「……おや。君、どこかで会ったことないかな?」
「……忘れもしねーよ。3年前にカナエちゃんを襲ってた現場に割り込んだのは俺だ。あの時も、ガンプと仲魔で、あんたをボロボロにしてやったろ?」
「ああ! 思い出したよ! 君の攻撃は変なんだ、再生しても焼けるような痛みが残る。あの日、君のせいであの女の子を食べ損ねた後は、しばらく調子が戻らなくて困ったんだよ」
童磨は笑っているが、目の前の「折れないしのぶ」と、かつて自身を追い詰めた駆の揃い踏みに、かつてない不快感を露わにする。
「……でも、今の僕はあの時とは違うんだ。素敵な『神様』たちと一つになれたからね。君のその鉄の塊も、もう僕には届かないよ」
「……悪魔と融合したくらいで、デビルサマナーに勝てると思ってんのか? 面倒な理を積み重ねた分だけ、隙が増えただけだわ。来い、ヒノカグツチ、スルト!」
駆がガンプを展開すると同時に、絶対零度の魔域が内側から爆ぜた。
現れたのは、火産霊の神──ヒノカグツチ。そして世界の終焉を焼く巨人──スルト。
二柱の火神が放つ超高温の熱波が、童磨の氷の理を、そして冥府の女神ヘルの呪いをも瞬時に「存在しないもの」へと蒸発させていく。
(……この熱波さえ、あの先生の『可愛がり』に比べりゃ、ただのぬるま湯だぜ)
駆は心の中で毒づきながら、隣に立つしのぶに視線を送った。
「……さて、こっちの因縁(シナリオ)も、俺が手伝って終わらせようか。行くぞ! しのぶちゃんの毒に、俺たちの『終焉の炎』を上乗せしてやる!」
支配者の間。人形師は、絶対零度の世界が火神の焔によって蹂躙される光景に、拍手をしながら歓喜した。
「素晴らしい! 氷と火、毒と神話! 神代駆、君は私の用意した『死の女神』すらも、より高次の熱量で上書きしてみせた。これこそが物語の醍醐味、予測不能の美しさだ! さあ、その虹色の瞳が恐怖に染まる瞬間を、私に見せてくれ!」