ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』 作:ガチャガチャクツワムシ
刀鍛冶の里を後にした翌日。駆が向かったのは、産屋敷邸であった。
広間では、若き当主・産屋敷輝利哉、そして彼を支えるくいな、かなた。さらには、かつての呪いから解き放たれ、今は健やかに時を刻む産屋敷家の面々が、駆を待ち受けていた。
駆は家族全員の前に進み出ると、静かに膝を突き、深く頭を下げた。
「産屋敷の皆様。……本日をもって、私に許された猶予が間もなく尽きようとしています。最後に、どうしてもお礼を申し上げたく参りました」
その丁寧な口調に、輝利哉たちはわずかに目を見開いた。
「顔を上げてください、神代殿。救われたのは我らの方です。あなたがこの世界のために尽くしてくれたことは、我ら産屋敷一族の記憶に、永遠に刻まれるでしょう」
駆は顔を上げ、懐から魔力を完全に封じ込めた結晶の護符を取り出した。
「これは、私がこの世界に遺せる唯一の品です。万が一、理を外れた災厄がこの地を脅かすことがあれば、これをお使いください。次元を超え、ヤタガラス……我が世界の守護者に報せが届くよう細工をしてあります」
それは、異邦人である駆がこの世界に贈る、最初で最後の守護の約束。
自らが去った後、この家族が二度と「人ならざる理不尽」に脅かされないための祈りだった。
産屋敷邸を辞した駆は一人、邸の裏手に広がる静かな墓所を訪れていた。
そこに築かれたばかりの、悲鳴嶼行冥の墓石。その前で、駆は長い間、沈黙を守っていた。
「……悲鳴嶼さん」
駆は、かつて決戦の最中、満身創痍の悲鳴嶼と交わした言葉を反芻していた。あの巨大な手の温もりと、最期の瞬間に託された「しのぶを頼む」という願い。
「悪い……。あの約束、最後まで果たせそうにねえ」
駆は墓石に背を預け、自嘲気味に笑った。
「俺は、ここの人間じゃないんだ。あと二週間もすれば、元の世界に強制送還される。……あんたが命を賭して守り抜いたあの子たちの成長を、俺は最後まで見守ってやることはできない」
ガンプを握る手に、痛いほどの力がこもる。
悲鳴嶼が繋いだ「生」。それを異邦人である自分が継承することの不可能性。その申し訳なさが、冷たい石の感触を通して駆の胸を刺した。
「……でもな、安心してくれ。俺がいなくなっても、この世界には炭治郎や柱の連中がいる。あんたが命懸けで教えた『強さ』は、ちゃんとあいつらの中に根付いてる。……俺にできるのは、あいつらが歩き出すための道を、最後の一歩まで掃除してやることだけだ」
駆は異界バッグから、悲鳴嶼が好んでいた香を焚いた。
それは、どんなに時が経っても消えることのない、異界の技術が作り上げた「永遠の薫香」。
「約束は破っちまうが……せめて、この香りが消えるまでは、俺の仲魔(サンダルフォン)にあいつらの頭上を護らせる。……許してくれよ、悲鳴嶼さん」
立ち上る煙は、冬の澄んだ空へと吸い込まれていく。果たせない約束への悔恨を、その香りに託して。駆は一度だけ、深く頭を下げた。
続いて、少し離れた場所にひっそりと佇む珠世の墓へと向かった。駆は懐から一輪の花を取り出し、静かに供えた。
「珠世さん。あんたの身を焼いた『鬼の呪い』も、俺が持ち込んだ『異界の歪み』も、全部俺が連れていく。……もう、自由になっていいんだ」
最後に、先代当主・産屋敷耀哉の墓前で、すべてを掃除し終えたことを報告した。
風が墓地を吹き抜け、木々が優しくさざめく。まるで彼らが「本当にお疲れ様でした、神代殿」と穏やかに微笑んでいるかのような気がした。
「……さて」
駆は立ち上がり、空を見上げた。一月の期限までは、あと二週間。
まだ、この世界の風を吸い、仲間たちの顔を見る時間は残されている。
「あばよ、とはまだ言わねえ。……最後まで、この世界の景色を焼き付けてから行くさ」
駆の背後で、サンダルフォンの淡い光が墓地全体を優しく包み込み、残っていた微かな悪魔の気配を完全に、一点の曇りもなく浄化していく。
清浄な空気の中、駆は静かに歩き出した。
残された時間を、ただ「神代駆」として過ごすために。