ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』   作:ガチャガチャクツワムシ

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拒絶の優しさ 召喚師の去り際

 宴が一段落した頃、駆は酔い覚ましに夜風に当たろうと静かな庭園へ足を向けた。その後を、音もなく追う影があった。

 「神代さん。少し、お話ししてもよろしいですか?」

 振り返ると、カナエが月明かりを背に立っていた。宴の酒が回っているのか、その頬は淡い桜色に染まり、いつも以上に柔らかな空気を纏っている。

 「……カナエちゃんか。どうした、酒が足りなかったか?」

 「ふふ、いいえ。あまりに素敵な夜だったので、少し欲張りたくなってしまっただけです」

 カナエは駆の隣まで歩み寄ると、真剣な、それでいて慈愛に満ちた瞳で彼を見つめた。

 「神代さん。単刀直入に伺います。……貴方は、しのぶを妻として娶る気はありませんか?」

 唐突な問いに、駆は言葉を失った。カナエの言葉は続く。

 「このまま貴方が消えてしまうのは、あの子にとってあまりに過酷です。もし、貴方がこの世界に残ってくれるというのなら……産屋敷家の皆様も、私たちも、全力で貴方を支えます。あの子を……私の大切な妹を、一生、貴方の隣で笑わせてはくれませんか?」

 それは、一人の姉としての、なりふり構わぬ懇願だった。駆としのぶが互いを深く想い合っていることを知っているからこその、残酷で温かい提案。だが、駆は数秒の沈黙の後、静かに首を振った。

 「……悪い。それはできない」

 「神代さん……」

 「俺はヤタガラスのエージェントだ。元の世界に、果たすべき落とし前がある。それに……俺という不確定な存在がこの世界に居座り続けることは、いつかまた、人形師のような奴や悪魔が住まう異界という歪みを呼び込むことになる。……しのぶちゃんを幸せにできるのは、この世界の光の下で生きる人間だけだ」

 駆は努めて冷徹な声を出し、カナエの視線を振り切るようにその場を離れた。背後でカナエが悲しげに瞳を伏せる気配を感じながらも、一度も振り返ることはなかった。

 駆の足音が夜の静寂に消えてから、数分。カナエは動けずにいた。突き放された拒絶の言葉が、冷たい風のように胸を通り過ぎていく。その時、彼女の背後の影がどろりと蠢き、金属が擦れるような不気味で重厚な駆動音を立て始めた。

 「……! どなたですか」

 カナエが反射的に刀へ手をかける。そこに現れたのは、漆黒の装甲に身を包んだ全高四メートルを超える巨躯。魔王の様な威容を彷彿とさせる機械の堕天使、アザゼルだった。

 『……案ずるな、娘よ。主に代わって、少しばかり「通訳」をしに来たに過ぎん』

 その声は重低音の合成音声のように、直接カナエの脳に響き渡る。

 「通訳……? 神代さんの、ですか?」

 『左様。あの男は、己を「異物」と称し、思い出の中にだけ自分を封じ込めようとしている。駆は貴様の妹を愛している。愛しているからこそ、自分の血塗られた世界に巻き込みたくないのだ。いつか必ず訪れる「召喚師の死」という絶望に、彼女を立ち会わせたくない……。それが、奴の出した答えだ』

 「そんな……。しのぶなら、どんな苦難だって共に……」

 『……あ奴は、自らの世界の帰還の他にこの世界の澄んだ空を、彼女の笑顔を守るために戦ってきた。その笑顔が、己の住む薄汚れた戦場で曇ることを、あ奴の魂が許さぬのだよ。……残酷なほどに、純粋な男だ』

 アザゼルは一瞥をくれると、空間に溶けるように霧散していった。一人残されたカナエが「馬鹿な人……」と涙を溢れさせたその時。藤棚の影から、一際濃く震える気配が滲み出した。

 「……全部、聞いていました」

 現れたのは、しのぶだった。その瞳は怒りと悲しみで激しく揺れている。

 「最初からです。……あんなの、勝手すぎます、神代さん。私の笑顔を守るため? 私にこの空の下にいろなんて……そんなの、私が決めることなのに」

 しのぶは、駆が消えていった闇を、射抜くような眼差しで見つめた。

 一方、屋敷のさらに高み、月光に最も近い屋根の上。アザゼルの漆黒の機体の隣に、峻厳な美貌を持つ白銀の機神サンダルフォンが姿を現した。

 『……悪趣味だな、アザゼル。あのような無粋な真似、主に知られれば「削除(デリート)」ものだぞ』

 『ふん、天界の遣いが説教か。だがサンダルフォンよ、貴公も見ていたはずだ。あの娘の中に宿る、主の想定を遥かに凌駕する「火」をな』

 サンダルフォンの静かな叱責に、黒い機神は低く笑った。白銀の機神は、月を見上げるしのぶの背中に視線を落とす。

 『……認めよう。彼女の魂は、この世界の理すら焼き切りかねない輝きを放っている。エージェント神代がどれほど彼女を「静寂」の中に遺そうとしても、あの一途な蝶は、嵐の中へ自ら飛び込む道を選ぶだろう』

 『主は彼女の「未来」を想い、彼女は主の「隣」を望む。……この矛盾を解決するのは、もはや我らプログラムの範疇ではないな』

 アザゼルとサンダルフォン。光と闇の二柱の機神は、不敵な駆動音を交わすと、音もなく主の影へと還っていった。二週間。この短い時間で、どちらの意志が勝るのかを見届けるために。

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