ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 ――デビルサマナーは大正の夜にバグを穿つ――』 作:ガチャガチャクツワムシ
翌日、美緒から駆に連絡を入り、ウェンディゴに取り憑かれていた友人の容態を確認した。幸い、友人は「ひどい風邪で数日寝込んだような倦怠感」はあるものの、記憶も「猛烈な寒気で気を失った」程度。後遺症の心配はないとの報告に、駆はようやく胸をなでおろした。
しかし、安堵したのも束の間。電話の向こうの美緒から、逃げ場のない「通告」が突きつけられる。
「……だから、お母さんもお姉ちゃんも、しのぶさんのことが心配で仕方ないんだってば。今週末、二人で絶対帰ってきなさいって。お父さんも『美味しい肉を買っておく』って張り切ってるし」
事務所のソファで受話器を握る駆は、盛大な溜息をついた。
「……俺は忙しいんだよ。探偵業も、ヤタガラスの……いや、こっちの仕事も山積みなんだ」
「美緒から聞いたわよー! 今週末、絶対帰ってきなさいって言ったでしょ!」
電話口が急に騒がしくなり、母・恵子の勝ち気な声が鼓膜を震わせる。
「しのぶちゃんをこんな汚い事務所に閉じ込めとくなんて、神代家の名が廃るわよ! 土曜の昼には着くようにしなさい!」
ガチャリ、と一方的に切れた通話。駆はスマートフォンを放り出し、そのまま背もたれに沈み込んだ。
「……最悪だ。美緒のやつ、余計なことを」
「ふふ、ご家族の皆様、駆さんとしのぶに会えるのを心待ちにされているのですね。素敵ではありませんか」
隣で、蓮から贈られた最新のファッション誌を眺めていたしのぶが、クスクスと楽しそうに笑う。
「素敵じゃねえよ。あの人たちは、一回捕まえたら最後だ。……しのぶちゃん、君も師匠が作った『設定』、忘れてないだろうね?」
「もちろんです。旧家・胡蝶家の娘として、完璧に振舞ってみせましょう。……でも、駆さんのご家族の前では、少しだけ肩の力を抜いても良い気がいたします」
「……俺は一秒たりとも力が抜けないけどなぁ……」
ぶっきらぼうに吐き捨て、駆は週末に向けて異界バッグの整理を始めた。
実家にサマナーとしてのアイテムを持ち込むわけにはいかない。だが、プロとしての警戒は怠らなかった。ガンプには最高戦力であるアザゼルとサンダルフォン、コウリュウも控えている。
念のため、ガンプに収めたアザゼルには、駆自身の「影」の中へ潜伏するよう命じた。家族には見えず、それでいて有事には一瞬で顕現できる、プロの隠密配置だ。
土曜日、昼。神代家の玄関を開けるなり、駆は強烈な歓迎の洗礼を受けることになった。
「おかえりー! しのぶちゃん、待ってたわよー!」
「まあ、しのぶさん! 1ヶ月前よりさらに綺麗になったんじゃない?」
勢いよく飛び出した母・恵子と姉・明日香が、駆を左右に押し退けてしのぶを包囲する。
「お、おい、お袋、姉貴……少しは落ち着けよ」
「駆は黙ってなさい! ほら、一馬もお父さんも、早く荷物持ってあげて!」
リビングからは、穏やかな父・正一と兄・一馬が、苦笑いしながら顔を出した。「おかえり、駆。しのぶさんも。……狭い家だが、ゆっくりしてくれ」
「……お邪魔します。またお招きいただき、心から感謝いたします」
しのぶが元柱らしい気品を漂わせ、完璧な所作で一礼すると、父と兄は感嘆の声を漏らす。一馬などは駆の肩を叩いて「お前には本当にもったいないな」と耳打ちしてきた。
そんな喧騒の中、駆の視線は、リビングの隅でスマホを弄っている妹・美緒に止まった。美緒はふと顔を上げると、兄と視線を合わせ、悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
(……この、共犯者め)
駆は内心で悪態をつきながらも、どこか諦めたようにソファに腰を下ろした。
鴉の仕立てた「嘘の過去」と、美緒だけが知る「戦いの真実」。その境界線で、駆の影に潜むアザゼルが、主の平穏を守るように静かに息を潜めている。
「さあ、お肉が焼けたわよ! しのぶちゃん、たくさん食べてね!」
「はい、お母様。とても良い香りです」
「……誰がお母様だ。しのぶちゃん、設定を守ってくれ……」
駆の小さなツッコミは、賑やかな笑い声にかき消されていった。
無機質な天使たちを従える「上の上」のサマナー。その刃が振るわれる必要のない、あまりに眩しい「日常」という名の嵐が、今はただ心地よかった。