HITMANファンタジー 作:砂時計は廻る
とある地方の領主の屋敷。
一つの地域を治める領主は部下を怒鳴りつけていた。
この領主は日頃から悪行を行なっており、不満を持つ民衆は多かった。
だから武器を持って屋敷に侵入しようとする者も時折現れ、3日前も一人捕まえて牢屋に入れていた。
だが今日の昼間、その人が牢屋から消えていた。
「まだ見つからないのか!」
「現在、捜索しております…!」
「絶対に探し出せ。でなきゃお前も処刑するぞ!」
「は、はい…!」
領主に怒鳴られた使用人が慌てて部屋から出ていく。
「クソ! 酒を持ってこい!」
領主がそう命じて程なく、ワインボトルを持ったソムリエが部屋を訪れる。
ソムリエがグラスにワインを注ぎ、まずは毒見役の側近が一口飲む。
「うん…? おい、これ──」
側近が崩れ落ちるように床に倒れ、眠ってしまう。
「貴様…!」
領主は魔法用の杖を持つが、ソムリエが投げたコルクスクリューが手首に刺さり、杖を落としてしまう。
「だ、誰かー!!」
「無駄だ。忠実な部下は先に全員眠らせた。」
領主の顔から血の気が引いていくのが自分でもわかった。
頭の中は真っ白になりながらも、過去の悪行の数々が走馬灯のように駆け巡る。
農民からの搾取、ライバル商人への妨害工作、政敵の家族にかけた呪い……。
すべてが今は自分の首を絞めに返ってくる。
「ま、待て! 話し合おうじゃないか!」
彼は情けない声で懇願しながら後ずさる。
「金ならいくらでもある! 頼む、命だけは……!」
手首から血が滴り落ちる痛みすら感じないほどの恐怖。
この男が本当に暗殺者なのか、それとも使用人の反逆なのかさえ判断できない。
ただ目の前に立つ人物が自分の死神であることは明らかだった。
かつては威厳に満ちていた赤い絨毯が、今は彼にとって死の舞踏会の舞台に見える。
豪華な調度品は全て嘲笑しているように思えた。
壁に飾られた剣に目が行くが、そこまで辿り着く時間はないだろう。
「やめろ……。」
彼は震える膝で必死に立ち続けようとした。
「私は領主だぞ! この地を治めているんだ!」
ソムリエが近づきながら口を開く。
「残念だが、お前が何者であろうと、いくら金を積もうとも俺のやることは変わらない。」
ソムリエは領主の手首からコルクスクリューを抜き取り、構え直す。
ソムリエの目にはいかなる感情もなかったが、領主には自分に向けられた殺意が感じとれた。
領主の心臓が喉元まで迫り上がってきた。
呼吸は荒く、肺が焼けるような感覚に襲われる。
視界の端が暗くなり始め、まるでトンネルの中にいるかのようだった。
「お願いだ……。許してくれ……。」
彼の声は蚊の羽音ほど小さくなっていた。
ソムリエの無表情な顔からは何の感情も読み取れない。
それが余計に恐ろしかった。
憎しみや怒りならばまだ理解できる。
しかし完全な無関心—それは処理されるべき単なる物体として扱われていることを意味していた。
「わ、私の娘は……、お前のような庶民には想像もつかない教育を受けている! 将来有望な騎士との婚約も決まっているんだぞ!」
領主は自分が何を言っているのかさえわからなくなっていた。
命乞いのはずなのに、いつの間にか自慢話になっている。
脳は全力で生き残る方法を探しているが、恐慌状態に陥った思考は役に立たなかった。
「やめろ……。私を殺しても何も得られない……。」
ソムリエが一歩踏み出す。
その靴音が墓石を叩く音のように響く。
領主の膝が完全に折れ、床に尻餅をつく。
かつて領地全体を見下ろしていた威厳ある姿勢は今や見る影もない。
高価な絹の服が汚れていくことにも気づかない。
「た……、助け……、誰か……。」
叫ぼうとしても声が出ない。
舌が痺れ、歯がガチガチと音を立てる。
ソムリエが最後の一歩を詰めると、領主の目に映るのはコルクスクリューの先端だけになった。
そこには自分の未来が凝縮されている。
死ぬことへの恐怖よりも、自分が築き上げてきた権力と富の全てが無に帰すことへの恐怖の方が強かった。
そして最も恐ろしいのは、これを仕組んだのが誰か分からぬまま死んでいくということだった。
3日後、屋敷近くの街にある酒場にて。
スーツに身を包んだ男性がカウンター席に座る。
店主からグラスを受け取った男性は店主と会話する。
「この前来た時よりも街の雰囲気が明るいな?」
「そりゃあ、お客さん。なんたってあの悪徳領主がいなくなったんですから。」
「いなくなった?」
「誰かに暗殺されたらしいですよ。あれだけの悪行三昧だったんですから、因果応報ですよ。街全体が空気を入れ替えたみたいに爽やかになりましたよ。」
店主は満面の笑みで答えた。
「昨日なんて市場に行ったらね、野菜の値段が前の半分になってたんですよ。領主家に納めてた上納金がなくなったからでしょうね。」
店主は手を振って周囲の客たちを指し示した。
「見てくださいよ。この酒場だって以前はこんなに賑わってませんでした。領主の取り立てが厳しくて、みんな仕事帰りにお酒を飲む余裕もなかったんです。今日は何人もの職人たちが仕事を終えて一杯引っかけていますよ。」
男性が静かにウイスキーを口に含むと、店主はさらに続けた。
「税金も大幅に下げられてね。新しい領主代行があのクソ野郎の帳簿を調べたら、驚くほどの横領が発覚したそうですよ。どうやら国境近くの町の領主と手を組んで密輸もしてたみたいで。」
店内では突然拍手が湧き起こり、若い男が立ち上がって歌い始めた。
古い戦争の英雄を讃える詩ではなく、新しい希望を謳う即興の歌だった。
「それにほら、あそこの子供たち。」
店主は窓辺に集まる子供たちを指差した。
「以前は親と一緒に働かされて、学校なんて夢のまた夢でした。今は廃校になっていた小学校を再開して、無料で通えるようになったんです。領主の私邸を使って教室を作ってますよ。」
店主は少し声を低くして言った。
「実はですね、一部の人間は新しい支配者を迎え入れるべきじゃないかという噂もあるんです。あの暴君が統治していた頃からすれば考えられませんけどね。」
男性はわずかに頷いただけで、もう一杯飲み干した。
その時、男性の通信機に連絡が入る。
『47、次の任務よ。』
男性、エージェント47は店を出て、通りの明るい雰囲気の人混みの中へと消えていく。