TSF物書きゆるっと交流所イベント執筆作品集   作:汐風鈴

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エアtsf合同【ミステイク】で執筆した作品です。「ミステイク」を題材に執筆しました。

TSFした友人が失ったものと変わらないものを見つけようとする話です。


「浪漫の残骸、 “きゅーと”な死」 エアtsf合同【ミステイク】

 もとより親しい級友がごく僅かである津幹(ツミキ)陽翔(ヒショウ)にとって大学への道を塞ぐ男どもはストレスの源である。山と海に挟まれたこの町はその地形ゆえに坂道が多く、この通学路でも急勾配を強いられる。それゆえに遅い足取りは若い男でさえも疲労へ導く。

 

 陽翔の苛立ちはこの男らの壁だけではない。たかが必修の一単位のために大学に赴くのも癪に障る。たった一コマと昼食の二時間のためにこの足を棒にするのは老若男女隔てなく苦痛だろう。しかし、心中でそう叫んだとしても彼が授業を放棄することはない。もしそうすれば、彼はその一時の怠惰から見ると途方もないほどの罪悪感に苛まれるだろう。だから、危ない橋を渡らない主義を貫く陽翔はどうしても友人の輪に入れない瞬間があって、馴染めずにいたのだ。

 

 そんな彼でも友人と呼べる存在がいる。それが岸名見(キシナミ)(ハジメ)である。彼は陽翔と仲良くなれるとは思えないほど真逆の性格をしている。学内での顔が広く、性根は明るい。誰かに誘われればどこでも遊びに行くし、しばしば誘うこともあるほどだ。広い興味関心は彼にこの町全土を歩かせ体験させ、地元民である陽翔さえも知らないことも握っている。

 

 陽翔と肇の出会いは単なるグループワークだった。とある教養科目でランダムに決められたグループで社会問題についてまとめろというものだ。そのワークにおいて肇の目には自己嫌悪が人一倍大きい陽翔の行動が堅実や真面目由来であると認識し、深く関わるようになったのである。

 

 インドア気質の陽翔でも出かけることはある。それがまさに肇の誘いだ。彼が昨日の夕時に連絡を寄越してきて、特にやることもない陽翔はそれに頷く以外の選択肢を持ち併せていない。というわけで、陽翔は肇とともに坂道の向こうにある展望台に彼と歩くことになったのである。

 

 陽翔は本日の授業の課題を大学の図書館で終わらせて正門に至ると、そこには二つの紙袋で両手が塞がった肇の姿があった。灰色のパーカーにジーンズの陽翔と違って、肇はあずき色のパンツに白のTシャツ、そしてその上から灰がかった赤色の七分丈を羽織っている。顔はイケメンとは言えないが、セットされた天然パーマの茶髪も相まってモテ男にしか見えなかった。

 

 しかし、彼が肩に下げた鞄には「きゅーとびっと」という小さなウサギを模した趣味が悪いぬいぐるみがぶら下がっている。それは彼の格好から浮き出ていて統一感を損なわせている。肇にはそんな少しのズレが点々とあるからか、彼には踏み込んだ仲の親友や交際相手がいない。さらに厄介なことに彼自身はそのズレた点を認識できていないのである。

 

「待たせたか?」

 

「いいや、ちょうどいいよ」

 

 陽翔は肇から片方の紙袋を受け取った。両手に当たる仄かな温かみと紙袋からそれが坂のふもと辺りにあるバーガーショップのものであるというのはすぐに分かった。

 

「はい、これ」

 

「あ、ありがとう?」

 

 その疑問符にカラッと笑う肇は気にしないでいい、と示すように空いている方の手を振って見せた。

 

「キンタツで良かったよな?」

 

「ああ、そうだけど。何で知ってんだよ」

 

「なんでって、この前話したろ。僕が初めて行ったって」

 

 そんなこともあったかと思い出しながら紙袋を開くと、確かに鶏竜田バーガーとポテト、そしてコーヒーシェイクが入っていた。紙袋の口を閉じて皺が入るほどに力を入れて持つと二人で坂の方まで歩いていく。

 

「今日、陽が落ちてすぐに流れ星が見られるってのは話したよな? そう、小学生と遊んでた時に教えてもらったやつ。星が流れる間に三つ願い事を何回も言ったら叶うって」

 

「胡散臭いなぁ。何か、それ以上はないのか? 内容が曖昧過ぎる」

 

「浪漫がないなぁ、別にいいんだよ。真実かどうかなんて」

 

「肇には懐疑心が足りない。もし本当だとしても、三つ願って全部叶うのか。無理難題でも叶うのか。疑問点が多すぎる」

 

 夜が空の半分を占めた頃、銀色の街灯が道を照らす。その光は肇の顔に当たって、そのサンタクロースを待つ子どものような期待にあふれる表情が浮き出てきた。どうかもわからないものに希望を抱くのだから、陽翔はこの男に敵わないのだ。

 

 等間隔に照らされた歩道を頼りに進んでいくと、アスファルトが途絶え、やがて土が露出した道に変貌する。溜息を吐く肇は山道を木陰で冷えた風に撫でられながら進む。雨が降らなくてよかった、などとどうでもいいことを言い合いながら案内に従って進む。

 

 道幅が車さえも通れないほどになって少し歩いたところに例の展望台があった。展望台はその眺めのために街灯が一つしかないが、そのおかげで窓から漏れる光によって夜の町並みは星海に姿を変えるのである。

 

 展望台と言えど、それは大したことない小屋に過ぎない。四隅はL字になるように壁が設けられているが、四方は風景が見えるように壁が抜けている。ベランダに出るとその坂の下の町から海までの景色を一望でき、その柵にはの写真が展示されていた。

 

 既に海はほとんど藍色で満たされていて、残りも橙色である。二人を覆う夜は大地に根付く生活の明かりと天空に浮かぶ星月の輪郭を浮き彫りにしてくれた。それは紙袋の中身を口にしながら鑑賞するのに最適である。陽翔が頬張ったものはいつもと変わらないはずだが、彼はなんだか特別に思えてくるのだ。

 

「ちっぽけな展望台だと思ってたけど。案外、悪くない」

 

「言っただろ、浪漫だって。別に噂の真偽はどうでもいいんだ。君を納得させるなら、この浪漫は無駄ではなく、いつかの利益に繋がってくれるかもしれない。この展望台を知る人、星見が好きな人、そして郷土愛にあふれる人とかと繋がる種になるだろ?」

 

「言い分はわかるし納得できるけど、賛同はしかねる」

 

 肇はストローを口にしながら陽翔に笑って頷いた。その先を言葉にすることはない。

 

 二人は非常に固くて吸い出せないシェイクに悪戦苦闘していると、正面にきらりと瞬く光が描く直線が生まれて消えた。

 

「い、今! 流れ星だったよね」

 

 肇の言葉を皮切りに二、三の流星が同時に顔を出しては消え、顔を出しては消える。彼はその神秘に見惚れるがすぐに目的を思い出して、その願いを口に出した。

 

「きゅーとびっとのグッズが出てほしい、彼女が欲しい、イケメンになりたい。きゅーとびっとのグッズが出てほしい、彼女が欲しい、イケメンになりたい。

 

 陽翔は彼の願い事を聞いて、心の隅で微笑んだ。お人好しな男にも明確な欲があるのだと、なんだか共通点を見つけたかのように錯覚したのだ。

 

「きゅーとびっとのグッズが出てほしい、彼女が欲しい、イケメンになりたい。……きゅーとな彼女になりたい!」

 

 陽翔は思わず、声を漏らしてしまった。彼は自身の心配性が祟った、と憂いてその流星群を眺める。その中の一つだけが鈍く、徐々に光が強まっている。肇は願いが水泡と化したことを悟って、言葉を詰まらせた。そうしてついに同時にその流星は隕石としてこちらに向かっていると直感した。

 

 そうやって動かずにいると、その光が二人のもとに降り注いで、二人は瞼を閉じた。

 

 それは日光を優に超える熱と光を開放するほどで、二人は瞼の血色を見た。陽翔はその光が収まって熱が夜の冷気を温めるのを五感で受け取った。それでも尚眩んだ眼を瞬きをして明暗のギャップに慣れさせる。

 

 ちょうど背後で地面が抉られている。見上げると小屋の屋根も掠っていて少しだけ欠けていた。跡を辿って屈むと、その終着点に拳より少し大きいぐらいの球体を見つけた。不用意に触れるべきではないと判断した陽翔は肇に声をかける。

 

 しかし、肇の返答を受けた陽翔はその違和感に疑問符を頭上に浮かべた。普段より声が高い。上擦ってしまったのか、と仮説を立てて振り返るとそこには肇と服装が同じ女性が立っていた。彼女は170を超えていた肇の身長より頭一つ分ぐらい低く、ストレートになった茶髪は背中にかかるぐらいになっている。良いとは言えなかった顔は“願い通り”に整っていて、雑誌やテレビに出ていても違和感がない。服装は肇と同じだが袖も裾も余っており、その一方でシャツは強調された胸部によって張ってしまっていた。男性用の服だからか、普段見る女性よりもたわわに実った乳房は動く度に揺れて、陽翔の本能がそれを追ってしまう。

 

「お前、肇でいいんだよな?」

 

「何をそんなおかしなことをいうのさ。正真正銘、千艇館大学 経済学部 社会情報学科 二年 岸名見肇 二十歳だ」

 

 目の前の少女は両手を腰に当てて背中を反ると、その豊満な双丘が揺れた。その感覚に違和感をもって口を閉ざすも、陽翔が立ち上がって隣に着くとその体格差から、やっと肇はその奇妙な現象に気づいた。

 

「なんか、君大きくない? それになんか重い」

 

「お前が小さいんだよ、違和感には気づいてるんだろ?」

 

 その美少女を柵の方に誘導した陽翔は一枚だけ記念写真を撮って見せると、肇は絶句してよろめいた。と地面に落としたシェイクに足を滑らせて背中から地面に倒れていく。

 

「危ない!」

 

 陽翔は少女を抱きかかえるように支える。そうすると否応にも顔が近づくわけだ。陽翔は美貌を帯びた肇への直視に耐えられなくなって顔を逸らした。一方の彼女は起き上がるとその自身の全身を撫でまわし、その事実に混乱して固まってしまっていた。

 

「僕、女? アプリとかどっきりじゃなくて? 願い事で話すことが混じっちゃったせい?」

 

「おそらくそうだが、再現性がないからなんともいえない。偶々隕石にそういう作用があったのかもしれない。流星は関係なく全く別に原因があるかもしれない」

 

「浪漫がないなぁ」

 

「ただの妄言だ」

 

 起き上がった肇は足元のシェイクを睨みつけ、それが広がってない地面に足裏を擦りつけていた。しかし、合わなくなった靴のせいで靴の中で足が動くだけで、その行為は徒労に終わる。それでも気になる足裏をどうにかしようとするが靴と同様に大きすぎる靴下はその足から離れてしまった。

 

「……なぁ、陽翔。僕は金とか物とかが無くても知識と関係性、そして自分の身体があればなんとかなるって思ってたんだ。そりゃあ金がないとどうしようもないときだってある。でも人は手から零れる物だけじゃだめだと思ったんだ。……でも、なんか失っちゃったみたいだ」

 

 肇は言葉とは裏腹に笑みを浮かべていた。陽翔は出来れば肩代わりしてやりたいほどの思いであったが、飲み込めない現状と不明瞭ながらも透ける彼女の不安を通すと何も言葉が出てこない。そして、それ以上に悲哀を纏う少女の姿に見惚れる自分が嫌になって、小屋のベンチに座ってそっとしておくことしかできなかった。

 

 ※ ※ ※

 

 空になったシェイクの蓋を開けて、ただそれを注視して考え事をしていると彼を覗き込むように陰から顔を出した。その仕草は可愛げというものを含んでおり、陽翔が立ち上がると上目遣いのようになって少しだけ息を飲んでしまう。

 

 

 しかし、すぐに取り繕うと肇は微笑んで見せた。

 

「これからどうするのさ」

 

「とりあえず、明日にでも口座からお金を降ろしておくよ。それまでは散歩するしかないかな。管理人が厳しい人だから、帰れても二、三回かなぁ」

 

「じゃあ、俺の家にでも泊まるか? そんなに広くはないだろうけど、親が残していった敷布団もあるし。どうよ、肇が嫌じゃなけりゃ来てもいい」

 

 少女は目を丸くして何度も瞬きをした。

 

「いいのかい? 今の僕は少なくとも女だ。それに人を家に上がらせるのを嫌っていたじゃないか」

 

「あれはあまり人に見せたくない物があったり、部屋が汚くなったりするだけだ。緊急事態なら話は別だろ」

 

 目尻を赤く腫らした彼女また微笑んだ。

 

「ありがとう、じゃあ少しの間だと思うけど。よろしく」

 

「あ、ああ」

 

 肇は小さく細くなった右手を差し出す。それを壊さないように握った陽翔はその温もりに過剰な緊張を感じて息を詰まらせ、若干上擦った声で返事をした。彼女はその姿に一瞬だけ固まって、緩くなった靴を眺める。

 

 二人は新月の下で来た道を戻ってそこからさらに下って目的のアパートに向かった。肇は慣れぬ自身の肉体と合わない衣服と格闘しながら歩みを進める。この傾斜は彼女に一番大切だったものを突きつけるようで、この数十分前ではありえないほどの疲労を蓄積させていく。体の軋みと疲労が着実に肇の心を折りにゆく。目的地に到着したとき、少女は苛立ちが口元から垂れていて、目元の腫らしが復活していた。

 

 陽翔は肇の苦労をそこでようやっと発見した。前向きな肇でも現実を突きつけられれば、落ち込まないことなんてない。いつも何事にも楽しそうに取り組む姿を見ているせいで、それが灯台のあかりのようにはっきりとわかる。しかし、陽翔はそんな少女を救ってやれないこともわかっていた。

 

 その対処に戸惑う陽翔はなんとか玄関に座らせてお湯で溶いたコーンスープを肇に渡した。

 

「ねえ、陽翔は僕が助けてって言ったら展望台からここまで運んでくれた?」

 

「多分な」

 

「なんで、言わなくても負ぶってくれなかったの?」

 

「頼まれなかったからだ。人の助けになるという行為は高尚だが、過剰になると人の行動を奪うことになる。これは人が持つ権利の剥奪と言えないか?」

 

「そういえば、陽翔はそーゆーヤツだったね。……ごめん、僕が冷静じゃなかった」

 

 陽翔は沈黙を選択し、部屋の掃除に取り掛かった。掃除と言っても大半が整理整頓である。散らかっているというのもそうだが、その目的はもう一つある。あまり他人、特に女性には見せられない物があることだ。肇は男である。それは陽翔にとって当然なことであるが、その一方で女性として扱うなということも難しいものであった。

 

 この男にはこのどっちつかずな接し方をしているという自覚がある。それは目の前のすっかり丸まった友人に対して一番の失礼であることは自覚している。図らずに異性の身体になった肇にとって変わらない接し方をするのが正解だと言えよう。もしくはその行動ができないのなら、完全に振り切って女性として接するのも良いのかもしれない。しかし、ある二つの善意に挟まれた男にはそんなことはできない。結局のところ、陽翔にできることは悟られまいと隠ぺいに勤しむことぐらいなのだ。

 

 そうして、陽翔は背中に当たる啜り泣きに聞かぬふりをして整理を済ませた。

 

 肇がスープを飲み終える頃には、陽翔は清掃を終えることができた。とりあえずワンルームにはソファなどないため、陽翔は肇を勉強机の椅子に座らせた。彼女は机にカップを置くと鞄にぶら下がったぬいぐるみを両手で持ち上げて、それを見つめている。

 

「こういうときってどうするのが正解なのかな?」

 

「んー、行政?」

 

 最初に思いついたのはそれだけだった。しかし、今の姿を信用してもらえるわけがない。そんな確信がある。面影があれど、魅惑の躯体と鈴のような美声からは一切の元の要素を感じない。

 

「まともに取り合ってくれないと思うよ。僕がその立場だったら絶対突っぱねる」

 

「だよなぁ。きっと誰だってそうする、俺もそうする」

 

「ああ、なんでこんなことになったんだろ。別に本気じゃなかったのに。まあ、イケメンになりたかったのはそうだけどね。これが因果応報って奴なのかな?」

 

「じゃあ、因果応報なんてないのだろう。俺たちが偏って見てるだけで、結局は人間万事塞翁が馬だ。肇が因果応報で不運を被るなんてことはないさ」

 

 不幸一つで運不運を嘆くなんて馬鹿げてる、とは口に出せなかった。それでも陽翔は因果応報なんて狭い視野の人間が考えたものだと思う。

 

「僕がそんなに善人だと思うのかい?」

 

「ああ、そうに決まってる。お前ほどの人間を見たことが無い」

 

 肇は顔を下げる。陽翔は長くなった髪のせいで彼女の顔を見ることができなかった。

 

「でも、……いや、なんでもない」

 

 一度も顔を上げない肇はただ首を横に振るだけだ。

 

「そういえば、大学はどうするの?」

 

「とりあえず、教授に僕の存在を特定されない授業だけ出るつもり」

 

「真面目だな」

 

「まあ、小学生の話を真面目に受け取っちゃったんだけどね」

 

 陽翔は卑屈になった肇を見ているとあの流星の正体という物が気になってきた。彼女を絶望させるものはなんだろうか。寄生虫、ウイルス、化学物質、それとも人智を越えた何か? はじめの二つはともかく最後の一つは匙を投げたようなものだ、

 

 性転換は水棲生物だと割とメジャーだ。有名なのはカクレクマノミだろう。個体群のなかで一番大きな個体が雌となり、次に大きな個体がオスとなって交配する。エビ類の中にも成長の段階で性転換する種が存在する。その原因はホルモンバランスが常であり、人でも女性ホルモンが極端に増えたせいで男性の胸が膨らんでしまう症例がある。

 

 しかし、肇を襲ったのはそんな現実味溢れるものではない。流星が落ちたことによる性転換だ。そんな未知は恐怖に違いない。では、その正体は何だろうか。男でなくなることによるアイデンティティの崩壊か。違う、きっとそれは社会からの疎外や忘却という類の恐怖なのだ。

 

「君はさ、今の僕の事をどう思う?」

 

「李徴みたいだな、とは思ったかな」

 

「なにそれぇ」

 

「まあ、意図も過程も違うところばかりの中途半端なプロジェクションだ。お前はもともとイケメンになりたいとねがっていたわけだし。兎も角、李徴は虎に、肇は女子になった。李徴は羞恥心と自尊心がゆえに虎になったわけだけど、肇はなんだろうな」

 

 陽翔は即興で拙い言葉を紡ぎ、彼女の心を折った何かを探る。

 

「浪漫かな。誰かと繋がって、楽しくて心を燃やす。これが僕の浪漫だ。好奇心は猫をも殺す、ってヤツだよ。望んだわけじゃないけど、この未知は確かに浪漫だ。でもこの姿は夢でも望みでも嫌悪でもなかった。考えたことすらない。僕は今やどこの誰でもない。それが何を示すかわかるかい?」

 

「孤独、か?」

 

「まあ、似たようなものだけど、僕は死だと思っている。ほら、人が本当に死ぬときは忘れられた時だ、って言葉があるだろう。陳腐だけど今の僕はその言葉に納得してしまった。今の姿じゃ誰も僕を岸名見肇だと認識することはない。誰も僕を肇として接することはないんだ。だからこそ、僕が僕であることがわかる人は貴重だよ」

 

 立ち上がった肇はベッドに座る陽翔と対面するように彼の両脚にまたがって座る。そのまま背伸びをするように陽翔の首元に抱き着くと、その重みで倒れてしまう。数十秒、数分と経ってもその状態は変わらず、女性特有の甘い香りが陽翔の鼻腔をくすぐる。

 

「ねえ、今の僕って陽翔にドンピシャでしょ。わかるよ、いつもと視線が違ったから。でも陽翔になら何されてもいい」

 

 肇の囁きは吐息と混じって陽翔の耳に届く。甘く柔らかな声は彼の加虐心を刺激する。

 

「だからお願い、僕を抱いて」

 

 勢いよく転がって、ベッドの上で肇と陽翔の位置は逆になった。まるで時が止まったかのようにふたりの視線が交わったままであったが、陽翔がか細い腕を解く形でその空気は散っていった。

 

「ちょっと忘れ物したから展望台に取りに行ってくる。おなかすいたら適当にあるもの食べていい――」

 

「ちょっと、僕も行くってば」

 

 上着を着たところ、肇はその裾を引っ張るような形で陽翔を引き留めた。その意外に開いた口が塞がらない男は脳の処理に数秒だけかかった後に頷いてそれを了承した。陽翔が灰色のダウンジャケットを貸すと、肇は小さい手で何とか袖から腕を出した。自身もコートを着て一階に降りると、息が徐々に白色に染まっていく。

 

 二人は坂道に出た。寒夜のせいで人通りは極端に少ない。しかし、数台のパトカーが坂を上がっていく。その先を見ても火事のようではないし、事件と呼ぶほどの出動は見られない。二人は目を合わせて首を傾げるが、その真相を推測でさえも明らかにすることはできず、展望台までの道中でそれが露見することを願うしかなかった。

 

「陽翔は何で僕を助けてくれるの?」

 

「困っている人がいたら、助けるべきだろ」

 

「それは本心じゃないでしょう。陽翔はそこまで尽くすような善人じゃない。……ああ、罵倒とかじゃなくてね。そもそも君はできない助けをしない」

 

 眉を顰めた肇は陽翔を一切見ないでそう言った。陽翔も少女を見ない。

 

 陽翔は自分の性質を理解している。彼が伸ばす手は砂埃が付いている。純粋な思いやりではなく、そこには必ず保身が混じっている。他人なら気にしない場合でも、事態の重大さと自身の技量を天秤にかけるのだ。それがどれほど残酷なことで他者を慮ることができていないか。そこに彼の気まぐれと優柔不断が入るのだから、厄介である。

 

「ああ、その通りだ。俺はできることしかしない。でも、今もそうしてるつもりだ。俺がしていることといえば、君の存在証明ぐらいだ」

 

「でも、君は僕に一切同情していない。確かに憐れんでいるんだろう、可哀そうにって思ってるんだろう。君は僕がして欲しいことをするわけじゃない」

 

 陽翔は肺を冷気で満たして、そのまま肇の反対を向いて頷いた。彼の溜息は真っ白に染まって空気に交じっていく。

 

「どこかの誰かがどうなろうが俺には関係ない。でも君は違う。今の君には誰かがいなきゃいけない」

 

「確かにそうだね。今の僕じゃ状況的にも精神的にも一人じゃどうにもできない。僕の痛みは知らない人間からしたらあまりにも素っ頓狂が過ぎる。理解なんて得られないさ」

 

 ただ、二人の間には沈黙が走る。陽翔は歩幅が小さい肇に合わせながら歩いたり止まったりした。そうすると暗闇のはずの山道に赤いランプが灯っているのが分かった。訳が分からない陽翔は立ち止まってしまうが、肇は彼の左脇から前に出て先導する。展望台までの道の端には同じような服装の男どもが会話していた。二人の姿を見つめる彼らは非常に驚いているが、構っている暇がないようでこちらに話しかけてくることはない。だが、直前で白いマスクに紺色のツナギを着た男と黄色いテープが二人を止めた。

 

 事情を説明すると、その男は目を丸くして奥のトレンチコートの男を呼んできた。刑事の彼は二人に警察手帳を見せるとパトカーへの乗車を促す。助手席に乗った刑事は発進すると事件についての説明を始めた。

 

 刑事が言う限り、肇のようなことが起こるのは二件目らしい。一件目は虎になった男児だ。

 

 事の経緯は肇とそう変わらない。その男児は願い事の噂を聞いて、父親とこの展望台に車で向かった。父の失態で到着した時点で流星は消えていて、当然男児はそれに駄々をこねた。彼を宥めるために父親は発見した隕石を見せた。機嫌を直した男児寒夜で冷めた隕石に触れ、試しに願いを口に出すと虎になってしまったらしい。

 

 覚えのある話に陽翔は溜息を吐く。

 

 肇は一件目を聞いている間に寝息を立てて眠ってしまった。その白磁の肌と瑞々しい深紅の唇はまるで繊細なドールのようである。真っ直ぐに伸びた茶髪は等間隔の街灯で煌めいた。その淡い光は彼女の肌を橙色に染める。

 

 陽翔は彼女の言う浪漫という言葉を思い耽る。

 

 彼女は確かにそれを失った。自身でも理解しているようである。しかし、彼女の状況は絶望に値するものなのだろうか。この先の未来で彼女は浪漫を再び手にする日は来ないのだろうか。いいや、そんなことはない。新たな浪漫は芽生えるものだ。陽翔以外の誰かが彼女を岸名見肇と見れば、彼女はその誰かの手を取って浪漫を勝ち取るはずである。その誰かは虎となった少年かもしれないし、その母親、もしくは大学に戻った後の同級生かもしれない。

 

 だが、陽翔ではないことは確かだ。肇に必要な存在はそんな邪な男ではなく、彼女を岸名見肇として愛す人だからだ。こんな男に体を許していいはずがない。

 

 陽翔の目に映る肇は彼女が唱えた“きゅーとな彼女”だ。そんな陽翔の好みそのままを投影した姿に情が湧かないなんてことはあり得ない。だが、それに気づいたとき、陽翔は彼女をただひとりの人間として見ることができなくなったのだ。その視線は肇にとってみれば、彼女の尊厳を破壊するに値する。男はそんな所業を許されたくないのだ。

 

 車窓から海が見える。月光を受ける海が所々で星のように瞬く。二隻の船がその上で揺れている。一隻だけが動き出し、もう一隻から離れていった。

 




明るい終わり方を書くことができるようになりたいです。
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