桜「中東のライダー?」   作:ヤシの木の里

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襲撃

翌日の朝、衛宮邸は2つの方角に割れた。

 

凛が口火を切った。

 

「今日、間桐邸を叩く。ライダーと打ち合わせ済み。アーチャーと私でライダーの拠点に合流して、そこから間桐邸に向かう」

 

「俺も行く」

 

「あんたは駄目。理由は二つ。一つ、あんたは桜の先輩よ。あの屋敷の地下を見たら、あんたは冷静でいられない。二つ、翁のマスターの捜索が止まる。昨日の遭遇でセイバーの庇護が一回消えた。もう後はない。翁の問題を放置したまま戦線を広げるわけにはいかない」

 

士郎は拳を握った。反論したかった。だが凛の言葉に穴がなかった。

 

昨日から桜の調子が気になって仕方なかった。だが――。

 

「——わかった。俺とセイバーで捜索を続ける」

 

「セイバー。昨日の今日で体は?」

 

「問題ありません」

 

セイバーの声は平静だった。だが士郎は見ていた。今朝、セイバーが庭で素振りをしていたことを。剣を振り、足を運び、型を繰り返していた。確認していたのだ。自分の体がまだ動くことを。

 

「セイバー——無理は」

 

「シロウ」

 

セイバーが士郎を見た。

 

「翁のマスターを見つけなければ、次はありません。私の庇護はもう無いかもしれない。あなたも。消費する前に、元を絶ちます」

 

「でも昨日、バーサーカーとも——」

 

「だからです」

 

セイバーの声が、静かに、しかし断固として遮った。

 

「昨日、バーサーカーが撤退を選んだ。あの狂戦士が、逃げた。それが翁の脅威です。一日でも早く翁の問題を解決しなければ——次に会敵したとき、私はあなたを守れない」

 

士郎は黙った。

 

セイバーの目には、騎士の矜持ではなく、もっと切実なものが浮かんでいた。二度斬られ、二度生き返った。三度目はない。三度目が来る前に、何としてでも。

 

「……一緒に行く」

 

「いいえ。私はより広域を探ります。シロウは昨日回れなかった地区を。二手に分かれたほうが効率的です」

 

「セイバー」

 

「日没前に戻ります。約束します」

 

士郎は——折れた。

 

セイバーの決意を止める権利は、自分にはない。マスターとして命令することはできる。だが、それをしたらセイバーの誇りを踏みにじることになる。

 

「絶対に、日没前に」

 

「はい」

 

四人は衛宮邸の門を出た。凛とアーチャーは南へ。セイバーは霊体化して消え、士郎は一人で北へ歩き始めた。

 

---

 

アインツベルンの屋敷。

 

イリヤは朝から魔術回路を全開にしていた。

 

バーサーカーは中庭に立っている。昨夜からずっと同じ場所に立っている。動かない。命じていないから動かないのか、動けないのか。イリヤにはわからなかった。

 

ゴッドハンドの残数。八。

 

イリヤは昨夜からあらゆる手段を試していた。アインツベルンの魔術はホムンクルスの錬成と天のドレスの運用に特化している。魔力の注入なら誰よりもできる。バーサーカーに魔力を送り込み、ゴッドハンドの復元を試みた。

 

一回目。変化なし。

 

二回目。変化なし。

 

三回目、四回目、五回目——。

 

何も、変わらなかった。

 

魔力は確かにバーサーカーに流れ込んでいる。回路は正常に機能している。だがゴッドハンドの数値は八から微動だにしない。まるで「減った」のではなく「最初から八だった」かのように、数字が書き換えられている。

 

死が、定着している。

 

あの翁の剣が刻んだ死は、魔力で上書きできるものではなかった。蘇生の宝具がそもそも「発動した後」なのだ。死んで、蘇って、残数が減った。その過程は完了している。完了したものを巻き戻す手段は、イリヤの手の中にはない。

 

「……バーサーカー」

 

イリヤは中庭の巨人を見上げた。

 

残り八回。通常の聖杯戦争なら十分すぎる数だ。だが翁が相手なら——あの剣が一度の遭遇で三つ削る相手なら——三度会えば終わる。

 

屋敷を出れば、遭遇する。夜でなくとも、昨日は夕暮れに現れた。

 

「出られない……」

 

イリヤは自分の声が震えているのを聞いた。

 

アインツベルンの屋敷は冬木の外れの森の中にある。結界は万全。大英雄ヘラクレスが門番として立っている。ここにいる限り、安全だ。

 

だが——ここから出られない。

 

聖杯戦争の参加者が、戦場に出られない。それは事実上の脱落を意味する。バーサーカーを失えばイリヤには何もない。アインツベルンの悲願も、聖杯も、何もかも。

 

イリヤは屋敷の窓から森を見た。

 

冬木の街は森の向こうにある。お兄ちゃんと呼んだ少年も、そこにいる。会いたかった。もう一度——今度はバーサーカーを連れずに、会いたかった。

 

窓の外は明るい。二月の午前の日差し。だがイリヤの目には、森の奥に闇が蹲っているように見えた。

 

夜が来るのが、怖い。

 

---

 

間桐邸。

 

午後一時。

 

凛とアーチャーは、ライダーの拠点で合流した後、三人で間桐邸の前に立っていた。桜は拠点に残してある。ライダーが簡易結界を強化し、離れている間も探知阻害は維持される手筈だった。

 

間桐の屋敷は——沈黙していた。

 

人の気配がない。蟲の羽音すら聞こえない。だが凛の魔術師としての感覚は、地下に膨大な魔力の澱みがあることを告げていた。

 

「桜がいなくなって1週間以上。臓硯は拠点を放棄していない。蟲蔵が移動できないからよ。あの老人の本体は蟲の集合体——拠点を捨てるのは自分の体の大半を捨てるのと同じ」

 

「つまり籠城しているということか」ライダーが門を見据えた。

 

「そう。ただし籠城と言っても城壁があるわけじゃない。蟲の防衛網が屋敷全体に張り巡らされてるはず。入った瞬間に数千の蟲に襲われる」

 

「数千」

 

「最低でも」

 

ライダーは腰の曲刀に手をかけた。今日は鎖帷子の上に布を重ねた戦装束だった。エプロンの男はいない。王がいた。

 

「蟲の防衛網。密集した歩兵の陣と同じだ。正面から突破するなら——一点に戦力を集中し、突き崩してから横に広げる」

 

「城攻めの発想ね」

 

「城攻めだ。これは」

 

アーチャーが屋根の上に実体化した。弓を構え、屋敷の全体を見下ろしている。

 

「凛。俺が屋根を射抜いて風穴を開ける。地下への通路が露出したら、ライダーが突入。俺は上から援護射撃で蟲の密集を潰す。おまえは外で結界を維持し、逃走経路を塞げ」

 

「了解。ライダー、地下に入ったら核を探して。蟲の中にひときわ古い個体があるはず。それが臓硯の本体に最も近い」

 

ライダーが頷いた。

 

「始めろ」

 

アーチャーの弓が引き絞られた。矢ではない。投影された剣を矢として番えている。壊れた幻想の応用。着弾と同時に炸裂する即席の砲撃。

 

一射。

 

間桐邸の屋根が吹き飛んだ。木材と瓦が宙に舞い、粉塵が立ち上る。その粉塵の中から——蟲が噴き出した。数千ではなく、数万。黒い奔流が屋敷の残骸から溢れ出し、空を覆った。

 

ライダーが走った。

 

曲刀が鞘から抜かれた。初めて見る抜刀だった。凛は後方から見ていたが、刃が空気を裂く音が聞こえた。乾いた、清潔な音。砂漠の風が刃に纏わりついているかのような——浄化の響き。

 

蟲の壁に曲刀が振るわれた。

 

一閃で、数百の蟲が塵に還った。斬ったのではない。曲刀が通過した範囲の蟲が、存在を否定されたように消滅した。ライダーの剣は蟲蔵の穢れとは対極にあるものだった。統治者の剣。秩序の剣。腐敗を許さない刃。

 

二閃、三閃。道が開く。ライダーは蟲の壁を割り、地下への階段に踏み込んだ。

 

アーチャーが上から援護する。矢が蟲の密集に突き刺さるたびに爆発が起き、蟲が数百単位で焼かれる。凛は屋敷の周囲に結界を張り、蟲の逃走経路を塞いだ。

 

十分で、屋敷は半壊した。

 

二十分で、地下の蟲蔵が露出した。

 

三十分で——蟲蔵は沈黙した。

 

ライダーが地下から上がってきたとき、曲刀には蟲の体液すらついていなかった。刃が穢れを拒んでいるかのように、鋼は清潔なままだった。

 

「核は」

 

凛が駆け寄った。

 

「複数あった。潰した。だが——全てではないかもしれない。あの老人は蟲を分散させていた。屋敷の外に逃したものがある可能性がある」

 

「追える?」

 

「痕跡は残っている。時間をかければ辿れる」

 

凛は頷きかけて——足を止めた。

 

地下からの階段の脇。瓦礫の隙間。何かが動いた。蟲ではない。もっと小さく、もっと柔らかい動き。

 

凛は瓦礫を退けた。

 

子供がいた。

 

蟲蔵の片隅に、蹲るようにして横たわっている子供。十歳くらいの男の子。痩せている。服は汚れているが、外傷はない。意識はあるが、目の焦点が合っていない。蟲蔵に長期間置かれていたのだろう。凛は間桐の魔術を知っている。蟲を体内に入れて魔術回路を無理やり開く。桜にされたのと、同じ——。

 

「——この子」

 

凛の声が震えた。怒りではなかった。怒りの手前にある、もっと冷たいもの。

 

ライダーが凛の隣に立った。子供を見下ろし——表情が変わった。エプロンをつけて茶を淹れていた男の顔ではない。戦場で民間人の遺体を発見した指揮官の顔だった。

 

「生きている」

 

「ええ。生きてる」

 

凛は子供を抱き上げた。軽い。こんなに軽いはずがないと思うほど軽かった。

 

「保護する。この子の処遇は後で考える。今はまず安全なところに——」

 

「俺の拠点に運べ。桜がいる。子供の扱いは桜のほうがいい」

 

凛は頷いた。子供を抱えたまま、崩壊した間桐邸を振り返った。十年。この屋敷の地下で、桜が過ごした十年。そして——この子供が過ごした、わからない長さの時間。

 

臓硯。

 

まだ生きている可能性がある。核の全てを潰しきれていない。

 

「ライダー。臓硯の残滓を追って。アーチャーも。日没までに片をつけたい」

 

「了解した」

 

ライダーとアーチャーは間桐邸を後にした。蟲の痕跡を辿り、冬木の街の裏路地へ。臓硯が逃がした蟲の残党は地下水路を伝って市街地に散っていた。一匹ずつ、丁寧に、執拗に潰していく。

 

ライダーの曲刀が蟲を斬り、アーチャーの矢が逃走する個体を射抜く。二人の間に言葉は少なかった。だが連携は噛み合っていた。片方が追い、片方が断つ。追撃戦の基本形を、二人は説明なく共有していた。

 

「ライダー」

 

「何だ」

 

「あの子供。実験体だろうな」

 

「だろうな」

 

「……おまえは怒っているか」

 

「怒りで剣を振るえば、斬るべきものを見失う。今は追え。感情は後だ」

 

アーチャーは口を閉じた。

 

この男は——感情がないのだろうか。感情を制御する訓練を、生涯かけてやってきた人間なのは間違いない。

 

痕跡は薄くなっていく。臓硯の核はおそらく最後の一つか二つ。地下水路の奥、あるいは市街地の隙間に潜んでいる。日没までに見つけなければ、翁の時間が来る。

 

午後四時。日が傾き始めた。

 

ライダーの足が止まった。

 

「——遠坂のほうだ」

 

「何?」

 

「妙な魔力反応がある。子供を預けた方角だ」

 

アーチャーの目が鋭くなった。鷹の目——千里眼の劣化版が、遠方を捉える。ライダーの拠点の方角。凛が子供を連れていった方角。

 

何かが——立ち上っている。

 

黒い。

 

蟲ではない。魔力でもない。もっと根源的な——影。

 

「戻るぞ」

 

ライダーが走り出した。アーチャーも続いた。

 

---

 

ライダーの拠点。

 

凛は子供を寝かせていた。桜が毛布をかけ、額の汗を拭いてやっていた。子供は目を閉じている。眠っているように見える。だが呼吸が浅く、時折うなされるように体が震える。

 

「遠坂先輩。この子、体の中に——何か、残ってます」

 

桜の声が緊張していた。

 

「蟲の残滓かしら。臓硯の——」

 

「違います。蟲じゃない。もっと——」

 

そのとき。

 

子供の体が、跳ねた。

 

仰向けに寝ていた小さな体が弓なりに反り、喉から声にならない叫びが漏れた。凛が駆け寄ろうとした瞬間——子供の背中から、影が立ち上った。

 

黒い影。

 

人の形をしていない。形そのものを持たない。液体のように床を這い、壁を這い、天井に触れて——膨れ上がった。

 

部屋の温度が下がった。二月の寒さとは別の冷たさだった。生きているものから熱を吸い取る冷たさ。

 

影の中心に——面があった。

 

白い。骸骨の。

 

「——っ」

 

凛の喉が凍りついた。

 

髑髏の面が、影の中から浮かび上がっていた。黒い外套の輪郭が、影の中に形を結んでいく。大剣の柄が、闇の底から立ち上がる。

 

翁だ。

 

子供が——この子供が、翁のマスターだったのだ。

 

凛の思考が加速した。間桐邸の地下にいた。臓硯の実験体だと思った。だが違った。この子供には令呪がある。手の甲ではない。蟲蔵の環境で隠されていた——背中か、足の裏か、凛が確認しなかった場所に。臓硯はこの子供を捕獲していたのだ。魔力を持つ少年の体を弄くり、蟲蔵に閉じ込め、アサシンを召喚させたんだ。

 

そして今——夜を間近にして、翁との接続が回復した。

 

日没が近い。翁の活動時間が来る。マスターの傍に、翁が顕現する。

 

「桜、離れて——!」

 

凛は桜を突き飛ばした。

 

髑髏の面が、凛を見た。

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