桜「中東のライダー?」   作:ヤシの木の里

16 / 35
監督役

深夜。教会の礼拝堂。

 

言峰は祭壇の前に座り、状況を整理していた。

 

アインツベルンのマスター、イリヤスフィール。翁の襲撃以来、イリヤは——屋敷から出られなくなっている。翁への恐怖か。

 

翁はもういない。だがイリヤはそれを知らない可能性がある。知っていたとしても、体に刻まれた恐怖は理屈で消えるものではない。バーサーカーで勝てないという事実が———イリヤの足を縛っているのだろう。

 

引きこもっているマスター。出撃しないサーヴァント。聖杯戦争に参加しているが、戦っていない。

 

それは——監督役として問題にできる。

 

「不参加の問題か」

 

言峰は呟いた。

 

監督役として、マスターに戦争に参加する意思があるか確認しなければならない。長期間の不戦ならば、監督役にはその確認を行う権限がある。

 

これだ。

 

監督役としてアインツベルンを訪問する。不参加の意思確認を行う。表向きは規定に基づく公務。だが実際には——イリヤに手を差し伸べる。

 

引きこもっているなら、まず外に出させる。教会は聖杯戦争における中立地帯だ。負傷したマスターや棄権を希望するマスターを保護する場所。イリヤを教会に連れてくれば、そこから交渉ができる。

 

「ランサー」

 

「おう」

 

柱の陰から赤い槍が突き出た。

 

「アインツベルン城に行く。護衛を頼む」

 

「今からか? 夜中だぞ」

 

「明日の朝。日が高いうちに行く。バーサーカーが夜を恐れているなら、昼のほうが相手の警戒が薄い」

 

ランサーは槍を肩に担ぎ直した。

 

「いいぜ。で、何しに行くんだ」

 

「監督役としての公務だ。マスターの参加意思確認」

 

「それは建前だろ。本音は」

 

「さてな」

 

ランサーの眉が上がった。

 

「あの化け物とお嬢ちゃんになぁ」

 

「あの化け物が、今の冬木で同盟側に対抗できる唯一の戦力だ。英雄王は動けない。ランサー、おまえ一人では——」

 

「セイバーには勝てるかもしれんが、ライダーとアーチャーが加わったら無理だな。正直に言えば」

 

「そうだ。だがバーサーカーが加われば話が変わる。翁がいなくなった今、あの命を削れる者は同盟側にもいない」

 

「監督役が特定の陣営と組むのは規約的にどうなんだ?」

 

「お前が気にする問題ではない」

 

言峰は薄く笑った。

 

「イリヤスフィールが教会に"相談"しに来るのを拒否する道理はない。受け入れよう。監督役はマスターの保護と安全確保を行うだけだ。保護されたマスターがその後どう動くかは——マスターの自由意志だ」

 

「詭弁だな」

 

ランサーは呆れたように笑った。

 

「まあいいさ。あの嬢ちゃんに会えるなら悪くねえ。強い奴の主ってのは、だいたい面白いもんだ」

 

---

 

翌朝。

 

冬木の北の森。アインツベルン城への道。

 

言峰とランサーは森の中を歩いていた。ランサーは霊体化せず、槍を手に歩いている。結界の類に備えてだ。アインツベルンの森には防衛術式が張り巡らされている。

 

結界を三つ越えた。いずれも反応しなかった。言峰の令呪——監督役の権限を示す紋章——が通行証として機能している。聖杯戦争の監督役はどの陣営の拠点にもアクセスする権限を持つ。建前上は。

 

城が見えた。

 

白い石壁。尖塔。ヨーロッパの古城を日本の森に移築した異物。美しいが、冷たい。生活の匂いがしない。

 

正門の前に立ったとき、門が開いた。

 

出てきたのは——メイドだった。

 

二人。銀髪の女。赤い目。均整のとれた体躯に、メイド服。だが手には剣を持っている。戦闘用のハルバードだ。ホムンクルス。アインツベルンが城の防衛用に配備した人造の兵。

 

「何者ですか」

 

左のメイドが言った。声は平坦で、感情がない。

 

「冬木教会の監督役、言峰綺礼だ。アインツベルンのマスターに面会を求める。聖杯戦争の規定に基づく参加意思確認のための公式訪問だ」

 

メイドたちは顔を見合わせた。

 

「お嬢様は——お会いになれません」

 

「理由は」

 

「体調がすぐれません」

 

「それを確認するのが私の職務だ。マスターが戦闘不能であれば、監督役として保護措置を取る義務がある」

 

メイドたちのハルバードが構え直された。刃が言峰の喉元に向く。

 

言峰は動じなかった。

 

「剣を納めろ。私は監督役として正規の手続きで訪問している。ここで私を害すれば、アインツベルンは聖杯戦争の規約に違反したことになる。聖杯への権利を失うぞ」

 

メイドたちの動きが止まった。ホムンクルスには自律的な判断力がある。だが最終的にはアインツベルンの目的——聖杯の獲得——に反する行動は取れない。監督役を害することが聖杯への権利を脅かすなら、攻撃はできない。

 

「……お通しします。ただし、武器は」

 

「持っていない。ランサーは門の外で待たせる」

 

言峰はランサーに目配せした。ランサーは肩をすくめ、門柱にもたれかかった。

 

「ここで待ってるぜ。嬢ちゃんによろしくな」

 

言峰はメイドに先導され、城の中に入った。

 

---

 

城の中は——暗かった。

 

窓はある。だがカーテンが全て閉じられていた。廊下を歩く言峰の足音だけが石壁に反響する。メイドの足音はほとんど聞こえない。ホムンクルスの歩行は人間より静かだ。

 

三階。東の塔。

 

メイドが扉の前で立ち止まった。

 

「こちらです。お嬢様——お客様です」

 

返事がなかった。

 

メイドが扉を開けた。

 

部屋は広かった。天蓋つきの寝台、暖炉、書棚。だが暖炉に火はなく、書棚の本は散乱し、寝台のシーツは乱れている。カーテンが閉じられ、部屋の中は薄暗い。

 

寝台の上に、白い塊があった。

 

イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、毛布にくるまっていた。

 

膝を抱え、毛布を頭から被り、寝台の隅に縮こまっている。白い髪が毛布の隙間から零れている。赤い目が——覗いている。毛布の縁から、言峰を見ている。

 

「やあ、イリヤスフィール」

 

言峰は部屋の中央に立った。笑みは浮かべなかった。この少女の前で愛想笑いをしても意味がない。アインツベルンのホムンクルスは、人間の表情の裏を読む訓練を受けている。

 

「監督役のおじさん」

 

イリヤの声は小さかった。以前の——バーサーカーを従えて街を歩いていた頃の、あの自信に満ちた声ではなかった。

 

「何しに来たの」

 

「公務だ。聖杯戦争のマスターとしての参加意思を確認しに来た」

 

「参加して……る」

 

「しているか。では聞くが——最後に屋敷の外に出たのはいつだ」

 

イリヤは答えなかった。

 

言峰は部屋を見回した。食事の盆が隅に置かれている。メイドが運んだのだろう。半分しか手をつけていない。暖炉に火がないのは、イリヤが火をつけることを拒んだからか、あるいは——そこまで気が回らなくなっているからか。

 

「バーサーカーは」

 

「中庭にいる」

 

「動いているか」

 

「……立ってる。ずっと。ずっと同じ場所に」

 

言峰は窓に歩み寄り、カーテンの端を僅かに開けた。中庭が見えた。巨人が立っていた。門番のように。あるいは墓碑のように。微動だにせず、空を見上げている。

 

バーサーカーが動かないのは、イリヤが動かさないからだ。命じていないから動かない。命じるためには、外に出なければならない。外に出れば——。

 

「翁は、もういない」

 

言峰は事実を述べた。

 

イリヤの毛布が動いた。

 

「……いないの」

 

「切り離された。マスターとの契約を断ち、翁は消えた。冬木の夜から、あの存在はいなくなった」

 

「ほんとに?」

 

「監督役として確認している。アサシンのクラスは空位だ」

 

イリヤは毛布の縁を握りしめた。赤い目が言峰を見ている。信じたい。だが信じきれない。あの夜——バーサーカーの命が三つ消えた夜の恐怖が、体の奥に染みついている。

 

「でも——バーサーカーの命は戻らない」

 

「なるほど」

 

つまり、バーサーカーは命を削られたということだ。では残りはいくつか。

 

「被害は大きいのか」

 

「3つ。もう、残り8つしか――」

 

イリヤは言いかけて止まった。しかしもう遅い。情報は明確に言峰に伝わった。

 

「そうか。だが翁がいない以上、一度にいくつも削る存在はもういない。通常の聖杯戦争に戻った。——十分に戦える」

 

イリヤは毛布の中で膝を抱え直した。

 

言峰は近づかなかった。距離を保ったまま、声だけを届けた。

 

「イリヤスフィール。おまえがこの屋敷から出られないことは理解できる。恐怖は理屈では消えない。だが——このまま屋敷に籠もり続ければ、聖杯戦争は他の陣営の間で決着する。おまえは何も得られず、何も果たせない」

 

イリヤの指が、毛布の布地を掴んだ。

 

「アインツベルンの悲願は——おまえだけが背負っている。違うか」

 

「…………」

 

「教会は中立地帯だ。どの陣営もおまえに手を出せない。まずは屋敷を出て、教会に来い。そこで体制を立て直せ。ランサーが護衛する。道中の安全は私が保証する」

 

イリヤは毛布から顔を出した。

 

「保護なんて…教会は中立じゃないの?」

 

「もちろん中立だとも。だが、そもそも参加しないのでは意味がない」

 

頬がこけていた。食事を十分に取っていないのだろう。赤い目の下に隈がある。唇が乾いている。十歳ほどの外見の少女が——百年の悲願を背負って、毛布の中で震えている。

 

言峰は——何も感じなかった。

 

何も感じないことを、確認した。この少女の恐怖も、苦しみも、言峰の心には何の波紋も起こさない。それでいい。それがいつも通りの自分だ。

 

「……考える」

 

イリヤの声は掠れていた。

 

「考えるのに、何日必要だ」

 

「明日まで」

 

「わかった。明日、もう一度来る」

 

言峰は踵を返した。扉に手をかけたとき、背後から声がした。

 

「ねえ」

 

「何だ」

 

「お兄…衛宮士郎は——元気?」

 

言峰は振り返らなかった。

 

「健在だ。毎日学校に行っている」

 

「……そう」

 

言峰は部屋を出た。廊下を歩き、階段を降り、正門を抜けた。ランサーが門柱にもたれたまま待っていた。

 

「どうだった」

 

「重傷だ」

 

「バーサーカーがか」

 

「マスターだ」

 

ランサーは口笛を吹いた。

 

「あの嬢ちゃんがね。バーサーカーを従えて、街中で俺たちを追い回してた嬢ちゃんが」

 

「翁の恐怖だ。バーサーカーの命が回復しないことへの恐怖。出れば削られる。出なければ何も得られない。板挟みだ」

 

「で、引っ張り出せそうか」

 

「明日、もう一度来る。出てくるかどうかは——あの少女次第だ」

 

言峰は森の中を歩き出した。

 

背後で、城の窓のカーテンが僅かに動いた。イリヤが外を見ている。森の向こうに、冬木の街がある。お兄ちゃんがいる街。

 

毎日学校に行っている、と監督役は言った。

 

桜と一緒に。ライダーと一緒に。みんなと一緒に。

 

イリヤは毛布を握りしめた。

 

窓の外は明るかった。翁はもういないと、あの男は言った。嘘かもしれない。本当かもしれない。わからない。

 

だが——窓の外は、明るかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。