桜「中東のライダー?」   作:ヤシの木の里

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出陣

翌朝、言峰とランサーが森を抜けてアインツベルン城の正門に着いたとき、門はすでに開いていた。

 

イリヤが立っていた。

 

紫のコートに白いブーツ。白い髪を風になびかせて。昨日の毛布の中の少女ではなかった。頬のこけは変わらない。目の下の隈も消えていない。だが——目が違った。赤い瞳に、何かが戻っている。決意とは違う。覚悟とも違う。もっと幼く、もっと切実な何か。

 

怖い。でも、ここにいるほうがもっと怖い。

 

その二つを天秤にかけて、重いほうを選んだ目だった。

 

背後に——バーサーカーが立っていた。

 

巨人は昨日と同じ場所にいたはずだ。だが今は門の内側に移動している。イリヤが命じたのだ。動け、と。何日ぶりかの命令に、巨人は応えた。斧剣を手に、主の背後に。

 

言峰は足を止めた。

 

「早いな」

 

「待ってた。昨日の夜から」

 

「眠れなかったか」

 

「眠れるわけないでしょ」

 

イリヤは言峰を見上げた。小さな体。十歳の外見。だがその目は——百年の歴史を背負う者の目だった。

 

「行く。教会に」

 

「ああ。行こう」

 

---

 

森の中の道を、四つの影が歩いた。

 

先頭に言峰。半歩後ろにイリヤ。その背後にバーサーカー。殿にランサーが槍を肩に担いで続く。

 

奇妙な行列だった。神父と少女と巨人と槍兵。冬の森を、誰にも見られることなく歩いている。

 

森を抜けるまでの三十分間、イリヤは黙っていた。

 

黙って、自分の足で歩いていた。メイドの手も借りず、バーサーカーに抱えられることもなく。小さな足で、落ち葉を踏んで。一歩ごとに、屋敷からの距離が開く。一歩ごとに、背中が強張る。

 

だが——止まらなかった。

 

森を抜け、冬木の郊外の道に出たとき、言峰が口を開いた。

 

「一つ、話しておくことがある」

 

「何」

 

「翁の件だ。あれはイレギュラーだった」

 

イリヤの足が僅かに鈍った。翁。その名前を聞くだけで、体が反応する。

 

「イレギュラー?」

 

「聖杯戦争におけるアサシンのクラスは、ハサン・サッバーハの名を冠する者が召喚される。歴代の"山の翁"のいずれか。それが通常だ。だが今回召喚されたのは初代——ハサンたちの上に立つ存在。概念に近い。本来、通常の聖杯戦争で現れるものではない」

 

「異常事態ってこと」

 

「そうだ。サーヴァントの召喚には触媒とマスターの適性が関わる。あのマスターは市街地の子供で、魔術の訓練を受けていない。本来なら歴代ハサンの末席が出る程度の召喚だ。にもかかわらず初代が顕現した。それには——外的な要因、そして異質な理由が必要になる」

 

イリヤは言峰を見上げた。

 

「要因と理由?」

 

言峰が答える前に、背後からランサーの声が飛んだ。

 

「ライダーだろ」

 

イリヤの足が止まった。

 

ランサーは槍を肩に担いだまま、あくびを噛み殺しながら続けた。

 

「あの翁とライダーには縁がある。停戦だか何だかの。歴史上の因縁ってやつだ。ライダーが召喚されたことで、聖杯の枠組みにライダーの縁が流れ込んだ。アサシンの枠にその縁が干渉して、通常なら出ないはずの初代が呼び出された。俺はそう聞いてる」

 

言峰が僅かに眉を動かした。ランサーに説明させるつもりはなかったが、結果的には——ランサーの口から出たほうが、信憑性がある。言峰の言葉をイリヤは疑う。だがランサーの率直さには、嘘の匂いがしない。

 

「少し違うが、まぁ概ねはそうだ」

 

「違うってどういうこった?」

 

「"召喚された"というより、"来た"が正しい。後世のハサンが勝手に締結した停戦協定、その中心者たるサラディンを見定めに来た。翁は、聖杯戦争を利用したのだ。ゆえに、あれは十全な姿ではない」

 

「おいおい、あれで本体の影みたいなモンてことか?とんでもねえな」

 

「そういうことだ」

 

「ん?けど何でそんなに詳しい…そうか、あのボロボロの王様か」

 

「ライダー……」

 

イリヤは名前を噛みしめるように呟いた。

 

「士郎たちの、同盟の」

 

「そいつだ」ランサーが頷いた。「セイバーのマスターの坊主と、アーチャーのマスターの嬢ちゃんと組んでる。桜って嬢ちゃんのサーヴァントだ」

 

「桜。間桐の」

 

「ああ。で、そのライダーってのが——サラディンだ。聞いたことあるか?」

 

「知ってる。エルサレムを取り返した王」

 

「翁を七合受け止めて生きてる。同盟の中心にいて、全部をまとめてる」

 

イリヤは歩き始めた。だが歩き方が変わっていた。足元を見ていた目が、前を向いている。

 

バーサーカーの命を三つ奪った翁。その翁を呼び寄せた縁の主。サラディン。同盟の核。あの男がいる限り、同盟は崩れない。あの男がいる限り——バーサーカーの失った三つの命は、無意味に消えたのではなく、あの男の存在がもたらした波紋に呑まれたのだ。

 

イリヤは何も言わなかった。

 

何も言わないまま、冬木の街を歩いた。バーサーカーが霊体化し、イリヤは言峰の隣を小さな足で歩いた。通行人には神父と少女にしか見えない。

 

教会の門をくぐるまで、イリヤは一度も振り返らなかった。

 

---

 

教会。

 

イリヤは礼拝堂の長椅子に座り、一日を過ごした。

 

食事はメイドが城から運んだものを食べた。今度は残さなかった。全部食べた。パンもスープも果物も。空腹だったのだ。何日も、ろくに食べていなかったのだ。しかし吐き戻してしまった。気持ちに身体がついて行っていない。

 

言峰は干渉しなかった。イリヤの傍に近づかず、礼拝堂の奥で書類仕事をしていた。ランサーは門の外で槍を磨いていた。バーサーカーは霊体のまま、イリヤの傍に。

 

夕方、イリヤは長椅子に横になり、眠った。

 

教会の中は静かだった。石壁が外の音を遮り、ステンドグラスを通した光が床に色を落としている。翁の影はない。蟲の羽音もない。ただ静かで、冷たくて、安全な場所。

 

イリヤは丸くなって眠った。毛布はなかったが、メイドがコートをかけた。

 

八時間。イリヤは八時間眠った。城では二時間おきに目が覚めていたのに、教会では一度も起きなかった。

 

---

 

翌朝。

 

イリヤが目を覚ますと、言峰が礼拝堂の入り口に立っていた。

 

「おはよう、イリヤスフィール」

 

「……おはよう」

 

「体調はどうだ」

 

「マシ。昨日よりは」

 

「それは良かった。一つ、報告がある」

 

言峰は十字架を背にして立った。

 

「ランサーを出す。ゆえにお前が外に出る際に保護者はつけられん」

 

イリヤは長椅子に座ったまま、言峰を見上げた。

 

「出すって——どこに」

 

「それは教えられんな」

 

同盟のところだ。イリヤの赤い目が、僅かに見開かれた。

 

「ライダーは、何が厄介なの?」

 

「察しがいいな。まず、奴は翁を呼び込んだ縁の主だ。そして同盟の中核。あの男がいる限り、同盟は機能し続ける。逆に言えば——あの男さえ落とせば、同盟は瓦解する。セイバーとアーチャーは単独では脅威だが、ライダーのいない同盟は統治者を失った国と同じだ。崩れる」

 

イリヤは黙っていた。

 

「ランサーの相手としては荷が重い可能性がある。だが一対一なら問題はない。一対一に出来るかどうかが難問だが」

 

言峰はその先を言わなかった。言わなかったが、イリヤには聞こえていた。バーサーカー。私のバーサーカーで、叩くということ。

 

言峰はイリヤの返答を待たなかった。

 

「ランサー」

 

門の外から声がした。

 

「聞こえてるぜ」

 

「行け」

 

「了解」

 

槍の穂先が陽光を弾く音がして——ランサーの気配が教会から消えた。跳んだのだ。街の屋根を伝って、ライダーの気配を追って。

 

礼拝堂に、言峰とイリヤだけが残った。

 

イリヤは長椅子から立ち上がった。

 

「そう」

 

気のない返事だった。声に感情がない。昨日までの怯えも、城での震えも、ない。代わりにあるのは——空白だった。何かを押し殺した後の、平坦な空白。

 

イリヤは教会の正門に向かって歩いた。

 

「どこへ行く」

 

「外」

 

「一人でか」

 

「バーサーカーがいる」

 

イリヤは門を押し開けた。冬の朝の光が差し込んだ。冷たい空気が頬を叩いた。

 

振り返らなかった。

 

門を出て、石段を降りて、冬木の街に足を踏み入れた。バーサーカーが霊体のまま、影のように従う。

 

言峰は門の内側から、イリヤの背中を見ていた。

 

小さな背中だった。紫のコートが風に揺れている。白い髪が朝日に透けている。十歳の少女が、世界最強の大英雄を連れて、戦場に向かっている。

 

言峰は門を閉じた。

 

駒は動いた。ランサーがライダーに向かい、イリヤが街に出た。二つの戦力が同時に同盟に圧をかける。理想的な展開だ。

 

理想的な——はずだった。

 

だが言峰の心の隅に、ほんの僅かな引っ掛かりがあった。イリヤの声。あの「そう」という一語。気のない返事。あれは——言峰の思惑に乗ったのか。それとも。

 

それとも、最初から別のことを考えていたのか。

 

言峰は考えるのをやめた。今は駒を動かすことに集中する。結果は——戦場が決める。

 

---

 

冬木の街。

 

朝の九時。通学路に人が増え始める時間帯。イリヤは人混みの中を歩いた。誰も振り返らない。外国人の少女。それだけだ。

 

イリヤは橋を渡った。深山町に入った。住宅街を抜け、坂を上り——穂群原学園の方角に向かった。

 

お兄ちゃんは毎日学校に行っている。監督役はそう言った。

 

坂の途中で、イリヤは足を止めた。

 

前方。通学路の向こう。制服を着た少年が歩いている。赤い髪。隣に紫の髪の少女。少し後ろに黒髪の少女。三人が並んで、学校に向かっている。

 

士郎、桜、凛。

 

そしてイリヤの感覚が捉えた。三人の傍に、三つの気配。霊体化したサーヴァント。セイバー、アーチャー——。

 

三つ目の気配。

 

温かく、乾いた、砂の匂い。

 

ライダー。

 

イリヤの足が止まった。

 

バーサーカーの命を三つ奪った翁を、この世界に引きずり込んだ男。同盟の王。桜のサーヴァント。

 

イリヤの拳が握られた。紫のコートのポケットの中で、小さな指が白くなるほどに。

 

朝の通学路に、戦争の気配が忍び込んでいた。

 




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