桜「中東のライダー?」   作:ヤシの木の里

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亀裂

教会の地下。

 

イリヤはバーサーカーのステータスを読み、深く息を吐いた。

 

八。

 

残り、八回。

 

出撃前と同じだ。ライダーに一つ削られた命が——戻っている。翁の三つは消えたまま。だがライダーの一つは復元した。

 

翁の死とは違うのだ。翁は概念を刻む。「おまえはここで死んだ」という事実を書き込む。書き込まれた死は宝具では上書きできない。だがライダーの剣は——ただの剣だ。鋭く、巧みで、王の意志を載せた剣だが、概念ではない。物理的な死。ゴッドハンドはそれを正しく処理し、蘇生し、耐性を獲得する。

 

同じ手段では二度殺されない。

 

イリヤは毛布を肩にかけ、長椅子に座った。教会の地下は冷える。だが城の塔よりはましだった。

 

言峰が階段を降りてきた。

 

「戻ったか」

 

「八に戻った。翁の分は駄目だけど、ライダーの分は大丈夫」

 

「そうか」

 

言峰は椅子に座り、指を組んだ。イリヤの報告を聞きながら、頭の中で盤面を組み直している。

 

叩ける。

 

ライダーは——叩ける。

 

今日の戦闘で確認できたことが二つある。一つは、ライダーではバーサーカーの相手にならないということ。ライダーの曲刀はバーサーカーを一度殺した。だがゴッドハンドがその攻撃に耐性を得た以上、もう同じ斬撃ではバーサーカーの命は減らない。次の遭遇では、バーサーカーは一つの命も消費することなくライダーを圧殺できるだろう。

 

言峰の口元が僅かに動いた。

 

さらに、直接手を下したわけではないが、バーサーカーとランサーが同時に動いただけで、同盟の内側に亀裂が生まれただろう。セイバーと士郎は感情で動いた。アーチャーは合理で止めようとした。凛は板挟みになった。

 

そして——今夜、さらに亀裂がはいるだろう。

 

言峰にはわかっていた。今夜、衛宮邸で同盟について話し合いが持たれる。傷ついたライダーを囲んで、これからどうするかを。そしてその場で——何かが決まる。

 

何が決まるかは問題ではない。決まること自体が——亀裂だ。

 

---

 

衛宮邸。夜。

 

居間の空気が、重かった。

 

士郎が夕食を作った。豚汁と焼き魚と飯。いつもと同じ献立だ。だがいつもと同じ味がしなかった。箸を動かす音だけが、不自然に響いている。

 

ライダーは居間の隅に座っていた。肩の傷は凛が手当てした。包帯の下から血が滲んでいるが、ライダーは顔色を変えない。曲刀は膝の上に置かれている。

 

桜はライダーの隣にいた。黙って、ライダーの袖を掴んでいた。

 

セイバーは正座して目を閉じている。士郎は箸を止めたまま味噌汁の椀を見つめている。凛は茶を両手で包み、湯気越しにライダーを見ている。アーチャーは縁側に立ち、腕を組んで庭の闇を見ている。

 

六人が居間にいて、誰も口を開かなかった。

 

一分。

 

二分。

 

三分。

 

ライダーが口を開いた。

 

「——そろそろ、話をしよう」

 

全員の視線が集まった。

 

ライダーは背筋を伸ばした。傷ついた体だが、姿勢は崩れない。王の姿勢だ。

 

「今日の戦闘で、状況が変わった。バーサーカーに俺は勝てない。同時にランサーが動いた。言峰が本格的に盤面に参加してきたということだ」

 

「それは——」

 

「待ってくれ、衛宮。最後まで聞いてほしい」

 

士郎が口を閉じた。

 

「同盟は維持したい。俺は桜を守るためにここにいる。おまえたちと組むことで桜の安全が保たれるなら、組み続けたい。それは本心だ」

 

ライダーは一拍置いた。

 

「だが——無理だと言うなら、仕方がない。俺は、役に立てないかもしれない」

 

その一言が、居間の温度を変えた。

 

凛の指先が茶碗の上で強張った。士郎が顔を上げた。セイバーが目を開けた。

 

「同盟は翁と臓硯のために結ばれた。両方とも消えた。同盟を維持する外的理由が——なくなっている。俺はそれを理解している。だから、おまえたちが解消を選ぶなら、残念だが受け入れる。その場合は桜を連れて拠点に戻り、独自に動く。おまえたちとは——敵になる」

 

ライダーの声は穏やかだった。穏やかで、明確だった。感情に訴えるのではなく、事実を並べ、選択肢を示し、判断を相手に委ねている。

 

士郎が口を開いた。

 

「俺は——同盟を続けたい。ライダーと敵になるなんて」

 

「私も同意見です」セイバーが続けた。「ライダーは信頼できる同盟者です。今日の戦闘で——」

 

「そこまでよ」

 

凛の声が、縁側から飛んだ。

 

居間が静まり返った。

 

アーチャーは腕を組んだまま、振り返った。銀髪の弓兵の目は冷たかった。冷たいが——どこか疲弊していた。

 

「今のライダーの言葉を看過するわけにはいかない」

 

「遠坂——」士郎が立ち上がりかけた。

 

「座って、衛宮くん。そしてよく聞いて。今のライダーの言葉を——正確に考え直すの」

 

凛は居間に踏み込んだ。ライダーの正面に立った。

 

「ライダー。あんたは今、こう言った。同盟は維持したい。だが無理なら仕方がない。受け入れる。——美しい言葉よ。寛容で、誠実で、相手の意志を尊重してる」

 

「事実を述べたつもりだが」

 

「事実だと思う。嘘じゃないんでしょうね。でも——それがどういう効果を持つか、よくわかっているはず」

 

凛の声が鋭くなった。

 

「ライダーは今、共感できるだけの言葉で、この場の全員を縛った」

 

ライダーの表情が動かなかった。

 

「同盟を維持したい。だが無理なら受け入れる。——その言い方をされたら、解消を言い出しづらくなる。ライダーは自分の希望を述べた上で、判断を私たちに委ねたの。委ねられた側は、解消を選べば『ライダーの善意を裏切った』ことになる。維持を選べば『ライダーの誠実さに応えた』ことになる。どちらを選んでも——ライダーの徳が傷つかない構造になっている」

 

「凛。それは——」アーチャーが口を挟みかけた。

 

「詐術よ。意図的であるかどうかは関係ない。結果としてそう機能している。ライダー、アンタはこの場で——潜在的な脅威として私たちを評価し、敵意を刈り取りにかかった」

 

沈黙。

 

士郎が拳を握った。セイバーの眉が寄った。桜がライダーの袖を強く掴んだ。

 

ライダーは——笑んだ。

 

僅かに。目尻の皺が深くなる、あの笑い方で。

 

「遠坂凛。おまえは聡い」

 

「否定しないのね」

 

「否定も肯定もしない。おまえの読みが正しいかどうかは、私自身にもわからん。自分の言葉がどこまで計算でどこまで本心か——王であった年月が長すぎて、境目が見えなくなっている」

 

アーチャーの目が細くなった。

 

「ただ、一つだけ言わせてくれ。桜を守りたいのは本心だ。おまえたちと敵になりたくないのも本心だ。その上で——おまえたちが脅威であることも事実だ。脅威に対して備えない王はいない。それを誤魔化すつもりもない」

 

ライダーは茶碗を手に取った。自分の分の茶——砂糖が二杯入った甘い茶——を一口飲んだ。

 

「そのつもりはなかった。だがおまえがそう読んだなら、それは俺の言葉がそう機能したということだ。すまない」

 

謝った。率直に。弁解も反論もなく。

 

アーチャーは——歯噛みした。

 

この男は謝ることすら上手い。謝ることで誠実さを示し、相手の批判を受け入れることで対立の芽を摘む。計算か本心かわからない。わからないこと自体が——恐ろしい。

 

「明日まではここにいさせてほしい。傷の手当てが終わったら、朝には出る。桜を連れて。その時、結論を聞かせてくれ」

 

ライダーはそれだけ言って、茶を飲み干した。

 

---

 

居間の片付けが終わり、ライダーと桜は客間に引き取った。士郎とセイバーは自室に戻った。

 

廊下で、アーチャーが凛に声をかけた。

 

「凛」

 

「何よ」

 

「気づいてないのか 」

 

凛は廊下の壁にもたれた。疲れた顔だった。だが目だけは鋭かった。

 

「何に?」

 

「敵同士が一時的に手を組む同盟において、相手を潜在的脅威として扱うのは——当たり前のことだ」

 

凛の目が少し見開かれた。

 

「同盟者が腹の中で備えを立てるのは、むしろ健全だ。信頼と警戒を両立させるのが、対等な同盟の基本だろう」

 

「……」

 

「ライダーは潜在的脅威として俺たちを扱った。お前はそれに疑義を唱えた。しかし——本来、それは疑義を唱えるようなことじゃない。当たり前のことを当たり前にやっただけだ。なのに、あの男がそれをやったことに——怒った」

 

凛は黙っていた。

 

「怒った。合理じゃない。お前は怒ったんだ。あの男が——信頼できる顔をして、裏で備えを立てていたことに。信頼させておいて、その信頼を戦略に組み込んでいたことに。お前はそれを許せなかった」

 

凛の声が静かになった。

 

「それは——私があの男を信頼していたってことね。アーチャー」

 

長い沈黙。

 

アーチャーは腕を組み、天井を見上げた。

 

「……この認識の歪みこそが、最も怖れるべきライダーの力かもしれんな」

 

低い声だった。自分に言い聞かせるような。

 

「善意で人を繋ぎ、信頼で人を縛り、茶を淹れて毒気を抜く。敵意を持てなくさせる。憎めなくさせる。そして気づいたときには——あの男を敵と認識すること自体に、心理的な抵抗が生まれている。それが意図的でないなら——なおさら厄介だ。天然の統治者だ、あの男は」

 

凛は小さく笑った。

 

「そうかもね。正直、アイツが何考えてるのか分からない。それ自体が脅威だわ」

 

そう言って、凛は廊下を歩き出した。自室に向かって。

 

「凛」

 

「何」

 

「結論は」

 

凛は足を止めた。振り返らなかった。

 

「分からない。明日には結論を出す」

 

それだけ言って、凛は自室の戸を閉めた。

 

アーチャーは霊体化し、屋根の上に出た。冬木の夜空を見上げた。星が出ている。冬の星座。冷たく、遠く、動かない光。

 

翁が消え、臓硯が消え、バーサーカーが動き出し、ランサーが仕掛けてきた。聖杯戦争が本来の形に戻りつつある。全員が全員の敵。最後の一騎になるまで。

 

アーチャーは拳を握り、開いた。

 

エプロンをつけて茶を淹れる王の姿が、まだ脳裏にこびりついていた。あの姿を敵として見る日が来る。それが、明日からかもしれない。

 

「——つくづく、厄介な男だ」

 

誰にも聞こえない声で呟いて、アーチャーは夜の見張りに戻った。

 

---

 

鋼の音で目が覚めた。

 

士郎は布団を跳ね除け、廊下を走り、縁側の戸を開けた。冬の朝の空気が顔を叩いた。庭に飛び出す。

 

庭の中央で、二つの刃が噛み合っていた。

 

ライダーの曲刀。アーチャーの干将莫耶。

 

火花が散り、鉄の悲鳴が朝の住宅街に響いている。ライダーは鎖帷子の戦装束。昨夜の私服ではない。最初から——出る準備をしていたのだ。アーチャーは赤い外套を翻し、双剣でライダーの曲刀を挟み込むように受けている。

 

士郎の横に、セイバーが立っていた。不可視の剣を手にしているが——構えていない。

 

「セイバー、何が——」

 

「私も今、気づいたところです。アーチャーとライダーが——」

 

「士郎」

 

凛の声が背後から聞こえた。振り返ると、凛が縁側に立っていた。コートを羽織っているが、制服の下は寝間着だ。目の下に隈がある。寝ていなかったのか。

 

「遠坂、何が起きて——」

 

「桜とライダーが出ようとしたの。朝の四時。まだ暗いうちに。私たちが寝ている間に、密かに」

 

士郎の目が見開かれた。

 

「それをアーチャーが——」

 

「止めた。門の前で矢をつがえて。桜は路地に逃がされた。ライダーがアーチャーの前に立ち——」

 

庭で鋼の音が弾けた。ライダーが曲刀を振り上げ、アーチャーの干将を弾いた。アーチャーが莫耶で突く。ライダーが半身でかわし、返す刀で胴を薙ぐ。アーチャーが後退し、間合いを取り直す。

 

互角ではなかった。ライダーの肩にはまだ包帯が巻かれている。昨日のバーサーカー戦の傷。万全ではない。だがアーチャーも本気の殺し合いをしているようには見えなかった。殺すのではなく、止めている。門から出さないように。

 

「アーチャーは、ライダーが夜のうちに屋敷に仕掛けを施していたと言ってたわ」

 

「仕掛け?」

 

「結界の微調整。庭の飛び石の下に魔力の導線を埋めてた。アーチャーが矢をつがえた瞬間に起動して、足元の石が弾けた。それで体勢を崩されて——剣戟に持ち込まれた」

 

士郎は庭を見た。確かに飛び石の一つが砕けている。いつの間に。昨夜、客間に引き取ったあと——いや、それより前か。夕食の後、ライダーが庭を通って客間に向かう途中に。

 

あの男は——昨夜の時点で、この事態を想定していたのだ。

 

凛が一歩前に出た。

 

「ライダー!」

 

曲刀と双剣が噛み合ったまま、ライダーの琥珀色の目が凛を見た。

 

「何をしてるの。同盟の解消なんてまだ決めてない。昨日の話はーー保留でしょう。結論は出てない。こんなことをする必要はないわ」

 

ライダーはアーチャーの双剣を押し返し、半歩退いた。間合いが開く。だが曲刀は下ろさなかった。

 

「遠坂凛。おまえは私を疑った」

 

凛の言葉が詰まった。

 

「昨夜——おまえは私に疑念を向けた。ライダーの真意が読めない、と。信頼の根拠が薄い、と。あれは正当な疑念だった。否定はしない。だが——おまえが私を疑ったという事実が、答えだ」

 

ライダーの声は穏やかだった。怒りはなかった。責めてもいなかった。ただ——事実を述べていた。

 

「結論が出ていないということは、最悪の状況に転ぶかもしれないということだ。決裂するかもしれないし、しないかもしれない。その不確実性の中で——もし、朝を迎え、全員が揃った場で正式に決裂を宣言されたとしたら」

 

凛の顔から血の気が引いた。

 

ライダーは続けなかった。続ける必要がなかった。

 

凛には見えていた。

 

その光景が。

 

朝の居間。四人が揃う。凛が口を開く。「同盟はここまでよ」と。あるいはアーチャーが「ここが潮時だ」と。その瞬間——ライダーはセイバーとアーチャーに挟まれている。二騎の英霊が左右に立ち、曲刀一振りの傷ついたライダーが中央にいる。桜が背後にいる。

 

逃げ場がない。

 

同盟の枠組みの中にいる限り、敵対行動は取れない。だが決裂が宣言された瞬間、同盟の拘束は消える。その瞬間から——セイバーとアーチャーが襲いかかる可能性がある。二対一。しかも桜を守りながら。負傷した体で。

 

詰みだ。

 

決裂が宣言されてからでは、遅い。宣言される前に——不確実性が残っているうちに、抜けなければならない。それがライダーの判断だった。

 

凛は唇を噛んだ。

 

「私のミスだわ……」

 

声が小さかった。

 

「あんなこと言わなければよかった。疑念を口にしなければ——こうはならなかった」

 

疑念を口にしたのは凛だった。詐術だと、信頼できないと。その言葉をライダーは聞いた。そして——ライダーは気づいた。あの男は、人の心の機微を読む王だ。凛の目つきが変わったことに気づかないはずがない。夕食のとき、茶を淹れるとき、おやすみなさいと言うとき。凛の声の温度が一度だけ下がったことを、あの男は聞き取ったのだ。

 

「でも——」

 

凛は顔を上げた。庭を見た。ライダーとアーチャーが対峙している。門の向こうでは、桜の気配が路地で待っている。

 

「今の状況だって同じじゃない。ライダーがここで争うこと、それこそ決裂よ。同盟は終わり。さっき私が言った最悪の状況と、何が違うの」

 

「違う」

 

アーチャーの声が飛んだ。ライダーと対峙したまま、双剣を構えたまま、アーチャーは凛に向かって言った。

 

「凛。セイバーを見ろ」

 

凛は振り返った。

 

セイバーは——立っていた。不可視の剣を手にして。だが構えていなかった。

 

動いていない。

 

ライダーが庭でアーチャーと剣を交わしているのに、セイバーは動いていない。士郎もだ。士郎は縁側に立ったまま、庭を見つめている。手には何もない。足は止まっている。

 

「なぜ動かないかわかるか」

 

凛は——わかった。

 

動けないのだ。

 

同盟はまだ生きている。全員がそろった公式の場で「決裂」と宣言していない。アーチャーはライダーの離脱を阻止しようとして剣を交わしているが、それ自体は明示的に同盟の決裂を意味しない。セイバーが剣を振るうだけの、十分な理由がない。

 

士郎も悩んでいる。どうするべきなのか、戦うべきなのか、止めるべきなのか。桜のサーヴァントを攻撃すべきなのか。桜と繋がっている男を。

 

士郎とセイバーは、明確に判断された状況になく——動くことができない。

 

セイバーが動かないから、ライダーはアーチャー一騎だけを相手にしている。一対一なら——離脱できる。二対一では詰むが、一対一なら退路は作れる。ライダーはそれを計算した上で、この時間帯を選んだのだ。全員が揃う前に。宣言がなされる前に。セイバーが動けないうちに。

 

「同じではないだろう」

 

アーチャーの声が静かだった。

 

「ライダーは公式の場が作られる前に動いた。二対一になる前に。結論が出ていない曖昧な状態を利用して、セイバーの足を縛ったまま離脱する。正面からの決裂ではない。同盟を曖昧にしたまま、実質的に距離を取る」

 

凛は歯を食いしばった。

 

アーチャーが続けた。

 

「その結果として、同盟は解消ではなく中断になる。再開の余地が残る。桜と衛宮士郎、桜と遠坂凛の関係を断ち切らずに済む。あの男は——決裂を避けながら離脱するという矛盾を、時間差で解決した」

 

アーチャーがライダーを見据える。

 

「ライダー」

 

アーチャーの声が低かった。剣を押し合いながら、言葉を放った。

 

「おまえが退場すればいい」

 

ライダーの目が動いた。

 

「おまえが消えれば、桜はマスターの資格を失う。戦争の当事者ではなくなる。凛も士郎も桜を傷つける理由がない。桜は安全にあの輪に戻れる。おまえの目標は——達成される」

 

ライダーは曲刀を押し返した。アーチャーが半歩退く。間合いが開く。

 

「直感的に——受け入れられない」

 

アーチャーの眉が寄った。

 

「直感? 根拠がないということか」

 

ライダーが踏み込んだ。曲刀が横薙ぎに走る。アーチャーが干将で受け、莫耶で切り返す。ライダーが体を回して回避し、曲刀の峰でアーチャーの手首を打った。莫耶が一瞬ぐらついた。

 

「根拠ならある。まず——聖杯だ」

 

再び間合いが詰まる。鋼がぶつかる。

 

「人の手で作られた万能の願望機。七騎の英霊の魂を燃料にして、願いを叶える装置。そんなものが——まともに機能すると思うか」

 

アーチャーの双剣がライダーの曲刀を挟み込んだ。鍔迫り合い。

 

「信仰に身を捧げてきた人間として言う。万能を謳う器には、必ず裏がある。何の代償もなく願いが叶うなどということは——あり得ない。その正体を暴かなければならない」

 

アーチャーが力を込めた。ライダーの足が石畳の上で滑る。

 

「それは調べればいいだけの話だ。凛と協力すれば——」

 

「俺がいなくなった後でか?」

 

ライダーが曲刀を捻った。挟み込みが外れ、アーチャーの体勢が崩れた。一瞬の隙。だがライダーは斬らなかった。距離を取っただけだった。

 

「俺が退場し、桜がマスターでなくなり、おまえたちが聖杯を調べ、何か異常が見つかったとしよう。そのとき——桜の傍に、誰が立つ」

 

アーチャーは黙った。

 

「凛は立つだろう。衛宮も立つだろう。だがそれは、異常が見つかってからの話だ。見つかるまでの間——桜は何の守りもなく、何も知らずに暮らすことになる。聖杯が何を企んでいるかわからない状態で。接続がまだ残っているかもしれない状態で」

 

ライダーの目が鋭くなった。琥珀色の瞳に、王の光が戻っていた。

 

「退場することは、潜在的な不安を残して去ることだ。桜の安全を制度として確立する前に、この手を離すことだ。王の直感を無視して滅びた国はいくつも知っている。確信を得る前に退くことは——俺には受け入れられない」

 

アーチャーは双剣を構え直した。

 

「……終わりを見届けなければ気が済まない、ということか」

 

「そうだ。聖杯の正体を暴き、桜の安全を恒久的に担保し、それを制度として残す。そこまでやって初めて——退場できる。途中で投げ出すのは、城壁を半分だけ積んで去るようなものだ。半分の城壁は、ないのと同じだ」

 

アーチャーは——一瞬だけ、訝しげな顔をした。

 

直感。聖杯への違和感。桜の安全の制度化。論理としては筋が通っている。だが——本当にそれだけか。本当に王の義務感だけでここに留まっているのか。それとも——ライダー自身が気づいていない何かが、この男をここに繋ぎ止めているのか。

 

アーチャーにはわからなかった。おそらく——ライダー自身にもわかっていない。

 

「……好きにしろ」

 

アーチャーが双剣を下ろしかけた——その動きを見て、ライダーが門に向かって動いた。

 

凛は門の外を見た。路地の先に、桜の気配がある。

 

ライダーがアーチャーの双剣を弾いた。大きく。その反動でアーチャーが一歩退いた——その一瞬を使って、ライダーが門を飛び越えた。

 

着地。路地。走り出す。

 

アーチャーが追おうとした。

 

「追わないで」

 

凛の声が落ちた。

 

アーチャーは足を止めた。干将莫耶を下ろした。

 

門の向こうで、ライダーの気配が桜の気配と合流した。二つの気配が重なり、南へ移動していく。ライダーの拠点の方角へ。少しずつ遠ざかっていく。消えはしない。ゆっくりと、距離を取っていく。

 

庭に沈黙が落ちた。

 

朝日が差し始めている。冬の低い日差しが、砕けた飛び石と、散らばった火花の跡を照らしている。

 

セイバーが剣を納めた。最後まで——構えなかった。

 

士郎は門の外を見つめていた。ライダーと桜が消えた方角を。

 

「遠坂」

 

「何」

 

「桜は——大丈夫か」

 

凛は門柱にもたれた。目を閉じた。

 

「……私も、心配してるわよ。桜のこと。あの子がまたあの暗い場所に閉じ込められるんじゃないかって。でも——ライダーがいる。あの男がいる限り、桜は安全よ。それだけは——信じられる」

 

声が微かに震えていた。凛はそれを噛み殺した。

 

「同盟は——終わったのか」凛に聞くまでもなく、士郎の声は答えを知っている声だった。

 

「終わってはいない。中断よ。ライダーはそう設計した。再開の余地を残して抜けた。だから——桜には学校で会える。放課後も。あの子との関係は切れてない」

 

「でも——ライダーは」

 

「ライダーは敵よ。潜在的な。いえ——まだ味方かもしれない。だからややこしいの。あの男は白とも黒とも言わずに出ていった。こっちも白とも黒とも言えないまま見送った。最悪の状態じゃない。でも最善でもない」

 

凛はコートの襟を立てた。

 

「衛宮くん。聖杯戦争に戻るわよ。ぼんやりしてる暇はない」

 

「ああ……」

 

士郎は門を閉じた。

 

---

 

路地を走りながら、ライダーは桜の手を引いていた。

 

桜は走りながら泣いていた。声は出していない。涙だけが頬を伝っている。

 

「ライダー——先輩と、姉さんと——」

 

「桜。聞いてくれ」

 

ライダーの声は走りながらでも乱れていなかった。呼吸は荒いが、声は明瞭だった。

 

「おまえはすぐにあの輪に戻れる」

 

「え——」

 

「遠坂も衛宮も、おまえを敵だとは思っていない。同盟が終わっても、おまえとあの二人の関係は——別だ。俺とあの二人が敵になっても、おまえは桜のままだ。先輩と姉に会える。学校にも行ける」

 

「でも——」

 

「保証する。遠坂凛はそういう人間だ。衛宮士郎も。おまえを巻き込まない程度の分別は、あの二人にはある」

 

桜は走りながら、涙を拭った。

 

「ライダーは——どうなるんですか」

 

ライダーは答えなかった。

 

拠点に着いた。結界を確認し、中に入り、戸を閉めた。桜をこたつに座らせ、毛布をかけた。台所に向かい、湯を沸かした。

 

茶を淹れながら、ライダーは考えていた。

 

アーチャーの問い。おまえ自身が退場すれば桜は安全だ。なぜそうしない。

 

論理としては正しい。ライダーが消えれば桜はマスターの資格を失い、戦争の外に出られる。凛も士郎も桜を害する理由がない。最も安全な選択肢だ。

 

だが——直感が否と言っている。

 

何かがある。

 

聖杯の構造は凛との条文化の中でおおよそ掴んだ。だが「おおよそ」だ。まだ見えていないものがある。見えていないものの中に——何かがある。何かが潜んでいる。

 

それが何かはわからない。だが、自分が退場すればそれに対処する者がいなくなる。桜の傍に、最後まで立つ者がいなくなる。

 

凛も士郎も桜を害するつもりはない。だが——聖杯が桜を害する可能性は。

 

考えすぎかもしれない。王の直感が過敏になっているだけかもしれない。

 

茶が入った。桜の分には砂糖を少し。自分の分には二杯。

 

「桜」

 

「はい」

 

「今日は休め。学校は明日から行け。衛宮と遠坂には——俺から伝える手段を考える」

 

「……はい」

 

桜は茶を受け取った。両手で包んで、一口飲んだ。

 

あたたかかった。

 

ライダーは窓の外を見た。冬木の朝。晴れている。この街に来てから、晴れた朝が多い。

 

聖杯が何であるか。その答えが出るまでは——退場するわけにはいかない。

 

**この時点で、誰一人として——間桐桜の体の中に眠っているものを、知らなかった。**

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