バーサーカーの斧剣が振り下ろされた。
セイバーが受けた。不可視の剣と斧剣が噛み合い、衝撃が坂道を走った。アスファルトが蜘蛛の巣状に割れ、街路樹が根元から揺れた。セイバーの足が地面にめり込む。腕が軋む。だが——止めた。
「シロウ、下がって——!」
「わかってる——!」
士郎は後方に跳んだ。桜の手を引いて、塀の陰に。
セイバーとバーサーカーの剣戟が始まった。
凄まじかった。斧剣の一撃ごとに地面が抉れ、壁が崩れ、空気が爆ぜる。セイバーは不可視の剣で受け、流し、弾き、隙を突いて反撃する。巨人の脇腹を薙ぎ、膝を切り、首筋に刃を走らせる。だがゴッドハンドが全てを無効化する。傷が塞がり、肌が再生し、巨人は止まらない。
三合。五合。七合。
セイバーの呼吸が荒くなっていく。バーサーカーの攻撃は単純だが、単純であるがゆえに対処しきれない。一撃の重さが桁違いだ。受け止めるたびに、腕が痺れる。
十合目。セイバーが弾き返された。三歩後退し、体勢を立て直す——その瞬間、バーサーカーの追撃が来た。斧剣が真上から。避けられない。受ければ腕が折れる。
横から、曲刀が割り込んだ。
ライダーだった。
霊体化を解いて坂道に着地し、斧剣の軌道を曲刀の腹で逸らした。完全には逸らしきれなかった。衝撃がライダーの体を横に弾き、塀にぶつかった。塀が崩れた。だがセイバーは助かった。
「ライダー——!」セイバーが叫んだ。
「構うな。続けろ」
ライダーは瓦礫から立ち上がった。肩の包帯が赤く染まっている。昨日の傷が開いた。
イリヤが笑った。
坂の上から、赤い瞳がライダーを見下ろしている。
「来ると思った。桜のサーヴァントだもんね。——でも無駄だよ、ライダー」
イリヤの声は明るかった。明るすぎるほどに。城の塔で毛布にくるまっていた少女の声ではない。自分を奮い立たせるために、無理やり明るくしている声だった。
「バーサーカーはもう、あなたの剣で死なない。昨日の戦いで耐性ができた。何度斬っても無駄。命は一つも減らない」
ライダーは曲刀を構えた。バーサーカーに向かって。
巨人の斧剣が振るわれた。ライダーは半身でかわし、曲刀を巨人の胴に叩き込んだ。
手応えはあった。だが——巨人は揺るがなかった。鋼の肌に刃が触れ、火花が散り、跳ね返された。昨日は切り裂けた胴が、今日は傷一つつかない。耐性。同じ手段での殺害は二度と通じない。
「ね? 言ったでしょう。宝具を使ってみたら? 命を一つくらいは削れるかもしれないよ。でもそれが——最後のあがきになるから」
ライダーは宝具を使わなかった。
代わりに——受け流した。
バーサーカーの斧剣が来るたびに、曲刀の弧で軌道を逸らす。殺すためではない。自分が死なないために。ギリギリで、全力で、一撃ずつを受け流す。
斬れない刃で、斬らない戦いをしている。
イリヤの笑みが消えた。
「……そういうこと」
理解した。ライダーは自分でバーサーカーを倒すつもりがない。耐性を得た巨人に、自分の刃は通じない。だから——時間を稼いでいる。セイバーに斬らせるために。セイバーの斬撃にはまだ耐性がない。セイバーが切り込む隙を、ライダーが作っている。
「まだこんなヤツと仲良くしてるんだね、お兄ちゃん。同盟…だっけ?」
イリヤの声が尖った。士郎を見ている。赤い瞳に、苛立ちと——もっと深い何かが滲んでいる。
セイバーがバーサーカーの横を取り、斬りかかった。巨人の肩口に不可視の剣が食い込む。血が噴いた。ゴッドハンドが反応する——まだこの攻撃には耐性がない。肩の傷が再生する間に、セイバーが追撃。胸を薙ぐ。
ライダーの声が飛んだ。
「同盟は中断した。セイバーたちとは昨日から一時的に敵対状態となっている」
桜が息を呑んだ。
明かしてしまった。明かして——いいんだろうか。同盟が切れたという情報は、敵に渡すべきではないはずだ。だがライダーは嘘をつかなかった。
イリヤの足が止まった。
「中断? 同盟を?」
「はい」
セイバーが答える。
「じゃあ——何で守るの」
イリヤの声が高くなった。
「何で一緒に戦うの? 敵なんでしょ? ライダーは敵なんでしょ? なのに何で——」
士郎は塀の陰から一歩出た。
「——俺は」
言葉が詰まった。何を言えばいい。何が正しい。同盟は中断された。ライダーは敵だ。アーチャーが言った通り、あの男の善意は計略かもしれない。信頼は武器かもしれない。茶は懐柔策かもしれない。
でも——。
「桜を守るためだ」
それが最初に出た言葉だった。
「桜のサーヴァントが戦ってるのを見て、放っておけない。それと——ライダーを疑いきれない。疑う理由はある。アーチャーにも言われた。でも——」
士郎は拳を握った。
「信じたいんだ。あの人を」
イリヤの顔が歪んだ。
苛立ちだった。怒りだった。だがその奥に——羨望があった。信じたい。信じられる誰かがいる。守りたい誰かがいる。守ってくれる誰かがいる。
それが——イリヤにはなかった。
バーサーカーはいる。最強のサーヴァントが傍にいる。だがバーサーカーは言葉を持たない。茶を淹れない。クッキーを焼かない。ただ、立って、斬って、死んで、蘇る。それだけだ。
「甘い」
イリヤの声が震えた。
「甘いよ、お兄ちゃん。なんてあまい考え——私のことは守ってくれないのに」
士郎の顔が強張った。
「イリヤ——」
「切嗣がいなくなって。一人で。ずっと一人で。あの屋敷で。お兄ちゃんはこの街で、みんなと一緒にいて。桜も、凛も、セイバーも、ライダーまで——みんなお兄ちゃんの傍にいて」
イリヤの目が赤く潤んだ。
「私には——誰もいないのに」
坂道に風が吹いた。冬の風。夕日が沈みかけ、街が橙色から灰色に変わっていく。
ライダーがバーサーカーの一撃を受け流し——距離を取った。戦闘の間隙。一瞬の凪。
その凪の中で、ライダーが口を開いた。
「——ひとまず休戦して、茶にしないか」
全員が止まった。
セイバーの剣が止まった。バーサーカーの斧剣が止まった。士郎が目を瞬いた。桜が口を開けた。イリヤが——固まった。
「……は?」
イリヤの声が裏返った。
「おやつ。茶と菓子だ。話はその後でいい」
「何を言って——戦闘中に——意味がわからない——」
「俺は聖杯にかける願いがない。何度も言っているが、俺が求めているのは秩序と安全だ。おまえを殺す理由がない。おまえのバーサーカーを削る理由もない。であれば——戦う前に話すほうが、互いに得だ」
イリヤは目を見開いた。
「信じない」
「信じなくていい。茶を飲んでから判断しろ」
「信じない! そんなの——そんなの嘘に決まってる! みんな嘘つき! 切嗣も嘘つきだった!おやつって何よ!? 馬鹿にしないで!!バーサーカー!!」
バーサーカーが動いた。
斧剣が横薙ぎに振るわれた。セイバーではなく、ライダーに向かって。
ライダーは受け流せなかった。正面から。斧剣の平がライダーの体を捉え——吹き飛ばした。壁を突き破り、路地の奥に叩きつけられた。瓦礫が崩れ、粉塵が立ち上った。
「ライダー——!」桜が叫んだ。
士郎はライダーが吹き飛ばされるのを見た。見て——考えるより先に、体が動いた。
ライダーの言葉。茶にしないか。あれが本心か計略か、わからない。わからないが——あの言葉に、乗りたいと思った。
「イリヤ、やめてくれ! 一旦やめよう! 話そう!」
士郎は塀の陰から完全に出た。セイバーが制止しようとしたが、士郎は構わなかった。
「戦う必要なんかないはずだ。イリヤも、ライダーも、セイバーも——誰も死ななくていい。話せばわかる。話させてくれ」
イリヤは士郎を睨んだ。
赤い瞳が揺れている。怒り。悲しみ。寂しさ。全部が混ざって、溢れかけている。
「戦う理由? そんなの——それが私の使命だもの! アインツベルンの使命! 聖杯を手に入れて、お母さまの悲願を果たすの! それ以外に私の存在する理由なんてないんだから!」
「そんな使命に従う必要ない!」
士郎が叫んだ。
「使命とか悲願とか——そんなもののために、イリヤが傷つく必要ない! 一緒にいよう! 俺たちと——」
「ずっといなかったくせに!」
イリヤの叫びが、坂道を震わせた。
「切嗣がいなくなってから——ずっと! 十年! あの城で一人で! お兄ちゃんは何もしてくれなかった! 知らなかったっていうの!? 知らないから関係ないっていうの!?」
士郎は言葉を失った。
「切嗣も士郎も——大嫌い!」
涙が頬を伝っていた。イリヤの。十歳の外見の少女が、百年の悲願と十年の孤独を背負って、坂の上で泣いていた。
「ライダーも——絶対に許さない! あなたのせいで翁が出て、バーサーカーの命が三つも——取り返しがつかないのよ!」
瓦礫の中から、ライダーが立ち上がった。鎖帷子が破れ、腕から血が流れている。だが立った。曲刀は——手にしていない。吹き飛ばされたときに落としたのだ。
ライダーは両手を下ろしたまま、イリヤを見た。
「交渉決裂だな」
苦笑だった。目尻の皺が深くなる、あの笑い方で。
セイバーはバーサーカーと対峙していた。剣を構え、巨人の動きを見ている。バーサーカーはイリヤの命令がなければ動かない。イリヤは——士郎を見ている。
桜は路地の陰で、両手で口を覆っていた。何が起きているのかわからない。同盟は切れたはずなのに、ライダーとセイバーが一緒に戦っている。イリヤが泣いている。士郎が叫んでいる。全部がぐちゃぐちゃだ。
士郎はイリヤを見ていた。
イリヤは士郎を見ていた。
そしてライダーは——曲刀を落としたまま、イリヤの斜め後方に立っていた。
士郎はそれに気づいた。
ライダーの位置。イリヤの斜め後方。バーサーカーの死角。曲刀は手にしていないが、あの位置からなら——一歩で間合いに入れる。イリヤの首筋に手が届く距離。
マスターを抑えれば、バーサーカーは止まる。
茶にしないか、という提案。イリヤを怒らせた。イリヤにそんな提案をすれば、馬鹿にされたと思うに違いなかった。怒ったイリヤはバーサーカーに命じ、ライダーを吹き飛ばした。そのすぐ後——イリヤの注意は士郎に向いた。感情が溢れている。集中が散漫になっている。
これが——最初からライダーの狙いだったとしたら。
疑いたくない。
疑いたくないが——。
士郎の手が動いた。
考えるより先に。アーチャーの教えが体に染みついている。ライダーにも見てもらっていた。強化の魔術。物の本質を引き出し、強度を上げる。
足元に転がっていたパイプを拾った。バーサーカーとセイバーの戦闘で引きちぎれた水道管の破片。鉄のパイプ。長さは五十センチほど。
魔術回路が起動した。強化。パイプの組成を読み取り、鉄の本質を引き出し、強度と重量を跳ね上げる。一瞬で。
士郎は投げた。
パイプはライダーの手に向かって一直線に飛んだ。
ライダーは反応した。反応できるだけの反射神経があった。だが——両手は下ろしたままだった。曲刀は地面にある。パイプを避けることはできた。だが避けなかった。
パイプがライダーの右手を打った。
正確には——ライダーが地面から拾い上げかけていた曲刀の柄を、パイプが叩いた。曲刀が弾かれ、石畳の上を滑って離れた。
ライダーの手から武器が消えた。
坂道が静まり返った。
イリヤが驚いて動きを止めていた。イリヤの右手に集まっていた魔力——アインツベルンの術式が、士郎の首元まで迫っていた。あと一秒で、士郎の首を絞める糸のような魔術が完成するところだった。だがイリヤは——士郎がライダーを攻撃したことに驚き、術式の完成を止めた。
士郎はライダーを見た。
武器を失った王が、坂道の途中に立っている。両手は空。包帯の下から血が滲んでいる。琥珀色の瞳が、士郎を見ている。
「おまえを疑いたくない」
士郎の声が震えていた。
「本当だ。おまえを疑いたくない、ライダー。おまえがイリヤを傷つけるつもりだったのか、本当におやつにしたかっただけなのか——俺にはわからない。わからないけど——疑いたくないからこそ、その手に何も持ってないでくれ」
ライダーは士郎を見つめた。
三秒。
ライダーは両手を挙げた。掌を見せるように。何も持っていない。何も隠していない。
「——わかっているとも」
声は穏やかだった。怒りはなかった。失望もなかった。ただ——認めていた。士郎の行動を。士郎の判断を。疑いたくないから武器を叩き落とすという、矛盾した行為の中にある誠実さを。
セイバーの剣が下がった。
バーサーカーの斧剣が下がった。
イリヤの手の魔力が霧散した。
誰も動かなかった。
戦いは——なんだか、止まってしまった。
坂道に夕日の最後の光が差している。三人と三騎が、橙色の光の中に立っている。敵同士のはずだった。味方同士のはずだった。どちらでもなくなった。曖昧な距離感のまま、誰も次の一手を打てないでいる。
イリヤがバーサーカーの脚にしがみついた。
セイバーが士郎の隣に戻った。
桜が路地の陰から顔を出した。
ライダーは両手を挙げたまま、空を見上げた。
冬の空に一番星が光っていた。
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