遠坂邸の工房に、ライダーが駆け込んだときには全員が揃っていた。
イリヤが椅子に座り、凛が術式陣の傍に立ち、桜が毛布を肩にかけて壁にもたれ、アーチャーが縁側の柱に背を預けている。四人の視線がライダーに集まった。
「ライダー。何かあったの」
凛の声に、ライダーは息を整えてから答えた。
「聖杯の汚染について話す。座ってくれ」
全員が座った。ライダーは立ったまま——話した。
第三次聖杯戦争でアインツベルンが行った反則召喚。この世全ての悪、アンリマユ。聖杯に取り込まれた呪い。願望機としての機能が変質し、全ての願いを破壊によって実現する構造になっていること。第四次で溢れ出した呪いの泥が冬木の大火を引き起こしたこと。
話し終えるまで、三分。
工房に沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはイリヤだった。
「……待って。その情報、どこから」
「英雄王から直接聞いた」
三人の顔が同時に動いた。
「英雄王——ギルガメッシュ? 」凛の声が上がった。
「ああ」
「生きてたの!? 第四次のサーヴァントが!?」
「翁に半殺しにされて動けなくなっていたが、生きている。受肉しているらしい。言峰の切り札だ」
「四次の生き残り——」凛が額を押さえた。「四次の英雄王が、ずっと冬木にいた? それを——あんた、知ってたの?」
「向こうから遠見で接触してきた。桜と一緒にいるときに」
「いつ!?」
「数日前、か」
凛の目が据わった。アーチャーの目も据わった。イリヤの目も据わった。
三対の目がライダーを射抜いている。
ライダーは一拍置いて——頭を下げた。
「言おうとは思っていたんだが、あいにく、その前に同盟が中断になってしまってな」
「あいにく」凛の声が平坦になった。
「あいにく、で済む話じゃないわよ。英雄王の生存情報は戦略の根幹に関わる。同盟中に共有すべき最重要情報でしょう」
「弁解はしない。私の落ち度だ」
凛はため息をついた。深い、腹の底からの。アーチャーは無言で首を振った。イリヤは呆れた顔でバグラヴァの残りを齧った。
確かに、遭遇が同盟中断の直前だったなら理屈は通る。しかし、"あえて"言わなかったのではないかという疑念は残る。つまり、同盟中断によって秘匿できる情報の一つとして捉えていたのかもしれない。計略なのか、不可抗力なのか、もはや誰にもわからない。
「……まあ、いいわ。過ぎたことは後で詰める。今は桜の話が先よ」
凛は居住まいを正した。
「ライダー。桜の体の中にあるもの——イリヤに診てもらった。結果は、擬似的な小聖杯。大聖杯への接続点が魔術回路の最深部に埋め込まれてる。臓硯の仕業よ」
ライダーの琥珀色の目が暗くなった。
「サーヴァントが脱落するたびに、魂の一部が桜を経由して大聖杯に流れ込む。今は二騎分だから影響は軽微。でも脱落が進めば——桜の体が持たなくなる。最悪、桜自身が聖杯の一部に呑み込まれる」
「そしてその聖杯が汚染されている」
「そう」
凛は両手を卓に置いた。
「こうなっては——手段は一つ。いや、二つとも、よ」
全員の視線が集まった。
「まず桜の切り離し。柳洞寺のキャスターの術式残骸を使って、桜と大聖杯の接続を断つ。あの子供のときと同じ要領で。これが第一」
「第二は」
「聖杯を破壊する」
凛の声は平静だった。平静すぎるほどに。
「汚染された聖杯を放置すれば、いずれ起動する。五次でなくても六次、七次で。起動すれば冬木が焼ける。前回のように。今回ここで終わらせなければ、同じことが百年後にまた起きる」
「順番が重要だ」ライダーが言った。
「ええ。まず切り離し、それから破壊。逆にはできない。聖杯を先に壊してしまったら、その余波がどう桜に影響するかわからない。接続が繋がったまま本体が破壊されれば、逆流が——」
「桜の体を壊す可能性がある」
「そう。だから順番を守る。切り離してから、壊す」
凛はイリヤを見た。
「イリヤ。あんたは——聖杯の器よ。聖杯を壊すとき、あんたの体にも影響が出る可能性がある。大聖杯との接続は、桜と違って設計段階から組み込まれてる。切り離しが効くかどうかも——」
「わかってる」
イリヤの声は静かだった。
桜が身を乗り出した。
「イリヤさん——でも、それじゃイリヤさんが——」
「いいわ」
イリヤはバグラヴァの欠片を飲み込んだ。
「長くない命なのは変わらないもの」
桜が息を呑んだ。イリヤの赤い瞳には覚悟があった。覚悟というより——諦めに近い何か。ホムンクルスとしての寿命は元々短い。聖杯の器として設計された体は、戦争が終われば遠からず機能を停止する。聖杯を壊す余波で多少縮んだところで——大差ない。
「満場一致ということでいいわね」
凛が全員を見回した。
桜が頷いた。イリヤが頷いた。ライダーが頷いた。
アーチャーが腕を組んだまま、声を出した。
「一つ言っておく。その汚染の情報——英雄王から直接聞いたというが、真偽がわからんな」
「わかっている」ライダーが答えた。
「英雄王が嘘をつく理由もあれば、嘘をつかない理由もある。検証する手段は限られている」
「だが——」アーチャーはライダーを見た。「それはライダーが持ってくる情報という時点で、どんなものでも同じことだ。英雄王が嘘をついているのか、ライダーが英雄王の言葉を改竄しているのか、あるいは全て事実なのか。俺たちには区別がつかない」
ライダーは否定しなかった。
凛はアーチャーの言葉を聞き、三秒考え——頷いた。
「受け入れるわ。情報の出所が怪しいのは承知の上。でも汚染の話は第四次の冬木大火と符合する。それに——聖杯が安全だという保証は、誰にもできない。壊す判断は、汚染がなくても遅かれ早かれ必要だった」
「合理的だな」
「合理的よ。遠坂の当主ですから」
凛の声が僅かに震えた。合理的に、自分の家の二百年の悲願を捨てようとしている。合理的に。
「士郎には私から伝えるわ」
「怒るな、あいつは」ライダーが言った。
「怒るわよ。イリヤのこと聞いたら確実に怒る。でも——ひとしきり怒ったあと、同意するに違いないわ。あいつはそういう人間よ」
凛が苦笑した。アーチャーも口元を緩めた。ライダーも目尻の皺を深くした。
三人が同時に笑っていた。敵同士で、疑い合っていて、それでも——衛宮士郎という人間の反応だけは、全員が正確に予測できた。
「もう一つ」
ライダーが声を改めた。笑みが消え、真剣な目に戻った。
「イリヤ」
「何」
「おまえのホムンクルスとしての仕様について聞きたい。体の構造、魔術回路の設計、機能停止までの残り時間。聖杯の器としてではなく——おまえ自身の体について」
イリヤが目を瞬いた。
「なんで」
「治療のためだ」
イリヤの手が止まった。バグラヴァを持ったまま、固まった。
「聖杯を壊す。桜を切り離す。それは決まった。だが——おまえの問題がまだ残っている。器としての機能を停止したあと、おまえの体がどうなるか。寿命がどれだけ残っているか。延命の可能性があるか。全員救えるなら、それが当然望ましい」
イリヤは何も言わなかった。
何も言えなかった。バグラヴァを持った手が震えていた。赤い瞳が——揺れていた。
この男は——何を言っているのだろう。
長くない命だと言った。自分で言った。覚悟している。諦めている。それで良かった。それが楽だった。アインツベルンの使命を果たし、器としての機能を全うし、静かに消える。それでよかったのに。
治療。延命。全員救える。
誰もそんなことを言わなかった。おじいさまたちは言わなかった。メイドたちも言わなかった。城の誰も。イリヤの命を延ばそうと考えた者は——いなかった。
凛が口を開いた。
「ライダー。イリヤはアインツベルンの最高傑作よ。ホムンクルスとしての設計は人間の魔術師では解析しきれない。仮に構造がわかっても——治療する手段が」
「魔力があれば延命に充てられるか」
凛は考え込んだ。
「……可能性はある。ホムンクルスの機能停止は、魔力の枯渇が主因よ。聖杯の器としての負荷で魔術回路が摩耗して、自律的な魔力生成ができなくなる。外部から魔力を継続的に供給できれば——停止を遅らせることはできるかもしれない。長命とまでは言わないけど」
「何年」
「わからない。数年。あるいは十年。もっと短いかもしれない。データがない」
ライダーは頷いた。
「では、我が命を捧げよう」
工房が静まり返った。
「聖杯を壊したあとで——私のサーヴァントとしての魂を、イリヤの延命に充てる。英霊の魂は膨大な魔力の塊だ。聖杯の燃料になるほどの。それをイリヤの体に注げば——数年の猶予は作れるはずだ」
イリヤのバグラヴァが畳に落ちた。
「なっ——何を——」
「おまえが死ぬ必要はない。少なくとも、今すぐには。数年の猶予があれば、その間に恒久的な延命策を探せる。遠坂の魔術、アインツベルンの技術、あるいはまだ知らない方法が——」
「そんなの——あるかどうかも——」
「他にも手がないことはないが」
ライダーは一瞬だけ何かを考え——首を振った。
「いや。期待すべきではないな」
その言葉の奥に、何か別の選択肢が透けて見えた。だがライダーはそれ以上語らなかった。
イリヤは畳に落ちたバグラヴァを見つめていた。
治療。延命。命を捧げる。
バーサーカーの命を三つ奪った翁を呼び込んだ男。許さないと叫んだ相手。敵。
その男が——自分の命を、差し出すと言っている。
イリヤは何も言わなかった。何も言えなかった。バグラヴァを拾い上げ、埃を払い、口に入れた。
次の投稿は明日です。
早いもので、あと三投稿くらいで終わりますので、
最後までよろしくお願いします。