桜「中東のライダー?」   作:ヤシの木の里

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柳洞寺

士郎は怒った。

 

凛が予告した通りだった。イリヤが聖杯の器であること、大聖杯の破壊でイリヤに影響が出ること、ライダーが自分の魂を延命に充てると言ったこと。全てを聞いて、士郎は椅子を蹴って立ち上がった。

 

「ふざけるな——イリヤが死ぬかもしれないのに、壊すのか!?」

 

「士郎。座りなさい」

 

「座れるか! 桜と同じだろ!? 桜は切り離せるのに、イリヤは切り離せないのか!? 同じように——」

 

「同じじゃないの」

 

凛の声が鋭かった。

 

「桜は後付けの改造。接続点を外科的に断てる。でもイリヤは設計段階から器として組み込まれてる。体そのものが聖杯の一部なの。切り離すっていうのは、イリヤの体からイリヤを切り離すようなもので——」

 

「じゃあ体を——」

 

「いじれない。アインツベルンのホムンクルスの構造は人間の魔術では解析しきれない。仮にいじれたとしても、聖杯との接続を切れば魔力供給が絶たれる。今のイリヤの体は聖杯から魔力を受けて動いてるの。切ったら——同じことよ」

 

士郎は拳を握りしめた。

 

「ライダーは——自分の魂で延命できるって言ったんだろ。でもそれも確実じゃないんだろ」

 

ライダーが答える。

 

「確実ではない。英霊の魂を人体に注ぐのは前例がない。理論上は可能だが、実際に何が起きるかは——やってみなければわからない」

 

「じゃあ——手が見つかるまで先延ばしにできないのか。もっと調べて、確実な方法を——」

 

「英雄王が動けるようになれば、それどころではなくなる」

 

凛が言った。

 

士郎の目が見開かれた。

 

「英雄王——ライダーが治した——」

 

「そう。ライダーが足がかりを作った。今ごろ宝物庫の治療具で回復を始めてるはずよ。英雄王が万全に戻ったら——汚染された聖杯を使って何をするかわからない。あの王にとって聖杯は娯楽だと、ライダーは言った。娯楽のために冬木を焼く可能性がある」

 

士郎はライダーを見た。

 

「なんで治しちゃったんだよ」

 

「英雄王のほうがリスクが低かった」

 

ライダーの声は淡々としていた。

 

「あの時点では聖杯の汚染を知らなかったが、予感はあった。英雄王から情報を引き出すために治療を提案した。万能の願望機の実体が不明確なまま戦争を続けるより、英雄王を治して情報を得るほうがマシだった。結果として——聖杯の正体がわかった。正体がわかった以上、最短で動く他ない」

 

士郎は黙った。

 

黙って、拳を握りしめて、目を閉じて——三秒。

 

目を開けた。

 

「……わかった。やるしかないなら、やる。でも——俺は絶対に、イリヤを死なせない。絶対に」

 

どうすればいいのかは分からなかった。けれど、今はどうしようもないことは分かっていた。

 

「ああ。そのつもりだ」

 

全員が立ち上がった。

 

---

 

柳洞寺。石段。

 

六人と三騎が石段を上った。

 

士郎、凛、桜、イリヤ。アーチャー、ライダー。バーサーカーは霊体化してイリヤの傍に。セイバーは実体のまま、イリヤの背後に立った。

 

冬の夕暮れ。石段の途中から冬木の街が見下ろせる。橙色の街並み。煙突から白い煙。平和な街。この街を守るために、聖杯を壊す。

 

ライダーが地に手をかざして、何事かをつぶやいた。

 

士郎が問いかける。

 

「ライダー、なにしてるんだ?」

 

「備えあれば憂いなし、だ」

 

 

石段を登りきった。

 

山門の前に——人影が立っていた。

 

黒い神父服。胸の十字架。切れ長の目。薄い笑み。

 

言峰綺礼が、山門の中央に立っていた。

 

「——聖杯を破壊するかね」

 

凛の足が止まった。全員が止まった。

 

「だったらどうなの。邪魔する?」

 

「もちろんだ。私は監督役だからな」

 

言峰の声は穏やかだった。穏やかで、空虚だった。

 

「聖杯戦争の監督役として、聖杯の破壊を看過するわけにはいかない。御三家が二百年かけて築いた儀式を、参加者の一存で消滅させることは——規約に反する」

 

「規約を持ち出すの。あんたが」

 

「私が、だからこそだ。規約を守る者がいなければ、規約の意味がない。私は監督役として——最後まで、職責を果たす」

 

凛は言峰を見据えた。

 

「こっちには四騎いるわよ。セイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカー。ランサー一騎で勝ち目があると思う?」

 

「もちろんわかっている」

 

言峰は笑みを深くした。

 

「これは職責を果たすためだけのものだ。勝利を求めてはいない」

 

その瞬間——。

 

**「——ゲイ・ボルク!」**

 

怒声が空を裂いた。

 

石段の下から朱い閃光が走り、一直線にアーチャーの胸を貫いた。

 

因果逆転の槍。心臓を必ず穿つ呪い。結果が先に確定し、過程が後から追いつく。アーチャーの体が反応するより前に——朱い穂先が心臓を貫通していた。

 

アーチャーの目が見開かれた。口から血が溢れた。膝が崩れた。

 

「アーチャー——!!」

 

凛が叫んだ。

 

セイバーとライダーが同時に動いた。

 

ランサーが石段の上に着地した。朱い槍を引き抜き、身を翻す。セイバーの不可視の剣が横薙ぎに振るわれた。ランサーが跳んでかわす——かわしきれなかった。ライダーの曲刀が死角から走り、ランサーの左腕を切り落とした。

 

肘から先が石畳に落ちた。血が噴いた。

 

ランサーは歯を食いしばり、残った右腕で槍を構え直し——言峰の横に降り立った。

 

「一人。働きとしては十分か」

 

言峰が呟いた。

 

「十分だとも。お前は十分な働きをした」

 

ランサーは槍を肩に担いだ。左腕のない体で。血が石畳を染めていく。だがランサーの目は死んでいなかった。

 

「ま、ここからはあがきだ。せいぜい遊んでくれよ」

 

ランサーが飛び出した。

 

片腕で槍を振るう。それでもなお、ランサーの槍捌きは凄まじかった。セイバーの剣と三合打ち合い、ライダーの曲刀を弾き、石段を蹴って距離を取り、また突進する。

 

セイバーとライダーが二人でランサーを追い詰めていく。一対二。しかも片腕。本来なら瞬殺されるはずの状況を、ランサーは技と速度と覚悟だけで生き延びていた。

 

バーサーカーは動かなかった。

 

イリヤが命じていた。動くな、と。バーサーカーが参戦すれば場が混乱する。ランサーはセイバーとライダーに任せて、自分たちは儀式に集中する。それがイリヤの判断だった。

 

凛はアーチャーの傍に駆け寄った。心臓を貫かれている。だがアーチャーはまだ消滅していなかった。サーヴァントの体は人間より頑丈だ。心臓を貫かれても即座には消えない。

 

「アーチャー——! しっかりして——」

 

「凛……すまん……油断した……」

 

「喋らないで。魔力を送る。持ちこたえて」

 

凛は令呪を使った。一画。アーチャーの体に魔力を注ぎ込む。消滅を食い止める。完全な治療ではない。だが時間は稼げる。

 

「士郎、桜、イリヤ! 儀式を始めるわよ! 私は術式を起動する。イリヤは桜の接続点を特定して。士郎は桜のそばで魔力を安定させて!」

 

三人が動いた。

 

本堂に入る。前回と同じ術式陣。キャスターの残骸。床に刻まれた魔術回路。まだ生きている。

 

凛は術式陣に宝石を配置しながら、境内の剣戟を聞いていた。セイバーの剣とライダーの曲刀がランサーの槍と噛み合う音。金属の悲鳴。地面が割れる音。ランサーが吠える声。

 

「さすがのエセ神父も、監督役の矜持を守るだけしかできないみたいね」

 

凛が呟いた。言峰は戦闘に参加していない。山門の柱にもたれて、腕を組んで観戦している。ランサーを使い潰すつもりなのか。

 

ライダーが本堂に戻ってきた。セイバーに任せてきたのだ。

 

「遠坂。一番危うい時はいつだ」

 

「そろそろよ。切り離しの瞬間——桜と大聖杯の接続を断つ瞬間が一番不安定になる。魔力の逆流が起きる可能性がある」

 

「了承した」

 

ライダーは曲刀を構え、儀式陣のそばに立った。何が来ても桜を守れる位置。

 

セイバーも本堂の入り口に戻った。ランサーを境内に押し込み、距離を作ったのだ。不可視の剣を構え、本堂と境内の間に立つ。

 

桜は術式陣の中央に座っていた。目を閉じている。イリヤが桜の背後にしゃがみ、小さな手を背中にかざしている。

 

「接続点、見えた。——凛、始めて」

 

凛の詠唱が始まった。宝石が一つずつ砕け、光が回路を走る。

 

---

 

境内。

 

ランサーは片膝をついていた。

 

左腕がない。槍を振る力が落ちている。セイバーとライダーの二騎を相手に、もう限界だった。セイバーとライダーは凛を囲み、ランサーと距離をとって立つ。儀式が安定次第、次の踏み込みで距離を詰めて切り捨てるつもりだ。

 

だが——ランサーは笑っていた。

 

「そろそろ、終わりかな」

 

息が荒い。血が流れている。だが目だけは生きていた。青い瞳が夕暮れの空を映している。

 

言峰が山門の柱から背を離した。

 

「そうだな」

 

言峰の声が、境内に響いた。

 

**「アーチャーも今に消える。役目は終わりだ。――新たに聖杯の贄となれ、自害しろ、ランサー」**

 

令呪が光った。言峰の手の甲に刻まれた紋章が一画消える。絶対命令。

 

ランサーの右手が動いた。槍が——自分の胸に向いた。朱い穂先が、心臓の真上に。

 

ランサーの目が見開かれた。体が言うことを聞かない。令呪の強制力。絶対命令。自分の意志とは関係なく、腕が動く。槍が近づく。ライダーとセイバーは間に合わない。刃が、あと五センチ。三センチ。

 

鉄の音がした。

 

ランサーの右手から——槍が弾き飛ばされた。

 

士郎が立っていた。

 

手に持っているのはパイプ。本堂の裏手から拾った鉄パイプ。強化の魔術で硬度を上げ、全力で振り抜いて、ランサーの槍を叩き落とした。

 

ランサーの目が——士郎を見た。

 

「坊主——」

 

セイバーとライダーが同時に動いた。

 

セイバーがランサーの右腕を押さえ、ライダーが背後から両肩を抑え込んだ。二騎がかりでランサーを地面に組み伏せる。ランサーは抵抗しなかった。令呪の命令は「自害しろ」だ。槍がなければ実行できない。実行できなければ——命令は宙に浮く。

 

「そういうことね」

 

イリヤの声が本堂から聞こえた。

 

術式陣の傍で桜の接続点に手をかざしたまま、イリヤは言峰を見ていた。赤い瞳が冷たく光っている。

 

「儀式の一番危うい瞬間に、サーヴァントの魂を聖杯に注ぎ込む。アーチャーで一騎。ランサーの自害で二騎。一度に二騎分の魂が流れ込めば、術式陣が耐えきれない。桜の切り離しが失敗する——どころか、暴走するかもしれない。それに、ダメ押しでもう一騎」

 

凛が振り返った。

 

「もう一騎って——まさか」

 

「そう。英雄王よ」

 

イリヤの声が硬くなった。

 

「英雄王が今、死にかけている——あるいは、もう死んでいる。ライダーが治療の足がかりを作ったけど、それは足がかりでしかない。英雄王の傷は翁の概念。完全には治らない。回復しかけた体が力尽きて消滅すれば——三騎目の魂が聖杯に流れ込む」

 

凛の顔が蒼白になった。

 

「三騎同時——」

 

「儀式どころじゃないわ。大聖杯が暴走起動する可能性がある。切り離しも破壊も何もかも吹き飛ぶ」

 

全員の視線が言峰に向いた。

 

言峰は——笑っていた。

 

薄い笑み。空虚な笑み。何も映していない目で、何もかもを見通している笑み。

 

「察しがいいな、アインツベルンの小聖杯」

 

「英雄王は」

 

「死にかけている。いや——正確には、ライダーの薬で一時的に持ち直したが、翁の傷が再発した。治療の足がかりは足がかりでしかなかった。今ごろ教会の地下で、最後の宝物を使い切ろうとしているだろう。持って——あと数分か」

 

凛が叫んだ。

 

「儀式を止める——! 今起動したら——」

 

「止めるな」

 

ライダーの声だった。

 

ランサーを地面に押さえつけたまま、ライダーが言った。

 

「止めれば桜の接続が残る。英雄王が死ねば三騎分の魂が流れ込む。接続が残ったまま三騎分を受ければ——桜の体が持たない」

 

「でも儀式中に三騎分が——」

 

「切り離しを完了させろ。今すぐに。英雄王の魂が来る前に」

 

凛は歯を食いしばった。

 

振り返った。術式陣。桜。イリヤ。光が走っている。切り離しは八割まで進んでいる。あと少し。あと少しで——。

 

「イリヤ!」

 

「わかってる! やってる!」

 

イリヤの手が光っていた。アインツベルンの術式。聖杯の器としての知識を総動員して、桜の接続点を剥がしている。

 

凛の詠唱が加速した。宝石が砕ける。光が走る。

 

本堂の外で、言峰がゆっくりと山門に背を向けた。石段を降り始めた。

 

「待ちなさい、言峰——!」

 

言峰の背中が石段の闇に沈んでいった。

 

境内に押さえつけられたランサーが、石畳に頬をつけたまま空を見上げた。

 

「……やれやれ。最後まで使い潰されるかと思ったが——助かったぜ、坊主」

 

士郎はパイプを握ったまま、自分の手を見ていた。

 

自分は——ただ、"全員生き残ること"を意識していた。

 

儀式が始まって、剣戟が続いて、凛が詠唱して、イリヤが桜の接続を剥がして。みんながそれぞれの役割に集中していた。ランサーのことは——セイバーとライダーに任せていた。

 

だが言峰の声が響いた瞬間、全員がランサーから意識を離した。儀式のほうに。桜のほうに。聖杯のほうに。

 

士郎だけが——ランサーを見ていた。

 

なぜかはわからない。見ていたのだ。ランサーの右手が動くのを見て、槍が胸に向くのを見て——体が動いた。パイプを掴んで、強化して、振り抜いた。考えるより先に。

 

全員が生き残ること。

 

それだけを考えていた。だから、みんなが聖杯に気を取られたとき、自分だけがランサーの死を止められた。

 

正しかったのかどうか、わからない。でも——。

 

セイバーを見た。

 

セイバーはランサーを地面に押さえつけたまま、士郎を見ていた。

 

頷いた。

 

小さく、確かに。

 

あの頷きが——答えだった。

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