いつかは魔王!   作:元近ちか

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第10話 ゴブリン掃討作戦

 (まぶ)しい陽光が、村の広場に降り注いでいた。

 

 軒先(のきさき)では宿の婦人が洗濯物を広げ、白い布が風を含んでふくらむ。

 犬は井戸端(いどばた)の日だまりで腹を見せ、眠たげに大きな欠伸(あくび)をした。

 

 昨夜の物々(ものもの)しい雰囲気とは打って変わり、昼の村は平穏そのものに見える。

 ただ──昨夜のゴブリンの襲撃(しゅうげき)から防ぎきれなかったのだろう、不穏な爪痕(つめあと)が残っている。

 柵の一部はへし折られ、麦畑は踏み荒らされている。

 

 そんな村の門を抜け、ハルスフォートとリスティは並んで歩いていた。

 

 ハルスフォートは、昨日の泥汚れを落とした旅人装束に身を包んでいる。

 対してリスティは、歩きながら一枚の羊皮紙を両手で握りしめていた。

 

 目を近づけすぎて、鼻先が紙に触れそうなほどだ。

 羊皮紙(ようひし)には、ハルスフォートの筆致で公式詠唱の発音が細かく書き込まれている。

 

「……Wetipxsa(ウェティプクサ)……Auas(オーアス)、オィク……」

 

 喉の奥で音を転がすように、リスティがぶつぶつと発音を繰り返す。

 その横顔を見下ろし、ハルスフォートが短く指摘した。

 

oyc(オィク)c()が違う。これは喉の奥を鳴らす喉音(こうおん)だ。

 舌の付け根を上げ、泥を吐き出すように空気を震わせろ」

「え……ええと、ク、ク、c()……」

 

 リスティは口の中で何度も音をこねた。

 だが、出てくるのは不出来な乾いた音ばかり。

 

 喉まで上がったため息を、ハルスフォートは奥歯で噛み殺した。

 

 火力だけなら、彼女は大人顔負けの魔術師だ。

 しかし、何度も発音をとちる様子を見ると、嫌でも思い知らされる。

 

 リスティは、まだ子供だ。

 

 多すぎる魔力を持っているだけの、未熟な子供。

 教えるべきことは、山ほどある。

 

 忍耐深く向き合うことを覚悟し、ハルスフォートは項垂(うなだ)れる。

 

「……すみません。やっぱり、わたしでは足手まといでしょうか」

 

 羊皮紙(ようひし)を握るリスティの指が、白く強張(こわば)っていた。

 目線は紙に落ちたまま、まつ毛だけが小さく震えている。

 

 一昨日の夜、彼女はゴブリンに敗れた。

 その事実はまだ、小さな肩にのしかかっているようだ。

 

「足手まといなら連れて来ない」

 

 ハルスフォートは即答する。

 

「だが、失敗はするだろうな」

「……そう、でしょうね」

 

 (うつむ)きかけたリスティへ、ハルスフォートは間を置かず言った。

 

「初めての魔術を、初めての実戦で、完璧(かんぺき)に唱えられる方がおかしい。

 だから、おれはおまえが失敗する前提で動く」

 

 ハルスフォートは背を向けたまま、淡々(たんたん)と続けた。

 

「おまえは詠唱だけ考えろ。失敗は、おれの計算に入っている」

「……何度も失敗したら?」

「何度でもやり直せ。成功するまで、おれが時間を稼ぐ」

 

 当然のように言われ、リスティは言葉を失った。

 責められた痛みではない。温かな熱が心臓に灯る。

 

「それと、作戦中はおれの背に乗れ」

「せ、背に……?」

「空から撃つ。落ちる心配はするな。おれが支える」

 

 リスティはしばらく迷った。

 視線がハルスフォートの背と、羊皮紙と、自分の靴先を行き来する。

 

 やがて、首を小さく縦に振った。

 

「……はい。お願いします」

「返事より発音だ。さっきのc()、もう一度」

 

 リスティは息を吸う。

 胸がわずかに膨らみ、細い喉がこくりと上下した。

 

Wetipxsa(ウェティプクサ)……Auas(オーアス)oyc(オィク)

 

 自信なさげに、わずかに音が沈んだ。

 ハルスフォートの口から、訂正は飛ばない。正しい発音だったのだ。

 

「今のを忘れるな」

「……ありがとうございます」

 

 リスティは羊皮紙(ようひし)を胸に押し当て、噛みしめるように目を伏せた。

 

 やがて、二人の足元から道が消えた。

 足音は枯れ葉の下へ沈み、(こずえ)からこぼれる光が2人の行く先を照らす。

 

 森の奥から、獣とも虫ともつかない気配が流れてきた。

 ゴブリンの生息地は、もう近い。

 

「ここらだな」

 

 金髪の男から貰った地図を懐にしまい、ハルスフォートがリスティに呼びかける。

 

「は、はい」

 

 リスティもまた、発音表をマントの裏へ隠す。

 

 夜行性のゴブリンたちは、本来なら木の根元や洞穴で眠っているはずだった。

 昼の森は静かで、葉擦れの音ばかりが耳につく。

 

 しかし、ハルスフォートが深い茂みに一歩を踏み出した瞬間。

 

 ギイッ!

 

 葉の隙間から、濁った黄色の目が開いた。

 見張りのゴブリンと、視線がぶつかる。

 

 ゴブリンの知能は人間より低いが、並の動物よりも高い。

 学習能力を持つ彼らは、昨日の「襲撃者」への警戒を(おこた)っていなかったのだ。

 

 ギィィィヤアアアッ!

 

 見張りの声が、静かな森を叩き起こす。

 

 茂みが揺れる。

 木の影が割れる。

 

 同じ顔をしたゴブリンたちが次々と姿を現し、棍棒を握って立ち上がった。

 

「チッ!」

 

 舌打ちし、ハルスフォートはリスティに顔を向けた。

 

「……手筈(てはず)通りに行くぞ」

 

 言って、ハルスフォートは彼女に背を向けて屈んだ。

 

「あの……おんぶ、ですよね?」

「その通りだ。早くしろ」

 

 リスティがおずおずと首に腕を回す。

 ためらいがちな体重が背中に乗ると、ハルスフォートは彼女の膝をしっかりと固定した。

 

「……小さいころ、お父さんに負ぶられて以来です」

「今も充分小さいだろ」

 

 軽口を叩きながら、ハルスフォートは地を蹴る。

 

跳空(エアステア)!」

 

 足元に見えない力場(りきば)が生まれる。

 ハルスフォートは(くう)を踏み、2人の体は木々の影を置き去りにして浮上した。

 

 2人の作戦は、こうだ。

 

 地上からでは、ゴブリンの肉壁に阻まれ、天然魔式装具(マギスレイヴ)の破壊は困難。

 ならば──ハルスフォートがリスティを背負って空を跳び、上空からリスティの魔術を叩きこめば良い。

 

 ただし、この作戦には考慮(こうりょ)すべき穴がある。

 

 (こずえ)を越えた空の上。

 森の木々よりわずかに高い位置で、ハルスフォートは足場のない空に立つ。

 

 ギャヒィッ!

 

 地上から、憤怒(ふんぬ)(おび)えの混ざった叫びが()き上がった。

 直後。

 

 ヒュッ!

 

 木々の隙間から、石が飛ぶ。

 一つではない。黒い(つぶて)の群れが、雨を逆さにしたように空へ噴き上がった。

 

 これが、この作戦の1つ目の穴。

 金髪の男からも指摘された、地上からの攻撃である。

 

 ハルスフォートは跳空(エアステア)を使用している。

 リスティは攻撃魔術に専念しなければならない。

 

 つまり、魔術で防御する手は使えないのだ。

 ならば。

 

 ギキンッ!

 

 ハルスフォートの剣が抜かれた。迫る石を(はじ)き飛ばす。

 魔術で防御できなければ、剣術で応戦すれば良い。

 

 ゴブリンの手先は、狙いを定めて投げられるほど器用ではない。

 軌道(きどう)は荒く、ほとんどは虚空(こくう)を過ぎる。

 

 数多(あまた)の石の中から、脅威だけを見抜く。

 動体視力と反射神経を駆使(くし)するハルスフォートは、背中の少女を揺らさぬよう、剣だけを(はし)らせた。

 

「リスティ! 実戦だ!」

「は、はい! ……ナク・フント・ギゥ……」

 

 出だしから、音が崩れた。

 響く言葉が意味をなさないならば、それは詠唱の失敗を意味する。

 

万声(ばんせい)の感覚をつかめ!」

 

 万声(ばんせい)──「万物に響く声(ゼノグラシア)」。

 魔術の詠唱に使用される、あらゆる全てに訴えかける声。

 

 万声(ばんせい)は、()()()()()()()()()()()()()

 それは発音するならば「Nak(ナク) hnto(フント) ghr(ギゥー)」という物理上の響きを有するが、その響きを聞いた森羅万象(しんらばんしょう)はそれを「原始の槍」と完璧に理解する。

 

 そして、万声(ばんせい)によって訴えかければ、その意味を世界が理解し、物理法則をその通りに()じ曲げる。

 

「……原始の槍! ウェティプクサ・オーアス・オィク!」

 

 リスティの詠唱が前進する。

「原始の槍」に相当する万声(ばんせい)は成功したが、続く万声(ばんせい)は崩れていた。

 

「……あ、ごめんなさい……!」

「謝らなくていい。1回や2回の失敗を(とが)めるほどシビアな状況じゃない。

 石なら、おれが全て(ふせ)ぎ切ってやる」

 

 剣が舞う。

 空の足場を踏み替えながら、ハルスフォートは石を斬る。

 

 ギンッ、ギギンッ!

 

 火花が散る。

 石片(せきへん)が森へ落ち、葉を叩き、地上のゴブリンたちがさらに(わめ)いた。

 

「原始の槍……Wetipxsa(ウェティプクサ)……Auas(オーアス)、オィク……!」

 

 同じ場所で、また舌が転ぶ。

 

 リスティの腕が震える。

 首に回された小さな手が、(すが)るようにマントを握った。

 

「1日じゃ……ムリかもしれません……」

「ムリでいい。今日がムリなら明日も、その次もある。

 もう一度!」

「はい! ──原始の槍、極北(きょくほく)大海(たいかい)()べる青!」

 

 リスティが唱えているのは、輝疾氷刃(ブリザード・ブレイド)

 彼女にとって、初めて扱う魔術である。

 

 リスティの魔術のバリエーションは、閃迅炎刃(ブレイズ・ブレイド)癒術(ヒール・ライズ)、そして跳空(エアステア)のみ。

 攻撃魔術は、炎の一手に偏っていた。

 

 これが、作戦の2つ目の穴。

 ハルスフォートが先日見た通り、リスティの閃迅炎刃(ブレイズ・ブレイド)は敵だけを焼くような優しい火ではない。

 

 森を舐め、木々を呑み、風に乗れば村にまで届きかねない。

 ゴブリンを倒した後に焼け野原だけが残るのでは、守ったとは言えない。

 

 燃やさず、広げず、ただ敵だけを()てつかせる刃。

 そのために、ハルスフォートはリスティへ輝疾氷刃(ブリザード・ブレイド)を教えている。

 

 だが──。

 

Oam(オーム)・イヴァフ・スフギル・heq(ヘク)……」

 

 また失敗する。

 

 何度も、何度も。

 声は途中で欠け、意味は世界に届く前に崩れる。

 

 リスティを背負う肩に、熱いものが落ちた。

 一滴、また一滴。耳元で、息を殺したすすり泣きが聞こえる。

 

 ハルスフォートは剣を振るいながら、短く言った。

 

「おれのノドに手を置け」

「え……?」

「一緒に唱えてやる。発音を参考にしろ」

 

 リスティの指が、恐る恐るハルスフォートの喉に添えられる。

 小さな指先は、少し冷えていた。

 

 振り返らず、ハルスフォートは喉を鳴らす。

 

「いくぞ?」

「……はい……!」

 

 すすり泣きは止まり、リスティの声とハルスフォートの声が共鳴する。

 

 ──原始の槍、極北(きょくほく)大海(たいかい)()べる青。

 ()て付け森羅(しんら)。我腕撫(うでぶ)すは霜雪(そうせつ)(ことわり)

 

 失敗するたび、最初からやり直す。

 音が欠ければ、息を整える。

 喉が()れば、指先で確かめる。

 

 石は飛び続けた。

 剣は鳴り続けた。

 ゴブリンの叫びは、森の底から尽きることなく()き上がる。

 

 それでも、リスティの声は少しずつ形を得ていく。

 

 何十度目かの詠唱。

 太陽がわずかに(かたむ)き始める頃。

 

 ──塵界(じんかい)氷華(ひょうか)を飾り、万象を罅割(ひびわ)る蒼白の息吹よ。

 我が敵の魂を()挽抉(ひきえぐ)る、銀嶺(ぎんれい)の刃をここに(あらわ)せ──!

 

 何度も途切れた言葉が、初めて最後の一節まで辿り着いた。

 

「──輝疾氷刃(ブリザード・ブレイド)!」

 

 呪算紋(グリマ・グリフ)が展開される。

 

 一つ、二つ。

 数えきれない光の輪が空に咲く。

 

 光輝く、128の紋様。

 

 目の前に広がる呪算紋(グリマ・グリフ)の群れから、まばゆい白銀の光が溢れ出す。

 刃というにはあまりに巨大で、美しく、残酷な「冬」そのものだった。

 

 ギギギギギギキキキキキキキキィィィィンッ!

 

 空から、極低温の(かたまり)が降り注ぐ。

 

 千のゴブリンがひしめいていた森が、(まばた)きの間に白く染まった。

 振り上げられた棍棒も、開ききった口も、投げかけられた石も、そのすべてが氷の中に閉じ込められる。

 

 叫び声が途切れた。

 投石の音が消えた。

 葉の一枚が揺れる音さえ、凍りついて止まる。

 

 一瞬前まで熱狂していた森は、氷像(ひょうぞう)の群れへと変貌(へんぼう)していた。

 

「……よくやったな」

 

 首に回された腕に、ほんの少しだけ力がこもる。

 

「大変ありがとうございました!

 全部、ハルスフォートさんのお陰です!」

 

 ハルスフォートは、自分の首にしがみつくリスティの体温を感じながら、凍てついた森の「中心部」へと、ゆっくりと降下していった。

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