第12話 興奮探し
ティミー村を出てから、数十分が経っていた。
村の屋根はもう、振り返っても見えない。
代わりに、夕陽を吸った街道が、
先頭を行くのは、マントを
長い脚が、迷いなく土を踏む。靴音は一定で、急いでいる様子はない。
目的地は首都ヨートゥルム。
今日を入れて2,3日。日中に歩いていけば着くであろう。
旅人としては、ごく普通の速度。
少なくとも、彼にとってはそうだった。
日も暮れ始めている。野営地を
ハルスフォートは足を止めることなく、首だけで背後を振り返った。
「おい──」
リスティの名を呼びかけて、そこで口が止まった。
「はっ……はっ……」
リスティは小走りになっていた。
彼女は、ハルスフォートの視線に気づくなり、
「あ……っ」
遅れていると思ったのだろう。
赤くなった頬で、さらに足を速めようとした。
ハルスフォートは前へ向き直る。
自分の一歩と、少女の一歩。
地面に落ちる影の長さが、まるで違っていた。
──そういえば、ガキのお守りをしながら旅をするのは初めてか。
ハルスフォートの次の一歩から、靴音がほんの少しだけ遅くなる。
大股だった歩幅を、半歩分だけ削った。
足首の力を抜き、マントの揺れに紛らわせる。いかにも、もとからその速度で歩いていたという顔で、街道の先を見据えた。
背後の足音が、少しずつ近づいてくる。
せわしなく土を蹴る音が、やがて落ち着いた。
リスティはまだ横には並ばない。けれど、小走りをしなくてもついてこられる距離まで戻っていた。
「あの……ありがとうございます」
息の残る声が、背中に届いた。
「…………」
ハルスフォートは返事をしない。
ただ、わずかに進路を街道の内側へ寄せた。
やがて、背後の呼吸が細く整う。ばらついていた足音も、ハルスフォートの歩調に近づいてきた。
そこでようやく、ハルスフォートは前を向いたまま口を開いた。
「……一晩泊まってから出るべきだったかもしれない。
昼過ぎに出発しても、それほど距離は稼げない。万全の体勢で朝に出るべきだったか」
仮定の話を持ち出され、リスティは少しだけ目元を緩める。
「いえ……どのみち、ヨートゥルムまでは歩いて2日はかかりますから。
村を出るのが遅れたところで、途中で野宿が挟まるのは確定ですし、そんなに変わらないですよ」
「確かにな。1日程度、間に野宿が挟まったところで変わらないか」
「どれが最善かなんて、後にならないと分かりませんからね」
リスティは
話しやすい距離になり、彼が更に話題を上げる。
「野営地も早めに決めておくか。近くに水場のありそうな場所なら良いが」
「それなら、ここから1時間くらい先が良いと思います。
街道を外れて西に少し行ったところに、小さな沢があるはずです。
地図だと、そのあたりが野営に適しているかと」
予想外だったのか、ハルスフォートは一拍遅れてリスティへ目を向けた。
「準備が良いな」
「ヨートゥルム周辺の地図は持っています。
もしかして、ハルスフォートさんは持ってませんか?」
「あー……」
ハルスフォートの視線が、頭上の空間を
本来、ヨートゥルムに行く予定などなかった。
「……おれくらいのベテランになれば、地図などなくとも問題ない」
「へえー……!」
リスティの瞳が、丸く輝く。
疑う気配のない、まっすぐな尊敬だった。
ハルスフォートは、その視線を正面から受け止めきれず、わずかに
妙な居心地の悪さが、胃のあたりに沈む。
「と、当然だ。
風と地形を読めば進むべき道は分かる。こうやって耳を澄まして──」
いかにも周囲を警戒している、という顔で街道脇へ視線を流す。
──風か?
そう思いかけて、ハルスフォートは足を緩める。
環境音を精査すると、いくつもの音が重なっていた。
その中に、調子の違うものが混じっている。
枝葉の向こうから、子供の声が途切れ途切れに漏れていた。
「待て」
「えっ?」
低く制され、リスティも足を止めた。
「何か聞こえる。あっちの方向だ」
ハルスフォートは音の方角を指差し、そちらへと足を向ける。
草を掻き分けた先に、小さな開けた場所があった。
中央に、一本の大きな広葉樹。
その根元には、弧を描いた白木が転がっていた。
そして、広葉樹の枝の先から──何かがぶら下がっている。
「……みのむし?」
リスティが目を細めた。
正体は、10歳ほどの少女だった。
小柄な体が宙で揺れている。
背中のマントが鋭い枝に引っかかり、少女は両足をばたつかせていた。
少女はこちらに気づくと、顔をぱっと上げた。
困っているはずなのに、顔色だけはやけに明るい。
「あー! 旅の人、助けてー!」
ハルスフォートは木を見上げ、眉間にシワを寄せる。
「……なんでそんなコトになってる?」
「木に登って、下りようとしたら、服が引っかかっちゃって……」
「そんな危険なマネを、
ハルスフォートは、自分の尾を追う犬でも見るような目で、少女を見上げた。
それに対し、少女は宙吊りのままグッと拳を握る。
「だからこそよ!」
「は?」
「滅多に人がこないところで高所に登り、ジャンプで下りるハラハラ感……!
もしかしたら着地に失敗してケガをするかもしれない、そのスリルがたまらないんじゃない!」
目を輝かせる少女に、ハルスフォートは
「じゃあ永遠に木のオーナメントになるスリルでも味わってろ」
「ああっ! それは違うわ!
確実に死んじゃうのはフツーに怖いのよ!」
「難儀な性格だな。来世で反省を生かせ」
ハルスフォートが本当に立ち去りかけると、リスティは木と彼の背中を何度も見比べた。
「あの……じゃあ、わたしがなんとかします!」
言って、リスティは地面に転がっていた弧状の白木を手に取った。
この白木で、広葉樹の枝を直接揺らすと考えたのだろう。しかし──。
ヴンッ!
弧の両端を結ぶように、青白い光の弦が張られる。
火花がパチパチと散り、
「わっ!?」
リスティは反射的に白木を取り落とした。
地面に落ちると同時に、光の弦はフッと消える。
「な、なに……?」
「あー、それはあたしの落とし物。
「
リスティの疑問に、ハルスフォートが横から答える。
「この辺りで有名な勇者イオーズの
魔王を倒した聖なる弓。その弓から、光の矢が撃ち出せる。
レプリカだったら、機能も似たようなものだろう」
「なるほど、じゃあ……!」
リスティは目を輝かせ、再び白木──弓を拾い上げた。
今度は、先ほどよりも太い光の弦が張った。
リスティは気にする素振りもなく、そのまま少女がぶら下がっている枝へと向け──。
「待て。」
ハルスフォートは血相を変えてリスティの腕を掴んだ。
「おまえさんの魔力で撃ち出したら、枝どころかここら一帯、丸ごと消し飛ぶぞ」
「あ! そ、そうですね……」
リスティの肩が小さく縮む。
ハルスフォートは彼女の手から弓をひったくった。
「貸せ」
彼が握った途端、光の弦は痩せた。
頼りない光の糸が、ぷるぷると弓の間に張っている。
弦を引く。
光が細い矢となり、指先に集まった。
バシュッ!
放たれた光の矢が、鋭い音を残して走る。
狙い通り、少女のマントを捕らえた枝へ直撃した。
バキィッ!
枝が折れる。
拘束から解き放たれた少女は、自由を得た。──枝と共に、重力に引きずられての落下である。
「きゃああああぁぁぁっ!」
悲鳴は高く、なぜか弾んでいた。
ベダンッ!
鈍い音に、リスティの顔から血の気が引いた。
「だ、大丈夫ですか!?」
リスティが駆け寄るより早く、少女はむくりと上半身を起こした。
髪に葉っぱを絡ませ、口元には満足げな笑みが浮かんでいる。
少女は服についた土をぱっぱっと払い、二人へ向かって深々とお辞儀した。
「ううん……とってもスリリングだった。ありがとう」
リスティは伸ばしかけた手を宙で止めた。
「打ち所が悪かったでしょうか……」
「打つ前から悪かっただろ」
リスティが言葉を失っている横で、ハルスフォートは拾い上げた弓を少女へ放った。
「ほら、荷物だ」
「はーい。返してくれてありがとー」
弓を仕舞おうと、少女のマントが翻る。
その内側に、いくつもの革袋がぶら下がっていた。膨らんだ袋同士がぶつかり、ちゃり、と金属の混じった音を立てる。
リスティは少女の顔を
「あの……この近くの村の人ですか? それとも、わたしと同じ旅人ですか?」
少女は首を横に振る。
「ううん、違うわ。
あたしケティアって言うんだけど、この辺りを牛耳ってる『
「盗賊団……?」
ハルスフォートが、ぴくりと反応する。
「あたし、『まだ小さいから』って裏方仕事ばっかりだったの。
洗濯とか、食事づくりとか、見張り番の眠気覚まし係とか。ぜーんぶ飽きちゃったわ。
だから家出しようと思ったんだ」
「……そのマントにくくりつけた革袋は?」
ハルスフォートが指摘すると、ケティアは背中をひねって袋を見る。
「とりあえず目についたお宝は、全部持ち出してきたわ」
「……ンなことすりゃ、元の盗賊団が黙ってねぇぞ」
「そこが狙いよ」
ケティアの瞳が、金貨よりもぎらりと光る。
「『
「リスティ。おれは護衛として、おまえをこのガキから引き剥がし、全力で逃げる義務がある」
ハルスフォートは、リスティの手を引いて早足で歩き出す。
「待って! 一人じゃ心細いわよ!」
「厄介ごとを自ら背負いこんだガキなんざ、どうなろうと自業自得だろうが!」
相手が幼い少女だとしても、かける慈悲には限度がある。
ハルスフォートは全力で拒絶し、流石のリスティからもケティアを
脇道から街道へと戻り、ひたすら逃げる2人と、追いかける1人。
その慌ただしさに引き寄せられたように、前方の木陰から影が一つ、ゆらりと出てきた。
「ハルスフォートさん、あれ……!」
「ん……?」
街道の真ん中に、荒くれの男が立っていた。
日に焼けた顔。手には刃こぼれしたダガー。腰に巻いた
男はダガーの切っ先を、こちらへビッ! と向けた。
「ケティア! それと、そこの2人!
「…………」
勝手に共謀者に仕立て上げられ、ハルスフォートは頭を抱えた。