いつかは魔王!   作:元近ちか

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第20話 私欲に走る

 王城から一人締め出され、ハルスフォートは宿屋の225号室へと戻ってきた。

 

 通路側にある、自分を主とする、冷たい空のベッド。

 そこに腰を下ろし、(たずさえ)えている本を読み、時間を潰す。

 

 昼が過ぎ、夕暮れが訪れ、やがて夜の(とばり)が下りても。

 ──リスティは、一向に帰ってこなかった。

 

「…………」

 

 ガチャリ、と無遠慮(ぶえんりょ)な音を立てて扉が開く。

 祭りの熱気を(ともな)った、相部屋の恋人ペアである。

 

 彼らは、仲睦(なかむつ)まじく帰ってきた。

 彼らは部屋にハルスフォートだけがいる事に気づき、不思議そうに首を(かし)げた。

 

「あれ、お兄さん一人? あの子はどうしたの?」

「……ちょっと、野暮用(やぼよう)でな」

「そっかぁ。これからも一緒に旅するって話じゃなかったの?」

 

 無邪気な追撃が、ハルスフォートの胸の奥をチクリと刺す。

 

「あー……」

 

 彼は適当に相槌(あいづち)を打つと、無言で窓の外へ顔を向けた。

 

 ドオォン……。

 

 昨夜と同じように、夜空に花火が打ち上がっている。

 

 ──これからも、わたしの護衛をしてくれませんか?

 

 花火を見ながら、リスティはそう言ってくれた。

 

 ──これが終わった後、改めて、宿屋で会いましょうね。

 

 扉の向こうに消える直前も、彼女は確かにそう言った。

 

 リスティの意志は、確かにハルスフォートと寄り添おうとしていた。

 心変わりして、どこかをほっつき歩いているという事はないだろう。

 

 だが、あの怜悧(れいり)な大臣の目つき。

 そして、国家の最重要機密。

 

 一度、国の(ふところ)に飲みこまれた者が、1,2日で帰されるはずがないことなど、少し頭を回せば分かることだった。

 

     *   *   *

 

 深夜。

 歩き疲れた恋人たちが寝静まり、のんびりとした寝息だけが響く部屋。

 

 その中でハルスフォートだけが、何度も寝返りを打った。

 力をこめて握るシーツに、シワばかりが増えていく。

 

 ──みすみす、獲物を逃がしていいのか?

 

 頭の中で、欲望が問いかける。

 

 リスティには、魔王に匹敵するほどの魔力がある。

 国家が彼女を(よう)しようという意図は分かる。国力増強・いつか来たる魔王討伐の要になるのは間違いない。

 

 しかし、自分がずっとリスティの護衛を(つと)めていたのは、国家に尽くす為ではない。

 自分にとって彼女は、自分が魔王になるための都合の良い獲物。それを腐肉漁り(スカベンジャー)のように付け狙い、(そば)にいたのだ。

 

 ──しかし、相手は国家。腐るほどいる近衛兵、それに聖騎士。宮廷魔術師もいるだろう。

 

 反逆罪。

 国家に(たて)突けば、待っているのは問答無用の死罪だ。

 

 魔王になるどころの話ではない。

 命の危険と天秤にかければ、ここで(いさぎよ)く手を引くのが最も賢い選択に決まっている。

 

 命か、野望か。

 ギリギリと奥歯を噛み締め、心の天秤が揺れ動く。

 

 その時だった。

 堂々巡りの思考の果てに、ハルスフォートの脳裏に「ある一つの事実」が(ひらめ)いた。

 

 ──いや、許せなくないか?

 

 彼は、自分自身の足跡を振り返った。

 

 ここまで、どれだけ世話を焼いてきた?

 魔女に捕らえられた彼女を洞窟から助けてやり、彼女に懇切丁寧(こんせつていねい)に魔術を教え、厄介な盗賊騒動に巻き込まれる。

 ここまで骨を折ってきたのは、最終的に「魔力を食うため」の下準備に繋がっている。

 

 投資した時間。

 擦り減らした神経。

 押し殺してきた欲望。

 

 これでリスティを(あきら)めたら、「無料でヨートゥルムまで護衛してくれた、都合の良い親切なお兄さん」で終わりだ。

 

 ハルスフォートの瞳に、暗い炎が灯った。

 

 埋没費用(サンクコスト)

 これまで費やした労力と時間が、すべてムダになる。

 その事実に対する理不尽な怒りが、理屈をあっさりと凌駕した。

 

「……ふざけるな」

 

 ただひたすらに利己的な、己の欲と執念。

 ハルスフォートは衣擦れも立てずに立ち上がると、壁に立てかけていた剣をガシッ! と掴み取った。

 

「国だかギルドだか知らないが……どうしてもおれを魔王にさせたくないようだな!」

 

 自分勝手な理屈で己を正当化し、私欲を爆発させる。

 ハルスフォートは眠る恋人たちを起こさないよう、無音で宿屋を飛び出す。

 

 漆黒の王城へ向けて、深夜の街道を駆け出した。

 


 

 祭りの終わった街道は、昼間とはまるで別物だった。

 

 あれほど人でごった返していた露店通りに、今は人影一つない。

 軒先(のきさき)に吊るされた空のランタンが風に揺れ、昼の盛況の残滓(ざんし)だけが夜の街に残されていた。

 

「……へへ」

 

 その静寂の中、下卑た笑いが一つ落ちる。

 

 無人の出店の陰で、男が(かが)みこんでいた。

 棚の奥に隠された小さな木箱をこじ開け、中に入っていた売上金を自分のポケットへ流しこんでいる。

 

「祭りの夜ってのは、財布のヒモも店のカギも(ゆる)くて助かるぜ」

 

 チャリン、と硬貨が鳴った。

 その音に重なるように、背後から声が投げかけられる。

 

「おい」

「──ッ!?」

 

 男は弾かれたように振り返った。

 

 通りの中央に、銀髪の青年が立っていた。

 背にはマント。腰には長剣。月光を受けた青い瞳が、男を射抜いている。

 

「な、なんだテメェ……」

 

 男は盗んだ硬貨を握りしめたまま、じり、と半歩下がった。

 逃げ道を探る目つき。あるいは、相手を値踏みする目つき。

 

 ハルスフォートは、そんな警戒など意に介さず問いかけた。

 

「おまえ、呪算紋(グリマ・グリフ)はいくつだ?」

「……は?」

 

 男の顔が、間抜けに(ひず)む。

 

 金を盗んでいるところを見られた。

 脅されるか、衛兵を呼ばれるか、あるいは分け前を要求されるか。

 

 そう身構えていた男にとって、投げられた問いはあまりに前後が繋がっていなかった。

 

「何言ってんだ、テメェ。頭おかしいのか?」

「答えろ。呪算紋(グリマ・グリフ)はいくつだ?」

「知るかよ! テメェに関係ねぇだろうが!」

 

 男の声が荒くなる。

 

「夜中にいきなり出てきて、ワケ分かんねぇコト聞きやがって……!

 こっちは忙しいんだよ。邪魔すんなら──」

 

 シャッ。

 

 男の言葉は、そこで切れた。

 

 いつ抜いたのか。

 ハルスフォートの剣先が、男の喉元に突きつけられていた。

 冷たい刃が、薄皮一枚の距離で命を撫でている。

 

「ヒッ……!」

 

 男の喉が、ごくりと鳴った。

 逆上の熱は一瞬で冷め、代わりに脂汗が額へ浮かぶ。

 

「もう一度だけ聞く」

 

 ハルスフォートは、淡々と繰り返した。

 

呪算紋(グリマ・グリフ)はいくつだ?」

「さ……3だ! 3つだよ!」

 

 悲鳴のような返答。

 それを聞いた瞬間、ハルスフォートは(あご)を引く。

 

「平均か。なら、足りるな」

「なにが──」

 

 ザッ。

 

 男の胸元を、刃が浅く走った。

 

「ぎゃあっ!?」

 

 服が裂ける。

 その下の皮膚も、薄く裂けた。

 

 致命傷ではない。

 だが、鋭い痛みと共に血が滲み、男の思考を真っ白に染め上げるには充分だった。

 

 刀身を伝った血を、罪なる傷(シェヴムシャード)が吸い上げる。

 刃は夜の闇の中で、ぬらりとした光を帯びた。

 

 男には、何が何なのか分からなかった。

 ただ一つ分かるのは、目の前の青年が金目当ての追い剥ぎでも、正義感に燃える通行人でもない。

 

 ハルスフォートはこの場において、行動原理が不明な危険な狂人だった。

 

「ひ……ひぃぃぃっ!」

 

 男は尻餅をつきかけながらも、どうにか足を動かした。

 ポケットから、ドサリ、と売上金を詰めた革袋がこぼれ落ちる。

 男はそれに目もくれず、悲鳴を引きずりながら夜の路地へ逃げていった。

 

「…………」

 

 ハルスフォートは追わず、足元の革袋を見下ろす。

 

「まあ、目的は達した」

 

 彼は革袋を拾い、棚の奥へ無造作に積んでおく。

 

 ハルスフォートは、血を纏った罪なる傷(シェヴムシャード)を眺める。

 魔力を含んだ血を吸った刃が、夜気に紛れるように冴える。

 

 彼は顔を上げる。

 漆黒の王城が、夜空を切り裂くように(そび)えていた。

 

「さて、行くか」

 

 ハルスフォートは、血を帯びた剣を携え、王城へと歩き出した。

 

 

 

 王城は、深夜になっても眠る事は許されない。

 等間隔で配置された松明の光、規則正しく巡回する完全武装の近衛兵。

 

 その厳重な城壁の死角となる暗がりに、ハルスフォートは音もなく身を潜めていた。

 彼の手には、自身の得物である剣が握られている。

 闇の中でも銀色を保ち、しかし光すら飲みこむ刀身。

 

 魔式装具(マギスレイヴ)罪なる傷(シェヴムシャード)である。

 

 刀身には、先ほど斬りつけた男の血が薄く残っていた。

 人間の血に含まれた魔力を吸い、刃はすでに充分な鋭さを帯びている。

 

 ハルスフォートは血を帯びた刃を、分厚い城壁の石組みへ静かに突き立てた。

 

 スッ……。

 

 石鹸でも切るかのように、刃は一切の音を立てずに石壁をくり抜いた。

 血に含まれた魔力を吸えば、罪なる傷(シェヴムシャード)は石壁すらも両断できるのだ。

 

 人が一人通れるだけの穴を開け、城内への侵入を果たす。

 

 ──言い逃れはできない。逆賊になってしまった。

 

 背筋を這い上がる冷たい汗。

 ハルスフォートは庭園の木々に隠れながら、王城の壁へと接近する。

 

 壁伝いに、王城を回る。外と面する窓にちらりと目をやり、中の様子を見る。

 

「……ハズレか」

 

 空室を確認し、次の窓へと移る。

 次へ、次へ──。

 

 やがて、カーテンを閉じた窓から、明かりと(かす)かな話し声が漏れているのを見つけた。

 ハルスフォートは息を殺し、窓のすぐ外、わずかな出窓の(へり)に張りついて盗聴を試みる。

 

「──ついに、呪算紋(グリマ・グリフ)が30……どころか、100を超える逸材が現れるとはな」

「ああ。我らがアリス・メガセリオンは、ついに悲願を果たしたのだ」

 

 聞こえてきたのは、昼間に玉座の間でふんぞり返っていた、あの大臣の声だった。

 その声には、権力者特有の傲慢さはなく、ひどく疲労したような響きが混じっていた。

 

「かの人型災厄(ウォーキング・ディザスター)が実在したのか……それも、あのような年端もいかぬ少女が」

「国のための生け贄にするには、あまりにも不憫だ。

 我々は、後世の歴史書に血の色の名を残すことになるだろう」

「言うな。

 このヨートゥルム、いやレイワズ王国を守るためには、もはやこの手段しか残されていないのだ……」

 

 ──生け贄、だと?

 

 窓の外で、ハルスフォートの心拍数が跳ね上がった。

 リスティは、戦力として手厚く保護されるわけではない。

 

 何のために必要かは知らないが──あいつらは、彼女を「使い捨ての道具」として消費するつもりなのだ。

 

 ──冗談じゃない!

 

 彼の感情に灯る火は、綺麗な名前をしていなかった。

 少なくとも、義憤などという上等なものではない。

 

 ハルスフォートは陰謀渦巻く窓から離れ、外壁の(へり)を伝って上階へと登っていく。

 

 やがて、客室らしき部屋の、カーテンが固く閉ざされた窓を見つけた。

 空室は、いずれもカーテンが開かれている。ここに誰かいるのか──。

 

 コン、コン。

 

 ガラスを軽くノックし、死角に隠れる。

 やがてカーテンが開かれ、窓が開けられた。

 

「な、何……? 鳥……?」

 

 (おび)えながら窓を開けたのは──リスティだった。

 

「……気のせい、でしたね……」

 

 彼女が窓を閉じようとしている中。

 

 ガッ!

 

「ひゃっ!?」

 

 窓枠に剣鞘(けんしょう)を差しこみ、閉じないように制止する。

 混乱するリスティの前に、ハルスフォートは自ら姿を現した。

 

「ハ、ハルスフォートさん!?」

「驚かせて悪いが、静かにしてろ!」

 

 リスティは、侵入者の為に窓を大きく開ける。

 ハルスフォートが部屋に滑りこむと、彼女は信じられないものを見るように目を丸くした。

 

「どうして……ここにいるんですか?」

「おまえがおれに『これからも護衛を頼む』って言ったんだろうが。

 依頼人が誘拐されて、黙ってる護衛がいるか」

 

 私欲を「プロの矜持」というオブラートで分厚く包みこみ、ハルスフォートはリスティの手首を(さら)った。

 しかし、抵抗を受ける。(つか)んで引いても、リスティはその場に踏みとどまろうとする。

 

 リスティの抵抗を解くため、ハルスフォートは宣告した。

 

「おまえさん、立場を分かっているのか?

 このまま留まれば、この国がおまえを殺すんだぞ」

 

 事実の脅迫に、しかしリスティは驚きの色も見せず、ゆっくりと首を縦に振った。

 

「はい。わたしは、命を落とすことになるでしょう」

 

 その反応は、予想外に落ち着いていた。

 

「陛下と大臣さんたちから、説明を受けました。

 わたしの命が、この国を守るために必要だと」

「……おまえの命が?」

 

 ハルスフォートの眉が、不快そうに歪む。

 

「ガキの命一つで、何をやるっていうんだ」

 

 窓の外で盗み聞きした「生け贄」という言葉。

 それが、ようやく輪郭を持ち始める。

 

「魔王を倒すためです」

 

 リスティの返答に、ハルスフォートは一瞬だけ黙った。

 

「イオーズ祭が何の祭りだと思ってる? もう魔王は倒されたんだろ。

 それとも、新しい魔王でも出てくるっていうのか? これまで魔王出現の予知なんて、詐欺師しか言った事がない」

 

 ハルスフォートの皮肉に、リスティは首を横へ振った。

 

「そもそも、()()()()()()()()()()

 勇者イオーズ様は、魔王ガーノスヴァイエを討ったのではなく……このヨートゥルムの地下深くに封印しただけだったんです」

「……何?」

 

 困惑するハルスフォートに、リスティが情報を提示する。

 

「首都の石畳に刻まれた紋様を、覚えていますか?

 あれは、ただの装飾ではありません。あれは──」

「……封印の魔法陣か」

 

 リスティの言葉を、ハルスフォートが先に奪った。

 

「街そのものを魔法陣にしている。

 首都に集まる人間の魔力──龍穴(りゅうけつ)を使って、地下の魔王を押さえつける為か」

 

 リスティは(まぶた)を伏せる。

 

「でも、その封印も、いずれ破られる定めにあります。

 魔王の力の源は信仰です。

 その名に連なる魔術が使われるたび、眷属である魔人が生きて動くたび、信仰は積まれていきます。」

 

 旅の中で敵対した魔人たち。

 病王(ガノス)の名を冠する黒魔術。

 疫病(えきびょう)の魔王ガーノスヴァイエの信仰が、封印を破るほどの力を与えていく。

 

 リスティは、胸元に置いた手を握りしめた。

 

「封印が破られれば、ガーノスヴァイエが地上に出ます。

 でも、ガーノスヴァイエは瘴気(しょうき)を纏っていて、近づくだけで人が死にます。

 まともに戦うことはできません。だから……だから……戦わずに魔王を討つための兵器が、造られました」

 

 リスティは、少しだけ息を吸った。

 

魔式装具(マギスレイヴ)牙剥く聖弓(エイルドゥロゥプ)』を組み込んだ、巨大な魔式装具(マギスレイヴ)

 葬天(エンゼルハイロゥ)龍穴(りゅうけつ)の魔力を束ねて、地下の魔王を撃つための兵器です。

 龍穴(りゅうけつ)の魔力は膨大です。けれど膨大な分、その全てを統率(とうそつ)するのは難しい。

 葬天(エンゼルハイロゥ)で撃ち出すには、全てを一つに束ねる核が必要なんです」

 

「……おまえの馬鹿げた魔力を、魔王に撃ち込む弾丸にする気か」

 

 リスティは否定しなかった。

 ただ、視線を床へ落とす。

 

「はい。……そしてその核を作り出すには、瞬間的に、膨大な魔力を要します。

 普通に魔力を注ぐのではなく──人間一人の全てを圧縮して、撃ち出す必要があるんです」

 

 その瞬間、ハルスフォートの胃の底が冷える。

 

 リスティの魔力は、彼が狙い続けてきた獲物だった。

 自分が魔王になるために食らうはずの、都合の良い獲物。

 

 それを、国が横から奪い、使い潰そうとしている。

 

 ──ふざけるな。

 

 怒りの形は、そういう名をしていた。

 

「自殺行為を承諾したのか?」

 

 ハルスフォートの問いに、リスティはすぐには答えなかった。

 胸元に手を当て、服の上から、ネックレスに吊るされた指輪を押さえる。

 

「最初は、(うなず)けませんでした。

 怖かったですし……何を言われているのか、分からなくて」

 

 リスティは、言葉を止める。

 吸った息を、薄く、薄く吐き出してから、ようやく続ける。

 

「でも、魔王の封印のことも、葬天(エンゼルハイロゥ)の仕組みも、何度も説明されました。

 わたしほどの魔力でなければ起動できない。わたしが断れば、魔王の封印は近く破られる。

 長い時間をかけて、ようやく分かったんです」

 

 彼女は、無理に口元を緩めた。

 

「これは、わたしがやるしかないことなんだって」

 

 リスティは笑おうとしたようだった。

 けれど片方の頬だけが先に上がり、すぐに落ちる。

 

 ハルスフォートは、その笑顔を見た瞬間、こめかみの奥が熱くなるのを感じた。

 

「つまり──おまえの師匠は、ガキ一人を生け贄にする為に旅してたって事なんだろ」

 

 低く、ハルスフォートが問う。

 リスティの指が、指輪をさらに強く握りしめた。

 

 カーテンの隙間から入る夜風が、そこで止まる。

 

「師匠は……葬天(エンゼルハイロゥ)の適合者を探すために旅をしていました。

 そして……わたしを見つけた」

 

 リスティの喉が、初めて少しだけ震えた。

 

「その師匠に裏切られたって知っても、なお信じるっていうのか?」

 

 ハルスフォートの言葉は、刃のように落ちた。

 リスティの顔から、血の気が引く。

 

 ただ、信じていた人の影を、どう扱えばいいのか分からない迷子のような響きだけがあった。

 リスティは、必死に言葉を整えようとしていた。

 

「……信じたいんです。

 確かに、師匠はわたしをヨートゥルムに送り出しました。

 でも、わたしに魔術を教えてくれたのも、抱きしめてくれたのも、全部まやかしなんかじゃないって……本当に、わたしのことを思ってくれていたんだって」

 

 リスティが頭を抱える。

 

「……このままわたしが生きてると、いずれ魔王になってしまいます。

 魔王にならなくても、この魔術で人を傷つけ──殺す事に利用される。

 師匠も、この国の人もこれを望んで、そして魔王を倒すことができるんだったら──!」

 

 リスティの叫びに、それを上回るハルスフォートの怒声が、部屋を打った。

 

「ガキ一人の命を利用する事に、とやかく言う権利はおれにはない!

 だが、大人がガキを囲って『死ね』と言い続けて、『はい死にます』なんて言わせることが正義なのか!?」

 

 リスティがびくりと肩を震わせる。

 ハルスフォートが、リスティの襟首(えりくび)(つか)み上げた。

 

「おれはおまえの護衛契約を受けたんだ!

 おまえがここで死ぬのは明白な契約違反だ、宿屋に帰るぞ!」

 

 自分でも破綻(はたん)していると分かっている詭弁(きべん)を振りかざし、ハルスフォートがリスティの腕を引っ張る。

 

「やめてっ、離してください!」

 

 リスティの声が、大きく跳ねた。

 

 その悲鳴は、客室の扉の奥にも響いた。

 

 バンッ!

 

「曲者だ! リスティ様から離れろ!」

 

 扉が蹴り破られ、廊下を警備していた聖騎士たちが雪崩れ込んできた。

 抜剣する間もない。(またた)く間に数本の槍がハルスフォートの首筋に突きつけられ、背後から腕をねじ上げられて床に押さえつけられる。

 

「ぐっ……離せ……!」

「王城への不法侵入、ならびに客人への危害。地下牢へ連行しろ!」

 

 廊下の闇へ引きずられながら、ハルスフォートはリスティを見た。

 彼女は追ってこない。

 ただ、何かを言いかけた唇だけが、小さく開いていた。

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