いつかは魔王!   作:元近ちか

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第22話 勇者は何処(いずこ)

「衛兵! その逆賊を捕らえろ!」

 

 宮廷魔術師の金切り声が、地下大空洞に反響した。

 

 近衛兵たちは、誰一人として瓦礫に足を取られなかった。

 砕けた石を踏む音が、ひとつの拍子に揃う。

 盾の縁が隣の盾を噛み、半円が、音もなくハルスフォートの背後まで閉じていった。

 

 前列の兵が盾を構え、後列の兵がその隙間から槍を突き出す。

 切っ先は喉、胸、脇腹、太腿。

 ただ殺到するのではない。動けば刺さる位置に、あらかじめ死を置いている。

 

「武器を捨てろ! 貴様に逃げ場はない!」

 

 兵の一人が怒鳴る。

 その声に、ハルスフォートは血に濡れた剣をだらりと下げた。

 

「逃げるつもりでここにいると思ったか?」

 

 薄く笑う。

 次の瞬間、槍の壁が迫った。

 

 ガギィンッ!

 

 甲高い金属音が反響する。

 ハルスフォートは半身を沈め、首元へ伸びた槍を剣の腹で弾いた。

 軌道を()らされた槍が、隣の兵の盾に突き刺さる。

 

 生まれた一瞬の隙に、ハルスフォートは滑りこんだ。

 

「なっ──」

 

 近すぎる。

 槍が最も力を発揮する間合いの、さらに内側。

 盾も、槍も、味方同士の鎧さえ邪魔になる距離。

 

「不覚さえ取らなきゃ、おれは捕まらないんだ」

 

 短く吐き捨て、剣が走る。

 

 ザシュッ!

 

 甲冑の隙間──肘の内側を裂かれた兵が、槍を取り落とした。

 返す刃が膝裏を叩き、別の兵が悲鳴と共に崩れる。

 

「ぐあぁっ!」

「隊列を崩すな! 囲め!」

 

 怒号が飛ぶ。

 倒れた兵を踏み越え、左右から新たな槍が迫る。

 

 ハルスフォートは踏み込まない。

 むしろ一歩、後ろへ退いた。

 

 追って伸びた2本の槍が、彼の胸元を貫く寸前──。

 

跳空(エアステア)

 

 タンッ。

 

 見えない足場を蹴り、ハルスフォートの身体がふわりと宙へ浮く。

 槍は空を突き、兵士たちの目が上を向いた。

 

 その頭上を、影が越える。

 

「上だ!」

 

 叫びが間に合うより早く、ハルスフォートは兵の背後に落ちた。

 

 ドンッ!

 

 着地と同時に、柄頭(つかがしら)が兜の後頭部を打つ。

 一人が前のめりに倒れ、その背中を足場にしてハルスフォートはさらに踏み込む。

 

 剣筋は派手ではない。

 だが、残酷なほど正確だった。

 

 剣は必ず鎧の薄い箇所を見つけ、関節を裂き、腱を断ち、握った武器を床へ落とさせる。

 

 争いに噴く赤い霧が、ハルスフォートの顔に飛ぶ。

 

「ハルスフォートさん、やめてっ!」

 

 横手から飛んできた声は、声帯の傷に構わず絞り出した息だった。

 振り返ると、リスティが震える両手で一つの魔式装具(マギスレイヴ)──肌身離さず持っている女神の指輪を、彼に向けて構えていた。

 

「わたしはこれでいいんです!

 わたし……殺すよりも、殺された方がいいんです」

 

 涙が、頬を伝う。

 

「わたしには、魔王の血筋と、魔王に匹敵する魔力があります。

 いつか魔王になってしまうこの身なら、ここで生け贄になっていい!

 わたしの為を思うなら、どこかに逃げてください……これがわたしの救いなんです!」

 

 女神の指輪が、リスティの手の中でかすかに鳴った。

 濡れそぼった睫毛(まつげ)の下で、彼女はただハルスフォートを()めつけていた。

 

 ハルスフォートは短く息を吐いた。

 肩が落ちる。血のついた剣先が石床をかすり、赤い線を引き──。

 

 ダッ!

 

 一瞬で宮廷魔術師の死角に回りこみ、首筋に冷たい刃を当てた。

 

「ひぃっ……!?」

「動くなよ、お偉いさん」

 

 宮廷魔術師の首筋が刃に押され、薄い悲鳴が漏れた。

 ハルスフォートはその身体を片腕で引き寄せたまま、血の色を残した瞳をリスティへ睨み返す。

 

 ──癇癪(かんしゃく)を起こしたガキが。

 そんなにワガママを言うのなら、おれのワガママも聞いてくれ。

 

「おれは、おまえの為を思って動いていない!」

 

 ──全てはおれが、おまえを犠牲に魔王になるためだ!

 

「殺されるよりも、生きている方が良いに決まってるだろうが!」

 

 ──生きていないと、おまえの魔力を食えなくなる!

 

「魔王の血筋!? 膨大な魔力!? 大層で結構だ!」

 

 ──魔王の要因に2つも恵まれやがって、代われるものなら代えさせろ!

 

「この国もおまえさんが必要なようだがな……!

 このおれも! おまえが──」

 

 ──エサとして!

 

「──必要なんだ!」

 

 ハルスフォートの咆哮(ほうこう)の余韻が、瓦礫(がれき)の間を転がった。

 近衛兵の呻きも、宮廷魔術師の荒い息も、その声に押し潰される。

 

 それは、圧搾(あっさく)したハチミツよりも純粋な、天然由来十割の熱意。

 欲望に由来する真に迫った熱意は、その真意を糖衣に隠してリスティの胸を貫いた。

 

 魔王の血筋も、呪われた魔力も、すべてひっくるめて「大層で結構だ」と肯定してくれた。

 そして何より、世界や国家の平和のためなどではなく、「おれにはおまえが必要だ」と、たった一人の人間として、リスティという存在そのものを強烈に求めてくれたのだ。

 

「ハルスフォート……さん……」

 

 女神の指輪を構えていた手が、力なく下がる。

 けれど、リスティの震えまでは止まらなかった。

 

 指輪を握る腕が、胸の高さからゆっくり落ちた。

 肩が丸まり、(まぶた)が伏せられる。

 勇者の名で立っていた背筋が、年相応の細さを取り戻していた。

 

 人質はもう不要だ。

 ハルスフォートは宮廷魔術師を突き飛ばすと、剣を下げたまま、リスティへ歩み寄る。

 

 反射的に、リスティの足が半歩だけ後ろへ下がった。

 

「……っ」

 

 その怯えを見て、ハルスフォートは足を止める。

 血に濡れていない方の手の平を、ゆっくりと差し出した。

 

「来い」

 

 短い一言だった。

 慰めでも、説得でもない。命令に近い、ぶっきらぼうな声。

 

「お前を生かす。護衛の任務だからな」

 

 リスティは、差し出された手を見る。

 大きく、無骨で、剣を握ってきた手の平。

 

 それは今、殺すためではなく、殺さないために伸ばされていた。

 

「……はい」

 

 リスティは涙を(ぬぐ)えなかった。

 震える指先を、そっとハルスフォートの手に重ねる。

 

 握り返す力は、まだ弱い。

 それでも、振り払うことはしなかった。

 

 ハルスフォートはそれ以上、何も言わない。

 か細い握りを引いて、瓦礫(がれき)と鉄錆の臭いの中を歩き出す。

 

 リスティは、恐る恐るその背中について行った。

 

 ──その瞬間だった。

 

 ズゴォォォォォンッ!

 

 立っていられないほどの激しい地響きが、王城の地下を揺るがした。

 足元の岩盤に亀裂が走り、その下から強烈なプレッシャーを感じる。

 

「……魔王の……ガーノスヴァイエの、復活だ……!」

 

 宮廷魔術師が絶望の叫びを上げる。

 

「き、奇跡を──せめて私の手で奇跡を……!」

 

 宮廷魔術師は、よろよろと葬天(エンゼルハイロゥ)に近寄った。

 しかし。

 

 ハルスフォートは葬天(エンゼルハイロゥ)の巨大な砲身に潜りこむと、罪なる傷(シェヴムシャード)を突き回す。

 

 ガキンッ! ガズンッ!

 

「な、何をする!?」

「燃えないゴミの日に出しやすくしてやってんだ!」

 

 葬天(エンゼルハイロゥ)の腹が、内側から悲鳴を上げた。

 歯車めいた部品が飛び散り、銀色の粉を吐いて床へ転がる。

 

 そして──宝剣の刃ですら斬れない「ガギン」という硬い感触と共に、砲身の奥から一つの弓が転がり落ちた。

 

 弦のない、白い弓──牙剥く聖弓(エイルドゥロゥプ)

 

「こいつか……!」

 

 ハルスフォートが無造作にその弓を掴み上げると、弓に光の弦が生成される。

 同時に。

 

 ジュゥッ!

 

「があっ!?」

 

 肉の焼けるような──いや、溶けるような異音が響いた。

 慌てて手を放すと、触れた手の溶解は止まったが、光の弦も消失する。

 

「ハルスフォートさん!? その手……!」

「気にするな! 逃げるぞ!」

 

 ハルスフォートは歯を食いしばり、溶けかけた手でマントを外すと、聖弓をぐるぐると包み込んで肩に担いだ。

 痛む手をマントごと握り込んだまま、ハルスフォートは空いた腕でリスティの腰をさらった。

 

跳空(エアステア)!」

 

 割れた天井を蹴り抜け、煤けた廊下へ飛び出す。

 どこか遠くで、非常鐘がけたたましく鳴り始めていた。

 

 リスティは揺れる視界の中で、マントに包まれた白い弓を見つめる。

 

「どうして、牙剥く聖弓(エイルドゥロゥプ)を……?」

 

 王城から脱出し、ハルスフォートは悪びれた笑みを浮かべた。

 

「おまえの死にたがりを無くしてやるためだ」

 


 

 青年と少女の姿が、王城の闇の向こうへ消えていく。

 残された宮廷魔術師は、その場にへたり込んだまま、呆然と目を見開く。

 

「ああ……葬天(エンゼルハイロゥ)が……適合者が……!」

 

 奇跡は砕かれた。

 王国の切り札たる葬天(エンゼルハイロゥ)は、もはや見る影もないガラクタの山と化し、生け贄たる少女も奪われた。

 

 何もかもが、指の間からこぼれ落ちていく。

 その時だった。

 

 ギッ……ジュッ……。

 

 地下大空洞の底から、不吉な音が迫り上がる。

 宮廷魔術師が視線を落とすと、岩盤の上を蛇がのたうちながら走っていた。

 

「っ……!」

 

 異物が這い上がる亀裂は一本ではない。

 地下大空洞の底を覆うように広がり、その奥から、重圧が噴き上がってくる。

 

 その正体を知る宮廷魔術師の顔から、血の気が引いた。

 半狂乱で、宮廷魔術師は腕を振り上げる。

 

疾翔翼(チェレスティアーレ)!」

 

 背に光の翼が展開される。

 数名の近衛兵たちもまた、宮廷魔術師の魔術により、ふわりと身体を浮かせた。

 

「脱出するぞ! ここはもう駄目だ!」

 

 崩落しかけた石材を避けながら、彼らは地下大空洞の上方へと飛翔する。

 舞い上がる土煙。割れる岩盤。足元に纏わりつく死の気配。

 

 上昇の最中、宮廷魔術師は息を荒げながら兵の一人を怒鳴りつけた。

 

「避難勧告は!? 城内と、民に知らせたのか!?」

「はっ! すでに非常事態の鐘を鳴らしております!

 城下へも、外壁門へも、伝令を走らせました!」

「そうか……そうか……」

 

 答えを聞いたところで、宮廷魔術師の表情は晴れなかった。

 むしろ、その絶望は深まるばかりだった。

 

「だが、遅い……もう遅いのだ……。

 奇跡は失われ、適合者も消えた。

 このレイワズ王国は……ここから滅亡の道を辿るだろう……」

 

 悲嘆にくれる宮廷魔術師の声を、脊髄をなぞり上げる異音が呑み込んだ。

 

 

 

 誰もいなくなった地下の、()大空洞。

 何もなかったはずの空間には、存在が満ちていた。

 

 黒い瘴気(しょうき)だった。

 

 底より溢れ出たそれは、煙のようでいて煙ではない。

 液体のようでいて液体でもない。

 意思を持つ闇の濁流(だくりゅう)となって渦巻き、空洞そのものを侵食していた。

 

 その中心で、何かが(うごめ)く。

 無数の硬質な甲殻が、互いの体を這い合う。

 

 ヤスデの多脚が、前から後ろへ波打つ。

 クモが糸を吐き、隣の蟲を絡め取る。

 ムカデが外骨格に顎肢(がくし)を突き立て、同族の肉を貪る。

 異様に細長い脚を持つウデムシが、その上を悠然と闊歩する。

 

 最も旧き毒(オールド・カース)堕天の蒼(セレスティアル・セルリアン)

 疫病の魔王「ガーノスヴァイエ」は、そうやって存在していた。

 おぞましき蟲という虫が、数え切れぬほどに寄り集まり、絡み合い、積み上がり、ようやく人型めいた輪郭を形作っているだけの、冒涜的な巨影。

 

 頭部に見える場所では、幾百もの虫の眼が赤黒く瞬き、

 腕に見える部位では、細い脚の束が波打ち、

 胴に見える箇所では、びっしりと重なった甲殻が呼吸するように脈動していた。

 

 それは巨人でありながら、同時に巨大な蟲の巣でもあった。

 

 闇の(よど)みが、石造りの地下外壁に触れた。

 

 ジュッ──。

 

 石に、紅斑(こうはん)が浮いた。

 

 水疱(すいほう)が膨れ上がる。

 壁面のあちこちに、脈打つ筋が走る。

 

 ブチュッ!

 

 壁面が裂け、赤い血が噴き出した。

 石壁は悲鳴のような軋みを上げながら、内側から崩れ始める。

 

 血を噴き、肉めいた泡を吹き、巨城の地下構造そのものが、魔王の瘴気に触れた瞬間、生命と腐敗の中間の何かへ変じて自壊していく。

 

 ボゴンッ!

 ズガガガガッ!

 

 崩壊は一気に連鎖した。

 石の地下空間はもはや城ではなく、災厄の口腔と化している。

 

 無数の虫が擦れ合うざわめきをまといながら、黒き魔王ガーノスヴァイエが、完全にその姿を現した。




当初この第一部は全24話の予定でしたが、改稿にあたって文量が増えた為、全25話となります。
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