「──逃がさないわよ、ハルスフォート!」
夜空に浮かぶ結晶の竜、タラスク。
竜の背から棺桶を突きつけるジェーン・ドウの姿に、ハルスフォートは両手を上げた。
「お祭り騒ぎはもうお終いだぞ。魔王様が屋台を全部食っちまうからな」
ハルスフォートは痛む右手を隠し、剣の柄に手をかける。
しかし、ジェーンの視線はハルスフォートを素通りし、眼下へ落ちた。
王城跡から黒い霧が沸き、石造りの城壁を舐めるように広がっていた。
「……冗談でしょ。魔王が……出現してる……!」
「ああ、そうだ。
おれにかまってる暇があるなら、ドラゴンの尻尾を巻かせて逃げることだ」
ハルスフォートの挑発に、ジェーンは棺桶を下ろした。
「ええ。あんたの首は後回しよ。
今は、あっちが先」
彼女はタラスクを外壁ギリギリまで寄せる。
そして、石床に転がる
「……さっきの光の矢を撃ったのって……あんたたち!?
アレでも倒せなかったていうの……? せめて、もう一発くらいは撃てないわけ?」
「ムリだな」
即答するハルスフォートの服の裾を、リスティがギュッと掴んだ。
「……ハルスフォートさん。
あなたが逃げると言う以上、それに理由はあるんですよね」
「当たり前だ。逃げる理由なら、今この場に3つも転がってる」
溶け爛れた右手の指を、3本立てる。
「1つ、王城の残骸が邪魔で、地下の魔王に直撃させられない。
2つ、
3つ、出力不足。ただ撃っただけじゃ威力が足りない。
魔王を岩盤ごとブチ抜くには、並外れた魔術──それこそ『黒魔術』を上乗せする必要があるが、おまえさんはそんなもん知らないだろ」
全て取り除かねば、矢は届かない。だというのに、3つの障壁が射線を遮っていた。
リスティの唇が、音もなく閉じる。
「なら、一つ目の障害物は、あたしがどかしてあげるわ」
ジェーンが、タラスクの背から身を乗り出して言い放った。
「王城の残骸を壊すくらいなら、あたしのタラスクでやれるわ。
あたし自身の魔力は召喚に注ぎこんでスッカラカンだけど、タラスク自体は動けるからね」
「おいおい、勝手に話を進めるな」
「あんたの魔力不足も、それで解決よ。
あんた、タラスクのウロコをかじりながら弓を持ちなさい」
「……はぁ!?」
ハルスフォートが目をひん剥く。
「……
当のタラスクからも、抗議が上がった。
「おまえ……エリスの時のアレ、まだ覚えてやがったな」
「忘れるわけないでしょ。あんたが教えてくれたんだから」
「だが……リスティが黒魔術を使えない以上、どうすることも──」
「──わたしも、やります」
リスティは、自分の胸元を掴んだ。
生け贄として差し出されるはずだった身体。その同じ身体で、誰かを救えるのなら。
小さな身体で、彼女はハルスフォートの前に立ちはだかった。
「黒魔術……わたしに、教えてください」
リスティが、ハルスフォートに頭を下げる。
彼は彼女を見下ろし、厳しく言葉をぶつけた。
「……黒魔術は、公式詠唱しか唱えられないような、未熟な魔術師が使えるシロモノじゃない。
そもそも、黒魔術は魔王の力を借りる魔術──魔術師ギルドから認められた魔術師が、魔王討伐の際にしか許されない魔術だ。
おまえには、実力も資格もない。失敗すれば、この魔王アレルギーの
ハルスフォートの声が、一段低くなった。
しかし、リスティは遠慮せずに切りこんだ。
「『殺される』なんて脅し文句、『殺されたがった』わたしには効きませんよ」
瞳に灯るのは、揺るがない炎。
「……ほう」
ハルスフォートの口元が、わずかに吊り上がる。
初めて、目の前の少女を、一人の魔術師として見た。
彼は足元の
「仕方ない、乗りかかった船だ」
「……
「タラスクごと、王城上空に接近するわよ!
距離を詰めれば、それだけ矢の威力も減衰しないはず!」
「はいっ!」
リスティも、竜の背に飛び乗る。
国の命運を懸けた、即席の勇者パーティ。
伝説に語られる勇者一行とは、似ても似つかない。
それでも今、復活した魔王に立ち向かおうとしているのは、この3人だけだった。
3人を乗せた結晶の竜は、吹き荒れる
首都中央の上空は、すでに息をする場所ではなかった。
地下から噴き上げる赤黒い霧が渦を巻き、視界を完全に奪っていく。
致死量の毒素・細菌・ウイルスを含む濃密な霧に飛び込む直前、タラスクが水晶の翼を大きく羽ばたかせた。
「防壁展開!」
ジェーンの号令とともに、タラスクの身体から全てを
防壁が大気をバチバチと
「よし、できたぞ。おれの知る限り、最も強力な黒魔術だ」
「……
ジェーンの声が、防壁の内側を鋭く打つ。
「いい、よく聞きなさい! チャンスは一度きりよ!」
吹き荒れる病魔を前に、ジェーンが条件を突きつける。
「あたしが合図したら、防壁を切る」
ジェーンは、石造りの残骸を指した。
立ち昇る
「タラスクがブレスで
彼女はそこで、2人へ首だけを巡らせた。
「外したら終わり。防壁を張り直す余裕はないわ」
練習なしの、ぶっつけ本番。
「…………」
緊張に、口を堅く結ぶリスティ。
足元に書かれた血文字の詠唱を、何度も読み返す。
ハルスフォートの大きな手が、リスティの震える手の上から重なった。
先ほどの代償で、溶け
しかし、その手の平は確かに温かく、彼女の震えを押さえこんだ。
「ガキにしちゃ、よくやった方だろ。
失敗したところで、おまえ自身が死ぬわけじゃない。根を詰めるなよ」
ひどい言い草だったが、重ねられた手は逃げなかった。
リスティは一度だけ、細く息を吐く。
彼女は唇を結び直し、顔を上げた。
「……また、一緒に唱えてくれますか?」
「いいぜ。おれの魔力じゃ撃てないシロモノだ。ぶっ放してやれ」
タラスクが王都の傷口の真上で、大きく旋回を始める。
ハルスフォートは剣で削ったウロコをボリボリと食い、腹に収めて魔力を補給する。
弓を構え、白銀の線が伸びる。
「……ッ」
ジュウッ、と腕の肉が焼ける音を立てながら、ハルスフォートは悲鳴を噛み殺す。
リスティは弦に手を添え、二人の口が同時に開く。
──
──
詠唱が、
白い一条に、
──我が魂は糧とならん!
此の世に堕ちし
我が主の名の元に、その身を内より
先程撃った一矢よりも大きい──神をも墜とす紫の
周囲で、空気が歪んだ。
心臓を握られたような重圧が、弓の中で形成される。
ジェーンは、それを合図に命じた。
「守護防壁、解除ッ!」
「聞き届けた」
タラスクは防壁を解除すると同時に、散乱光のブレスを真下へ向けて吐き出した。
ゴオッ!
轟音と共に崩れた王城が吹き飛び、地下の最深部へと通じる真っ直ぐな「道」が切り開かれる。
その轟音の上から──リスティとハルスフォートが斉唱する。
『
バジィジュシュウゥッ──!
開かれた道を辿るように、
バキンッ!
放たれた直後、規格外の出力に耐えきれず、
「急上昇!」
ジェーンの悲鳴じみた指示で、タラスクが垂直に天高く舞い上がる。
足元まで迫っていた黒霧の海が、間一髪で置き去りにされた。
3人は結晶のウロコにしがみつきながら、地上の様子を肩越しに見た。
音が消えた。
風も、竜の羽音も、誰かの息遣いも。
世界の全てが、漆黒の球体へ沈みこむ。
黒球は、
大地を喰らった。
首都を覆い尽くさんとしていた莫大な瘴気を
その奥で、一瞬だけ、白い影が揺れる。
古びた花嫁衣装。
100年前、祝福の鐘の下で魔王になった女の、最後の残影。
次の瞬間、白い影は黒球の奥へほどけて消えた。
世界に音が戻る。
──YyyyyyyyYiIiGgAaaaaaaaaaAa!
それは怒号ではなく、悲鳴。
上空で静寂を取り戻した夜の風の中。
ジェーンは、王城跡を確認する。
街の中央にぽっかりと空いた空洞は、ただその口を開けているばかりだ。
「……ウソでしょ」
風の音が戻っていた。
虫の
ジェーンは耳を澄ませたまま、打ち震える。
「ほ、本当に……本当に倒した……!
あんたたち、本当に勇者だわ!」
ジェーンは勢いよく振り返った。
名誉と
リスティとハルスフォート、そしてジェーン自身も、それに
「え……?」
しかし、振り返った先の2人は、そろって間抜けな顔をしていた。
ハルスフォートの口が半開きになっている。リスティも同じ顔だった。
「あ……! その、凄いですね……!」
「ああ。まさかやるとは思わなかった」
2人は、揃って他人事みたいな声を出した。
ジェーンの肩から、すとんと力が抜けた。
「……あんたら、張本人でしょうが」