いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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---------- 第2部 脱兎越境 ----------
プロローグ


 疫病(えきびょう)の魔王、ガーノスヴァイエ討伐から数日後。

 窓の外では、イオーズ祭の名残(なごり)が、まだ街に残っていた。

 

 通りを渡す色布(しきふ)

 片づけられず、骨組みだけを残した屋台。

 誰にも外されないまま、軒先(のきさき)に残された飾りヒモ。

 

 ヨートゥルムの街が数日前まで祭りの熱に包まれていたのだと、景色だけが語っていた。

 

 だが、その隣では崩れた壁が積まれ、割れた窓に板が打ちつけられていた。

 荷車はガレキを積んで行き交い、職人たちの声が荒く飛ぶ。

 華やぎの残骸と、魔王被害の傷跡が、同じ通りに同居していた。

 

 その景色を窓から見ているのは、一人の赤毛の少女。

 修道服を脱ぎ、ホテルのアメニティであるパジャマを着た、ジェーン・ドウだった。

 宿の個室で、彼女はベッドに身を預けたまま上半身だけを起こし、外の景色を見つめていた。

 

 今の街に、余った部屋などほとんどない。

 祭りの客に加え、家を失った者、復旧に来た者、騒ぎを聞きつけた者が街へ集まっている。

 

 部屋が足りない中で、ジェーンには特別に個室が与えられていた。

 魔王討伐に関わった功労者、という名目だ。

 

 勇者扱いされるのは、どうにも落ち着かなかった。

 本当に(たた)えられるべきは、自分ではなく「あの2人」だと思えてならない。

 

 しかし、今のこの身は復旧に(たずさ)われるほど健やかでない。

 タラスクを召喚した反動で、足には力が入らない。立つことも、歩くことも、今はまだできない。

 

 戦いが終わった後の静けさは、彼女の(しょう)に合わなかった。

 

 窓から空を見上げると、あの2人が飛んでいった時の光景が自然とよみがえる。

 

 思い出すのは、小柄な少女が銀髪の青年を(かつ)いでいた姿だ。

 感動的な救出劇とは言いがたい。どちらかといえば、拾った荷物を抱えて退散する姿だった。

 

 共に行動した時間など、短いものだった。

 なのに記憶は、どれもやけに濃く、騒がしい。

 魔女だ、魔人だ、魔王だ、勇者だと、息つくヒマもないほど事態が転がっていった。

 

 あんな面倒な連中とは、もう二度と会えないかもしれない。

 そう思った瞬間、小さく胸を締めつけられた。

 

 ──コン、コン。

 

 控えめなノックが、物思いを断ち切る。

 

「入っていいわよ」

 

 扉が開くと、修道士姿の男が室内へ入ってきた。

 

「久しぶりですね、ジェーン」

 

 黒を基調とした、聖職者めいた装い。

 柔らかい目元をした緑髪の男で、声を荒げる姿は想像しにくい。

 

 それでもジェーンの目は、彼の穏やかな顔ではなく、黒衣の内側を追った。

 

 腰元に革の(さや)。そこに収められているのは、剣でも短杖でもない。杭だった。

 顔に視線を戻す。見覚えがあった。だが、肝心の名前がすぐには浮かばない。

 

「……ごめん。顔は覚えてるんだけど、名前忘れちゃった」

 

 率直すぎる言葉に気を悪くした様子もなく、男は小さく笑った。

 

「構いません。覚えられるほど目立つ働きはしていませんから。

 僕はヘクトールです。貴女(あなた)から、連絡を受けて来ました」

「ああ、ヘクトール!

 確かに、そんな名前だったわね」

 

 軽いやり取りを終えると、ヘクトールはイスを引き、腰を下ろした。

 彼は備えつけの小机に紙を広げ、羽根ペンを手に取った。

 

「それで、今回の任務と、それに付随する報告があるとの話ですが……。

 今、話せますか? 無理なら後日にします」

「体はこの通りだけど、口まで動かなくなったわけじゃないわ。

 話せるから、『宿木(やどりぎ)の巣』への代筆をお願い」

「助かります」

 

 ヘクトールは、柔らかな仕草で(うなず)いた。

 

 宿木(やどりぎ)の巣──宵祓(よいばらい)たちが所属する秘密結社である。

 

 報告に入る前に、ジェーンは静かに呼吸を整える。

 

「それじゃあ、エリス・タークトッドの件についてだけど──」

 

 それからジェーンは、数日前に起きたことを要点だけに絞って語った。

 

 エリスの討伐。魔人の発見。そして、ガーノスヴァイエ討伐の顛末(てんまつ)

 

 報告は、できる限り簡潔に済ませた。感情を挟む余地はない。

 その報告の中で、ジェーンは協力者の名を口にする。

 

「その場には、ハルスフォート・ジェスベインってヤツがいたわ」

 

 その名を聞いた瞬間、ヘクトールは目だけを紙面から上げた。

 表情に変化はない。羽根ペンを持つ手も、まったく乱れなかった。

 

 わずかな反応だった。

 ジェーンはそれを深く追わず、ヘクトールの言葉を待った。

 

「その男は、どんな姿でしたか?」

「銀髪に青い目。年は20前後に見えるわ。

 剣を帯びた魔剣士。口は悪いし、態度も最悪。けれど──少なくとも、子供を見捨てはしなかったわ」

 

 ヘクトールは、間を置かずに尋ねた。

 

「魔王を討伐したリスティさんとハルスフォートは一緒に逃げたとのことですが、逃走先は?」

 

 ジェーンは、一拍置いてから答えた。

 

「……正確には分からないわ。

 けど、跳空(エアステア)で跳んだ方角なら分かる。

 ヨートゥルムから見て、南東方面よ」

「分かりました」

 

 話し終えた途端、ジェーンは力を抜き、枕へ背を沈めた。

 

 疲れを悟らせまいと、声の調子だけは保っていた。

 しかし、話し終えた身体には、奥底から力を抜かれたような疲れが残った。

 

 ヘクトールは、書き終えた記録を閉じる。

 

「報告は預かりました。あとは宿木(やどりぎ)の巣に、そのまま報告します」

「ええ。お願い」

 

 穏やかな笑みを残し、ヘクトールは静かに立ち上がる。

 

「無理はしないでください、ジェーン」

「善処するわ」

 

 ぱたり。

 

 小さな音を立てて、扉が閉じる。

 扉の向こうで、ヘクトールの足音が廊下を離れていった。

 

 身じろぎもせず、ジェーンは遠ざかる気配に意識を澄ませる。

 足音が遠のき、やがて同じ階にあったヘクトールの気配が完全に薄れた。

 

 彼が階下へ降りたと確信してから、ジェーンは胸元に手を当てた。

 

 胸の中には、確信と呼ぶには曖昧(あいまい)なざらつきが残っていた。

 このざらつきを放っておけず、ジェーンはベッド脇のパイプに手を伸ばす。

 

 宿泊客がフロントを呼ぶために備えつけられた、簡易の伝声管だった。

 ジェーンはパイプを(おお)うフタを上げ、呼び出し用のベルを鳴らした。

 

 返事を待つ間、彼女の視線は部屋の隅に向けられていた。

 考えすぎであれば、それで構わない。冷静であるべき思考の奥に、宵祓(よいばらい)には似つかわしくない感情が灯った。

 

 ──あの2人には、生きていて欲しい。

 

 ほどなくして、扉の向こうから従業員のノックが聞こえた。

 

「お呼びでしょうか」

 

 ジェーンは大したことではないような顔で、微笑んだ。

 

「少し、頼みたいことがあるの。

 銀雪銀行(シルバースノウ・バンク)を通して、送金したいわ。

 受取人は――ハルスフォート・ジェスベインよ」

 

     *   *   *

 

 ジェーンの部屋を出てから、数分後のことだった。

 

 ヘクトールはすでに宿の階下にいた。

 先ほどと変わらぬ顔つきで、従業員に声をかけている。

 

「仕事の書き物があるので、一時間ほど個室のラウンジを借りられますか?」

「ええ、はい。有償になります」

「100G(グレイン)ですよね」

 

 ヘクトールは先んじて、従業員の手に100G(グレイン)紙幣を握らせた。

 

「そうです。それでは、こちらへ」

 

 紙幣を受け取った従業員は慌てて頭を下げ、商談用の個室ラウンジまでヘクトールを案内した。

 

 商談用というだけあって、部屋は清潔に整えられていた。

 

 艶のある木目を見せる机。

 机を挟んで置かれた、客用のイス。

 

 机上には羽根ペンとインクが置かれ、すぐに書き物を始められるようになっていた。

 

「それでは、失礼します」

「はい。案内ありがとうございます」

 

 従業員が去り、ヘクトールは個室の扉を閉じた。

 

 個室とはいえ、扉一枚で外の騒がしさが消えるわけではない。

 外の騒ぎは壁越しに染みこみ、部屋の空気をわずかに乱していた。

 

 ヘクトールはイスに座り、黒衣の内側から一枚の薄紙を取り出した。

 彼は備えつけの羽根ペンにインクを含ませ、ただの紙に見える薄紙へ、静かに文字を刻み始めた。

 

   宿木(やどりぎ)の巣へ。

   宵祓(よいばらい)ヘクトール代筆。宵祓ジェーン・ドウより、報告を開始する。

   任務、レイワズ王国のエリス・タークトッド事案及び、ヨートゥルムで発生した魔王案件について。

 

 黒いインクが、紙の繊維(せんい)へ沈んでいく。

 しばらくすると、黒い文字の下に、赤いインクが(ひと)りでに(にじ)みだした。

 

   こちら、宿木(やどりぎ)の巣。

   報告を続けよ。

 

 赤いインクで示された指示に従い、ヘクトールは筆を進めた。

 

 この紙は、「双子紙(ジェミニノーツ)」と呼ばれる魔式装具(マギスレイヴ)だった。

 

 元は一枚の厚紙であり、そこから分かたれた薄紙同士は互いにつながっている。

 片方に文字を書けば、もう片方にも同じ文字が浮かぶ仕組みだ。

 

 遠隔地と情報をやり取りするための、ごく一般的な手段の一つだった。

 

 彼の筆運びに、迷いはない。

 

   エリス・タークトッドの討伐完了。

   ヨートゥルムにて魔王ガーノスヴァイエ発生。討伐完了。

   宵祓(よいばらい)ジェーン・ドウは、タラスク召喚の反動により療養(りょうよう)中。

 

 事務的に筆を進めた末に、ヘクトールは報告の結びを書きつける。

 

   両件について、協力者としてリスティ・クノケウスと()()()()()()()が関与。

   なお、リスティ・クノケウスとその旅人は、ヨートゥルムより南東方面に逃亡。

 

 筆先には、ためらいの影すらない。

 ハルスフォート・ジェスベインの名も、その特徴も、双子紙(ジェミニノーツ)の上から(はぶ)かれた。

 

 やがて、何もなかった余白にインクがじわりと浮かび上がる。

 

   受領。

 

 短い返答を読み終えるなり、ヘクトールは双子紙(ジェミニノーツ)を畳んだ。

 

 報告は終わり、「宿木(やどりぎ)の巣」に渡るべき情報は渡った。

 そして、渡さないと決めた名だけは、胸の内に秘匿(ひとく)した。

 

 先ほどまで人当たりのよかった眼差しから、温度とまばたきが抜け落ちた。

 

「……ようやく見つけた」

 

 ──誰にも渡さない。あれは、自分が仕留めるべき獲物だ。

 

 そこにあったのは、聖職者の目ではない。

 獲物を見据える、爬虫類(はちゅうるい)のように冷たく澄んだ瞳だった。

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