「話を始める前に、まずは名乗らせてもらおう」
薄い布一枚で外界を
初対面の男は居住まいを正し、胸に手を当てた。
「私の名は、ワロー・エケ。
先ほど話した通り、旅をしながら
「おれは、ハルスフォート・ジェスベイン。剣と魔術を扱う魔剣士だ」
「リスティ・クノケウスと申します。魔術を
わたしたちは、2人で旅をしています」
3人は、それぞれ簡潔に名乗り合った。
男──ワローは、リスティの姓を聞くと、片眉を跳ね上げた。
「……クノケウス?」
「ああ。あんたが思い浮かべた、その名で合ってる。
あの『
「そ、そうです……」
ワローはリスティを睨み、ひとまず納得したように視線を逸らした。
「まあ、ウワサよりもずいぶん大人しい人物だとは分かった。
それに、私は衛兵でも役人でもない。
君たちが何をしたのか、ここで問いただすつもりはない」
そう聞いて、2人は胸を撫で下ろした。
詳しく追及されていたら、国に処刑されかけたことや、魔王と大立ち回りを演じたことまで、ひどく面倒な説明をする羽目になっていただろう。
ワローはひとつ咳払いをして、話を本題へ移した。
「さて、単刀直入に言おう。
君たちに頼みたいのは、この近辺にいると思われるドレイクの生け捕りだ」
「ドレイクの、生け捕り?」
ハルスフォートがオウム返しに尋ねると、ワローは深くアゴを引いた。
「私の研究には、雷ドレイクの生き胆が必要でな。
だが、ヤツらは渡り鳥のように各地を移動する。しばらくすれば、別の土地へと飛び去ってしまう。
この機会を逃せば、次にいつ遭遇できるか不明だ」
「時間制限があるから、今は金をせびるより人手が必要ってワケか。……だが、」
ハルスフォートは、探るように目を細めた。
「それなら、どうして最初から傭兵を雇わなかった?」
ドレイクは、気性の荒い巨大な
それを生きたまま捕らえるなら、熟練の傭兵団を用意するのが定石だ。
ワローは腕を組み、もっともらしい顔つきで答えた。
「理由は2つある。1つは、君たちの実力を見こんだからだ」
「なにを見て、そう思った?」
「あの魔術的変質は、平穏に暮らしていて発症するようなものではない。
おそらく、なんらかの戦いで受けたものだ。
あれほどの術を受けてなお生き延びたのなら、並の者ではないと考えたんだよ」
本当は術を食らったのではなく、国家の至宝を使った反作用なのだが──というツッコミは胸に秘める。
「それは分かった。それで、もう一つの理由は?」
ハルスフォートに続きを促されると、ワローの視線はテントの隅へ逃げた。
小声で答える。
「……金がない」
「あー……」
おそらく、それこそが最大の理由なのだろう。
傭兵を雇う金がないから、支払える当てもない治療報酬を提示して、2人を働かせようと考えたらしい。
……どうせなら法外な治療報酬を吹っかければ良いものを、妙なところで律儀なのか、提示したのは割と妥当な額だったのだが。
リスティの
「……ひとまず、事情は分かった。
依頼を受けるかどうかは、リスティと相談してから答えさせてもらう」
そう断りを入れた後、ハルスフォートはリスティのそばへ顔を寄せた。
「──おい、どうする?」
「私は、受けた恩には報いるべきだと思います」
「それはおれも同じだ。ただ……問題は依頼の中身だ。
ドレイクを倒すだけならともかく、『生け捕り』となると話が違う」
倒すだけなら、取れる手段はいくつかある。
ハルスフォートが剣と魔術を駆使するか、それでダメなら、リスティの魔術で焼き払うこともできる。
しかし、「生かしたまま」という条件が加わると、ただ倒すよりもはるかに難しくなる。
凶暴なドレイクを、果たしてどう捕らえたものか。
難しい依頼ではあるが、恩知らずになるのも気が引ける。
ワローの性格にやや難があるのは確かだが、見返りの保証もない2人へ治療を施しているのだ。少なくとも、見捨てて構わないような悪人ではない。
「……捕獲に失敗したら、治療費に違約金を上乗せて支払う、という形にしませんか?」
「そうだな。このまま断るのも後味が悪い」
話をまとめたハルスフォートは、ワローへ向き直った。
「分かった。その依頼、おれたちが引き受けよう」
ハルスフォートの返答を聞き、ワローの口から長い息がほどけた。
「助かる。この機を逃したら、いつドレイクが飛び立つか分かったもんじゃない」
「ただし、必ず生け捕りにできるとは保証できない。状況次第では、こちらが生き残るために殺すこともある。
捕獲に成功したら、報酬の2万Gと治療費を相殺し、互いの支払いはなし。
失敗したら、治療費2万Gと同額の違約金を合わせて、こちらから4万Gを支払う。この条件でどうだ?」
言葉の最後に、ハルスフォートは契約の証となる右手を差し出す。
ワローは差し出された手に目を落とし、かすかに口元を緩めた。
「ああ、その条件で交渉成立だ」
2人の右手が重なり、交わされた条件が手の平の間で形を得た。
「それで、雷ドレイクがこの辺りにいると言うからには、あんた自身がどこかで見たんだな?」
手を離すや否や、ハルスフォートは獲物の痕跡へ話を進めた。
「ああ、私が見た。
ここからそう遠くない場所に、湖がある。
その湖の対岸で、水を飲んでいる姿を発見したんだ」
「雷ドレイクだと断定した根拠は?」
「シッポだ。雷ドレイク特有の、青い尾を見た」
「それで……その場では捕まえられなかったんだな」
ハルスフォートは腕を組み、答えを待つようにワローを見据えた。
ドレイクがいたのは、湖の対岸。
獲物は水を飲むことに気を取られていた。
そして、こちらには気づいていないだろう。
話を聞く限り、奇襲をしかけるには申し分のない状況のはずだ。
しかし、ワローは悪びれる様子もなく首を振った。
「いや、違う。最初から、私一人で捕らえるつもりはなかった」
「は? あんた、魔術師だろ?
そりゃあ、攻撃魔術一発で気絶させて捕獲……なんてウマい話はないだろうが。
一度しかけて、ダメなら
ワローは、仮にも
戦闘を専門としていなくとも、最低限の自衛手段くらいは備えているものだと、ハルスフォートは考えていた。
ところがワローは、ムダに胸を張った。
「私は、魔術書を読みながらでなければ詠唱できないし、公式詠唱しか使えないし、攻撃魔術は初級しか使えないんだ。
その上、
「……そんなコトで威張って、虚しいとは思わないのか?」
「思わん。そんなことは私の管轄外だ」
「そうか」
ハルスフォートは言葉を失い、静かにうなだれた。
どうやら、会話を続ける気力を、根こそぎ削り取られたらしい。
その横で、リスティが彼に代わるように一歩前に出る。
ハルスフォートの口から、次の言葉が出てくることがなさそうだったからだ。
「で、では……湖へ行けば、また遭遇できる可能性があるんですよね?」
「私もそう踏んで、湖の周辺を張っているんだがね。
結局、今のところ姿を見たのは、あの一度きりだ」
「すでに、別の土地へ移ってしまった可能性はないんですか?」
「当然考えた。だが、まだこの近辺に潜んでいる公算の方が大きい」
ワローは一本の指を立て、見えない証拠を宙でなぞるように振った。
「森を歩いていた時、ドレイクらしき鳴き声を耳にした。
加えて、ノドと腹を食い破られたシカの死骸も発見している。
傷口に残った歯形を見る限り、ドレイクほどの大型肉食動物に襲われたのは間違いない」
「なるほど……ですが、闇雲に探し回っていても、
近くの魔術師ギルドで、ドレイクの生態について調べた方がいいのではないでしょうか?」
リスティの提案を聞き、ハルスフォートは顔を上げると、すぐに首を横に振った。
「この国の魔術師ギルドは、ヨートゥルムにしかないだろ」
「あ……そうでした」
「おれたちは向こうで顔が割れている。行くとすれば、ワロー一人をヨートゥルムへ向かわせることになるが──」
「……国に顔が割れていると、なにか不都合があるのか……?」
「──こっちへはブッ跳んできたから正確な距離は分からんが、徒歩で往復すれば、少なくとも5日はかかるはずだ。
その間に雷ドレイクが飛び去って、すべてが徒労に終わるのはゴメンだろう」
雷ドレイクは渡り鳥のように、一定の土地にとどまらず移動を繰り返す。
今この瞬間にも、なにかの
ドレイクの生態を調べること自体は、間違っていない。
しかし、調査に時間を
「うーん……」
このまま、当てもなく森を探索するしかないのか。
しばし沈黙が続いた後、なにかを思い出したらしく、ワローがふと
「そういえば、ヨートゥルムと連絡を取る手段が、私の手元に一つある」
「そんなものがあるのか?」
「ああ、取れるとも」
ワローは荷物を漁ると、中からヒモで
紙束の端はすり切れ、ところどころに折り目が残っていた。
謎の紙束を前に、リスティが小さく首を
「その紙はなんですか?」
「
この片割れは、ヨートゥルムの魔術師ギルドに置いてある」
ワローからの解説に、リスティがポンと手を打った。
「それなら、紙を通じて問い合わせられますね」
「そうだ。なに、通信料についてはエルージュに着いてから事情を説明し、支払えば問題ない」
ワローは荷物から、羽根ペンを一本取り出した。
インク壺のフタを開けると、ワローは
ワローは羽根ペンを走らせ、紙面にさらさらと文字を書きつけていった。
──雷ドレイクと遭遇。
魔術研究のため、その生き胆を必要としている。
生け捕りに有用な生態、習性、弱点についての情報を求む。
書き終えると、ワローは紙面のインクを軽く乾かし、満足げに
「あとは、ヨートゥルムのギルドでこの文面に気づいた者が、返事を書いてくれるのを待てばいい」
「ギルドから返事が届くまで、どのくらいかかるんでしょうか?」
「早ければ今日中には返事が来る。遅ければ……明日の夜頃になるだろう」
「そうなると、こちらは待つしかありませんね」
それでも、行き止まりに見えた道に、細いながらも新たな枝が伸びた。
魔術師ギルドから返答があれば、雷ドレイクの行動範囲や習性に加え、捕獲に利用できる弱点も判明するかもしれない。
とはいえ、返事が届くまでなにもせず待ち続けるのは、得策とは言えない。
ハルスフォートは、その場から立ち上がった。
「待っているのも
「はい。湖の周りを歩けば、足跡でも、折れた枝でも、なにか一つくらいは残っているかもしれません」
「湖までの案内は、私に任せてくれ」
ワローが
こうして3人は、返答を待つ間に雷ドレイクの痕跡を探すため、森の中へ踏み入った。
だが、湖畔を一周しても、見つかったのは古い獣道と、雨に崩れた泥の跡ばかりだった。
爪痕も、青いウロコも、焼け焦げた草も、なに一つ落ちていない。
日が傾く頃には、森の湿気が服の内側まで染みこみ、3人の足取りからも勢いが消えていた。
雷ドレイクは、まだこの森にいるのか。
それとも、すでに飛び去った後なのか。
答えのないまま、夜が降りてきた。