いつかは魔王!   作:元近ちか

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第3話 対「魔女」

 (あわ)ただしい足音が、森の底を打っていた。

 ぬかるみを()()げ、(しげ)みをかき分け、木々の合間(あいま)()いながらハルスフォートが叫ぶ。

 

「サッフィー! ハンス! リスティ! どこだ! 魔女でもいいから返事をしろ!」

『……最後のは無理でしょ』

 

 ハルスフォートの(かたわ)らに浮かぶ呪算紋(グリマ・グリフ)から、(あき)れたような声が返ってくる。

 ブドウとキジバトの図柄(ずがら)呪算紋(グリマ・グリフ)。ジェーンの魔術、遠囁(ウィスパラー)による遠隔通話の印だった。

 

 2人の責務(せきむ)は、大きく2つ。

 魔女の森に隠れた子供たちを見つけ出し、安全を確保する。

 今度こそ、本物の魔女を()つ。

 

 まずは何より人命の優先。

 子供たちの足取りを手広く探るため、この鬱蒼(うっそう)とした森の中で二手に別れていた。

 

『あんまり大声出すと、魔女に感づかれるわよ』

「構わん。ひょっこり出てきたら返り討ちにしてやるさ」

 

 ハルスフォートは、森の西側を受け持っていた。

 探索を開始してから、既に十数分が過ぎている。

 ()れた土の臭いばかりが鼻を満たし、子供たちの気配はどこにもない。

 

 まさか、もう魔女の毒牙にかかったのか。

 胸の奥を冷たい想像がよぎった、その時。

 

 ガサリ。

 

 目の前の茂みが揺れる。

 

「誰だ!」

 

 反射的に、腰の剣へ手がかかる。

 鋭く放たれた声に、葉陰(はかげ)の向こうがびくりと震えた。

 

「な……なにがあったの?」

 

 茂みから恐る恐る顔をのぞかせたのは、まだ幼い少年だった。

 怒鳴られた事に(おび)えた様子で、その目は小さく揺れている。

 

 少年の顔を認めた瞬間、ハルスフォートの殺気が(ゆる)む。

 腰を落とし、揺れる瞳と同じ高さに目を合わせる。

 

「おまえさんの名前は?」

「は、ハンス……」

 

 探していた名が返ってきて、胸の不安がひとまず(ほど)けた。

 怖がらせまいと、(おだ)やかな声音(こわね)を意識し、ハルスフォートは問いを重ねる。

 

「サッフィーとリスティはどこにいる?」

「えっと……わかんない。どうしたの、兄ちゃん?」

 

 ハンスにしてみれば、かくれんぼの鬼がいきなり大人に変わった状況だ。

 何も知らない彼に対し、ハルスフォートは短く息を飲み、答える。

 

「すまないが、おれは魔女を倒せなかった。

 まだこの森は危険だ。村に戻ってくれ」

「えっ……う、うん。わかった!」

 

 ハンスはこくりと(うなず)いた。

 

「それじゃあ、おれについて来てくれ。

 村に着くまで、(おそ)われないよう守ってやる」

「ありがと……」

「礼を言われるようなことはしていない」

 

 小さな手を引き、ハルスフォートは歩調(ほちょう)を速める。

 

 彼はジェーンの呪算紋(グリマ・グリフ)へ、短く報告した。

 

「聞いていたか? こちらはハンスを見つけた。今は村に向かう所だ」

『会話を聞いてたから、分かってるわ。

 こっちもサッフィーを発見。いま送り届けるところ。

 あと残っているのは、リスティだけど──』

 

 ジェーンの言葉は、最後まで聞こえなかった。

 

 ──ギキィィィィッ!

 

 鼓膜(こまく)を刺すような甲高(かんだか)い奇声が、森の霧を引き裂く。

 音の主は、次の瞬間にはもう行く手を(ふさ)いでいた。

 

「それ」は、動物のパッチワークだった。

 カラスの頭にクマの胴体。脇腹(わきばら)から()えるコウモリの翼が、周囲の低木を()ぎ払う。

 

 魔術により造られた混成体(キメラ)だった。

 

「ひいっ!?」

 

 ハンスの悲鳴が裏返る。

 

「離れていろ!」

 

 シャッ──!

 

 剣が鞘走(さやばし)る音と共に、調べを口に乗せる。

 

「原始の(やり)()()くは森羅(しんら)

 ()挽抉(ひきえぐ)れ、輝疾氷刃(ブリザード・ブレイド)!」

 

 展開された呪算紋(グリマ・グリフ)から、冴えた氷の刃が(はし)る。

 空気は一気に冷え、(きり)が一段と白さを増した。

 

 ギィンッ!

 

 氷の刃は混成体(キメラ)に直撃し、全身が氷に(おお)われる。

 

「すごっ!」

 

 背後で、ハンスの声が(はず)む。

 

「まだだ! 目をつぶっていろ!」

 

 ハルスフォートの魔力では、輝疾氷刃(ブリザード・ブレイド)巨怪(きょかい)を殺しきれない。

 (うば)えたのは一瞬の自由。すぐに動き出すはずだ。

 

 ハルスフォートは泥濘(でいねい)を蹴り、一瞬で間合いを詰める。

 

 ザンッ!

 

 白刃一閃(はくじんいっせん)

 混成体(キメラ)の巨体は、氷ごと真っ二つに断ち割られ、重たい音を立てて地に崩れ落ちる。

 

(うら)むんなら、おまえさんが魔力で造られたことを(うら)むんだな」

 

 返り血に身を濡らしたまま、ハルスフォートが剣身に舌を()わせる。

 

 巨怪の血だまりに死体、そして血を舐めとる青年。

 その光景を、ハンスはばっちりと見ていた。

 

「うわああっ!?」

 

 がたがたと震えながら、ハンスは後ずさる。

 

「……だから、目をつぶっていろと言ったんだ」

 

 自身の親切心を破ったハンスに、ハルスフォートが(あき)れ返った。

 

「──何か音がしたけど、大丈夫!?」

 

 茂みを揺らし、ジェーンが飛び出してくる。

 その背には、もう一人の探索対象であるサッフィーが、(なか)ば隠れるようにしてついてきた。

 

「ジェーンか。サッフィーは見つけたようだな。

 よし、あとはリスティだけだ。おれは引き続き森の奥を──」

「ちょっと待ちなさい」

 

 ジェーンの制止が、先へ進もうとしたハルスフォートの足を止める。

 

「……返り血まみれで、いたいけな女の子を探し回る男の様子を想像しなさいよ。

 その女の子、間違いなく逃げるわよ」

「…………」

 

 ぐうの音も出ない正論を受け、ハルスフォートが止まる。

 

「……分かった。ハンスとサッフィーを、おれが村まで送り届ける」

「分かればよろしい」

 

 ジェーンは一つ(うなず)くと、(かたわ)らのサッフィーの背をそっと押し、ハルスフォートの元に行くように(うなが)す。

 しかし、サッフィーは首をぶんぶんと横に振り、ジェーンにしがみついた。

 

「や! この人、こわい!」

 

 震える指を、ハルスフォートに向ける。

 

 上から下まで返り血を浴び、鉄の臭いが鼻を突く。

 小さい子供にとって、それは守り手の姿というより、怪物に近いものだろう。

 

「お姉ちゃんがいい! お姉ちゃん、ずっといて!」

「うーん……(こわ)いのは分かるけど……でも、お姉ちゃんはリスティも探さなきゃいけないし……」

 

 ジェーンは(まゆ)を寄せ、困っている様子だ。

 納得させるには恐怖が強すぎる。かといって、強引に(かつ)いで連行するのも気が引ける。

 

「サッフィー……」

 

 ジェーンとハルスフォートが顔を見合わせる中、サッフィーに歩み寄ったのはハンスだった。

 

 彼もまた、ハルスフォートを怖がった一人である。

 まだ(ひざ)は笑っているが、サッフィーの頭をそっと()でた。

 

「こわいけど、でも……兄ちゃんが、こんな血だらけになったのは、ぼくを守ってくれたからなんだ」

「…………」

「ぼくの手だったら、にぎってくれる?」

 

 ハンスが手を伸ばすと、サッフィーは涙目でその手を(にぎ)った。

 

「……ん」

 

「うん」の成りそこないの返事。

 ハンスのもう片方の手を、今度はハルスフォートが包む。

 

「怖がらせて悪いな。お互い、手を離すなよ」

「うん……!」

 

 (おび)えの残る声でも、その返事には(しん)があった。

 その光景に、ジェーンが安堵(あんど)する。

 

「それじゃ、あたしはこれで。

 また何かあったら連絡するわ」

「分かった。村で身を清めたら、探索に戻る」

 

 ジェーンはひらりと手を振り、茂みの奥へ姿を消していく。

 

「よし、行くか」

 

 ハルスフォートはハンスの手を引き、ハンスはサッフィーの手を引き、数珠(じゅず)つなぎで村へと帰る。

 

 獣道(けものみち)を踏みしめるたび、3人の間で(つな)いだ手のぬくもりが、森の冷たさを押し返していた。

 やがて木々の隙間(すきま)から村の気配が(にじ)みはじめ、張りつめていた空気が(ゆる)む。

 

「ハルスフォートさん!?」

 

 広場へ姿を現した彼を見て、村人たちは一様(いちよう)に目を見開いた。

 

「大丈夫だ。おれの血じゃない。

 ハンスとサッフィーは連れ帰った。残るはリスティ一人だ」

「ま、魔女を……倒したんですか?」

「倒したのは魔女の手下の混成体(キメラ)だけだ。

 まだ本丸(ほんまる)を落とせてはいない。安心するには早い」

 

 それでも、子供が2人、無事に戻ったのだ。

 2人の親が駆け寄り、帰ってきた我が子を抱きしめる。

 

「ハンス!」

「母ちゃん!」

「サッフィー!」

「パパ!」

 

 温かな光景を前に、ハルスフォートの胸には別の感情が差しこまれた。

 

 ──リスティには、こうして泣いてくれる親もいないのか。

 

 一刻も早く救出に向かおうと、ハルスフォートは声を張る。

 

「この返り血を洗い流したら、すぐにまた探索へ戻る。

 水と着替えを用意して欲しい」

「はいっ」

 

 村人たちは、(あわ)ただしく散っていく。

 広場で待つハルスフォートに、一人の男が遠慮(えんりょ)がちに近づいてきた。

 

「あの……耳に入れておいてほしい情報があるんです」

「何だ?」

 

 ハルスフォートは男に向けて、耳を傾ける。

 

「あのね……川、川なの」

 

 しかし次に聞こえたのは、男の影に半ば身を隠した、小さい娘の声だった。

 

「川?」

 

 オウム返しに問うと、娘は懸命に声を(つむ)ぐ。

 

「……思い出したの。

 リスティちゃん、かくれる前に、川の近くに『どうくつ』がある、って言ってたの。

 でも、そこにかくれたって言ってないから、本当にいるかはわかんないけど……いるかもしれないの」

「なるほど。その情報は大きいな」

 

 あてもなく森を探るより、ずっと確かな手がかりだ。

 ハルスフォートは頷き、口元の呪算紋(グリマ・グリフ)へ向かって呼びかける。

 

「おい、ジェーン。聞いたか?

 リスティは川の近く、特に洞窟あたりにいるかもしれない。

 おれは準備ができ次第向かう。先に行ってくれ」

 

 しかし。

 

『……何……聞こえ……ハル……害……』

「ジェーン?」

 

 判然(はんぜん)としないジェーンの声に、ハルスフォートが舌打ちする。

 

遠囁(ウィスパラー)の効果範囲から離れたか……それとも、魔女の妨害か?」

 

 後者ならば厄介だ。

 自分たちの動きが、既に魔女に知られている。

 

 警戒が、一段深く沈みこむ。

 ハルスフォートは、近くにいた村人へ言い置いた。

 

「状況が変わった。すぐに出発する。

 ジェーンが戻ってきたら、おれは川へ行ったと伝えてくれ」

「分かりました」

 

 ハルスフォートは(きびす)を返し、再び森へと走り出す。

 村のざわめきはみるみる背後へ遠ざかり、薄暗がりと葉擦(はず)れの音が彼を呑みこんでいく。

 

 後に残されたのは、

 

「あの……ハルスフォートさんは?」

「あ、行っちゃいました」

 

 彼の返り血を洗い流すはずだった、水入りの大桶(おおおけ)を抱えた村人たちだった。

 


 

 森を突っ切る。

 目的地は川。村へ来る道すがらに見かけた、あの清流だ。

 

 枝葉が頬を打ち、霧が鼻の奥に入りこむ。

 混成体(キメラ)の返り血は、未だぐずぐずと肌に纏わりついている。

 

 耳に、せせらぎが届いた。

 

 ザアアア……。

 

 木々を抜けた瞬間、まぶしい光が視界を焦がす。

 

 日光を照り返す川面。白く砕ける水しぶきが、涼やかな空気を流していた。

 ハルスフォートは足を止めず、川沿いに向きを変え、そのまま上流へ駆ける。

 

 上流に近づくにつれて、岩場が多くなっていく。

 そして、川の起点となる滝壺(たきつぼ)の横に──ぽっかりと口を開けた洞窟。

 

「あった!」

 

 ハルスフォートは周囲をうかがいながら、洞窟の中を(のぞ)きこむ。

 

 暗闇が支配する空間。洞窟の奥から、生臭い空気が(ただよ)ってくる。

 正体不明の闇に向け、ハルスフォートが短く(ささや)く。

 

光明(ライト)

 

 ポウッ……。

 

 (てのひら)から浮かび上がった光の球が、夜に浮かぶ月のように洞窟の中を照らし出す。

 壁はゴツゴツとした岩肌。天井から垂れ下がるのは鍾乳石。滴る水が、ポツリと地面で散った。

 

 光の端の地面には──黒髪の少女が倒れていた。

 

「リスティ!」

 

 気を失っている様子だ。今すぐにでも生死を確認したいが──、

 ハルスフォートの身体は、心配よりも先に動いていた。

 

 ブンッ!

 

 腰の剣を抜き放ち、リスティの背後に続く深い暗闇へ、全力で投擲(とうてき)する。

 

 剣は縦に回転し、空気を裂き、光の届かない奥へと吸いこまれる。

 

 ギャンッ!

 

 獣の悲鳴が、洞窟の腹の中で跳ね返る。

 

「やはりか……」

 

 先ほどの混成体(キメラ)と同種の怪物が、闇に紛れて侵入者を待ち構えていたのだ。

 まだ呼吸音がする。ハルスフォートは手のひらをかざした。

 

引返(アトラクト)!」

 

 見えない糸に引かれるように、剣が闇の奥から一直線に戻ってくる。

 空中を横切ろうとする(つか)を握り、ハルスフォートは地面を蹴った。

 

 倒れるリスティを迂回(うかい)するように、壁を走る。

 間合いを詰め、闇の中にある気配へ剣を突き出した。

 

 ドスッ!

 グオオォ……!

 

 斜め上から剣を突き下ろし、胴を貫き、心臓を刺す。

 洞窟に待ち構えていた混成体(キメラ)は、びくりと痙攣(けいれん)したのを最期に、脱力して崩れ落ちた。

 

「……よくもまあ、罠に気づいたわね。坊や」

 

 洞窟の奥底から、女のねっとりとした声が響いた。

 死体から剣を抜き取り、ハルスフォートが切っ先を向ける。

 

「逆だな。気づかない方がおかしい。

 飼い主なら、ペットを()ぎ慣れているんだろうが──獣臭が漂っていたぞ」

 

 倒れているリスティを背にし、ハルスフォートは魔女と対峙する。

 魔女──エリス・タークトッド。

 

 闇の中に浮かび上がるのは、(あで)やかな女の輪郭。

 体にぴったりと貼りついたローブ。手には、青く輝く大きな宝玉(ほうぎょく)

 宝玉は、氷河から(けず)り出されたかのように、冷たく()んでいた。

 

 グッ──、

 

 ハルスフォートが力強く踏み出す。

 エリスがわずかに肩を沈め、警戒の構えを取った。

 

 しかし、ハルスフォートの先制行動は攻撃ではない。

 

 ダッ!

 

 エリスに目を向けたまま、背後に跳ぶ。

 視界外のリスティを感覚だけで捉え、彼女の服をつかむ。

 

 ガシッ!

 

 服の繊維を引き上げ、ハルスフォートはリスティを抱えこんだ。

 軽い。腕の中の少女はぐったりとしていたが、体温だけがかすかに伝わってくる。

 

 生きている。生存を確認し、背後を一瞥(いちべつ)する。

 安全地帯へリスティを退避させなければ──。

 

 刹那(せつな)

 金属を焼いたような異臭が充満する。

 

刺雷(ラン・ボルト)

 

 バヅィッ!

 

 暗闇から放たれた紫色の電撃が、蛇のようにうねりながらハルスフォートを襲う。

 肌が粟立(あわだ)つ。直撃すれば黒焦げは(まぬが)れない。

 

 ザスッ!

 

 ハルスフォートは咄嗟(とっさ)に剣を地面へ突き立て、自らは後ろへ跳躍。

 

 バチィィィッ!

 

 火花が()ぜる。

 剣が避雷針となり、紫電(しでん)を地面へと逃がした。衝撃が反響し、耳の奥が(しび)れる。

 ハルスフォートは剣を引き抜くと、すぐさま別の魔術を展開した。

 

地打拳(ギア・クラウト)!」

 

 叫ぶと同時に、足裏で地を踏みしめた。

 発現(はつげん)場所を強く意識する。エリスと自身との間。虚空(こくう)を背負った地──。

 

 ゴッ!

 

 分厚い土壁が、洞窟の通路を(ふさ)ぐように隆起(りゅうき)した。

 視界と魔法の射線を(さえぎ)る、一時的なバリケード。

 

 本来は、地面から突き上がる土塊(どかい)で、相手を打ちつける魔術である。

 しかし今は、殴る為ではない。守る為の壁だった。

 

 ハルスフォートはその隙にリスティを抱き直し、全速力で洞窟から飛び出した。

 外の光が目をくらまし、滝の飛沫(しぶき)(ほお)にかかる。

 

 川原の(はじ)にある茂みへ駆け寄り、リスティをそっと草陰(くさかげ)に隠す。

 

「少しの間、そこで寝ていろ」

 

 ハルスフォートすぐに(きびす)を返す。

 洞窟の前まで走ったところで、土壁の向こうから不気味な詠唱が聞こえた。

 

病王囀(ガノス・リンガ)

 

 グジュッ……。

 

 (うみ)を潰したような音が立ち、固い土壁が紫に変色した。

 土壁の表面が波打ち、腐り、崩れる。

 

 鼻の曲がる悪臭と共に、壁の穴からエリスが姿を現した。

 ハルスフォートは剣を構え、不敵に笑う。

 

「おまえさん、黒魔術を使うとは良い度胸(どきょう)だ。

 その厚い(つら)の皮を()ぐには、おれの剣でも刃が立たないな」

「あら、アタシの病王囀(ガノス・リンガ)を黒魔術だと知ってるだなんて。坊やにしては物知りじゃない」

 

 エリスは腐り落ちた土壁を踏みしめ、赤い(くちびる)を吊り上げる。

 ハルスフォートはにじり寄りつつ、隙をうかがう。

 

「魔王に魔力を捧げる禁術なんざ、裏稼業に(うらかぎょう)片足突っこんでりゃイヤでも耳に入る。

 ……魔王討伐でもないのに使ったら、ブタ箱も経由せず極刑(きょっけい)だ」

「あら、怖い。坊やは処刑人ごっこがお上手ね」

「安心しろ。おれは断頭台(ギロチン)と同じくらい人道的だ」

 

 ハルスフォートは態度を崩さぬまま、剣先をわずかに下げた。

 挑発に乗って斬りこむには、エリスの気配があまりにも重い。

 

「──原初の(かま)、煮え立つは万象(ばんしょう)

 

 エリスが(とな)え、差し出された手に、呪算紋(グリマ・グリフ)が浮かび上がる。

 ベラドンナとヤモリの図柄(ずがら)が、1つ、2つ、3つ……いや、違う。

 

「なっ……!?」

 

 ハルスフォートは、己の目を疑った。

 

 エリスの周囲に展開された呪算紋(グリマ・グリフ)は、またたく間に増殖していく。

 その数、実に18。

 

 卓越(たくえつ)した魔術師である、ジェーンでも10。

 18ともなれば、人間の(うつわ)から逸脱(いつだつ)している。

 

 目の前にいるのは、ただの魔術師ではない。

 本物の魔人──魔王の魔力を(そそ)がれた、人間の成れ果てだ。

 

()錐穿(きりうが)て、閃迅炎刃(ブレイズ・ブレイド)

 

 放たれたのは初級魔術。

 だが、膨大な魔力から放たれる「それ」は、初級という枠を嘲笑(あざわら)う、巨大な業火(ごうか)(かたまり)だった。

 

 熱が先に立つ。肺に取りこむ空気は、溶解(ようかい)する(ろう)のよう。

 

 剣で斬り払える火力ではない。

 ハルスフォートは即座に判断し、足元に呪算紋(グリマ・グリフ)を展開した。

 

跳空(エアステア)!」

 

 光の紋様(もんよう)を踏み抜き、空中を蹴る。

 

 魔術の撃ち合いでは太刀打ちできない。

 ならば、得意の剣術の間合いへ持ちこむしかない。

 

 (せま)り来る爆炎を飛び越え、一気にエリスの頭上へと肉薄(にくはく)する。

 

 しかし。

 

 エリスの口角が吊り上がった。

 その手の中に、青い宝玉(ほうぎょく)が握られている。

 

「──止まれ」

 

 彼女の短い言葉と共に、宝玉の輝きが空中に放出される。

 

「っ!?」

 

 放出範囲は、ハルスフォートを丸ごと包むほどの広さだった。

 多大な魔力によって可能となる、不可避(ふかひ)一烈(いちれつ)

 

 ギンッ!

 

 極寒(ごっかん)の輝きに触れた瞬間、ハルスフォートの半身を分厚い氷が(おお)い尽くした。

 骨の(ずい)に釘を打たれたような、痛みに近い寒気。

 

「詠唱なしの即時発動……魔式装具(マギスレイヴ)かッ!」

「ご名答」

 

 詠唱という隙ができる魔術師にとって、魔力を通すだけで発動できる魔式装具(マギスレイヴ)は極めて優秀な護身具となる。

 まんまと罠に()められたのだ。

 

 ドスッ……。

 

 凍てついたハルスフォートが、地面に落ちる。

 衝撃が身体(からだ)に響くはずなのに、感覚が遠い。かじかんだ指先は動かず、吐いた息が氷に触れて(しも)へと変わる。

 

「まあ、呆気(あっけ)ないわね」

 

 氷の(かたまり)と化したハルスフォートを見下ろし、エリスが鼻で(わら)う。

 身動きの取れないハルスフォートを前に、エリスは悠々(ゆうゆう)と詠唱する。

 

(かなえ)沸く不予(ふよ)。汝は蒼茫(そうぼう)(かち)神門(かんと)よ開帳せよ」

 

 魔王へと(ささ)げる祝詞(のりと)。黒魔術の詠唱だ。

 

「クソッ……!」

 

 ──どうせ、弱者は強者に(なぶ)られる運命(さだめ)なのか?

 弱者が何にも屈服(くっぷく)しない力を得るなど、「不相応(ふそうおう)の夢」と(あきら)めるべきなのか?

 

 ハルスフォートの胸中(きょうちゅう)に、無力感が去来(きょらい)する。

 

 絶体絶命。

 その時──横槍(よこやり)は、炎の刃となって真横から飛来した。

 

「──閃迅炎刃(ブレイズ・ブレイド)!」

 

 ゴオッ!

 

「何っ!?」

 

 不意打ちの炎に、エリスは舌打ちをして詠唱を中断し、後方へと大きく()退()く。

 エリスを狙ったかに見えた炎の刃は、そのまま彼女のいた地面──すなわち、氷漬けのハルスフォートへと直撃した。

 

 ジュッ!

 

 氷の牢獄(ろうごく)は、一瞬にして水へと変わる。

 

「熱ィイッ!?」

 

 余熱を受けたハルスフォートは、蒸気と共に跳び起きた。

 

「悪いわね。自然解凍は待ってられないわ」

 

 巨大な棺桶を背負って合流した少女──ジェーンは、悪戯(いたずら)っぽくウインクした。




作者注:作中で「(かち)し」という表記がありますが、本来は「上が氏、下が口」の漢字です。ハーメルンでは表示ができないようでしたので、代替として「昏」を使用しました。
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