いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

30 / 32
第4話 禁断の二頭討ち

 時を戻し、森の奥。

 地面に描かれていく魔法陣の傍らに、リスティは佇んでいた。

 

 朝の森は、夜の名残を抱いたまま、薄い湿り気を漂わせている。

 足裏の腐葉土が、しっとりと沈んでいた。

 

 開けた場所の中央では、ワローが魔術書を片手にヒザをついている。

 

色筆(インクィング)

 

 スウッ。

 

 効果の切れた魔術をかけ直し、ワローは地面に赤い線を引いていた。

 円が重なり、三角が組まれ、方位を示す短い線が儀式の骨格を形づくっていく。

 

 その背中へ、リスティはふと疑問を投げかけた。

 

「……今回は、薬で魔法陣を描くわけではないんですね」

 

 ワローは赤い線から目を離さぬまま、背中越しに答える。

 

「あの時は、原形復元の複雑な魔術を成立させるために、それだけ大きな力が必要だったからだよ。

 今回は単純に、大きな生物を眠らせるだけでいい。薬液もタダではないんでね」

 

 ワローの指先が迷いなく動き、最後の一本の線を結んだ。

 

「よし。これで完成だ」

 

 ワローは大きく息を吐くと、左手に広げていた魔術書をぱたりと閉じる。

 

「お疲れさまです」

「なに、本番はこれからさ」

 

 魔術書をカバンにしまい、ワローは近くの茂みに身を隠した。

 リスティもそれに(なら)い、ワローの隣へ位置を移す。

 

 ハルスフォートは今ごろ、血袋を手に森の中を歩いているはずだ。

 雷ドレイクを、この魔法陣の上までおびき寄せるためである。

 

 誘導が成功すれば、ワローが麻酔の魔法陣を発動し、ドレイクを眠らせる手はずだ。

 その間、リスティはワローのそばで護衛につくことになっている。

 

 ワロー自身は、戦闘向きの人物ではない。

 森の獣や盗賊が現れた場合に備えて、リスティが護衛として残っていた。

 

 もっとも、緊急事態への備えが万全というわけではない。

 荒事にあまり慣れていないのはリスティも同じだ。

 

 万が一とあれば、緊急用の魔式装具(マギスレイヴ)を使うしかないが、保険はかけたい。

 

「……その魔術書、少し見せていただいてもいいですか?」

 

 リスティの視線は、ワローの手元の本に向けられていた。

 

「これのことか?」

 

 ワローは魔術書を持ち上げると、わずかに眉を動かした。

 

「これは格式ある書物というより、単なる私用のメモ帳だ。

 生活魔術の詠唱、紋章学の兜飾り(クレスト)花冠(リース)などの図柄、占星術の星々の配置と効果……。

 要するに、必要な情報を雑多にまとめただけのものだ」

 

 ワローはそう謙遜したが、リスティは首を振った。

 

「それは充分、立派な魔術書だと思います。

 ワローさんの経験が、その本の厚みに表れているんでしょう」

 

 リスティの言葉に、ワローは口の端をぎこちなく吊り上げ、彼女へ魔術書を差し出した。

 

「……私のために書いたものだ。他人に見せることを念頭に置いていない。

 読みづらくても、文句は言ってくれるな」

「はい。大切に扱わせていただきます」

 

 リスティは両手で魔術書を受け取ると、慎重に表紙を開いた。

 それから、ページをパラパラとめくっていく。

 

 確かに、中身は雑多だった。

 あるページには星の巡りが記され、その次のページには水を浄化する生活魔術の詠唱が書かれている。さらにめくれば、紋章の部品図、薬草の相場、患者の症例──。

 

 リスティはしばらく文字を目で追っていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「……すごいですね。

 これ、必要な情報がどこにあるか、ワローさんはすぐに引けるんですか?」

「よく開くページには、付箋を貼っている程度だ。

 それ以外は、私でもどこになにが書いてあるか分からないね」

「ふふ。そうですよね」

 

 リスティは苦笑しながら、さらにページをめくった。

 やがて、ある見開きでリスティの指が止まる。

 

 そこには、初歩的な攻撃魔術の詠唱が記されていた。

 ワローの魔術書の中では、リスティにとって一番馴染みのある内容である。

 

「なるほど……ハルスフォートさんに発音を教えていただけたお陰で、これなら唱えられるかもしれませんね……」

 

 リスティがそのページをじっくりと読んでいると、不意にワローの声が横から差しこんだ。

 

「君たちは、なぜ旅をしているんだ?」

 

 それは唐突な問いだった。

 リスティはページから視線を引きはがし、おもむろに顔を上げる。

 

「なぜ、旅を……ですか?」

「ああ。それに、なぜ共に旅をしている?」

 

 ワローは地面に腰を下ろし、腕を組む。

 

 魔法陣は完成し、2人は茂みに身を隠している。

 あとは、ハルスフォートが雷ドレイクを誘導してくるのを待つだけ。

 

 張り詰めた待機の中で、ワローは少しばかり手持ち無沙汰になったらしい。

 

「私が診た限り、彼の体は鍛えられているが、傷が多い。

 ああいう男が、なぜ小さな君と共にいるのか気になってね」

 

 リスティは少し考え、それから答える。

 

「わたしの故郷に、魔王が現れたんです。

 今のわたしは、その魔王を倒すために旅をしています」

「魔王を倒すため……か」

 

 ワローは、わずかに目を細めた。

 

「では、もう一人の彼はどうなんだ?」

「ハルスフォートさんは、わたしの旅の護衛です。

 剣も魔術も扱える方で、これまで何度も助けていただきました」

「なるほど。では、彼は最初から君の旅に同行していたのか?」

「いえ」

 

 リスティは、ワローの質問を不思議に思いながら、首を横に振る。

 

「途中で出会いました。レイワズ王国の、ジョニー村というところです」

「つまり、君が故郷を旅立った時から一緒だったわけではなく、途中で合流したと」

「はい」

「ならば、彼自身の旅の目的はなんだったんだ?」

 

 ワローの声は、先ほどまでより少しだけ低く、静かだった。

 

「まさか、最初から君を護衛するために旅をしていたわけではないだろう」

「それは……」

 

 リスティは答えようとして、口を閉ざした。

 

 ──確かに、その通りだった。

 ハルスフォートは、なんのために旅をしていたのだろう。

 

 彼は魔剣士だ。

 腕は立つ。世慣れていて、野営にも慣れている。

 だが、それは旅ができる理由であって、旅をしている理由ではなかった。

 

 しかし振り返ってみれば、ハルスフォートとはまだ出会って一週間ほどの仲でしかない。

 

 なぜ彼が旅をしていたのか。

 なにを求め、どこへ向かっていたのか。

 

 リスティはそれを、聞いたことがなかった。

 ふいに、ハルスフォートの言葉が胸の奥に蘇る。

 

 ──このおれも! おまえが──必要なんだ!

 

 ヨートゥルムの城の地下で、彼が声を張り上げて訴えかけた言葉。

 リスティに同行しているのは、単なる善意や義侠心だけではないのだ、と。

 

 では、彼は自分になにを求めているのだろうか?

 

「……それは、知りませんでした」

「そうか」

 

 ワローは、それ以上踏みこんでこなかった。

 ただ、どこか試すような目でリスティを見ている。

 

 朝の森の気配が、少しだけ遠のく。

 静寂が破れたのは、その時だった。

 

 がさり、と近くの茂みが音を立てる。

 

「っ!」

 

 リスティは反射的に魔術書を閉じ、身を隠すように(ひざまず)く。

 ワローは、魔法陣の中心へ素早く視線を走らせる。

 

 彼が地面に手をつく。

 そこには、本命の魔法陣と連動する、起動用の小さな陣があった。

 

 2人は息を潜め、茂みの動きを探った。

 沈黙の中で、ノドを鳴らす音だけがやけに大きく聞こえた。

 

 ガササッ……。

 

 やがて、茂みから現れたのは獣だった。

 

 茶色い体毛。

 人の腰ほどの高さで、頭には角が生えた──。

 

「……シカ、ですね」

 

 シカは細い脚で下草を踏み分け、鼻先をひくひくと動かしながら、ゆっくりと開けた場所へ歩み出る。

 

「シカだな」

 

 ワローは渋い顔をした。

 

 シカは地面に描かれた赤い線に興味を示したのか、魔法陣へのそのそと近づいていく。

 

「まずいな……」

 

 ワローは舌打ちすると、足元の小石を拾った。

 腕を小さく振り、茂みの隙間から石を投げる。

 

 ぽふっ。

 

 小石はシカの足元へ飛び、腐葉土の上を跳ねた。

 

 シカはびくりと肩を震わせたが、逃げ出しはしない。

 ただ顔を上げ、不審げに辺りを見回している。

 

「……なにをしてるんですか?」

 

 リスティが声を潜めて尋ねると、ワローは忌々しげに答えた。

 

「この陣は強力だが、一回だけの使い切り。そして、眠らせられるのは一体だけだ。

 もしあのシカが陣の上にいる時に雷ドレイクが来たら、どうなると思う?」

「……シカが眠ってしまう、ということですか?」

「必ずしもそうとは限らない。効果は、より陣の中央に近い一体へ適用される。

 だが、状況次第では判定が揺らぐ。術の確実性が落ちるんだ」

 

 そう言って、ワローが再び石を投げようとした瞬間。

 

 ガバッ!

 

「うおっ!?」

 

 リスティはとっさに、ワローの肩へ飛びついた。

 

 ワローの体は、押し倒されるように地面へ伏せる。

 リスティはその上へ(おお)いかぶさり、葉と影の中へ、自分たちの気配ごと身を沈めた。

 

「なにを──」

「静かに」

 

 リスティは、ワローの口元に指を立てる。

 その顔に浮かんでいたのは、張り詰めた警戒だった。

 

「…………」

 

 ワローは息を呑み、口を閉じる。

 

 直後。

 

 ガザアッ!

 

 シカが現れた茂みの奥で、さらに大きな葉擦れの音が鳴った。

 飛び出した影が、シカの首へ食らいつく。

 

 バギンッ!

 

 骨を砕く鈍い音が、森の中に反響した。

 

「……!」

 

 シカは悲鳴を上げることすらできなかった。

 細い脚が痙攣(けいれん)し、やがて全身から力が抜ける。

 

 シカの喉笛を噛み砕いた獣は、その勢いのまま獲物を引きずり、魔法陣の中央へ足を踏み入れた。

 

 丸太のように太い脚。

 肩からは、腕の代わりに鳥のような翼が生えていた。

 

 そして、長細い尾。

 地味な体色とは対照的に、その尾だけが青く染まっている。

 

 間違いなく──雷ドレイクだった。

 シカを食い破ったその姿を見て、2人の背筋が冷える。

 

「グルルルル……」

 

 ドレイクは、シカのノドへ牙を立てたまま、低く(うな)っていた。

 獲物を奪われまいと、翼でシカの胴を押さえつけている。

 

 雷ドレイクが立つその場所は、魔法陣のほぼ中央。

 シカの体はドレイクに(くわ)えられたまま、陣の外にあった。

 

 ワローは機を逃すまいと、地面に置いた手へ力をこめる。

 

「眠れ!」

 

 その声は小さかった。

 言葉と共に、起動用の小さな魔法陣が赤く光った。

 

 キィンッ!

 

 開けた場所に描かれた本命の魔法陣が、内側から光を噴き上げた。

 その光が、ドレイクの巨体を包みこむ。

 

「グウゥッ!?」

 

 ドレイクの巨体が、ぐらりと傾いた。

 

 ドズンッ!

 

 ドレイクは、シカをくわえたまま横倒しに倒れる。

 地面が揺れ、積もった落ち葉がぱっと跳ねた。

 

 しばらく待っても、雷ドレイクは動かない。

 死んだわけではなく、胸の辺りだけが、ゆっくりと上下している。

 

 眠っていた。

 

「……やった」

 

 リスティの口から、小さな声がこぼれた。

 ワローは地面に伏せたまま、ぐっと拳を握る。

 

「よし、作戦通りだ!」

「はい! すごいです、ワローさん!」

 

 2人は思わず歓喜の声を上げた。

 リスティは、ワローに(おお)いかぶさっていた体をのける。

 

「すみません、理由も告げずに伏せさせてしまって」

「いや、良い判断だった。

 あのまま騒いでいたら、こちらが標的にされていただろう」

 

 ワローは立ち上がると、いそいそと雷ドレイクの方へ歩き出した。

 その足取りは、先ほどまでの慎重さが嘘のように軽い。

 

 あとは、ワローがドレイクの生き胆を抜くだけだ。

 そう思ったところで、リスティはふと辺りを見回す。

 

 木々の間。

 茂みの奥。

 魔法陣の周囲。

 

 どこにも、ハルスフォートの姿がなかった。

 

「……あれ?」

 

 リスティは首を傾げた。

 

 ドレイクは確かに、この場所へ現れた。

 ならば、それを血袋で誘導していたハルスフォートも、当然この近くにいなければおかしい。

 

「待ってください。ハルスフォートさんの姿がありません」

「後ろから追いこんできているなら、そのうち来るんじゃないか?

 それよりも、今は眠っているうちに拘束し、必要な処置を済ませる。時間との勝負だな」

 

 ワローは魔法陣の近くまで進むと、眠っているドレイクを見下ろした。

 

「は、はい……」

 

 リスティは胸に残る違和感を拭えないまま、魔術書を抱えてワローの後を追った。

 

「あの、ありがとうございました。お返しします」

「カバンの中にしまっておいてくれ」

「分かりました、失礼します」

 

 ワローのカバンを開き、リスティがそこに魔術書を押しこむ。

 

 一方のワローはリスティに目を向けないまま、取り出したメスを指に収めた。

 そして、生き胆を手に入れようと、ドレイクの腹にメスと入れた瞬間──。

 

「──うおおぉぉぉぉッ!」

 

 背後から、聞き慣れた声が飛んでくる。

 

「えっ!?」「なっ!?」

 

 リスティとワローは、同時に振り返った。

 

 ガザザッ!

 

 木々の間から、ハルスフォートが駆けてくる。

 

 両手には、血袋を抱えている。

 中身は激しく揺れ、袋の口から赤黒い液体が飛び散っていた。

 

 そして、彼の背後。

 

 バギバキッ!

 

「ギケエエェェェッ!」

 

 木々を薙ぎ倒しながら──もう一体の雷ドレイクが迫ってきていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。