パチッ、と
まぶたの裏に揺らめく赤い光。
頬を撫でる熱気と、湿った土に染みついた煙の匂い。
ハルスフォートは目を閉じたまま、浅く息を吸った。
胸が痛む。腕も脚も重く感じる。
全身の筋肉が強張り、指先を動かすと、痛みが骨の奥を走った。
それでも、意識を失う直前に全身を貫いた雷の苦痛に比べれば、どうということはない。
背中には、柔らかな布と固い地面の感触がある。
遠くで鳴く夜鳥の声。鼻先をくすぐる、昨夜と同じ焚き火の匂い。
雷ドレイクと戦う前に使った野営地へ、戻ってきたらしい。
意識を失った自分が一人で戻れるはずもない。リスティとワローが、ここまで運んだのだろう。
どれほど眠っていたのか。
ハルスフォートはまだ目を開けず、焚き火の向こうから聞こえてくる2人の声へ耳を傾けた。
「……よく、寝ていますね」
リスティの声だった。普段よりも小さく、焚き火の音に掻き消されそうなほど頼りない。
「軽い治療は済ませた。命に別条はない。
落雷をまともに受けたんだ。むしろ、この程度で済んでいることを褒めるべきだろう」
ワローの声音は変わらず、素っ気ない。
「脈も呼吸も安定している。あとは本人が回復するのを待つだけだ」
「はい。今夜になるか、数日後になるか……。
それまでわたしにできることは、ハルスフォートさんがこれ以上傷つかないようにするだけですね」
「流石に、私はずっと付き合えないがな。
ここでの目的も果たしたし、明日の朝には出発するつもりだ」
「はい。わたしはここで待ちつづけます」
そこで会話が途切れた。
薪が崩れ、火の粉が弾ける。
目を閉じたままでも、リスティがこちらを見つめているのが分かるようだった。
「──もう待たなくて大丈夫だ」
視線を注がれている当人がそう告げると、2人のいる方で息を呑む音がした。
「ハルスフォートさん!」
落ち葉を踏み散らす足音が近づき、すぐ傍らで止まる。
ハルスフォートがまぶたを開くと、リスティがヒザをつき、身を乗り出すようにしてこちらを覗きこんでいた。
照らされた顔には、驚きと安堵が入り交じっている。
「よかった……」
力の抜けた声とともに、リスティの肩が下がる。
「あの場は切り抜けられたか。
おまえのお陰だ」
ハルスフォートは短く礼を言う。
彼は肘をつき、ゆっくりと上体を起こした。
筋肉の痛みはあるが、動けないほどではない。
体を包んでいたマントが胸元から落ち、向かいに座るワローの姿が見えた。
「ムリに起きる必要はないぞ」
ワローはそう言ったが、止めようとはしなかった。
リスティにも目立った傷はない。
ワローの衣服には裂けた箇所と血の跡が残っていたものの、火のそばで平然と座っている。
少なくとも、2人とも生きている。
それを確認してから、ハルスフォートは口を開いた。
「それで、雷ドレイクはどうなった?」
「一頭目は君が倒した。戦闘後に死亡も確認した」
ワローは焚き火へ薪を一本放り込み、淡々と続けた。
「もう一頭は、リスティの
その間に、生き胆を採ることができたよ」
そう言われ、ハルスフォートがリスティを見る。
「……依頼を成功させた、ってことか?」
「ああ。
私に多少の負傷がある程度で、当初の目的である雷ドレイクの生き胆は入手できた」
「そうか。……良くやったもんだ」
感心するハルスフォートに、リスティは少し困ったように眉を下げた。
「わたしだけの力じゃないです。
ワローさんの魔術書があったから、雷ドレイクを殺し切らない
「それでも、あの状況で成功させたんだ。
おれが認めてやってるんだ、誇ってもいい」
「え、えっへん」
リスティは、ぎこちなく胸を張る。
「さて、目を覚ましたのなら、報酬の話をしておこう」
ワローの言葉に、リスティは張った胸を元に戻した。
「当初の報酬である2万Gは、事前に取り決めた通り、君たちの治療費と相殺する。
雷ドレイクが2頭いた分の危険手当を上乗せすべき案件だったが、護衛対象である私にも負傷が出た。その不手際と相殺し──。
互いに追加の支払いはなし。それで今回の依頼は清算とするが、異論はあるか?」
「まあ、大丈夫だ」
「はい、問題ありません」
依頼の清算が済むと、リスティがワローを見る。
「そういえば、雷ドレイクの生き胆は、何に使うんですか?」
その質問に、
「…………」
ワローは沈黙で答えた。
リスティを見つめ返し、質問の意図を探る、わずかな間を置く。
やがて、ワローは慎重に言葉を選びつつ答えた。
「……詳細は言えんが、人を生き長らえさせるための実証実験の材料だ。
私は、そのための素材を集めながら旅をしている」
「誰かを助けるためなんですか?」
リスティの追及に、ワローが首を振った。
「そこから先は、君たちに話すことではない」
きっぱりと線を引かれ、リスティは口を閉ざす。
「それ以上は、話せないのか?」
ハルスフォートが尋ねると、ワローは口元を皮肉げに歪めた。
「君も、連れのリスティに旅の目的を明かしていないだろう?」
意地の悪い声音で、ハルスフォートを見る。
「誰だって、秘密にしたいものはあるものさ。
日々の安寧を捨てて、旅に出るくらいに重要ならね」
「…………」
ハルスフォートは反論せず、地面へ視線を落とした。
自分にも、リスティへ打ち明けられない秘密がある。
そんな身で、ワローにだけ事情を話せとは言えなかった。
「……あの」
しばらくして、リスティがおずおずと声を上げた。
先ほどワローに拒まれたばかりだからか、いつものようにまっすぐ訊ねることができずにいる。
「ハルスフォートさんは……どうして旅をしているんですか?」
ドレイクとの戦闘前にワローに訊かれた質問を、そのまま受け渡す。
問いかけたあと、リスティは返事を急かさなかった。
ハルスフォートは彼女の目を見返しながら、どこまで話せるかを考える。
「軽く言える範囲で言うなら──おれの故郷は、貪食の魔王であるズア=ディハに滅ぼされた」
ハルスフォートは、感情を交えずに告げた。
「そいつ自体は、2年前にどこかの勇者の手で倒された。
けど、魔王は倒せば終わりってわけじゃない。
しばらくすれば、どこかの人間が新しい貪食の魔王になるだろう」
魔王は滅びても、やがて別の人間を器として蘇る。
「だからおれは、仇であるズア=ディハが復活した時に、抗える力を探してる。
それがおれの旅の目的だ」
「それは……辛かった、でしょうね」
「おれだけが可哀想なわけじゃないだろ」
ハルスフォートは間を置かずに返す。
「おまえにも辛い過去はある。
だが、それに対しておれが特別になにかしてやってるわけじゃない。
だから、おまえもこれまでと同じでいい」
「……はい」
リスティが目を伏せる。
「ハルスフォートさんの目的は分かりました。
だから、魔王に抗する術を──わたしの力が、必要だと言ってくれたんですね」
リスティは、ようやく腑に落ちたように言った。
「ああ」
短く肯定すると、リスティの表情が和らいだ。
彼女に対し、ハルスフォートが切り出す。
「そういえば、おまえとの報酬の話が、まだだったな」
唐突に話を変えると、リスティは首を傾げた。
「報酬の……話?」
「ヨートゥルムから逃げる時に持ち越しただろ。おまえの護衛依頼の報酬だ」
「……ああ! そういえば、まだでしたね」
互いの旅の目的を話した今なら、ようやく決められる。
「おまえの故郷の魔王を倒し終わったら、今度はおれの故郷の魔王について付き合え。
それが、護衛依頼の報酬だ」
ハルスフォートがそう提案すると、リスティは少し嬉しそうに笑った。
「それなら、報酬として充分です」
その返事に、ハルスフォートは満足げにうなずいた。
「商談もまとまったようだな。寝るとするか」
それまで黙って見守っていたワローが、口を挟んだ。
「おいおい、おれは今までずっと寝てたんだ。眠気なんて全くないぞ」
「夜番に最適だろう?」
「病み上がりを働かせるつもりか?」
互いに皮肉を言い合いながらも、合意は形成されたようだ。
「おれが眠くなってきたら、適当にどっちかを叩き起こすからな」
「はい。お願いします」
ハルスフォートはヒザにかかっていたマントを羽織り直し、ワローは横になる準備を始めた。
リスティも焚き火を消し、マントを地面に敷いて寝床を整える。
先ほどまでとは少しだけ違う空気の中で、3人は夜を共有した。
翌朝。
朝露の残る森の細道を、3人は歩いていた。
ハルスフォートの体に残っていた痛みは、ほとんど気にならない程度まで引いている。
先頭を歩くワローの後ろで、リスティが地図を広げた。
「ここが、ヨートゥルムとシステリム町の中間地点なんですよね?」
野営地を
「正確には、ヨートゥルムとシステリム町、それからクリシャ村のほぼ中間だ」
ワローは歩みを緩め、リスティの地図を覗きこむ。
「ここから北西へ戻ればヨートゥルム。南東へ進めばシステリム町だ。
クリシャ村は、そこから南へ外れたあたりにある」
指先で地図の上をなぞられ、リスティは現在地と思われる場所へ目を凝らした。
「つまり、このままヨートゥルムから離れるなら、システリム町が一番近いんですね」
「そういうことだ」
「直近の目的地は、システリム町だな」
ハルスフォートが言うと、リスティは地図を畳みながらうなずいた。
「ヨートゥルムからも離れられますし、ちょうどいいと思います」
「なら私は、クリシャ村に行こう」
ワローの言い方に、ハルスフォートは眉を上げる。
「『なら』ってことは、おれたちとは違う場所に行きたいんだな」
「君たちの働き自体には満足だがね、どうにも不測の事態に見舞われそうだからな」
「医者のくせにオブラートも知らないのか?」
とはいえ、これまでの旅で何事もなく済んだ試しもない。
皮肉を言い合う程度で終え、やがて森の道は3つに分かれた。
1本は今まで歩いてきたヨートゥルムへの道。
残る2本が、それぞれシステリム町とクリシャ村へ続いている。
3人は分かれ道の前で足を止めた。
「それじゃあ、お別れですね」
リスティはワローへ向き直る。
「素材集めの旅の無事を祈ります。またお会いしたら、よろしくお願いします」
「魔術医としては、患者との再会は願うべきではないな」
ワローがそう返すと、ハルスフォートもすぐに口を開く。
「また会うことのない無事を祈る」
「こちらからも祈ろう。祈るだけなら金はかからんからな」
ワローはそう言って、軽く明るく笑った。
それ以上は何も言わず、2人へ背を向ける。
ワローは片手を上げたまま、クリシャ村へ続く道を歩き始めた。
彼の背中が木々の向こうへ消えるまで見送ってから、リスティがハルスフォートを見上げる。
「では、わたしたちはシステリム町に行きますか」
「ああ。まずは銀行だな。ゴブリン討伐の報酬が振りこまれてるか確認したい」
「それから、宿も取りましょう。食料も減っていますし、旅の道具も補充したいです」
「やることは多そうだな」
2人は顔を見合わせると、システリム町へ続く道へ足を向けた。
朝の光が、木々の隙間から道へ差しこんでいる。
銀行へ寄ったあと、どんな宿を選ぶか。
食料はなにを買い足し、傷んだ旅装をどこまで新しくするか。
そんな話を交わしながら、ハルスフォートとリスティは並んで歩いていく。
やがて2人の背中もまた、朝の森の中へ消えていった。