いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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第2章 美女か野獣
第9話 巨怪の怒り


「──雨幕(うばく)貫く瞬刻の紫電、oli(オリ) ファルジョー kwool(クウォール)……」

 

 街道を歩きながら、リスティの声が響く。

 途中まで一定のリズムだったが、万声(ばんせい)が途切れて口をつぐむ。

 

 隣を歩くハルスフォートを見上げると、彼は唇を尖らせて指摘した。

 

fargeau(ファルジョー)。ルが口蓋垂音(こうがいすいおん)だ。

 ノドの奥を震わせて、そのまま息を舌の裏へ滑らせる」

「あ、ありがとうございます」

 

 彼女はぺこぺこと頭を下げてから、再び前を向いた。

 

 左右には草原が広がり、その間を一本の街道が南東へ伸びている。

 朝にワローと別れてから、2人はひたすらシステリム町へ向かって歩き続けていた。

 

 今日中に町へ着くことはできない。

 このまま進めば、到着は明日になる見込みだ。

 

「じゃあ、もう一回──」

「待て。そろそろクールタイムに入った方がいい」

「分かりました」

 

 ハルスフォートが制止し、リスティは口を閉じる。

 

 万声(ばんせい)を正しく発音できれば、短時間に限り次の万声(ばんせい)へと繋げて詠唱を成立させることができる。

 逆を言えば、短時間に万声(ばんせい)を繰り返せば、詠唱は続行するという判定になる。

 

 詠唱や万声(ばんせい)の仕組みや構文は未だ完全に解明されていないが、一つだけ確かなことがある。

 短時間のうちに万声(ばんせい)の練習を繰り返すのは危険、ということだ。

 

 意図しない形で詠唱が繋がり、未知の魔術として成立してしまう危険性がある。

 過去にはそれによって爆発や変質が生じ、術者だけでなく周囲を巻き込んだ例もある。

 

 ただ、これに対する対処法もある。万声(ばんせい)を発してから次の万声(ばんせい)を発音するまでに、3分を越えればまず詠唱不成立となる。

 

「ただでさえ、おまえさんは魔力が高い。その力で未知の魔術が暴発すれば十中八九事故になる。

 制御不能な力は、ただ周りを傷つけるだけだ」

「……肝に銘じます」

 

 風に揺れる草の音と、2人分の足音だけが街道に残る。

 しばらくの沈黙を挟み、ハルスフォートは指揮のように指を振った。

 

「やるぞ」

「はい!」

 

 今度は少し弾んだ返事をして、リスティは息を吸いこんだ。

 歩きながら詠唱し、少し経てば普通の会話でクールタイムを設け、また詠唱をし──。

 

 そうして何度か繰り返しているうちに、街道へ落ちる2人の影が随分と長くなっていた。

 

「──日が落ちてきましたね」

 

 乾いたノドを水筒で潤し、リスティがぽつりと呟いた。

 

「ああ、今日はここまでだろう」

 

 陽はすでに地平へ近づき、空には薄い橙が差している。

 まだ歩けないほど暗くはないが、野宿の準備を始めるなら頃合いだった。

 

 リスティは肩に掛けていた荷物へ手を回し、中から折り畳んだ地図を取り出す。

 

「現在地はこの右下の辺りですね。

 そうなると、北の方角に川があるはずです」

 

 足を止め、道端で地図を広げる。

 ハルスフォートも隣から覗き込み、周囲の地形と見比べた。

 

「川までは、そう遠くなさそうだな」

 

 ハルスフォートは顔を上げ、街道の脇へ視線を向ける。

 

 2人が歩いている街道は、森の中を通っている。

 道の上だけは木々が途切れて空が覗いているが、一歩外れればすぐに幹と下草の広がる林間だ。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

 リスティは地図を畳み、荷物へ戻す。

 2人は街道を外れ、北へ向かって木々の間へ入っていった。

 

 剣の柄に手を置くハルスフォートを先頭に、リスティが彼に続く。

 

 道を離れた途端、足元は踏み固められた土から、枯れ葉と伸びた草に変わる。

 木々に遮られ、夕陽も街道にいたときより幾分暗く感じられた。

 

「川が見つかったら、今日はそこで野宿ですね」

「ああ。薪になりそうなのも拾っとけ」

「分かりました」

 

 リスティは歩きながら、目についた乾いた枝を拾っていく。

 

「明日はシステリムですね」

「予定通りならな」

「着いたら、まず宿を取りますね。

 ヨートゥルムの時のように、宿に難儀するかもしれませんし」

「宿についてはおまえに任せる。おれは銀行と買い出しに行く」

「待ち合わせは噴水広場にしましょう。

 システリムは水と霧の町らしいですよ」

 

 そんな取り留めのない会話を交わしながら、2人は街道から離れて森の奥へ進んでいった。

 

 川の音は、まだ聞こえない。

 ハルスフォートは木々の隙間へ視線を巡らせながら、歩みを進めた。

 

「──ん?」

 

 不意に、その足が緩む。

 

「どうしました?」

 

 少し後ろを歩いていたリスティも立ち止まり、彼の背を見上げる。

 

 ハルスフォートは答えず、正面からやや左──何本もの木々が重なる向こうへ目を凝らす。

 

 幹と枝葉の隙間。

 夕暮れの薄暗い森の中に、周囲とは明らかに色の違うものがあった。

 

「……何かいるな」

「何か?」

 

 リスティも同じ方向を見るが、すぐには見つけられないらしい。

 

「どこですか?」

「あの太い木の奥……明るい色の、動いてるヤツが見えるだろ」

「明るい……?」

 

 言われて目を細めるものの、リスティにはまだ何があるのか判別できないようだ。

 

 獣にしては妙に背が高く、横幅がない。

 かといって、木の幹や岩とも違う。

 

 微かに動いたことで、少なくとも生き物だとは分かった。

 

 そのとき──向こうの動きも止まった。

 こちらを向いたように見える。

 

「気づかれたな」

「クマですか?」

「さあな」

 

 人影らしい形ではある。

 だが、森の中で擬態できない色が剥き出しになっているのは不自然だ。

 

 ハルスフォートは腰の剣をいつでも抜けるよう、意識を向けたまま歩き出す。

 

「いつでも逃げられるようにしていろ」

「分かりました……」

 

 2人は縦に列をつくり、木々の間を進む。

 

 向こうにいる何かも逃げようとはしなかった。

 むしろあちらも警戒しているようで、こちらをじっと見ている。

 

 距離が縮まるにつれて、その輪郭が少しずつ明瞭になっていった。

 

「……人か?」

 

 歩みは緩めず、ハルスフォートが呟く。

 

 もう少し近づき、木の幹に遮られていた全身が見えるようになる。

 

 銀髪の女だ。

 年頃としては20歳弱か。

 すらりと伸びた脚に、引き締まった腰。滑らかな白肌に、豊かなカーブを描く胸。

 

 しかし何故、それを一目見ただけで分かったかと言えば──。

 

「…………」

 

 ハルスフォートの足が止まった。

 女は、何も身につけていなかったからだ。

 

 夕暮れの森の中、文字通りの裸身を晒して立っている。

 

「ハルスフォートさん?」

 

 何が見えたのか分からないリスティが、彼の横からひょこりと顔を出そうとする。

 ハルスフォートは即座に片手を伸ばし、その頭を押し返した。

 

「見るな!」

「わっ!? なんですか!?」

 

 リスティは困惑しながらも、頭を押さえる手を退けようとはしなかった。

 ハルスフォートは彼女の視界を塞いだまま、改めて裸の女を見る。

 

 見間違いではなく、すっぽんぽんだった。

 そして女の方もまた、自分がどう見えているのか理解しているらしい。

 

 先ほどまでの警戒した動作に、明らかな焦りが混じっていた。

 

 ハルスフォートは眉間にシワを寄せ、深くため息を吐く。

 

「……また変態か」

 

 思わず、口から零れた。

 ハルスフォートの脳裏に、金髪のシーツ男や、スリル狂いの少女がよぎる。

 

「ち、違う! 誤解だ!」

 

 即座に怒声が返ってくる。

 聞こえていたらしい。

 

「大きく括られるのがイヤなのか? なら裸族と的確に言うぞ」

「これは好きでやってるわけじゃない!」

 

 女は言い返しながらも、裸身を隠そうとはしなかった。

 

 それどころか、羞恥よりも別の何かに気を取られているように見える。

 視線が落ち着かず、時折、自分の胸元へ意識を向けていた。

 

 チャキッ。

 

 不自然な動作に、ハルスフォートが剣を抜く。

 

「じゃあ何なんだ?」

「事情は後で話すから! ただ、今は──」

 

 そこで女が、不意に言葉を詰まらせた。

 片手で胸元を押さえ、わずかに身体を屈める。

 

「自分から離れて!」

 

 女は顔を上げ、今度は懇願するように叫んだ。

 

 ハルスフォートは眉をひそめる。

 意味は分からないが、少なくとも虚勢や時間稼ぎには見えなかった。

 

「……リスティ、聞いてたか?」

「はい。……なにか不穏そうですね」

 

 ハルスフォートは彼女の頭から手を離した。

 

「下がれ、離れろ。ゆっくりでいい」

「……分かりました」

 

 彼の真面目な声音に、リスティは問い返さず数歩後ろへ退いた。

 

 ハルスフォートも女へ剣先を向けたまま、一歩ずつ後退する。

 

 背を見せない。

 何が起きるか分からない以上、視線を外すつもりもなかった。

 

「これでいいか?」

 

 問いかけに、女は答えない。

 

「……っ、ぁ……」

 

 いや、答えられないようだった。

 

 胸を押さえたまま、さらに深く身体を折る。

 銀髪が顔へ垂れ落ち、肩が大きく上下する。

 

「ぐっ……ぁ、あ……!」

 

 次の瞬間。

 

 ズズッ……。

 

 白い背中を、銀灰色の獣毛が覆った。

 

 肩口から背中へ。

 腰から脚へ。

 

「ハルスフォートさん、あの人……!」

「見りゃ分かる!」

 

 女の身体が、目に見えて膨れ上がっていく。

 

 ボコッ!

 

 細かった腕に筋肉が隆起し、肩幅が広がる。

 脚も太くなり、地面を踏む足が見る間に巨大化していく。

 

「っ──!」

 

 ハルスフォートが剣を握り直す。

 

 女の背丈は、すでに先ほどまでとは比べものにならない。

 丸めていた背が盛り上がり、四肢の均衡そのものが人間の形から外れていく。

 

 体長5メートルほどの、ツノの生えたオオカミ。

 女──であった巨怪が、こちらを向いて威嚇を上げた。

 

「ガアアァッ!」

 

 巨怪が咆哮し、地面を蹴った。

 

「リスティ、下がれ!」

 

 ハルスフォートが叫んだ直後、巨怪が一気に間合いを潰す。

 

 ガギィン!

 

 振り抜かれた爪を剣で受け流す。

 腕に重い衝撃が走り、ハルスフォートの身体が数歩押された。

 

「速いうえに、重いな……!」

 

 続けて牙が迫る。

 その間へ剣を差し込み、噛みつきを押し留めた。

 

 純粋な力では分が悪い。

 

地打拳(ギア・クラウト)!」

 

 ズガアッ!

 

「グウッ!?」

 

 地面から突き上がった土塊が腹部を打ち、巨怪のアゴを跳ね上げる。

 ハルスフォートはその隙に剣を抜き、後ろに跳んで離れた。

 

「こいつはおれが引き受ける! 声が聞こえる程度まで離れてろ!」

「はい!」

「ガアアッ!」

 

 巨怪が即座に復帰し、再び飛びかかる。

 

 ザッ!

 

 今度は爪を躱し、すれ違いざまに前脚を斬った。

 

 ザシュッ!

 

「ギャウッ!」

 

 銀灰色の毛皮が裂け、血が散る。

 浅い。肉にも腱にも届いていない。

 

 だが、剣を心臓に突き刺すことは(はばか)れる。

 

 ──自分から離れて!

 

 巨怪になる直前、あの女は確かにそう言った。

 自分が危険になると知っていて、2人を逃がそうとしたのだ。

 

「いきなり首を落とすのも寝覚めが悪い……!」

 

 殺すのは最後の手段。

 まずは動きを止める。

 

 そう考え、ハルスフォートが次の攻撃をいなした時だった。

 

「……!」

 

 先ほど斬った前脚に目を向ける。

 

 傷が──消えていた。

 裂けた肉は瞬く間に繋がり、流れていた血も止まっていく。

 

「おいおい……」

 

 人間から異形へ変貌する身体。

 異常な再生能力。

 

「こいつ……魔人か?」

 

 確証はないが、普通の人間でないことだけは間違いなかった。

 

 ギィンッ! ガキッ! ドズッ!

 

 その後、数回攻撃を交わす。

 

「なんとかいなせる。負けることはないが……」

 

 牙を剣で押し退け、間合いを切る。

 

「勝つこともない、か」

 

 ハルスフォートは舌打ちした。

 

「リスティ!」

「はい!」

輝疾氷刃(ブリザード・ブレイド)だ! 準備しろ!」

「──っ」

 

 返事が一瞬遅れた。

 

「……殺すんですか?」

「ああ! このままじゃ、どうにもならん!」

「でも、あの人……わたしたちに離れろって言いました!」

 

 ギリィッ!

 

 ハルスフォートは巨怪の爪を受け流す。

 

「分かってる! だが、おれたちまで殺されてどうする!

 何も準備してなきゃ、必要になった時に選ぶことすらできねえぞ!」

「それも分かります!」

 

 リスティは唇を結んだ。

 

 そして、胸元へ手を伸ばす。

 緊急用の指輪──魔式装具(マギスレイヴ)を強く握った。

 

「……わたしが言いたいのは──最後の手段だということです。

 完成してもすぐには撃ちません。どうしようもなくなったらその時にだけ、撃ちます」

 

 リスティの覚悟に、ハルスフォートが口端を吊り上げる。

 

「そうだ。その判断でいい!」

 

 リスティが息を吸う。

 

「原始の槍。極北の大海を統べる青。

 凍て付け森羅(しんら)。我腕撫(うでぶ)すは霜雪(そうせつ)(ことわり)──」

 

 詠唱が始まった。

 ハルスフォートはその間、巨怪の前へ立ち続ける。

 

 巨怪がリスティへ向かおうとすれば、その進路へ割り込み、振り下ろされる爪を剣でいなす。

 

「ガアァッ!」

 

 ブンッ!

 ザグッ!

 

 続く牙を身を沈めてかわし、すれ違いざまに脇腹を斬りつける。

 傷はすぐに塞がったが、注意をこちらへ引き戻すには充分だった。

 

「よそ見する余裕なんて与えん。相手はこのおれだ」

「グウウッ!」

 

 再び襲いかかる巨怪を、ハルスフォートは正面から迎え撃つ。

 やがて、背後の詠唱が終わりへ近づいた。

 

「あと少しなら──」

 

 ハルスフォートは再び地面へ魔力を流す。

 

地蔦(ギア・ヴァイン)!」

 

 ズゴゥッ!

 

 土のツタが巨怪の四肢へ絡みつき、その身体を地面へ縫い止めた。

 だが、

 

「ガアアアァッ!」

 

 バギィン!

 

 拘束が力任せに弾け飛ぶ。

 

「なっ──!」

 

 ゴオッ!

 

 その勢いのまま巨怪が襲いかかった。

 

 ギンッ!

 

 ハルスフォートは剣で受け止めるが、今度は軌道を逸らす余裕がない。

 

「ぐっ……!」

 

 純粋な膂力(りょりょく)に押し負け、背中から地面へ倒される。

 

 ズシンッ!

 

 巨怪が上から覆い被さり、大口を開いた。

 

「ギャアァッ!」

「ちっ!」

 

 咄嗟(とっさ)に剣を牙の間へ差し込む。

 

 ガギンッ!

 

「ぐ……ぅっ!」

 

 グッ……!

 

 仰向けのまま、両腕で剣を押し上げる。

 だが、牙はじわじわと顔へ近づいてくる。

 

 その時。

 

「──ハルスフォートさん! 準備完了しました!

 巻き込まれる可能性があります、何か──跳空(エアステア)地掘穴(モール・ネイル)で離れられますか!?」

 

 リスティの言葉に、

 

「ムリだ……!」

 

 ハルスフォートは歯を食いしばる。

 

 上から押さえ込まれ、両手も塞がっている。

 離脱するだけの余裕がない。

 

 グウゥッ……!

 

 さらに牙が沈む。

 

「一か八か、やるしかない……!」

「……っ」

 

 リスティは息を呑んだ。

 

 撃てば、ハルスフォートまで巻き込むかもしれない。

 だが撃たなければ、牙が届く。

 

「……分かりました」

 

 指輪を握る手から、震えが消える。

 

「絶対に、耐えてくださいね」

「注文が無茶だな……!」

 

 それでも、他に手はない。

 リスティが巨怪へ狙いを定める。

 

輝疾(ブリザード)──」

 

 その瞬間。

 

「……ッ」

 

 巨怪の力が、不意に弱まった。

 

「え……?」

 

 ズッ……。

 

 巨大な身体が縮んでいく。

 銀灰色の獣毛が消え、ツノが沈み、鋭い牙も失われていく。

 

「な、なんだ……?」

 

 先ほどまで両腕でも支えるのが精一杯だった重量が、急速に軽くなる。

 やがて──。

 

 シュンッ。

 

「……あ」

 

 巨怪は、元の銀髪の女へ戻っていた。

 力を失った裸身が、そのまま前へ倒れる。

 

「おわっ──」

 

 ドサッ。

 

 女は、仰向けのハルスフォートへ覆い被さった。

 

「わわっ!」

 

 リスティは口を閉ざし、全裸の女から目を逸らす。

 

「…………」

 

 ハルスフォートも動かなかった。

 胸元には銀髪の女が覆い被さり、完全に体重を預けている。

 

「……おい」

 

 返事はない。

 先ほどまでの巨怪が嘘だったかのように、女は目を閉じたまま身動き一つしなかった。

 

「気絶してるんでしょうか……?」

「たぶんな」

 

 ハルスフォートが女を退かそうと片手を伸ばす。

 

「ん……」

 

 女の眉がわずかに動いた。

 ゆっくりと、まぶたが持ち上がる。

 

 焦点の合わない瞳が数度瞬き──。

 

「…………」

「…………」

 

 ハルスフォートと目が合った。

 互いの顔まで、ほんのわずかな距離。

 

 女はしばらく呆然と彼を見つめる。

 次いで、自分が何に乗っているのかを確認するように視線を下げた。

 

 ハルスフォート。

 その上に覆い被さっている自分。

 

 そして──何一つ身につけていない身体。

 

「……あ」

 

 女の顔が、みるみる固まった。

 ハルスフォートは無言で顔を横へ逸らす。

 

「……で、どういう了見だ」

「ご、ごめん!」

 

 バッ!

 

 胸元を腕で隠しながら跳ね起き、ハルスフォートの上から飛び退く。

 ハルスフォートは寝転がったまま、律儀に反対側を見ていた。

 

 女はしゃがみ込み、両腕でどうにか身体を隠す。

 

「……あの」

 

 少し離れた場所から、リスティが遠慮がちに声をかけた。

 

「大丈夫ですか?」

「大丈夫……ではある」

 

 女は答え、それから周囲を見渡す。

 

 へし折れた枝。

 抉られた地面。

 散らばった土塊。

 

 そして、戦いの跡が残るハルスフォート。

 女の表情から、羞恥とは別の意味で血の気が引いた。

 

「その……自分のせいで迷惑をかけて、ごめん」

 

 絞り出すように言う。

 ハルスフォートは返事をせず、ゆっくりと上体を起こした。

 

 変貌する直前、この女は2人を遠ざけようとした。

 そして元へ戻った今も、襲いかかるどころか真っ先に謝罪している。

 

「……殺し合う気はなさそうだな」

 

 チャキン。

 

 ハルスフォートは剣を鞘へ収めた。

 女がわずかに安堵する。

 

「ただし、説明はしてもらうぞ」

「もちろん。そのつもりだ」

 

 女は神妙に頷いた。

 

「とはいえ……」

 

 ハルスフォートは彼女の姿を一瞥(いちべつ)し、すぐに視線を逸らす。

 

「その格好で話されても落ち着かん」

 

 バサッ。

 

 ハルスフォートは肩に掛けていたマントを外し、投げてよこす。

 

「えっ──」

 

 女は慌てて片手を伸ばし、どうにか受け止める。

 

「……いいの?」

「そのままよりはマシだろ」

「それは、そうだけど……」

 

 女は少し戸惑いながらマントを広げた。

 身体を包むように肩から羽織る。

 

「……度々、ありがとう」

 

 先ほどよりも深く、女は頭を下げた。

 そしてマントの襟元(えりもと)を握ったまま、改めて2人へ向き直った。

 

「まず、名乗ってなかった。自分はラニアだ」

「ハルスフォートだ。こっちはリスティ」

「よろしくお願いします」

 

 リスティが軽く頭を下げる。

 ラニアもそれに倣ったあと、少し言いづらそうに口を開いた。

 

「さっきのことだけど……自分は、呪いを受けてるんだ」

「呪い?」

「うん。さっき見せてしまった通りに、巨大な獣になる呪いだ」

 

 ハルスフォートが眉を上げる。

 

「聞いたことがないな」

「うん。魔力を使ったり、身体の中に魔力が溜まりすぎたりすると……ああなるんだ」

 

 ラニアは先ほどまで暴れ回った場所へ目を向けた。

 

「獣になってる間は意識も、理性もない。

 何をしたのかも、元に戻ってからじゃないと分からない」

「だから、わたしたちに離れろって……」

「経験則で分かるんだ。そろそろ来る、って」

 

 ラニアは申し訳なさそうに頷いた。

 

「今日はそれが近かったから、人がいないところまで来てた。

 服も……そのままだと破れるから、荷物と一緒に離れた場所へ置いてたんだけど」

「それで全裸だったわけか」

「そう。だから自分は変態でも裸族でもない」

 

 リスティは苦笑しながら、話を戻した。

 

「その呪い……治す手段はあるんですか?」

「自分は、それを探して旅してる。だからシステリムに──」

 

 会話中の不意に──。

 

 ヒュッ。

 

 風を切る音が、森の中を走った。

 

「──っ!」

 

 ハルスフォートが反応する。

 

 飛んできたのは一本の矢。

 木々の隙間を抜け、一直線にこちらへ迫る。

 

 狙いは──ラニア。

 

 だが。

 

 パシッ!

 

「え?」

 

 乾いた音が響いた。

 

 矢は、ラニアの顔のすぐ横で止まっている。

 その手に掴まれて。

 

「…………」

 

 ラニアは片手で矢柄を握り、飛んできた方向へ鋭く目を向けた。

 

 ハルスフォートも反射的に剣の柄へ手を掛ける。

 

「今度は何だ……?」

「ごめん、自分にも分からない」

 

 ラニアは掴んだ矢を見下ろす。

 

 狩猟用らしい、ありふれた矢だ。

 偶然こちらへ飛んできた──とは考えにくい。

 

 軌道は明らかに、ラニアの胸元を狙っていた。

 

「誰かいるんですか?」

 

 リスティが周囲を見回す。

 その言葉に応えるように。

 

 ガサッ。

 

 少し離れた茂みの奥で、枝葉が揺れた。

 

「…………」

 

 3人の視線が集まる。

 

 やがて木の陰から、一人の男が姿を現した。

 背には矢筒。手には弓という、いかにもという猟師姿だった。

 

「…………」

 

 ギッ。

 

 弓へ次の矢を番えながら、じっとラニアだけを睨んでいる。

 

「おい」

 

 ハルスフォートが一歩前へ出た。

 

「いきなり人に矢を撃っといて、だんまりはないだろ」

「ヨソ者か……」

 

 男の口から、低い声が漏れる。

 ラニアが眉をひそめた。

 

「自分に何か用があるの?」

「しらばっくれるな!」

 

 男は吐き捨てる。

 

「最初から見てたぞ!」

「……最初から?」

 

 ラニアの表情が変わった。

 

「おまえが獣の姿で暴れていたところも──」

 

 男の手が弓を引く。

 

「そこの男を組み伏せて、そのあと人間の姿に戻ったところもな」

「…………」

 

 ハルスフォートが男を見据える。

 

 どうやら、ただの通りすがりが、シカと勘違いして矢を射た──という話ではなさそうだった。

 

 ラニアがマントの前を押さえながら、一歩前へ出る。

 

「ごめん、何か勘違いしてる。自分は──」

「黙れ!」

 

 男が怒鳴った。

 

 ギリッ、と弓弦がさらに引かれる。

 

「さっきまで獣だったくせに、よく言う!

 目の前で見たんだ! 巨大な獣が、人間の女に戻るところを!」

 

 事情を知らない者から見れば、男の結論はむしろ自然だった。

 ハルスフォートが魔人を疑ったのと、同じ理由で。

 

「獣の本性を持つ魔人め! ようやく見つけたぞ!」

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