いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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第36話

 夕方の森は、張り詰めた緊張に包まれていた。

 裸をマントで隠している美女──ラニアに、猟師が弓矢を向けている。

 

「自分は、魔人じゃない」

 

 身体に巻いたマントの襟元を片手で押さえながら、弓を構える猟師へまっすぐ視線を向ける。

 

「さっきの姿は、呪いによるもの。

 自分は、巨大な獣になる呪いがある」

「呪いだと?」

 

 猟師は鼻で笑った。

 

「そんな言い訳を、誰が信じるか。

 魔人は人の姿を(かぶ)っているだけだ。内側には、人ならざる本性を隠してやがる」

 

 矢の先が、ラニアの胸元へ向けられる。

 

「おまえの本性が、さっきの巨怪だろうが」

「…………」

 

 ラニアの唇が引き結ばれた。

 

 その横で、ハルスフォートは猟師の言葉を頭の中で反芻(はんすう)する。

 

 ──人ならざる本性。

 

 その言葉から思い浮かんだのは、魔女エリス・タークトッドだった。

 

 ハルスフォートたちと戦った魔人。

 追い詰められたエリスの肉体は、最後には無数のネズミへと変じた。

 

 一人の女性という形を捨て、その本性を露わにしたのだ。

 

 確かに、魔人には人間とは異なる姿がある。

 だが──。

 

「その理屈じゃ、こいつが魔人だって証明にはならん」

 

 ハルスフォートが口を挟む。

 猟師の視線が、ラニアから彼へ移った。

 

「なんだと?」

「魔人が本性を晒す状況には、いくつかある」

 

 ハルスフォートは猟師の弓を警戒しながら、指を1本立てる。

 

「まず、瀕死に追い込まれたとき。

 人間の姿を保つ余裕がなくなり、本性が露出する」

 

 2本目の指を立てる。

 

「次に、身体の一部を切り離されたときだ。

 骨を含んだ部位が切断されたとき、その部分だけが本性に変じる」

 

 最後に、3本目。

 

「そして、自分から本性を晒すとき」

 

 猟師は眉間に深いシワを刻む。

 

「だったら、そいつが本性を出しただけだろうが」

「話を最後まで聞け」

 

 ハルスフォートは面倒そうに眉を寄せた。

 

「ラニアは瀕死じゃなかった。身体の一部を切り離されてもいない。

 それに、自分からおれたちを襲うために本性を晒したワケでもない」

 

「なぜ、そう言い切れる?」

 

「巨怪になる直前、こいつはおれたちに『自分から離れろ』と言った。

 最初から襲うつもりなら、わざわざ獲物を遠ざける理由がない」

「……ケッ」

 

 猟師の弓を引く力は緩まない。

 男はハルスフォート、ラニアの順に睨みつけたあと、強く首を横へ振った。

 

「俺は最初から見ていた。

 そいつが巨怪になって暴れ回るところからな」

 

 猟師の視線が、ハルスフォートを射抜く。

 

「だが、オレは遠くから見張っていたんだ。

 そいつが変わる前に何を言ったかなんて、聞こえちゃいねえ」

 

 矢尻が、わずかに持ち上がる。

 

「『離れろ』と言ったかどうかは、全部オマエたちの証言だろうが。

 オマエらがグルなら、口裏を合わせるくらい簡単だ」

 

 即座に返され、ハルスフォートは片眉を上げた。

 

 互いに、自分が見聞きしたものを根拠にしている。

 そして相手の証言を裏づける物証は、どこにもない。

 

「……ダメだな、平行線だ」

 

 ハルスフォートは深いため息を吐いた。

 

 その言葉を区切りと受け取ったのか、猟師は片手を弓から離した。

 もっとも、警戒を解いたわけではない。

 

「なら、話は終わりだ」

 

 腰の荷物へ手を伸ばし、丸めていた縄を引き出す。

 

「そいつは村まで連れていく。村のやつらの鬱憤(うっぷん)を晴らす必要があるからな」

「…………」

 

 ラニアは縄へ視線を落とす。

 ハルスフォートが見るに、その表情には──力に任せて逃げるか否か、という逡巡の色が見えた。

 

 彼女はしばらく縄を見つめた後、小さく息を吐く。

 

「……分かった」

 

 ラニアは、素直に両手を前へ差し出した。

 

「抵抗しねえのか?」

「ここで暴れて逃げて、そのまま魔人と思われるのもシャクだからね」

「分かってるじゃねえか」

 

 猟師は皮肉げに吐き捨て、差し出された手首へ縄を巻き始める。

 

 ギュッ。

 

 粗い麻縄が、ラニアの白い肌へ食い込んだ。

 ラニアは顔をしかめたものの、文句は言わない。

 

 猟師が結び目を締め終えようとしたところで、ラニアが口を開いた。

 

「一つ、頼みがある」

「あ?」

「自分の装備を、近くの川沿いに置いてあるんだ。

 せめて、それを取りに行かせてほしいな」

 

 ラニアは、自分の身体へ巻いたマントを見下ろす。

 今の彼女が身につけているものは、ハルスフォートから借りた()()だけだ。

 

「ダメだ。装備を取り戻した隙に、逃げるつもりだろうが。

 こっちはな、何ヶ月も魔人のおまえに苦しめられてるんだぞ!」

「……何ヶ月?」

 

 ラニアが眉を寄せる。

 

「狩猟の糧を横取りされて、家を壊されて、森へ入った奴が怪我して帰ってくる。

 それが今日になって、ようやく見つかったんだ。逃がすつもりはねぇからな」

 

 ラニアは少しだけうつむき、考える素振りを見せたあと、顔を上げた。

 

「……では、その魔人が自分とは別にいると証明できればいいんだね?」

「あ?」

「自分ではない誰かが、村を荒らしている。

 それを証明できれば、自分への疑いは晴れるんだろう?」

 

 猟師は鼻を鳴らす。

 

「おう、証明できるんならな」

「……分かった」

 

 ラニアは小さく頷くと、今度はハルスフォートたちへ顔を向けた。

 

「それなら、2人に頼みを回したい」

 

「川の装備を取りにいくって話だろ?」

 

「うん。ここから北へ行くと、川がある。

 その川沿いに西方面に行けば、ものすごく大きなトロールブナが一本立っているんだ。

 根元に、自分の装備が置いてあるはず」

 

 ラニアは縛られた両手をわずかに持ち上げ、木の幹を抱えるような仕草をする。

 

「もちろん、タダとは言わないよ。

 無事に持ってきてくれたら、ささやかだけど報酬は出すから」

「ほう」

 

 報酬という言葉に、ハルスフォートの眉がわずかに上がった。

 

「話は終わったか?」

 

 猟師が急かすように縄を引く。

 

「いつまでも付き合ってられねえ。行くぞ」

「……うん」

 

 ラニアは素直に従った。

 裸身を隠すハルスフォートのマントを翻しながら、猟師に引かれて森の中へ歩き出す。

 

 猟師が向く先は、北東。

 木々の間へ消える直前、ラニアが一度だけ振り返った。

 

「できたら、よろしくね」

 

 その言葉を最後に、2人の姿は森の奥へ消えていった。

 

「……あれ?」

 

 リスティが、首を傾げた。

 

「どうした?」

 

 リスティは荷物から地図を取り出した。

 折り畳まれていた紙を広げ、現在地と思われる場所へ指を置く。

 

「猟師さん、ラニアさんを村へ連れていくと言っていましたよね?」

「ああ」

「でも……」

 

 指先が、地図の上を北東へ滑る。

 

「この方向に、村はないはずなんです」

 

 ハルスフォートも横から地図を覗きこんだ。

 確かに、現在地から北東へ進んだ先に、集落を示す記号は見当たらない。

 

「ここから一番近い町村は、システリム町です。

 だからこそ、わたしたちはシステリム町を目指しているのですが──あの人たちが向かった方角とは違います」

 

「地図が古いんじゃないのか?」

 

「この地図は古本市で買ったものなので、その可能性もあります」

 

 ハルスフォートはしばらく考えた後、肩を竦める。

 

「まあ、今考えても分からん」

「そうですね、新しくできた村かもしれませんし」

 

 ハルスフォートは、ラニアたちが消えた森の奥から視線を外した。

 

「なにはともあれ、乗りかかった船だ。

 荷物を運ぶだけで駄賃が貰えるなら、やって損はない。

 それに──」

 

「それに?」

 

「おれのマントを返してもらわなきゃならん」

 


 

 川沿いに到着した時、既に辺りは薄暗がりに支配されていた。

 夕陽は森の向こうへ沈みかけ、川面には赤みを帯びた光が細く揺れている。

 

「これぐらいがいいでしょうかね」

 

 バキッ。

 

 リスティは、近くの木の枝を折った。

 枝の先端に、剥がした樹皮をくくりつけ、シカの脂を塗る。

 

「できました」

「ああ、点火(イグナイト)

 

 ボウッ。

 

 火が()いた即席松明を、リスティが掲げる。

 ハルスフォートとリスティは、ラニアに言われた通り、川を西へ辿っていた。

 

「……あれじゃないですか?」

 

 先を歩くリスティが、足を止める。

 

 彼女の指差した先。

 川岸から少し離れた場所に、周囲の木々を圧する大木が立っていた。

 

「確かに、分かりやすいな」

 

 トロールブナという名前の通り、巨人(トロール)でも寄りかかれそうなほど巨大なブナだった。

 装備を回収しようと距離を縮めたところで、ハルスフォートが目を細めた。

 

「……ん?」

 

 巨大な根元に、なにかがある。

 

 荷物らしい小さな影ではない。

 薄暗さの中でも分かるほど、太く、長い。

 

「なんでしょう?」

「さあな……」

 

 さらに近づくと、その正体が明らかになった。

 

「……剣?」

 

 リスティが呟く。

 

 それは剣と言うには、あまりにも大きすぎた。

 大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。

 

 それは、正に鉄塊だった。

 巨大な両手剣は、トロールブナの根元へ墓碑のように突き立っている。

 

「…………」

 

 ハルスフォートは剣の前に立ち、その全長を下から上まで眺めた。

 

「これ……ラニアさんの装備でしょうか?」

「ここにある以上、そうなんだろうが……」

 

 ハルスフォートは眉間にシワを寄せる。

 

「あの女、こんなもん持って歩いてたのか?」

「巨怪の呪いのせいで、人間の姿でも怪力なのかもしれません」

「まあ、そうなんだろう」

 

 そう言いながら、ハルスフォートは両手剣の柄を握った。

 両足を開き、腰を落とす。

 

 両腕へ力を込めた。

 

「ふんっ!」

「…………」

 

 何も起こらなかった。

 剣は地面から抜けるどころか、わずかに揺れる様子すらない。

 

「……深く刺さっているし、重さもある。

 これは置いていくしかない」

「さすがに、ハルスフォートさんでもムリですね……他の装備は回収しましょう」

 

 2人はトロールブナの根元を見回した。

 

「あ。ちゃんとありますね」

 

 巨大な両手剣に目を奪われて気づかなかった。

 張り出した根の陰に、いくつか荷物がまとめて置かれている。

 

 そこには、折り畳まれた服や硬貨の入った革袋、水筒や干し肉などがまとめられていた。

 

 そして、その荷物の傍ら。

 黒い金属の塊が2つ、並べるように置かれていた。

 

「……これは? 魔式装具(マギスレイヴ)ですか?」

「珍しいな、二挺拳銃(にちょうけんじゅう)か」

「けんじゅう?」

 

 首を傾げるリスティをよそに、ハルスフォートが屈んで二挺を手に収める。

 

「拳銃は、手持ちの大砲だ。

 ここを見てみろ。穴が空いているだろ? ここから砲丸を撃ち出すんだ」

「へえ……こんなにちっちゃい大砲があるんですね」

 

 リスティがラニアの荷物をまとめながら感嘆する。

 二挺拳銃を手から提げ、ハルスフォートが呼びかけた。

 

「こっちはなんとか持っていく。行くぞ」

「はい」

 

 2人はラニアの荷物を分担し、トロールブナを後にする。

 両手剣だけを残し、猟師とラニアが向かった東方面を目指して歩き始めた。

 

 川を左手に見ながら進んでいた、その時。

 

 ──ガサッ。

 

「…………」

 

 ハルスフォートが足を止めた。

 

「どうしました?」

「警戒しろ」

 

 短く告げ、川の向こう側を見る。

 

 ガサッ、ガサッ……。

 

 対岸の茂みが揺れていた。

 リスティも気づき、松明を持ったまま身構えた。

 

 次の瞬間。

 

 バキッ!

 

 枝をへし折り、茂みの奥から巨大な獣が飛び出した。

 

「ガアァッ!」

 

 獣は高く跳躍し、川すら飛び越え2人に襲いかかる。

 ハルスフォートは剣へ手を伸ばそうとして──やめた。

 

 両手には、既に武器がある。

 

「魔銃士というのも、悪くないか」

 

 銃口を獣へ向け、引き金へ指をかける。

 

 ──ドンッ!

 

「わっ!?」

 

 リスティも悲鳴を上げる轟音が、川沿いに響き渡った。

 

「ギャウッ!?」

 

 獣が悲鳴を上げる。

 

 硝煙の先には、大きなオオカミらしき獣が、右前脚の先を吹き飛ばされていた。

 

「……ヤバい威力だな」

 

 引き金を引いておきながら、ハルスフォートが冷や汗を垂らす。

 

「グウゥッ……!」

 

 獣は一瞬だけこちらを睨みつけると、身を翻した。

 

「あっ、逃げます!」

 

 ダッ!

 

 傷ついた右前脚を庇いながら、再び川を跨いで対岸の森へ駆けこんでいく。

 

「待て!」

 

 ハルスフォートは反射的に追おうとした。

 

 だが、目の前には川がある。

 泳いで渡っていては間に合わない。

 

「……チッ」

 

 ハルスフォートは拳銃を片手へまとめると、空いた手を前へ突き出した。

 

「リスティ、ここで待ってろ! すぐ戻る!」

「分かりました。なにかあれば合図します!」

 

 ハルスフォートは息を吸った。

 

「木々を渡る西風よ──」

 

 詠唱を口ずさむ僅かな間に、負傷した獣の姿は森の奥へ消えた。

 

跳空(エアステア)!」

 

 タッ!

 

 ハルスフォートが地面を蹴り、空を駆ける。

 対岸の草むらへ着地し、すぐに周囲を見回した。

 

「……どこだ?」

 

 獣の姿はもうないが、逃げた痕跡までは消えていなかった。

 

 踏み荒らされた草。

 へし折られた低木の枝。

 

「こっちか」

 

 ハルスフォートは拳銃を握ったまま、痕跡を追って森へ入る。

 暗がりの中、血痕を探すために光明(ライト)を唱えようか考えたが、光のせいで獣に悟られる可能性を危ぶんで止めた。

 

 獣は右前脚の先を失っているはずだが、逃げ足は速い。

 既にかなりの距離を稼がれたようだ。

 

 川を挟んだ反対側には、リスティが一人で残っている。

 この森にいるのが、今の獣一頭だけという保証もない。

 

「……深追いはマズいな」

 

 見失った獣を闇雲に追い、一人で森の奥へ入り込む。

 その間にリスティの方で何か起きれば、本末転倒だった。

 

「まあ、目印は付けた」

 

 獣から、脚の先を奪ってやったのだ。

 追跡を打ち切り、元来た道を戻っていくと、ほどなく川面が木々の間から見えてきた。

 

 対岸では、松明の炎が揺れている。

 

「ハルスフォートさん!」

 

 こちらに気づいたリスティが声を上げた。

 

「見つかりましたか!?」

「いや、逃げられた!」

 

 答えながら、ハルスフォートは跳空(エアステア)で再度川を渡る。

 対岸へ着地したハルスフォートを、リスティが松明を掲げて迎えた。

 

「痕跡は残ってたが、追いつく前に見失った」

 

 ハルスフォートは手にした拳銃を見下ろす。

 

「片脚を吹き飛ばされた状態で、あの速さだ。

 タフって言葉はああいうののためにあるな」

「でも、次に会ったら分かりますね」

「ああ。右前脚が欠けたデカいオオカミなんて、そう何頭もいないだろ」

 

 ハルスフォートは二挺の拳銃を持ち直した。

 

「行くぞ。こんなところでグズグズしてたら、本格的に真っ暗になる」

「はい」

 

 リスティもラニアの荷物を抱え直す。

 2人は川を離れ、村があるであろう方角へ歩き始めた。

 

 松明の炎が、夜へ沈みつつある森を照らす。

 しばらく歩いたところで、リスティが口を開いた。

 

「……ハルスフォートさん」

 

「なんだ?」

 

「さっきの獣が……猟師さんが言っていた魔人なんじゃないでしょうか?」

 

 ハルスフォートは歩みを止めなかった。

 

「そうかもな。村を何ヶ月も荒らしているってヤツだ」

 

「ラニアさんは、今ごろ猟師さんと一緒にいるはずです。

 それなのに、別の大きな獣が森にいたということになります」

 

「まあ、そうなるな」

 

「だから、ラニアさんとあの獣を同時に猟師さんに見せれば、誤解だと証明できますね」

 

「だが、そんな現場を見せるのは難しい。

 説得材料にするには──あいつの首でも持って帰るしかない」

 

 ハルスフォートの姿勢に、リスティが口を挟む。

 

「……わたしとしても、あの人を誤解させたまま、捕らえられたままにするのは心苦しいです。

 ですが、言ってしまえば……ラニアさんを助けることは、別にわたしたちには関係ないことですよね」

 

 リスティの言葉に、ハルスフォートが意地悪く笑う。

 

「そうだ。おれの考えが分かってきたな。

 だから、ラニアの誤解を解くのに乗り出すのは、それが利益になるときだ」

 

 ──ラニアとは別の獣が存在する。

 それを誰にも否定できない形で示せれば、彼女への疑いを覆す材料にはなる。

 

 交渉の武器を手に入れた2人はそのまま、夜の森を進んでいく。

 地図には記されていない、村の場所を目指して。

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