いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

37 / 37
第11話 地図にない村

 すっかり日は落ち、村は夜の底に沈んでいた。

 

 家々の窓から漏れる明かりは少なく、代わりに村の中央広場では、いくつもの篝火が赤々と燃えている。

 揺らめく炎が土壁の家々を照らし、集まった村人たちの顔を橙色に染めていた。

 

 その人垣の中心に、ラニアが立っている。

 

 両腕は背中側へ回され、手首から胴にかけて太い縄で何重にも縛られている。

 すでに猟師の前で抵抗しない意志を示していたため、今も拘束を解こうとする様子はない。

 

 だが──大人しく殴られるつもりまではないらしい。

 

「このアマァ!」

 

 ブンッ!

 

 横薙ぎの棍棒が、ラニアの頭を狙う。

 

 スウッ!

 

 しかし、ラニアは上半身をわずかに反らしただけで、棒を鼻先すれすれに通過させた。

 続けざまに別の男が突き出した棒には、片脚を高く上げる。

 

 ガンッ!

 

 振り下ろされた棒を足の甲で蹴り上げた。

 村人の両手から棒が弾かれ、クルクル回りながら地面へ落ちる。

 

「このっ……!」

 

 縛られたままの女を囲んでいるというのに、追い詰められているのは村人たちの方だった。

 

「テメェ、ちゃんと罪を償え!」

 

 棒を拾い直した男が、苛立ちを露わに怒鳴る。

 ラニアは息ひとつ乱さず、わずかに首を傾けた。

 

「村に出没する獣にはツノがないんだろう?」

「ああ? それがどうした?」

「毛並みは黒。大きさも、自分が変じる獣より一回り小さいらしいね」

 

 ラニアは縄に縛られた両腕を動かせないまま、肩を小さく竦める。

 

「なら、自分とは別物だ」

「そんなもん、姿を変えてるだけかもしれねえだろ!」

「それを言い始めたら、どんな姿をした獣でも自分の仕業にできるじゃないか」

 

 淡々とした反論だった。

 

「少なくとも、聞かされた特徴は獣になった自分とは一致していないね。

 負ってもいない罪を、償う必要はない」

「ふざけんな!」

「何ヶ月こっちが迷惑してると思ってんだ!」

 

 村人たちが一斉に色めき立つ。

 誰かが棒を握り直し、別の誰かが石を拾おうと腰を屈めた。

 

「やめろ、オマエたち」

 

 その騒ぎを割るように、男の声が響いた。

 

「そ、村長!」

 

 人垣の中から、一人の男が前へ出た。

 年の頃は四十ほど。「村長」という肩書きにしては若い男だ。

 

「そいつを殴ったところで、痛い目に遭わせることはムリだろう」

 

 村長は村人たちを一瞥(いちべつ)してから、ラニアの前へ立った。

 

「オマエは、自分が村を荒らした獣じゃないと言うんだな?」

「そう言っている」

「なら、証明してもらおう。

 この村を荒らしている獣の魔人を、お前の手で倒せ」

「……ふぅん」

 

 ラニアは眉を跳ね上げる。

 

「これはお前の潔白を証明するための依頼だ。

 期限は一週間。その間に獣の魔人を倒し、証拠として首をここへ持ってこい。

 成功報酬は1万Gだ」

「1万Gか。疑惑の人物に垂らす蜘蛛の糸にしては太っ腹だ」

 

 ラニアが皮肉をこめて感想を漏らす。

 彼女の皮肉を受け流し、村長は続けた。

 

「ただし、依頼を失敗した場合は別だ。

 お前が村を荒らしていた罪の清算、それから依頼失敗の違約金として──5000Gをこちらが受け取る」

「…………」

 

 ラニアは黙って村長を見つめた。

 潔白の証明と呼ぶには、キナ臭い条件である。

 

「──ならその話、おれも一枚噛ませてもらおうか」

 

 会話の外から、聞き覚えのある声が飛んできた。

 

 人垣の隙間を縫うように、銀髪の青年が歩いてくる。

 その少し後ろには、黒髪の少女が続く。

 

「頼まれてた荷物だ」

 

 ドサッ。

 

 ハルスフォートは肩に提げていた革袋を外し、ラニアの足元へ置く。

 

「助かるよ」

「ただ、両手剣だけは持ってこれなかった」

「ああ、問題ない。

 恐らく、あれは自分以外には持てないだろうね」

 

 ラニアの両腕は拘束されたままだったが、

 

「おい、もういいだろう」

「わ、分かりました」

 

 村長に促された猟師が、彼女に近づいて縄をほどく。

 

 パサッ。

 

 完全に自由にすることには抵抗があるのか、胴へ巻かれた縄は残したまま、腕だけが解放された。

 

「助かる」

 

 ラニアは素っ気なく返し、革袋を開いた。

 中から衣服を取り出し、その場で手早く身につけていく。

 

 その様子を見ながら、村長がハルスフォートたちへ向き直った。

 

「それで、オマエらは何者だ?」

「ただの旅人だ。こいつとは森で会った」

「その旅人が、どうして話に首を突っこむ?」

「ここに来る途中、獣を見たから口を出してるだけだ」

 

 その言葉に、ラニアの手が止まった。

 

「ここへ来る途中、川沿いで襲われた。

 黒い毛並みの、デカいオオカミみたいな獣だ。

 あんたみたいなツノはなかったし、体格も一回り小さかった」

「なら、少なくとも自分とは別の獣が森にいることは確かというわけだ」

「ああ。あんたが村を荒らした犯人じゃないと断言する気はないがな」

 

 ハルスフォートは腕を組む。

 

「この女とは別に、狂暴な獣がいる。

 そこまでは、おれたちが証言できる」

「充分だよ、ありがとう」

 

 ラニアは着替えを終え、革袋から100G紙幣を一枚取り出す。

 

「報酬だ」

「駄賃として受け取っておこう」

 

 小さな取引を完了させ、ラニアが村長へ向き直る。

 

「さて。これで、自分とは別の獣がいる可能性は高くなった。

 依頼を受けるだけの理由はできたね」

 

 村長はラニアをしばらく見たあと、ハルスフォートたちへ確認する。

 

「さっきの口振りからすれば、オマエもこの依頼を受けるってことでいいんだな?」

「ああ。獣が実在してるなら、受けてやってもいい」

「なら、条件はそいつと同じだ」

 

 村長はラニアを顎で示す。

 

「成功報酬は1万G。先に獣の首を取ってきた先着1名様だ。

 ただし、1週間以内に獣を仕留められなかった場合──オマエも5000Gの違約金を払ってもらう。失敗すれば合計1万Gということだ」

 

 村長の言葉に、

 

「わ、わたしも依頼を受けます!」

 

 ハルスフォートの横にいるリスティが、片手を高く掲げている。

 

「……オマエが?」

 

 村長が目を丸くした。

 周囲の村人たちは、一瞬だけ黙りこんだ。

 

 小柄な少女が胸を張っている姿を見て、ほどなく何人かが噴き出した。

 

「ははっ! こんなガキまで獣狩りに行くのかよ!」

「森歩くだけで泣き出すんじゃねえか?」

「村長、やらせとけよ。失敗すりゃ金が増えるぞ」

 

 村人たちと同じように、村長もまた嘲笑を浮かべる。

 

「まあいい。こっちの取り分が増えるなら都合がいい」

 

 リスティを戦力として認めたというより、失敗時に金を払う頭数として数えたらしい。

 

「……問題ありません」

 

 リスティは真面目な顔で頷いた。

 ハルスフォートはそんなリスティを見て、小さく息を吐く。

 

「一つ確認したい」

「あ?」

「その1万G──どこから出す?」

 

 村長の眉が、ぴくりと動いた。

 

「1万Gってのは、小舟を一艘(いっそう)買えるくらいの金だ。

 十数人規模の小さな村が、獣一匹にポンと出せる額じゃない」

(うたぐ)り深いヤツだな」

 

 村長は肩を竦めると、背後にいる村人の一人へ顔を向けた。

 

「おい。倉庫から金庫を持ってこい」

 

 指示を受けた男が、人垣を抜けて広場から走り去る。

 その男は倉庫らしい小屋に入ると、携帯できるくらいの小さな金庫を運んできた。

 

 村長は懐から鍵を取り出し、錠へ差しこんだ。

 

 ガチャリ。

 

「ほらよ。ポケットに入れるんじゃないぞ」

 

 ハルスフォートは、手渡されたモノを見下ろす。

 100G紙幣が帯封(おびふう)で括られた、100枚ほどの札束だ。

 

「これで、1万Gを払えるってのは信じたか?」

「……そうだな」

 

 ハルスフォートは親指の腹で札束の端を押し上げ、パララララッ、と一気に検分した。

 紙質、色合い、通し番号の差異などを確認し、おおまかに「全て本物らしい」と判断したようだ。

 

「だが、次の質問だ。どうしてこれだけの金がある?」

「近くに鉱山がある。オリハルコン鉱山だ」

「オリハルコン、か……」

 

 ハルスフォートが反芻(はんすう)するように呟く。

 

「この辺りの山から採れる。

 オレたちはそれを掘り出したり、加工して売ったりして稼いでる」

「そうか」

 

 ハルスフォートは、札束を村長へ突き返した。

 

「改めて、依頼を受けよう」

「ああ、逃げずにしっかり働くんだな。

 もし逃げたら、オマエらを魔人として国に訴えてやる」

 

 こうして旅人3人は、村を荒らす獣の討伐依頼を引き受けることになった。

 


 

 夜も更け、ハルスフォートたち3人は、村から寝床として貸し与えられた倉庫にいた。

 

 広さだけなら3人で横になるには充分だが、寝泊まりを想定した場所ではない。

 床には乾いたワラが散らばり、壁際には木箱やタルが無造作に積まれている。

 

 先ほど広場へ運び出された金庫は、すでに村長の家へ移されていた。

 さすがに大金を抱えた金庫まで、素性の知れない旅人たちと同じ場所へ置いておく気はないらしい。

 

「やっぱり、この村ってちょっとヘンですよね」

 

 リスティが声を潜める。

 

「なにか、確たる証拠があれば大いに暴れ回れるんだけど……」

 

 その少し離れた場所では、ラニアが倉庫の中を調べ続けていた。

 積み上げられた木箱の隙間を覗きこみ、フタを持ち上げ、壁際の荷物を一つずつ確かめている。

 

 ハルスフォートとリスティは、そんなラニアにも聞こえる程度の声量で話していた。

 ただし、倉庫の外までは届かないよう、自然と声は低くなる。

 

「……あの、ハルスフォートさん」

「なんだ?」

「本当に近くにオリハルコン鉱山があるとしても……十数人くらいの村で鉱石を掘り出すものなんでしょうか?」

 

 リスティは首を傾げる。

 

「さあな。

 別に、おれは金がある理由の真正性(しんせいせい)まで問うつもりはない」

「そうなんですか?」

「おれが依頼を受けた理由は、依頼対象の獣が実在していることと、依頼報酬の金が本物だったからだ」

 

 ハルスフォートは壁に背を預け、腕を組んだ。

 

「もしあの金を工面したのが後ろ暗い手段だったとしたら、ブンど──押収して、(しか)るべき手段で社会に還元するまでだ」

「今、ブン()るって言おうとしましたよね?」

 

 小声で掛け合いをしていると、倉庫の奥からラニアの声が飛んできた。

 

「残念ながら、後ろ暗そうな物はなかったよ」

 

 ラニアは木箱のフタを閉じ、2人のもとへ戻ってくる。

 

「ひと通り見てみたけど、めぼしい物はないね。

 あるのは剣や槍といった武器類、それに服だ。

 村なのに畑や農具がないっていうのは奇妙だけど、十数人規模なら狩猟と採取だけで食料を(まかな)えると言われれば納得できる」

 

 ハルスフォートが結論づける。

 

「確かな証拠がない以上、村人を問い詰めても仕方ない。

 下手に騒いで魔人だなんだと嫌疑をかけられる方が面倒だ」

 

 ラニアも頷く。

 

「まずは依頼通り、獣を探す。

 村のことは、それからでも遅くない」

 

 あとは眠り、翌日の探索に備えるだけ。

 そんな雰囲気が醸成されたところで、ラニアが解放された両腕を軽く伸ばした。

 

「なら、自分が夜番をしよう。

 ここの村の連中を信用する気にはなれないからね。寝ている間に何をされるか分からない」

「却下だ」

 

 ハルスフォートは即答した。

 

「村を信用できないって点には同意する。

 だが、あんたが村人とグルじゃない保証もない」

「なるほど。それはそうだろう」

 

 ラニアは怒るでもなく、あっさり肯定した。

 

「自分が夜番をして、2人が眠ったところで村人を招き入れる可能性もあるからね。

 じゃあ、どうする?」

「おれとリスティで交代しながら夜番する」

「分かった。その方が合理的だね」

 

 ハルスフォートの提案を、ラニアは異論なく受け入れる。

 しかし、ハルスフォートの方が不可解に首を傾げた。

 

「……逆に聞くが」

「なに?」

「あんたは、おれたちが村とグルだとは考えないのか?」

「そっか、そうだね……」

 

 ラニアはそこで初めて気づいたように、わずかに首を捻った。

 

「貴方たちは、自分が獣になった時、殺せる状況でもすぐには殺さなかった。

 頼んだ荷物も取りに行ったし、そこまで手の込んだ芝居をする理由が、今のところ自分には思いつかない」

「なるほどな」

「それに──」

 

 ラニアは一拍置いた。

 

「最も重視しているのは──勘というものだね。

 貴方たちは、ここの村の連中より信じられるよ」

 

 ラニアはそう言って、倉庫の壁際へ腰を下ろした。

 ハルスフォートは小さく息を吐くと、入口近くへ移動した。

 

「じゃあ、最初はおれが見張る。リスティは寝とけ」

「はい。交代する時は起こしてくださいね」

「ああ」

 

 リスティとラニアが寝床を整え始める。

 倉庫の外では、夜の村が静まり返っていた。

 


 

 翌朝。

 朝霧の残る森を、3人は探索していた。

 

 木々の隙間から差しこむ陽光はまだ淡い。

 ハルスフォートとリスティは、ラニアとは別方向へ足を向けた。

 

 2人は時折しゃがみこみ、湿った地面や下草を確かめながら進む。

 しかし、獣らしき痕跡はなかなか見つからなかった。

 

「……ハルスフォートさん」

「なんだ?」

 

 腰ほどの高さまで伸びた草を剣の鞘で掻き分けながら、ハルスフォートが答える。

 

「少し、聞いてもいいですか?

 魔人って……どうして人を殺すんですか?」

 

 ハルスフォートの足が、わずかに緩んだ。

 

「どうして、それを訊くんだ?」

「今回わたしたちが探しているのは、獣の魔人ですよね?

 魔人になると、そうしたくなる理由があるのかなって」

「……理由なら、一応は研究されてる」

 

 彼の足が、再び動き始める。

 

「『魔人禍(まじんか)』って本がある。

 魔人の性質についてまとめられているものだ」

「読んだことがあるんですか?」

「おれはこう見えても読書家でな。

 魔人の精神についても書かれていた」

 

 手近な枝を避けながら、ハルスフォートが続ける。

 

「魔人になった直後は、精神性も人間だった頃とそう変わらない。

 だが、時間が経つにつれて人間から離れていく」

「元々は、魔人も人間ですからね……」

「初期段階は、『人間が自分を殺しに来るんじゃないか』という不安によるパニックからの殺人。

 中期には、『人間を殺したら安心できる』という精神の安定を求めての殺人。

 末期になれば、『人間を殺すと楽しい』という純粋な殺人欲に支配される」

 

 ハルスフォートの講義を聞き、リスティはわずかに唇を結んだ。

 

「……理解できる感情から、どんどん遠ざかっていくんですね。

 自分とは全く別の存在である魔王になるのも怖いですけど、自分と地続きに変わっていく魔人になるのも──」

 

 ガサッ。

 

「──止まれ」

 

 ハルスフォートが低い声を発した。

 

「…………」

 

 リスティは動作を止め、声を殺して、気配を抑える。

 

 スッ。

 

 ハルスフォートは腰の剣へ手を伸ばした。

 リスティが数歩下がり、ハルスフォートの後ろへ位置を移す。

 

「ガアァッ!」

 

 バキッ!

 

 枝をへし折り、黒い巨体が茂みの奥から飛び出した。

 昨日、川沿いで襲ってきたものと同じような獣だ。

 

「──ッ!」

 

 チャキッ──。

 

 ハルスフォートが剣を抜く。

 

 黒い獣は速度を落とすことなく、真正面から飛びかかってきた。

 

「ガァッ!」

 

 ガキンッ!

 

 振り下ろされた前脚を、剣の腹で受け流す。

 

 ザッ!

 

 横へ踏みこみ、その鼻先へ剣を叩きつけた。

 

 バシィッ!

 

「ギャンッ!」

 

 斬るのではなく、殴りつけるような一撃。

 

「グルル……!」

 

 ハルスフォートが踏みこもうとした瞬間、獣は身を翻した。

 

「あっ!」

 

 リスティが声を上げる。

 黒い巨体が茂みを突き破り、そのまま森の奥へ走り去っていく。

 

「また逃げやがった!」

 

 ハルスフォートも地面を蹴った。

 

「リスティ、来い!」

「はいっ!」

 

 ダッ!

 

 2人が獣を追う。

 

 巨体のくせに、獣は速い。

 足場も視界も悪い森の中でも、ほとんど速度を落とさず駆けていく。

 

「だったら──」

 

 ハルスフォートが地面を強く踏みこむ。

 

「──跳空(エアステア)!」

 

 タッ!

 

 空気を蹴り、一気に宙へ跳び上がった。

 低木や地面の起伏を無視して追えば、追いつける。

 

 ──はずだった。

 

 ゴンッ!

 

「ぐえっ!?」

 

 真横へ伸びていた太い枝が、ハルスフォートの額を直撃した。

 空中で身体が反り返る。

 

「ハ、ハルスフォートさん!?」

「ぐおおぉぉぉ……!」

 

 着地したハルスフォートが額を押さえる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「……おれは別にいい、獣は!?」

 

 2人が慌てて前方を見る。

 すでに黒い巨体の姿はない。

 

「……追うぞ」

「……はい」

 

 何事もなかったことにして、2人は追跡を再開した。

 

 幸い、痕跡そのものは残っている。

 

 獣が通った場所では枝が折れ、背の高い草が踏み倒されていた。

 柔らかな地面には、大きな四つ脚の跡も続いている。

 

 2人は痕跡を辿って森の奥へ進んだ。しかし、

 

「……あれ?」

 

 先を歩いていたリスティが立ち止まる。

 

「どうした?」

 

 ハルスフォートはまだ額をさすっている。

 リスティは、その足元を指さした。

 

「足跡がありません」

「なに?」

 

 ハルスフォートもしゃがみこむ。

 確かに、それまで一直線に続いていた足跡は中断していた。

 

「魔術かもしれんな」

 

 ハルスフォートは立ち上がり、周囲を見回す。

 

跳空(エアステア)みたいな移動魔術を使えば、地面に痕跡を残さず移動できる」

 

 ハルスフォートは近くの木の幹や枝も確認した。

 獣だけが、途中で忽然と消えたようだった。

 

「……ハルスフォートさん。

 もう一つ、気になったことがあるんですけど」

「言ってみろ」

「さっきの獣──右の前脚、普通にありましたよね?」

「…………」

 

 ハルスフォートの動きが止まった。

 

「昨日、拳銃で撃った獣と同じなら、右の前脚の先がなくなっているはずです」

「…………」

「でも、さっきは傷も見えませんでした」

「……も、もちろん分かっていた。右前脚がなくなっていたな」

「やっぱり、気になりますよね」

「ああ。そこが一番気になっていた」

 

 リスティは素直に頷いた。

 ハルスフォートはさりげなく視線を逸らし、額を掻く。

 

「……考えられるのは2つだ」

 

 今度は何事もなかったように指を一本立てる。

 

「1つ。あの獣が、生命力や再生に関係する魔能を持っている」

「昨日の傷が、もう治ってしまったということですか」

 

 2本目の指を立てる。

 

「2つ。そもそも、昨日の獣とは別物だった」

「同じような獣の魔人が、何体もいる……?」

「可能性はある」

 

 だが、もう一つ。

 ハルスフォートの頭には、3つ目の可能性が浮かんでいた。

 

 ただ、それは口には出さなかった。

 この森にいるのが、自分たち3人と獣だけとは限らないからだ。

 

 再び獣の探索を始めようとした、そのとき。

 

 ゴゥン……!

 

 乾いた破裂音が、森の奥から響いた。

 鳥たちが一斉に木々から飛び立つ。

 

「今のは……昨日と同じ音……!」

「おれが、ラニアの拳銃で撃ったのと同じ──銃声だ」

 

 ハルスフォートは銃声のした方角を見る。

 地上から近づけば、知らずに射線へ入りこむ危険がある。

 

「リスティ。上から行くぞ」

「分かりました!」

 

 ハルスフォートは、リスティの体を脇に抱える。

 

「──跳空(エアステア)!」

 

 タッ!

 

 空気を蹴る。

 今度は枝をちゃんと避けるように意識し、木々の間を一気に駆け上がった。

 

 樹冠を抜けると、一気に視界が開けた。

 2人は上空から、銃声の聞こえた方角へ近づいていく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。