バァンッ!
鼓膜を打つ破裂音が、森を渡った。
「ガウッ!」
バキィッ!
ラニアの放った弾丸は、獣の鼻先を掠めて背後の枝を弾け飛ばす。
「外したか」
「グルルル……」
ザッ!
黒い獣が身を低くし、一気に地面を蹴った。
チャッ──。
ラニアは拳銃をホルスターへ戻し、背負った巨大な両手剣を引き抜く。
「ガアアァッ!」
「ふっ!」
跳びかかる獣へ、身体ごと回転して大剣を振るう。
バギイッ!
周囲の若木をも巻きこむ、破壊的な回転斬り。
ザグッ!
「ギャウッ!?」
その刃が、黒い獣の脇腹を捕らえた。
黒い毛が舞い、裂けた腹から血が散る。
「グゥ……!」
獣はすぐに立ち上がったが、先ほどまでの攻撃性は消えていた。
ダッ!
「逃げる気か!」
身を翻して駆け出す獣を、ラニアも追う。
ザザザザッ!
大剣を担いでいるにもかかわらず、その距離は徐々に縮まっていった。
「言うことを聞かないなら──本気で行くよ」
ドスッ!
ラニアは大剣を手放し、鉄塊が地面へ落ちる。
両手を自由にした彼女は、一際強く地面を蹴った。
ダンッ!
逃げる獣の背中へ飛びかかる。
「捕ま──」
指先が黒い毛をつかみ──体には、触れられなかった。
「なにっ!?」
ザザッ!
勢いのまま着地し、地面を滑り、すぐに身体を起こす。
「どこっ!?」
視線を素早く前後左右に巡らせるが、獣はいない。
「…………」
ラニアは眉を寄せ、自分の手を見る。
汗に濡れた手には、黒い獣毛がべっとりと付着している。
それなのに、獣の姿はどこにもない。
「妙だね……」
腕を組んで悩んでいると、
ガサガサッ。
頭上から葉の擦れる音が聞こえた。
「ん?」
ラニアが顔を上げる。
木々の隙間、そのさらに上。
空から降りる、2つの人影が見えた。
「ラニア! なにがあった!?」
ハルスフォートが、脇にリスティを抱えて着地する。
「獣とやり合っていた」
ラニアは、地面に落とした大剣へ歩み寄った。
両手で柄を握り、地面から引き抜く。
「銃弾は避けられたけど、大剣で脇腹を斬った。
かなり深く入ったから、次に会えば同じ個体かどうかは分かるよ」
「……いや、その目印は当てにならんぞ」
ハルスフォートの言葉に、ラニアが大剣を背負いながら振り返る。
「どういう意味だ?」
「おれたちも、さっき黒い獣と会った。
昨日、おれが拳銃で右前脚を撃ったヤツと同じだと思ってたんだが──」
「今日会った獣には、傷がありませんでした」
リスティが続ける。
「別の個体って可能性もあるがな。
同じヤツなら、昨日の傷が消えてる。だから脇腹の傷も残る保証はないぞ」
「そうか。もう知っていたか」
ラニアは、納得したように頷いた。
「ああ、そうだ」
ハルスフォートも軽く頷く。
「なら、追いついて捕まえる直前に獣が消えることも知っているんだな」
「ああ、そう──」
ハルスフォートは、もう一度頷きかけた。
「──それは知らん!」
「そうなのか?」
「初耳だ!」
ラニアは不思議そうに首を傾げる。
「てっきり、そこまで分かっているものだと思ったよ」
「……まあいい。情報が増えれば、獣の正体に迫れる。
獣が目の前で消えた、か……」
「その上で、幻覚じゃないのは確かだよ」
ラニアは、自分の右手を2人へ見せた。
汗ばんだ手の平には、黒い獣毛が何本も貼りついている。
「追いついて、背中に飛びかかった。
毛には触れたけど、その瞬間に獣が消えたんだ」
「昨日つけた傷は消える。
追いつけば、今度は本体まで消える、か……」
ハルスフォートは獣毛を見つめながら、眉間へシワを寄せた。
「……瞬間移動、ですかね?」
リスティの問いに、ハルスフォートは首を振る。
「瞬間移動は、ほぼ不可能だ。
「瞬間移動なら、移動元と移動先の位置を正確に指定する必要があるからね」
ラニアが引き継いだ。
「全力で走っていれば、自分の位置も変わり続ける。
魔術の完成までに位置を計算し直すなんて、ドラゴンでも難しいと思うよ」
同意する彼女に対し、ハルスフォートがさらに訊ねる。
「それで、消える直前まで追っていたんだろ? 詠唱は聞いたか?」
「いや、唸り声と足音だけだね。
魔術の詠唱らしい言葉は、一つも聞いていない」
「やはり、獣自身が瞬間移動の魔術を使った線は薄い」
ハルスフォートは腕を組み、しばし考えこむ。
「……おれには、獣の正体について、既に一つ考えがある」
「へえ。是非ともご高説願いたいね」
「それについてなんだが──」
ハルスフォートの肩が、ぴくりと動いた。
その青い瞳が、ほんのわずかに森の東側へ流れる。
「リスティ」
「はい?」
「東の方角。少し上へ向けて、
「……え?」
リスティは思わず聞き返した。
「あの……森の中ですよ? 燃えちゃいますけど……」
「だから撃った直後に、同じ場所へ
延焼する前に消すんだ」
リスティは納得しきれない顔をしていたが、ハルスフォートの様子が本気であると察したらしい。
「……分かりました」
東側の木々を見上げ、狙いをやや上へ定めた。
リスティは息を吸い、喉元へ手を添えた。
「原初の
森の中に、詠唱が響き始めた。
「…………」
ハルスフォートは、無言で東の森を睨んでいた。
リスティが詠唱を始める、少し前。
「クソッ、どこに行きやがった……!」
猟師は森を走っていた。
旅人たちが依頼から逃げないよう、村を出てからずっとハルスフォートとリスティを尾行していたのだ。
だが、獣を逃した旅人2人は、突然
地上からでは、木々に遮られて行き先など見えない。
慌てて追いかけたものの、着地した場所すら分からなくなっていた。
「まさか、そのまま逃げてねえだろうな……?」
このまま2人が姿を消せば、違約金を取り立てることもできない。
「ったく、面倒かけさせやが──」
ギュバアアァァァッ!
「うぉおおぉっ!?」
木々の向こうから、巨大な炎が噴き上がる。
猟師は慌てて横へ走り、炎から距離を取った。
「はっ……はっ……!」
充分に離れたところで、ようやく足を止めた。
ヒザに両手をつき、荒い息を繰り返す。
「なんなんだよ、あのどデケェ魔術は!? 正気じゃねえぞ!?」
悪態を吐きながら、呼吸を整えていると、
「…………」
背筋に、嫌な感覚が走った。
猟師は、考えるより先に地面を蹴る。
ダッ!
ギキイイィィィィンッ!
「うへゃらおおぉぉぉっ!?」
先ほどまで猟師がいた場所の背後を、蒼白の冷気が駆け抜ける。
少しでも逃げるのが遅れていれば、自分まで巻き込まれていた。
猟師は立ち上がり、服についた土を乱暴に払った。
「……ともかく、あそこだな!」
二つの魔術は同じ方角から放たれた。
発生源へ向かえば、誰かがいるだろう。
猟師は森を進み、やがて2人の姿を見つけた。
「……いた!」
そこには、リスティとラニアの2人がいた。
「いや……いない?」
1人、足りない。
ハルスフォートの姿が、どこにもなかった。
「おい!」
ガサッ!
猟師は2人の前へ飛び出す。
突然現れた男へ、リスティとラニアが揃って顔を向けた。
「なんだ?」「なんですか?」
猟師は開口一番、怒鳴り声を上げる。
「あの男はどこだ!?
まさか、依頼を放り出して逃げたんじゃねえだろうな!?」
「獣を追っていったよ」
ラニアは、猟師の剣幕にも動じず答える。
「自分たちと合流したあと、また獣の気配を見つけてね。
今どこにいるかは、自分らにも分からない」
「それじゃあ逃げた可能性もあるよなぁ?
そうなりゃ、いったい誰が違約金を払うんだ?」
詰め寄る猟師に、リスティがすっと手を挙げた。
「その時は、わたしがお支払いします」
「……あ?」
「ハルスフォートさんの分も、わたしが払います。それなら問題ありませんよね?」
「…………」
猟師は何か言い返しかけ、結局口を閉ざした。
「チッ……なら、そっちはいい。それより、なんだあの魔術は!?」
周囲には凍った枝葉と、焼け焦げた木が残っている。
猟師の怒声に、リスティが肩をすくめた。
「す、すみません。そこに獣がいたもので……」
「獣一匹に、森ごと焼く気か!」
猟師は苛立ったまま、今度はラニアを睨む。
「この魔人女! オマエがやったんだろ!」
「違うよ。自分は魔術を使えば、その場で獣に変わる」
「だったら、あの男か!?」
「あの……わたしです」
小さな声が、更に割りこんだ。
「はぁ?」
「今の魔術を使ったのは、わたしです」
猟師は、しばらくリスティを見つめた。
どう見ても、森を焼き払うほどの炎と、それを一瞬で凍らせる冷気を放った術者には見えない。
「こんなガキが、あんな上級魔術を使えるわけがねえだろ!」
「でも、本当にわたしなんです!」
「ふざけるな!」
猟師が一歩踏みこむ。
伸ばした手が、リスティの胸倉へ迫った。
ガッ。
「っ!?」
その手首を、横からラニアが掴んだ。
猟師の表情から、徐々に怒りが消えていく。
手首を締めつける力は強い。
それなのに──彼女の手は、少しも力んでいる様子がない。
これほどの力で掴んでいるのに、まだ加減している。
そう理解した瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「言い争いをする場面じゃないよ。
今は獣を探す方が先だと思うけど?」
「…………」
ラニアが手を放すと、猟師は一歩退いた。
ガサッ。
猟師が掴まれていた手首をさすっていると、背後の茂みが揺れる。
「ちゃんと逃げずに戻ったぞ」
枝葉を掻き分け、ハルスフォートが姿を現す。
「テメエ……!」
猟師が振り返る。
当のハルスフォートは、なぜ猟師がここにいるのかを問うこともなく、3人のもとへ歩み寄った。
「獣を追ったが、途中でいなくなった」
ハルスフォートはそこで一度言葉を切った。
「だが、収穫はある」
「収穫?」
「怪物の痕跡を見つけた。これを元に、もう一度探索するぞ」
ハルスフォートは自信満々に言い、再び森へ歩き出した。
猟師を含めた4人で、探索を再開する。
だがこの日、それ以上の収穫はなく探索は終わった。
翌朝。
「じゃあ、行ってきますね」
「ああ。昼は任せたよ」
今日は長時間の探索に備え、昼と夜で担当を分けることになった。
ハルスフォートとリスティが森へ入り、ラニアは夜まで村に残る。
ラニアが見送る中、2人の背中が木々の向こうへ消えていく。
「…………」
その様子を、村長は広場の端から眺めていた。
「……ククッ」
口元が、ゆっくりと吊り上がった。
森の端から端まで、好きなだけ探し回ればいい。
黒い獣は、この村の支配下にある。
旅人どもに一度姿を見せて、依頼対象が実在すると信じこませる。
あとは捕まらないよう獣を隠しておけば、それだけでいい。
期限までに仕留められなければ依頼は失敗。
違約金を払わせることが前提の、ボロい商売だ。
「せいぜい頑張ってくれよ……」
村長は小さく呟いた。
期限いっぱいまで走り回った末、獲物一匹見つけられずに戻ってくる。
その顔を思い浮かべるだけで、笑いがこみ上げる。
「ふう……残りのあいだ、ゆっくりと待つとするか」
村長は自身の家に戻り、白ワインの瓶を開ける。
陶器のグラスへ注ぎ、勝利の美酒を眺めていると──。
ワインの水面が、赤く染まった。
「……ん?」
窓の向こうに、赤いものが見えた。
ゴウッ!
森の奥から、炎が立ち
「なっ……!?」
村長の笑みが消える。
「火だ!」
「森が燃えてるぞ!」
村人たちの声が飛び交う。
ゴオォ……!
風に煽られた火が枝から枝へ移り、黒い煙が空へ昇り始めた。
「クソッ!」
村長は舌打ちし、ワインを置いて家から出た。
森そのものが焼ければ、この村まで無事では済まない。
「水だ! バケツを持ってこい!
動けるヤツは全員、火を消しに行け!」
村長の怒声に、村人たちが一斉に動き出した。
家々からバケツや桶が持ち出される。
井戸へ走る者、川へ向かう者、濡らした布を抱える者。
「なにがあったんだ?」
騒ぎを聞きつけ、ラニアも広場へ出てきた。
「見りゃ分かるだろ! 消火を手伝え!」
村人の怒声を受け、ラニアはすぐ近くの家へ駆け寄る。
「借りるよ!」
「お、おい!」
返事を待つことなく家へ入り、しばらくすると、バケツを抱えて外へ飛び出す。
「急ぐぞ!」
村人たちは、煙の上がる森へ向かって走り出す。
ラニアも猛然と走り、村人たちを次々と追い抜いて森へ消えた。
「クソッ、アイツら、なにをやってやがる……!」
村長もその後を追う。
先ほどまで浮かべていた笑みは、もう跡形も残っていなかった。
ゴオオォォォッ!
火元へ近づくにつれ、熱気が肌を刺した。
黒煙が木々の間を這っている。
「急げ!」
「水を回せ!」
村人たちはバケツや桶を抱え、燃え盛る森へ走る。
「クソッ……! こんな時、雨でも降ってくれりゃ──」
ギキイイィィィィンッ!
雨の代わりに降ったのは、氷の魔術だった。
「えっ!?」「なにっ!?」「なんだあっ!?」
炎が一斉に萎み、立ち上っていた黒煙が白い蒸気へ変わった。
木々は瞬く間に氷で覆われた。
村人たちは、呆然と立ち尽くした。
「た、助かった……」
「危ねえところだったな……」
安堵の息が漏れる。
だが、
「いや、ちょっと待てよ」
猟師の声が、その空気を断ち切った。
彼は凍りついた木々を見上げ、顔をしかめる。
「これ、昨日と同じじゃねえか」
「昨日?」
「炎のあとに氷の魔術だ。
オレは昨日、森の中でこいつを食らいかけた。……あのクソったれの旅人にだ」
猟師は焼け焦げた木の幹を指差した。
「だったら、この火をつけたのもアイツらだろ!
獣が見つからねえから、森ごと炙り出すつもりだったんじゃねえのか!?」
ざわっ。
村人たちの間に、動揺が広がった。
「この森が燃えちまったらどうする!
獣どころか、木の実もキノコも全部なくなるんだぞ!
次の獲物が来る前に飢えりゃ、オレらは生きていけねぇだろ!」
「……その通りだ」
村長も険しい顔で同意した。
「このままでは、村そのものが危険に晒される」
「依頼はもう失敗扱いでいいだろ!」
猟師が勢いづく。
「一週間と待たずに、違約金を払わせろ!
それだけじゃねえ。昨日と今日、二度も森を燃やしかけたんだ。その分の賠償もだ!」
「お、おう!」
村人たちの非難が、旅人たちへ向き始めた、その時。
ガサガサッ!
凍りついた茂みの向こうから、3つの人影が現れた。
「やけに騒がしいな。祭りでもするつもりか?」
ハルスフォートだった。
その隣には、リスティとラニアもいる。
「テメエら! よくも森を燃やしやがって──」
「待って」
ラニアが猟師を遮った。
その手には、村を出る時に持ち出した木製のバケツがある。
「今さら水なんか持ってきても、もう火は消えてるぞ!」
「分かってるよ」
ラニアは一歩前へ出た。
「だから、持ってきたのは──依頼の品だ」
「あ……?」
村人たちが見守る中、ラニアがバケツをひっくり返す。
ゴロンッ。
「……!」
一同が戦慄する。
黒い毛に覆われた巨大な頭部が、血と共に転がり出た。
間違いない。
村を騒がせていた──あの黒い獣だった。
「な……なぜ……!?」
村長の唇が震える。
その続きの言葉を、ハルスフォートが奪った。
「『見つかるはずがない』って言いたげだな、村長。
だが見つかったんだ。獣も、あんたらの手口も、全部だ」