辺りには、先ほどまでの火事の痕跡が残っていた。
焼け焦げた木々からは細い煙が立ちのぼり、湿った土には消火のために撒かれた水が染みこんでいる。
誰も、言葉を発しなかった。
ラニアがバケツから転がした黒い獣の首を前に、村人たちは揃って立ち尽くしている。
「…………」
村長もまた、獣の首を凝視したまま動かなかった。
唇がわずかに動いては閉じる。
それを何度か繰り返した末に、ようやく声を絞り出した。
「……何故、それがここにある?」
ハルスフォートは、呆れたように片眉を上げた。
「おいおい、『獣を倒してくれてありがとう』じゃないのか?」
「……っ」
村長の顔が強張る。
「おれたちは依頼された獣を倒して、証拠の首まで持ち帰った。
それなのに、あんたが真っ先に気にするのは『何故ここにあるのか』、だ」
ハルスフォートは村人たちへ視線を巡らせ、口元をわずかに吊り上げた。
「それが返事なら、自分たちのやったことを認めたってことになるぞ」
「…………」
村長は険しい顔のまま押し黙り、周囲の村人たちも互いの様子を
その中で、一人だけが動いた。
「クソッ──!」
猟師が腰の矢筒へ手を伸ばす。
一本の矢を引き抜き、もう片方の手に握る弓へつがえようとして、
ゴゥンッ!
ヂッ──!
「いッ!?」
大口径の
皮膚が浅く裂け、そこから細い血の筋が流れ始める。
ラニアは、片手で拳銃を構えていた。
銃口から立ちのぼる細い煙が、火事の残煙へ溶けていく。
「次は外さないよ」
「…………」
ハルスフォートは、その様子を横目で確認してから村長へ向き直る。
「ようやく尻尾をつかんだんだ。虎の尾を踏む真似はよすんだな」
「……何を言ってやがる。オレたちに濡れ衣を着せようってのか?」
村長が低く唸る。
ラニアは拳銃を腰のホルスターへ戻すと、一歩前に出る。
「それは、これから証明するつもりだよ」
彼女は足元に置いていたバケツへ手を入れ、何かを掴んで引き上げた。
「……なんだ、それは」
村長の声が、わずかに
ラニアが手にしていたのは、銀製の短杖だった。
先端には獣の頭を模した、精巧な彫刻があしらわれている。
本来なら美しい銀細工だったのだろう。
しかし、獣の首と一緒にバケツへ入れられていたため、彫刻の細かな隙間まで赤黒い血に濡れている。
ラニアは短杖を掲げ、村人たちへ見せつけた。
「これは、
村人の何人かが、かすかにざわめく。
「
魔術師みたいに詠唱を覚える必要もない。短杖へ魔力を流せば、それで獣を呼び出せるよ。
これなら、今まで自分たちが追っていた獣のおかしなところも説明できる」
そう言いながら、ラニアは短杖を村人たちへ向ける。
ハルスフォートが腕を組み、彼女の言葉を引き継ぐように口を開いた。
「最初におれたちが遭遇した獣には、右の前脚を撃って傷をつけた。
だが翌日、同じような獣に会った時には、その傷がなかった」
ラニアは、短杖の先端を指で軽く叩く。
「多くの召喚術では、呼び出される個体は同一種族の別個体だ。
昨日と今日で別の獣が呼び出されているなら、傷がなくても不思議じゃないね」
彼女は、手を何度か握っては開く。
「自分が獣を追った時も妙だった。
追いついて、毛に触れたところまでは確かだったのに、その直後に姿が消えた」
あの時、手の平には黒い獣毛が残っていた。
幻覚なら、毛だけが手元へ残るはずもない。
「瞬間移動の魔術か、とも考えたけど、召喚術なら簡単だよ。
獣が逃げたんじゃない。召喚した側が、獣を帰還させたんだ」
「…………」
村長は答えず、ラニアが持つ短杖を睨みつけていた。
やがて村長は、押し殺した声で問いかける。
「……どうやって、それを見つけ出した?」
問われたハルスフォートは、得意げに鼻を鳴らした。
「昨日の時点で、おれたちは少し打ち合わせをしてたのさ」
その言葉に、猟師が眉を寄せる。
「打ち合わせ……?」
「ああ。ただし、普通に話すわけにはいかなかった」
ハルスフォートは猟師へ視線を向けた。
「監視の目があることくらい、気配で分かってたからな。
だから、あまりヘタなことは口にできない。そこで音を掻き消すことにした」
「……それが、あの炎と氷の魔術か!」
猟師が声を上げた。
「あれだけの魔術を続けて撃てば、森中に音が響く。
その間なら、少しくらい話したところで聞き取れないだろ?」
「……あの時から、オレがいることに気づいてやがったのか」
「姿までは見えてなかったが、誰かがついてきてる気配はあった。
こっちは依頼を受けた立場なのに、妙に監視が厳しいと思ったな」
猟師の眉間に、深いシワが刻まれる。
「それで、炎と氷の音に紛れて、ラニアとリスティに翌朝の作戦を伝えた。
今回の事件が村人の自作自演だと確認できたら、翌朝に森で火事を起こす。
その間にラニアが家に押し入って、物証を探してこいってな」
「村人の仕業だと確認できたら、だと……? その時にはもう、オレたちがやったって分かってたのか!?」
「いいや。あの時点じゃ、せいぜい九割黒ってところだ。
怪しい材料はいくらでもあったが、決め手がなかった」
ハルスフォートは即座に否定する。
「ただ、確証がない以上、監視してるヤツに『村人を疑ってる』なんて聞かせるわけにもいかない。
そこで、おれたち3人だけに分かる言い換えを決めておいた」
ハルスフォートは、昨日の自分の言葉をなぞるように口を開く。
「これからおれが言う『怪物』ってのは、『村人』の言い換えだ──ってな」
「────」
猟師の表情が固まった。
獣を見失ったあと、ハルスフォートは確かに言っていた。
──だが、収穫はある。
あれは獣のことではなく、獣をけしかけた村人について言及していたのだ。
「そしておれは、リスティに魔術を撃たせたあと、
ハルスフォートは猟師へ目を向けた。
「こいつがおれたちについて回ってた理由は、依頼を放り出して逃げないよう見張るため。
だが、役目が一つだけとは限らない。二つ目──おれたちを、獣の召喚場所へ近づかせないことも役目だったんだろう?」
猟師の頬が、ぴくりと引きつった。
「獣を召喚しているところを見られたら、それまでだからな。
監視役は、おれたちが召喚場所へ近づけば、なにかしら邪魔をするはずだ。
なら逆に、そいつから離れる方向へ進めばいい。そっちには、見られたくない何かがある可能性が高いからな」
ハルスフォートが指を立てる。
「実際に行ってみれば、実行犯には逃げられたが、そこにいた痕跡は残っていた。
長丁場に備えて食事を持ちこんだんだろう。サラミやパンの欠片、それを包んでいた布が捨てられてた。
多分、こっちに来ると察知して、慌てて逃げたせいで証拠を消せなかったんだろう」
「うっ……」
村人の一人が、図星を突かれたように息を詰まらせる。
「それをリスティとラニアに伝えて、今朝は予定通りに火事を起こした。
村の連中が揃って消火に向かってる間に、ラニアには証拠を探してもらう。文字通り火事場ドロボウだ」
ラニアが、ため息を吐いて肩をすくめた。
「ずいぶん大胆な作戦だったけどね。
火事を消すバケツを取るため、という名目で家に乗りこむ。証拠がなければ次の家。
とはいえ、小さな村だから家の数も少ないし、数軒当たればすぐに見つかったよ」
「クソッ……!」
村長が拳を握り締める。
その前で、ラニアはさらに話を続けた。
「で、こっちはこっちで、貴方たちがどうやって旅人を食い物にしていたのか、大体分かってるよ」
ラニアは短杖を下ろし、空いた手の指を一本立てた。
「最初に妙だと思ったのは、依頼の内容。
1万Gなんて高額な報酬を提示しておいて、期間はほんの一週間。
本当に獣の魔人を討伐したいなら、期限を一ヵ月に延ばして、成功率を上げた方がいい。
つまり──成功率を上げたくないか、長期間村に滞在してほしくないか、その両方。
あの大金も相まって、最初から村が怪しいと睨んでいたよ」
ラニアは、親指と人差し指で輪をつくってみせた。
「失敗した方がいいんだ。そうすれば違約金をふんだくれる。
自分たちのような、『獣に殺されず、返り討ちにできるような旅人』なら、そうやって金を取れる。
だけど、もし『獣に殺されるぐらい弱い旅人』だったら?」
「……だったら、どうするってんだ?」
「殺して、身ぐるみを剥ぐ」
ラニアが声を低くする。
「自分たちの寝床としてあてがわれた倉庫に、武器や服がいくつも置いてあった。
だけど、剣や槍など、武器の種類がバラバラだった。一つの村で共同管理している備品にしては妙なんだよ。
これは、犠牲になった旅人たちの装備だったんだろうね」
「…………」
リスティが、自分の体をぎゅっと抱きしめる。
「貴方たちはまず、旅人を獣に襲わせる。そのまま殺されれば、死体から金品を奪う。
そして、獣を返り討ちにするほど腕の立つ旅人なら、『獣の魔人を倒して欲しい』と依頼をふっかけて失敗させ、違約金を取る。
どちらに転んでも儲かる、
「…………」
村人たちから、反論は返ってこない。
そこで今度は、リスティが口を開いた。
「……こんなことをする以上、あなたたちは
穏やかな声だったが、その視線に普段の柔らかさはなかった。
「最初から、不思議だったんです。
あなたたちの村は、わたしが持っている地図には何も記されていませんでした」
リスティは地図を取り出し、村があるはずの空白部分を指先で示した。
「真っ当な村ではないから、地図に記されるような正式な村にはできなかった。
人目につかない土地に、自分たちだけの集落を作ったんじゃないですか?」
村人の一人が、堪えきれなくなったように声を張り上げた。
「デタラメだッ! その短杖だって、そこの女が持ってきたもんだろうが!
オレたちゃそんなもん知らねえ! 全部、テメーらが勝手に作った話じゃねえか!」
「そうだ! オレらがそれを使ってた証拠なんてどこにもねえだろ!」
「疑わしきを罰するってのか!?」
リスティは村人たちの言葉を聞き終えると、静かに目を閉じる。
「そうです。今までお話ししたことは、わたしたちが見つけた物や、起きた出来事を元にした推測です。
ですから、あなたたちが違うと言うのなら……協力してください」
「……何にだ?」
村長が警戒するように眉を寄せる。
「この
これが本当にあなたたちとは無関係な物なら、調べてもあなたがたの誰の魔力も残っていないはずですよね?」
「…………」
村人たちが、顔を見合わせる。
誰も声を上げず、ただ沈痛な面持ちでお互いに絶望を共有していた。
彼らが青ざめる中、村長だけが──いや、
「かかれッ!」
「……っ!」
ボスの手下たちが一斉に動く。
荒事には慣れている者たちだ。手にしているバケツは放り投げ、手近にある石や太い枝を拾い上げた。
「コイツらを帰すな! ここで黙らせろ!」
ボスの怒号を合図に、十数人の手下が一斉に殺到する。
「ようやく、こっちの得意分野に入ってくれたな」
ハルスフォートは腰の剣へ手を伸ばし、隣に立つラニアへ視線を送った。
「うん。推理よりも荒事のほうが合っているからね」
そう答えたラニアは、すぐそばの木へ歩み寄った。
「……?」
襲いかかろうとしていた手下たちの何人かが、その行動に戸惑って足を緩める。
ラニアが近づいた木の幹は、成人男性が両腕を回してようやく抱えられるほど太い。
彼女はその幹を抱えこむように両腕を回し、
「ふんっ」
ズボォッ!
大量の土を撒き散らしながら、木が根こそぎ地面から抜けた。
ラニアはその大木を、棍棒でも構えるように両腕で抱え直す。
「…………」
先ほどまで迫っていた手下たちの足が、一斉に止まる。
石を振り上げていた男も、枝を握っていた男も、その姿勢のまま固まっていた。
しばらくの沈黙のあと、一人の手下が恐る恐る手を挙げた。
「……お、お金ならあげるので……穏便に済ませませんか?」
「悪いね。鬱憤を済ませたいんだ」
ラニアが大木を振り下ろす。
青々と枝葉を伸ばしたそれは、倒木のような勢いで手下たちを地面へ叩きつけた。