いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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第3章 逃走中(run from money)
第15話 湧霧の町


 森を抜けた街道の先には、緩やかな丘陵が続いていた。

 

 丘の向こうには、薄い霧が白い帯となって漂っていた。

 朝露にしては消える気配がなく、風が吹くたび、地表を這うようにゆっくりと形を変えている。

 

「あれが、システリムの霧でしょうか」

 

 リスティは目を細め、遠くに霞む街道の先を見つめた。

 

「ようやくだね」

 

 隣を歩いていたラニアが、どこか弾んだ声で答える。

 

「嬉しそうだな。そんなに宿の風呂が恋しいのか?」

 

「それもあるよ。何日も森暮らしだったから。

 でも、自分がシステリムへ行く一番の目的は別にある」

 

 ラニアはそう言って、自分の胸元へ軽く手を当てた。

 

「前にも少し話したけど、自分はこの獣の呪いを解く方法を探して旅をしてる。

 システリムには、どんなに難解な術式でも解き明かす人がいるらしいよ」

 

「どんな術式でも、ですか?」

 

 リスティが興味深そうに顔を上げる。

 

「ウワサでは、仕組みすら分からないような式を見ただけで読み解いたとか、

 何十年も解けなかった式を数日で突き止めたとか、そんな話を何度か聞いた」

 

「その呪いは、魔術を使ったときに発動するんでしたよね?」

 

「魔術だけじゃなく、魔式装具(マギスレイヴ)を使ったときも同じだね。

 多分、脳の魄髄座(アルカナム・アンカー)に魔力が通ることが呪い発動の条件なんだ」

 

「そういえば、昨日の短杖を使うとき、ラニアさんは手を挙げませんでしたね」

 

 リスティの言葉に、ハルスフォートは懐へ手を入れる。

 取り出したのは、先日手に入れた銀製の短杖だった。

 

「消去法で、おれが使うことになったな。

 ラニアは言った通りに獣になるから、リスティは……魔力が多すぎて壊れるからな」

 

「はい……」

 

 リスティは気まずそうに両手の指を合わせた。

 

「でも、あの時どうして、ハルスフォートさんはわたしの髪が必要だったんですか?」

 

「…………」

 

 ハルスフォートの歩みが(にぶ)る。

 

 昨日の朝。

 ラニアから渡された短杖は、ハルスフォートの魔力だけでは発動しなかった。

 

 呪算紋(グリマ・グリフ)1の貧弱な魔力では発動できず、ハルスフォートはリスティに「髪を貸せ」と頼み、2人には「後ろを向いていろ」と言ったのだ。

 

 ただし、その理由までは説明していない。

 

「……儀式魔術だ」

 

 わずかな沈黙の末、ハルスフォートは答えた。

 

「儀式魔術?」

 

「ああ。魔力の高い人間の部位を触媒にして、術者の魔力を一時的に高める儀式がある。

 あの短杖を使うために、それを使った」

 

「なるほど……」

 

 リスティは納得したように、自分の黒髪へ手を添えた。

 

 もちろん、そんな儀式魔術は使っていない。

 実際にやったことといえば、2人が後ろを向いている隙に、受け取った髪を口へ放りこんだだけである。

 

 これまでの旅の中で、夜中にちょくちょくリスティの髪を拝借していた。

 魔力酔いを起こさない限度は把握しており、必要な分だけ切り取って食ったのだ。

 

 他人の肉体を喰らい、その者の魔力を一時的に奪い取る。

 それが、ハルスフォートの異能だ。

 

「それなら、どんな儀式だったのか教えていただけませんか?」

 

「…………」

 

 再び、ハルスフォートの返事が止まった。

 

「ワローさんが使っていた儀式魔術を見てから、少し興味があるんです。

 薬や魔法陣以外でもできるんですね」

 

 リスティは疑う様子もなく、興味深そうに続きを待っている。

 

「あー……」

 

 ハルスフォートが言葉を探していると、隣を歩いていたラニアまで興味を示した。

 

「自分も気になるね。

 魔力を増幅する魔術というのは、聞いたことがない」

 

「そんなに珍しいんですか……!」

 

 それを聞いて、リスティの目がますます輝く。

 ハルスフォートはついと目を逸らし、頬を掻きながら誤魔化す。

 

「……それは秘密だ。魔術師は、自分の研究成果を奪われないために秘匿(ひとく)することもある」

 

「あ……すみません」

 

「そうか。それならあまり突っこむのも悪いね」

 

 2人があっさり納得してしまい、かえって胸がチクリと痛んだ。

 

「あっ、見えてきましたよ!」

 

 リスティが前方を指差した。

 

 街道の先に続く丘を越えると、それまで地形に隠れていた町並みが姿を現した。

 

 幾重にも連なる屋根の間を、陽光にきらめく水路が細い銀色の筋となって横切っている。

 建物の間には白い霧が薄く漂い、遠目には町全体が(かすみ)の中から浮かび上がっているようにも見えた。

 

「システリム町に着いたら、わたしは買い物に行きたいです」

 

「よし、じゃあ自分は宿を取っておくよ」

 

「おれは銀行に行く。とりあえず、用事が済んだら広場に集合だな」

 

 三者三様の行き先を告げながら、3人はシステリムの石畳を踏んだ。

 


 

 銀雪銀行(シルバースノウ・バンク)、システリム支店。

 銀行内は、外の雑踏とは切り離されたように静かだった。

 

 磨かれた木の床に、等間隔で並ぶ窓口。客と行員を隔てる腰ほどの仕切りも木造りで、壁際には筆記台や長椅子が整然と並んでいる。

 派手な装飾こそないが、隅々まで掃除が行き届き、金を預ける場所らしい清潔さが保たれていた。

 

 その窓口の一つで、ハルスフォートは紙幣をカウンターへ積んでいた。

 

「この分を口座に入れてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 犯罪組織の集落から奪った金は、3人で分けてもなお相当な額だった。

 

 盗賊に狙われる可能性もあれば、荷物ごと失うこともある。しばらく使う分だけ手元に残し、それ以外は銀行へ預けておく方が安全だ。

 手元には1000G(グレイン)だけ残し、残りをすべて口座へ預けた。

 

 行員は紙幣を数え終えると奥へ下がり、ほどなく通帳を手に戻ってきた。

 

「お待たせいたしました」

 

 ハルスフォートは通帳を受け取り、長椅子に腰を下ろす。

 

「そういえば、ゴブリン討伐の報酬はちゃんと入ったか?」

 

 記帳された欄を確かめると、今回の入金額とは別に、500G(グレイン)の入金が記されていた。

 摘要欄には、「ティミー村より 依頼報酬」と併記されている。

 

「よし。小遣い程度だが、しっかり払われているな」

 

 さらに下の欄には、思いがけない名が記されていた。

 送金者の名は、ジェーン・ドウ。

 

「ジェーン……?」

 

 ヨートゥルムで別れた、赤毛の宵祓(よいばらい)の顔が浮かぶ。

 続けて、送金に添えられた摘要へ目を通した。

 

「…………」

 

 しばらく文字を見つめたあと、ハルスフォートは通帳を閉じる。

 

「ご利用ありがとうございました」

 

 通帳を懐へしまい、ハルスフォートは銀行を後にした。

 外へ出ると、硫黄(いおう)の匂いを含んだ湿った空気が鼻先をくすぐる。

 

 システリムの大通りには石畳が敷かれ、その両脇には一階を石、二階を木で造った建物が整然と並んでいた。

 首都ヨートゥルムに近いだけあって人通りも多く、旅人や荷物を運ぶ商人が絶えず行き交っている。

 

 そして、町の景色を特徴づけているのが、通りに沿って流れる水路だった。

 幅は、人がひと跳びで越えるには少し広い。

 

 流れる水からは絶えず白い湯気が立ちのぼっている。

 水路を縁取る石には、湯の成分が析出(せきしゅつ)した白い筋が幾重にもこびりついていた。

 

 水路の向こうにも店や家が並び、それぞれの入口へ渡るように短い石橋が架けられている。

 住人たちは白い湯煙をくぐるように石橋を渡り、店へ出入りしていた。

 

「水と霧の町……というより、温水と湯煙の町だな」

 

 ハルスフォートは歩きながら、白く(かす)む通りを見渡した。

 

 イオーズ祭が終わってから、まだ数日しか経っていない。

 その名残なのか、湯気を利用した蒸し料理の屋台がいくつか残っていた。

 

 ハルスフォートはそんな町並みを横目に、大通りを進んでいく。

 

 やがて建物の屋根越しに、ひときわ大きな白い蒸気の柱が見えてきた。

 待ち合わせ場所に決めた、噴水広場の方角だった。

 

 それを目印に通りを進むと、やがて建物の並びが途切れ、石畳を敷き詰めた広場へ出た。

 

 その中央には、大きな石造りの噴水が据えられている。

 地下の地熱蒸気孔を利用して造られたものらしく、中央の石柱から噴き上がるのは冷たい水ではなく温水だった。

 

 水面へ落ちるたびに白いモヤが立ち、噴水全体を薄く包みこんでいる。

 

「ここなら待ち合わせには困らんな」

 

 あれだけ高く湯煙を上げていれば、町のどこからでも目印になるだろう。

 ハルスフォートは周囲へ視線を巡らしたが、リスティの姿はまだない。

 

 待ち合わせは噴水広場だ。リスティが来るまで、ただ噴水を眺めているのもヒマだった。

 ハルスフォートは広場の端にある大きな掲示板へ歩み寄った。

 

 雨や湯気を避けるためか、掲示板には簡素な(ひさし)が取りつけられている。

 その下には、町からの告知や仕事の依頼、護衛の募集など、大小さまざまな紙が隙間なく貼られていた。

 

 中には、人相書きが添えられた賞金首の手配書も混じっている。

 

「……これで本人だと分かるのか?」

 

 お世辞にも上手いとは言えない人相書きを眺めていると、背後から少女の声が飛んでくる。

 

「すみません、待ちましたか?」

 

 振り返ると、リスティが小走りでこちらへ向かってきていた。

 

 背負った荷物袋は、町へ入った時よりもいくらか膨らんでいる。

 どうやら必要な買い物は済ませてきたらしい。

 

「いや、今来たところだ」

 

 ハルスフォートは掲示板から離れ、リスティの方へ歩み寄った。

 

「それじゃあ、前に約束した通り、武器屋へ行くぞ」

 

「お願いします」

 

 2人は湯気を上げる噴水を背に、広場を後にする。

 

「……ヨートゥルムの仕立て屋さんの時に言ったこと、覚えてくれていて嬉しいです」

 

「ほんの数日前だろ。まあ、色々あったせいで昔に思えるがな」

 

 話しているうちに、目当ての武器屋が見えてきた。

 

 店の前にも温水路が流れており、入口までは短い石橋が架けられている。

 橋を渡って中へ入ると、中年ほどの男性がカウンターの奥に座っていた。

 

「いらっしゃい」

 

 壁には剣や槍が掛けられ、棚には短剣や手斧など、旅人や衛兵が使う実用品が種類ごとに並べられていた。

 ハルスフォートは、リスティを連れて短剣の棚の前に立つ。

 

「短剣なら、この辺りか」

 

 まず一本を抜き、数度振って重心と取り回しを確かめる。

 

「……ダメだ。今のおまえが振るには重い」

 

 ハルスフォートは短剣を棚へ戻し、今度は隣のやや小さな一本を抜いた。

 

「一度、握ってみろ」

 

「はい」

 

 リスティは受け取った短剣の柄を、確かめるように握った。

 

「……少し持ちにくいですね」

 

「それなら、柄が太いってことだ。合わないなら仕方ない」

 

 その短剣も棚へ戻し、ハルスフォートはさらに数本を見比べた。

 

 やがて、棚の中で一番小さな一本を取り上げ、鞘から刃を半ばまで抜く。

 刃渡りはリスティの前腕ほどで、飾り気のない簡素な短剣だった。

 

 軽く握って重さを見たあと、鞘ごとリスティへ差し出した。

 

「これはどうだ?」

 

 リスティは両手で受け取り、鞘から短剣を抜いた。

 

「あ……大丈夫です。これくらいなら扱えそうです」

 

「なら、それでいい」

 

 ハルスフォートは短剣を受け取ると、刃を鞘へ戻した。

 

「おまえの場合、剣で敵を倒す必要はないからな。魔術を使うまでの時間を稼げれば充分だ。

 短剣を扱いながら詠唱できるかは……後の課題だが」

 

「は、はい……」

 

「実際に腰へ下げてみろ。そこから抜いてみるんだ」

 

 リスティはヨートゥルムで買った腰布(サッシュ)へ鞘を提げ、柄へ手を掛ける。

 

 シュッ。

 

 ぎこちなさは残るものの、リスティは途中でつかえることなく短剣を抜いた。

 

「これでいいでしょうか?」

 

「それなら咄嗟(とっさ)でも抜けるな。

 斬りかかる必要はない。抜いて、自分と相手を隔てるように構えろ」

 

「はい。ありがとうございます!」

 

 リスティはもう一度短剣を鞘へ収め、腰元を見下ろした。

 すると、口元が(ほころ)んだ。

 

「ハルスフォートさんに近づいた気がします」

 

「なんだ、おまえも魔剣士になるつもりか?」

 

「ふふっ。良いお手本の方がいらっしゃいますからね」

 

 リスティは腰の短剣へ何度か手をやりながら、店主へ代金を支払った。

 

「まいどあり。指を切らないように気をつけなよ」

 

「ありがとうございます。大事に使わせていただきます」

 

 買い物を終えた2人は店を出て、温水路に架かる小さな橋を渡った。

 

「買い物も済みましたし、広場へ戻りましょうか。

 ラニアさんがどこの宿を取ったか分かりませんし、待ち時間は雑談でもしていましょう」

 

 短剣を腰に提げたリスティが、噴水広場の方角へ顔を向ける。

 しかし、ハルスフォートはその場を動かなかった。

 

「悪いが、おまえは先に戻ってろ。おれの買い物がまだだからな」

 

「あ……それなら、わたしも付き合いますよ」

 

「いや、ちょっとな。大した用じゃない」

 

 そう言って、ハルスフォートは軽く手を振った。

 

「分かりました。では、先に広場へ戻っていますね」

 

「ああ。ラニアが来てたら、適当に待たせといてくれ」

 

「適当に、ですか……」

 

 リスティは苦笑しながらも、それ以上は尋ねなかった。

 歩くたび腰の短剣を揺らしながら、リスティは来た道を引き返していく。

 

 リスティの姿が見えなくなるのを待ち、ハルスフォートは白い湯煙の向こうを見た。

 

 武器屋の前を流れる温水路。

 水路から立つ湯煙の向こうに、もう一軒の店があった。

 

 軒先に吊られた看板には、短杖と魔法陣を組み合わせた意匠が描かれていた。

 武器屋と同じく、水路には店先へ続く石橋が架けられている。

 

 魔式装具(マギスレイヴ)を扱う店だ。

 

「…………」

 

 ハルスフォートは、無意識に懐へ手をやる。

 指先に触れたのは、先ほど銀行で返された通帳だった。

 

「……ジェーン、あいつ何考えているんだ」

 

 眉をひそめたまま石橋を渡り、ハルスフォートは魔式装具(マギスレイヴ)屋の扉に手をかけた。

 

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