いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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第16話 忘れていたこと

 ラニアが取った宿には、システリムの地熱を利用した温泉が引かれていた。

 

 それぞれの用事を済ませて宿へ戻った3人は、夕食の前に一風呂(ひとっぷろ)浴びることにした。

 

「まだ早い時間だから、他のお客さんがいませんね」

「貸し切りみたいなものだ。ゆっくり羽根を伸ばせるよ」

 

 リスティとラニアは、更衣室にあったタオルを巻いて浴場へ入った。

 

 石造りの浴槽からは白い湯気が絶えず立ちのぼり、木張りの壁や天井を薄く(かす)ませている。

 湯の流れる音に混じって、町中でも感じた硫黄の匂いが、温かな湿気とともに鼻をくすぐった。

 

 男湯は木壁のすぐ向こうにあるらしく、かすかに湯の音が聞こえていた。

 

 ザバッ。

 

 ラニアは備え付けの木桶で湯をすくい、石鹸(せっけん)を泡立てたタオルで肌を擦る。

 

「ふぅ。ようやく肌のべたつきが落とせる」

 

 身体を洗いながら、ラニアがしみじみと声を漏らした。

 

「分かります。野営が続くと、ちゃんとした宿が本当にありがたく感じますね」

 

「川があれば体くらいは(すす)げるけど、毎回都合よく見つかるわけでもないしね。

 髪まで洗おうと思ったら、なおさらだよ」

 

冬帯(とうたい)だと、水に触るだけでも辛いですからね。

 以前、手を洗っただけで指先の感覚がなくなったことがあります」

 

 2人は旅人として話し合いながら、久しぶりの温かな湯を惜しむように身体を洗っていた。

 

「リスティ。背中、お願いしてもいい?」

 

「はい。もちろんです」

 

 ラニアが背中を向けると、リスティは白い泡を纏ったタオルで、その背を擦り始めた。

 

 旅暮らしが長いとは思えないほど、ラニアの肌には目立った荒れがなく、白く滑らかだった。

 あの大剣を振るう腕力に反して、身体の線は意外なほど細く、なめらかだった。

 

 そして、

 

「ラニアさんって、肌も綺麗ですし、手足が長くてスタイルがいいし……その……」

 

「胸も大きいしね」

 

「うっ……はい」

 

 続きを先回りされ、リスティの手が一瞬だけ止まった。

 ラニアは気にした様子もなく、小さく笑う。

 

「別に言いにくそうにしなくてもいいよ。女性同士なんだし」

 

「じろじろ見ていたつもりはないんですけど……」

 

「まあ、こう大きいと視線で分かっちゃうんだよ」

 

 そう言われても多少の気まずさは残ったらしく、リスティは先ほどより熱心に背中を洗い始めた。

 

 ほどなくして身体を洗い終えると、2人は並んで浴槽へ入った。

 

 チャプッ……。

 

 2人が肩まで湯に浸かると、旅で凝り固まっていた身体がほぐれていった。

 

「はー……」

 

 リスティは浴槽の縁へ背中を預け、心地よさそうに息を吐いた。

 

「まあ、貴女もそのうちちゃんと大人になるよ」

 

 リスティは湯の表面へ視線を落とし、少し考えこむ。

 やがて、ふと思いついたように顔を上げた。

 

「あの、久しぶりに女性同士で話せるので、聞きたいことがあるんですが……」

 

「なんだい?」

 

「大人用の下着って、いつ頃から使うものなんですか?」

 

 訊ねる声には、恥じらいよりも純粋な疑問の色が強かった。

 

「例えばブラジャーとか、胸がどれくらい大きくなったら使うものなのか……。

 今まで、そういうことを教えてくれる人があまりいなかったんです。

 服なら体が大きくなって着られなくなれば分かりますけど、下着は何を基準に変えればいいんでしょうか?」

 

「ああ、そういうことか」

 

 ラニアは納得すると、浴槽の縁へ腕を乗せた。

 

「単に、胸が大きくなってきて目立つな、運動するときにジャマだな、と思ったら着ければいいだけだよ。

 大きな都市だと、最近は子供用のブラジャーも売っているらしいからね。荷物に余裕があったら一枚くらい持っておいて、気になってきたら着るとかでもいいと思うよ」

 

「へえ……じゃあ今度、機会があれば見てみます。

 それと、わたしはショーツを買うときは子供用のものを買ってるんですけど、大人用って機能が違うんですか?」

 

「いや、別に機能的にはそう違わないよ。……ああ、でもサニタリーショーツとかはちょっと違うかな」

 

「サニタリー?」

 

「これも、念のため一枚持っておいた方がいいかもしれないけど──」

 

 ゴホンッ!

 

 突然、壁の向こうから大きな咳払いが聞こえた。

 

「…………」

 

 リスティとラニアの会話が、ぴたりと止まる。

 

 2人は同時に、男湯との境になっている木壁へ顔を向けた。

 湯の流れる音だけが、やけに大きく浴室へ響いている。

 

「あー、ごめん」

 

 ラニアが申し訳なさそうに男湯の方へ声をかけると、その向こうからハルスフォートのくぐもった声が響いた。

 

「……他に客が来る可能性もあるんだぞ。聞かなかったことにするが」

 

 その言葉に、2人は気まずそうに顔を見合わせる。

 

「……もう少し、小さい声で話しましょう」

 

「そうしようか」

 

 それから2人の会話は、湯の音に紛れるほど小さくなった。

 充分に身体も温まったところで、2人は湯船から上がった。

 


 

 湯から上がった3人は、着替えを済ませて宿の食堂へ集まっていた。

 

 彼ら3人の頬は、揃ってほんのりと赤かった。

 もっとも、その原因が温泉だけだったのかは定かではない。

 

 囲む卓には、黒パンや野菜のスープ、厚切りの豚肉を焼いたものに加えて、地熱の蒸気で火を通した根菜や白身魚が並んでいる。

 

「では、いただきます」

 

 リスティは胸の前で両手を組み、いつものように食前の礼を済ませる。

 食事に手を伸ばしかけたところで、ハルスフォートが片手を出して制した。

 

「少し待ってろ」

 

 ハルスフォートがアゴをしゃくる。

 その先で、ラニアが木製のコップを手に取っていた。

 

「大したことじゃないけどね」

 

 ラニアは苦笑しながら、ハルスフォートとリスティを順に見た。

 

「森で助けてもらったことについて、改めて礼を言わせてほしい。

 あの村で2人が力を貸してくれなかったら、自分は面倒なことになっていただろうからね」

 

 ラニアはそう言って、コップを軽く持ち上げた。

 

「2人ともありがとう。感謝の意をこめて──乾杯」

 

「乾杯!」

 

 コツン、と3つのコップが卓の中央で触れ合った。

 

 ハルスフォートとラニアが果実酒を口に運び、リスティもそれに倣って牛乳を飲む。

 それをきっかけに、3人は食事を始めた。

 

「システリムでは、温泉の蒸気を料理にも使うらしいよ」

 

「町中にあれだけ湯が湧いていれば、使わない手はないか」

 

 食事をしながら話しているところへ、給仕の女性が皿を運んできた。

 皿に載っているのは、鶏手羽先のグリルだ。

 

「お待たせしました」

 

 間を置かず、もう一人の給仕も料理を運んでくる。

 

「お待たせしました」

 

「……これ、おれたちのか?」

 

「あ、自分のだよ」

 

 2皿とも、当然のようにラニアの前へ置かれた。

 

「……奢ると言った本人が、一番食うのか」

 

「そのつもりだけど?」

 

 ラニアは悪びれもせず、鶏肉を切り分け始めた。

 

「貴方たちも欲しいなら注文するといいよ。ちゃんと自分が奢るから」

 

 リスティは森で巨怪へ変じた姿を思い出したらしく、得心した様子で料理の山を見つめる。

 

「呪いって、大変そうですね……怪力のぶん、食費もかさみそうです」

 

 ラニアのナイフが止まる。

 

「いや、これは呪いと関係ないよ。自分がよく食べるだけ」

 

 あまりにもあっさり否定され、リスティは目を丸くした。

 ラニアは鶏肉を咀嚼(そしゃく)しながら、昔を思い返すように目を細めた。

 

「自分は5人兄弟の長女なんだ。下に弟と妹が四人いる。

 家はあまり裕福じゃなくてね。食卓に並ぶものが少ない日は、下の子たちに多めに分けることもあったよ」

 

 そう言いながらも、ラニアは手を止めずにソーセージへフォークを伸ばす。

 

「一番上だから、多少我慢するのは普通だと思っていたんだ。

 でも、家を出て自分で稼ぐようになったら、別に我慢する必要もないなって気づいてね」

 

「反動というヤツか……」

 

「まあ、昔の話さ。今は家から離れて旅しているしね」

 

「……やっぱり、呪いのせいなんですか?」

 

 リスティが何気なく尋ねると、ラニアはスプーンを器へ戻した。

 ひと呼吸置いてから、口を開く。

 

「昔ね、家族を少しでも楽にしたくて宮廷魔術師になったんだ」

 

「宮廷魔術師……! ご立派です」

 

「給金も悪くなかったし、家に仕送りもできた。

 両親や弟や妹たちが、せめて生活に困らないようにと思ってね。

 ただ、その宮廷魔術師を続けられなくなったのも、その呪いが原因だ」

 

 それまでと変わらぬ調子ながら、声にはわずかに重みが混じった。

 

「戦争で、敵国から呪いをかけられた。

 魔力を使うと、自分の身体が巨怪に変わるようになったんだ」

 

「治す方法は……まだ分かっていないんですよね」

 

「うん。だから、その方法を探して旅をしている。

 この体のままだと、家にも帰れないからね」

 

 そこに、自分の境遇を嘆く響きはない。

 

「ご家族とは、ずっと離れたままなんですか?」

 

「たまに手紙とお金は送っているよ。

 家のみんなが、自分の顔を忘れる前にさっさと治して帰りたいところだね」

 

 リスティはしばらくラニアを見つめていたが、やがて小さく頷いた。

 話はそれで終わりとばかりに、ラニアは焼いた根菜へ手を伸ばす。

 

「で、2人は?」

 

 そう問われ、先に口を開いたのはリスティだった。

 

「わたしの故郷に現れた魔王を倒すために、旅をしています」

 

 ハルスフォートも手を挙げて答えた。

 

「おれも似たようなものだ。相手どる魔王は違うがな」

 

「なるほど。2人とも、行き着く先は魔王というわけか。大変だね」

 

 ラニアは納得したように頷いたあと、リスティへ目を向けた。

 

「貴女の魔力量がとんでもないのは森の一件で分かったけど、それだけで魔王を倒せるほど、簡単な話じゃない。

 相手にするのが魔王だけで済むとは限らないからね。周りには、眷属の魔人が控えているだろうし」

 

「……あの」

 

 リスティが顔を上げる。

 

「魔人は、なんで魔王に従っているんですか?

 会ったことは少ないですけど、彼らにも意思はあります。

 元は人間だから、魔王に反抗する魔人もいるんじゃないですか?」

 

 ラニアはフォークに刺していた根菜を口へ運び、咀嚼(そしゃく)してから首を横へ振る。

 

「そう。魔人にも、それぞれ自分の意思があるからね。

 自分の魔王を慕っている者もいれば、嫌っている者だっている」

 

「では、嫌っているなら、命令を無視することもできるんですか?」

 

 今度はハルスフォートが、スープの器を脇へ寄せながら答えた。

 

「……魔王には、自分の魔人に対して、王権威令(ザーム)という絶対の命令を下すことができる」

 

 聞き慣れない単語に、リスティが眉を寄せる。

 ラニアが話を引き継いだ。

 

王権威令(ザーム)を受けると、本人が逆らおうとしても、体が勝手に命令を実行しようとするんだ。

 仮に魔人が謀反(むほん)を起こそうとしているなら──魔王は『自害しろ』と王権威令(ザーム)を下すだけで、全てカタがつくよ」

 

「……だから、魔人は魔王に従うしかないんですね」

 

「うん。主である魔王が生きている限り、眷属の魔人はその傀儡(かいらい)になり得るんだ」

 

 そこで話はいったん途切れた。

 食堂のざわめきが戻ってくる。

 

 ラニアはちょうど近くを通りかかった給仕へ手を挙げた。

 

「サツマイモのプリン、一つ追加で」

 

「……まだ食うのか」

 

 その後も、旅先で食べた料理や宿の話に花が咲いた。

 食堂から客の姿が減っていく頃には、システリムの夜もすっかり深まっていた。

 


 

 翌朝。

 

 システリムの大通りには、朝から白い湯気が立ちこめていた。

 温水路に沿って店々が戸を開き、行商人や荷車が石畳を行き交っている。

 

 その中を、ハルスフォートたち3人も歩いていた。

 

「──それで、どんな術式でも解く天才様はどうだった?」

 

 ハルスフォートが、隣のラニアに声をかける。

 

「うん。確かに天才だったよ。

 魔術の術式じゃなくて、数式を解くのが得意な人だったけどね」

 

「よくよく確かめずにここまで来たな」

 

「旅先で聞いたウワサなんて、大体そんなものだよ」

 

「でも、本当にすごい方ではありましたよね。……出てきた答えが正しいのかさえ、わたしには分かりませんでしたけど」

 

 リスティが苦笑しながらそう返した。

 

「せっかくシステリムまで来たのに、残念でしたね……」

 

「いや、こういう空振りはいつものことなんだ」

 

 慰めるように言ったリスティへ、ラニアはあっさりと返す。

 

「自分の呪いは、そう一般的なものじゃないからね。

 有識者を頼っても、『解くのは不可能だ』と匙を投げられることだってあるよ。

 今回みたいに、ウワサの意味を取り違えていたことだって一度や二度じゃない。気にしてない」

 

 実際、その歩調は昨日までと変わっていない。

 

「でも、諦めるつもりはないよ。

 まだ知らない土地も、会っていない人もたくさんいる。どこに手がかりが転がっているかなんて分からないからね」

 

「……そうですね。きっと、治す方法は見つかりますよ」

 

 ハルスフォートも、腕を頭の後ろへ回しながら口を挟む。

 

「諦めたら、見つかるものも見つからなくなるからな。

 おれだって、一縷(いちる)の望みをかけて探し続けているものがある」

 

「ありがとう。2人とも優しいね」

 

 3人は白い湯気に霞む大通りを、肩を並べて進んでいった。

 

 やがて、ラニアの歩調がふと緩んだ。

 

「ん?」

 

 その視線は、大通りの脇に立つ掲示板へ向けられている。

 その一角には、古びた告知に混じって真新しい紙が何枚か貼られていた。

 

「掲示板に妙な紙が増えてる」

 

「妙な紙?」

 

 リスティも釣られてそちらを見た。

 遠目では内容まで読めないものの、新しく貼られた紙はどれも他の告知より大きく、上部には人の顔らしきものが描かれていた。

 

「手配書じゃないか?」

 

 3人は揃って、掲示板へ近づいていった。

 

「…………」

 

 近くで手配書を見て、ハルスフォートは昨日の感想が間違っていなかったと知った。

 ──確かに、この人相書きは本人には似ても似つかない。

 

 貼られていたのは、レイワズ王国が発行した2枚の手配書だった。

 人相書きから辛うじて分かるのは、銀髪の青年と黒髪の少女という特徴くらいだ。

 

 手配書に書かれている名前は、ハルスフォート・ジェスベインとリスティ・クノケウス。

 罪状は、国家反逆罪だった。

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