いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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第18話 繰り返さないが韻を踏む

 ヤリの穂先が、朝日を弾いて揃(そろ)っている。

 

 ハルスフォートは柄(つか)に手をかけたまま、目だけを動かして四つ辻を検(あらた)めた。

 

 正面と左右の通りは、衛兵の隊列が塞(ふさ)いでいる。

 背後は、自分で作った霧の壁。その中では、まだ野次馬たちが右往左往しているはずだ。

 開けているのは、湯気を上げる水路と、その上の空くらいのものだった。

 

 その水路沿いの石垣を、湯の成分で白く斑(まだら)になった太い送湯管(そうとうかん)が這っている。

 見るからに、この一帯の湯を賄(まかな)う本管だ。

 

 衛兵と賞金稼ぎを合わせれば、二十を優に超える。

 

 ──リスティを連れて、切り抜けられる数じゃない。

 

 柄(つか)を握る親指で、鍔(つば)をそっと押し上げる。

 

 剣を握り直すふりをして、柄から指を一本ずらし、覗いた刃元へ親指の腹を押し当てた。

 罪なる傷(シェヴムシャード)の刃に、薄く血が添う。

 

 隊長らしき衛兵が、すっと前に出た。

 

「まずは、剣から手を離せ」

 

「人に頼むなら、まず自分から手本を見せろ」

 

 互いに剣へ手をかけたまま、視線がぶつかり合う。

 

 反対の手の中で、リスティの指に力がこもる。

 ハルスフォートは、その小さな手を握り返した。

 

 隊長の目が、ほんのわずかリスティへ逸れる。

 その隙を逃さず、ハルスフォートは握った手を強く引いた。

 

「わっ!?」

 

 よろけた軽い体を、片腕で脇に抱えこむ。

 

「しっかり掴(つか)まってろ」

 

「は、はいっ!」

 

「待て!」

 

 隊長の声と同時に、ヤリの穂先が一斉に突き出される。

 それより早く、ハルスフォートは石畳を蹴った。

 

「跳空(エアステア)!」

 

 タンッ!

 

 足裏に生じた力場を踏みしめ、跳ぶ。

 一歩で衛兵たちの頭上を越え、二歩目で屋根の高さへ届く。

 

 眼下で、いくつもの兜(かぶと)がこちらを仰いだ。

 

「網だ! 網を出せ!」

 

 隊長の号令が飛ぶ。

 

 ザッ!

 

 隊列の後ろから、数人の衛兵が進み出た。

 肩に担(かつ)いでいた投網(とあみ)を、手早くほどいて振りかぶる。

 

「放てッ!」

 

 バサァッ!

 

 空中で網が大きく広がり、ハルスフォートの頭上へ覆いかぶさってきた。

 

「させるか!」

 

 ハルスフォートは罪なる傷(シェヴムシャード)を抜き放ち、迫る網を薙ぎ払った。

 

 魔力を吸った罪なる傷(シェヴムシャード)なら、網ごとき紙と変わらない。

 ──はずだった。

 

 ギチッ。

 

 刃が、網目に噛んだ。

 

「なにっ!?」

 

 網目の中に、青白く光る糸が編みこまれていた。

 

「魔断絹(アンチクロス)か……!」

 

 魔術の効果を低減する魔式装具(マギスレイヴ)だ。

 

 力任せに振り抜いた刃は、網の端を裂いただけだった。

 

 グルンッ。

 

 残りの網が、宙を蹴ろうとしたハルスフォートの足へ絡みつく。

 

「掛かったぞ! 引けぇ!」

 

 網から伸びた綱に、衛兵たちが次々と飛びついた。

 

「せーのッ!」

 

 ぐんっ、と足が下へ引かれる。

 

「うおっ!?」

 

 足元の力場に両足を据え、ハルスフォートはどうにか踏みとどまった。

 不幸中の幸いは、足に絡んだ魔断絹(アンチクロス)が、跳空(エアステア)の力場まで消せていないことだ。

 この魔断絹(アンチクロス)は低品質なのだろう。罪なる傷(シェヴムシャード)の一太刀を打ち消しただけで、力を使い果たしたらしい。

 

 だが、綱を握る手は一本、また一本と増えていく。

 

「クソッ、祭りの綱引きじゃないぞ……!」

 

 足場にした力場ごと、ずるり、ずるりと高度が落ちていく。

 

「ハルスフォートさん、わたしの足を持っててください!」

 

 脇に抱えられたまま、リスティがぐいと身を乗り出した。

 

「なんだ!?」

 

 何をする気かは分からない。

 だが、言われた通りにリスティの足首を掴(つか)む。

 

 リスティは脇の下から滑り出るように、頭から真下へ身を投げ出した。

 

「はっ!」

 

 逆さ吊りの体勢で、リスティが腰の短剣を抜く。

 狙いは、ハルスフォートの足首に絡んだ網だ。ギコギコと、刃を数度前後させる。

 

 ブツンッ!

 

「切れました!」

 

 最後の一本が弾け、足が自由になる。

 

「うわあっ!?」

 

 綱を引いていた衛兵たちが、そろって後ろへ尻餅をついた。

 

「良くやった!」

 

 ハルスフォートはリスティを抱え直し、再び高度を取ろうとする。

 しかし、足元から低い声がした。

 

「跳空(エアステア)!」

 

 目を落とせば、鎖分銅(くさりふんどう)を腰で鳴らし、賞金稼ぎの女が宙を駆け上がってくる。

 

「きゃっ!?」

 

 女の手が、リスティの腕を掴(つか)んだ。

 

「お嬢ちゃん! 悪いお兄さんにはついていっちゃダメって習わなかったかな!?」

 

 そのまま、体重をかけて真下へ引きずり降ろしにかかる。

 

「あんたが良いお姉さんとも思えないがな!」

 

 ドッ!

 

 ハルスフォートは抱える腕に力をこめ、女の肩口へ踵(かかと)を叩きこんだ。

 

「ちいっ!」

 

 女の指が、リスティの腕から離れる。

 そのまま真っ逆さまに落ちていくかに見えたが、女は空中で身を捻(ひね)り、猫のように体勢を立て直した。

 

 音もなく石畳へ着地し、女はキッとこちらを睨み上げた。

 

「それならっ!」

 

 女は腰の鎖分銅(くさりふんどう)をほどき、頭上で一度、大きく回した。

 

 ヒュンッ。

 

 放たれた分銅が向かった先は、ハルスフォートたちではなかった。

 水路沿いの石垣を這う、送湯管(そうとうかん)だ。

 

 ガゴォンッ!

 ドバァッ!

 

 管がひしゃげ、あふれ出た源泉が、湯しぶきと白い蒸気の柱になって噴き上がる。

 柱は一瞬で、ハルスフォートたちの高さまで届いた。

 

「ぐっ!?」

 

 ヤケドするほどの熱さではない。

 だが、真下から叩きつける湯の勢いに、足元の力場を踏み外した。

 

「きゃあっ!?」

 

 噴き上がった湯に煽(あお)られ、リスティの体が脇から投げ出されていた。

 

「リスティ!」

 

 白い飛沫(しぶき)の向こうで、細い指が宙をかく。

 ハルスフォートは、その手へ向けて腕を伸ばした。

 

 しかし、掴(つか)んだものは、空(くう)だった。

 

 ザバァンッ!

 

 リスティの体が、水路へ呑みこまれた。

 

 眼下では、行き場を失った源泉が水路へなだれこんでいた。

 水かさが見る間に増し、湯気を上げる流れが、うねる激流へと変わっていく。

 

「ちっ!」

 

 ダッ!

 

 落ちながら身を捻(ひね)り、跳空(エアステア)の力場を足裏で叩いて、落下の勢いを殺す。

 石畳を転がって受け身を取り、水路の縁で身を起こす。

 

 ザバッ!

 

 激流の中から、黒髪の頭が浮かび上がる。

 

「──ぷはっ!」

 

 続いて、短剣を握った右腕が水面を突き破った。

 

 ガッ!

 

 リスティは、短剣を水路の石垣の継ぎ目へ突き立てた。

 両手で柄(つか)にしがみつき、どうにか流れに抗(あらが)う。

 

「ガキが水路に落ちたぞ!」

 

「生きたまま引き上げろ! このままだと溺れ死ぬぞ!」

 

 賞金稼ぎや衛兵たちが、水路の縁へ殺到していく。

 

「……!」

 

 短剣にしがみついたまま、リスティが顔を振り仰いだ。

 

 濡れた前髪の下から、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 怯えも、助けを求める色もない。

 

 次の瞬間、

 

 ズッ。

 

 リスティは短剣を引き抜いた。

 

「流されるぞ!?」

 

「追え! 追うんだ!」

 

 賞金稼ぎと衛兵たちが、我先にと水路沿いを駆け出した。

 

 リスティの体が、あっという間に流れにさらわれていく。

 湯煙の向こうで、黒髪が石橋の下へ消えた。

 

 四つ辻を埋めていた包囲が、目に見えて薄くなった。

 

「……しまった。アンタだけを叩き落とす予定だったのに」

 

 ずぶ濡れのハルスフォートを睨み、女が舌打ちした。

 

「アンタ、あの嬢ちゃんを追わないのかい? 薄情だねぇ」

 

 鎖分銅(くさりふんどう)を構える女に、ハルスフォートも刃を真横に倒して応じる。

 

「地獄を見せる愛情もあるのさ」

 

 言って、ハルスフォートはちらりと水路に目をやる。

 

 石垣の継ぎ目に、リスティの短剣は残っていなかった。

 

 激流に抗う握力が尽きたのなら、短剣は石垣に刺さったまま残るはずだ。

 リスティは、自分の手で短剣を引き抜き、流されに行ったということになる。

 

 墜落の最中ですら、とっさに硬貨を撒いて生き残る手を打っていたリスティだ。流されることに勝機を見出したのだろう。

 

「ただのガキだと思っているなら、あとで考えを改めてもらおうか」

 

 仮に捕まったとしても、殺されはしない。

 リスティの手配は生け捕りに限る(only alive)なのだから。

 

 命さえあれば、取り返す機会はいくらでもある。

 

「よそ見してるヒマはないよ!」

 

 ヒュンッ!

 

 女の鎖分銅(くさりふんどう)が、こめかみを狙って飛んできた。

 

 キンッ!

 

 ハルスフォートは剣の腹で分銅を弾き返す。

 その反動で、女の上体がわずかに泳いだ。

 

「奇遇だな。おれもヒマじゃないんでね──一撃でケリをつける!」

 

 すかさず、女の足元を低く蹴り払う。

 

「甘いね!」

 

 女は軽やかに跳んでかわした。

 足が地面を離れた、その一瞬。

 

 ハルスフォートは空いた手を女へ向けた。

 

「突疾風(ゲイル・ウィング)!」

 

 ビュウッ!

 

「ひぃいっ!?」

 

 足場のない女に、颶風(ぐふう)を受け止める術(すべ)はない。

 痩せた体は、水路の向こう岸まで吹き飛んだ。

 

 ガラガラガッシャーン!

 

 店先に積まれた木箱の山へ、女は背中から突っこんだ。

 

「良し、一撃だ」

 

 ハルスフォートは、水路の下流へ目を向けた。

 

 水路沿いを追う背中が、湯煙の中に連なっていた。

 リスティが勝機を見出したにせよ、あの人数に追われては分が悪い。

 

「輝疾氷刃(ブリザード・ブレイド)!」

 

 ギィンッ!

 

 放たれた氷の刃が、一団の最後尾の足を凍らせ、地面に縫い留めた。

 

「どわっ!?」

 

「ぐえっ!?」

 

 足を取られた者がつんのめり、前を走る者を巻きこんで、一団はたちまち将棋倒しになった。

 

「おいおい、おれだって賞金首なんだぜ」

 

 ハルスフォートの声に、いくつもの顔が振り返った。

 

「舐めやがって!」

 

 ブンッ!

 

 衛兵の一人が、新たな網を投げつけてきた。

 

「同じ手は食わんぞ!」

 

 バサッ!

 

 罪なる傷(シェヴムシャード)を突き出し、刀身を回して網を絡め取る。

 

「断ち錐穿(きりうが)て──」

 

 背後から詠唱が聞こえた。

 振り返れば、フードで顔を隠した賞金稼ぎが、手を突き出している。

 

「閃迅炎刃(ブレイズ・ブレイド)!」

 

 ゴォッ!

 

 灼熱の刃が、一直線に迫る。

 

「はあっ!」

 

 ハルスフォートは、網を巻きつけた剣をその正面へ突き出した。

 

 ジュウゥッ!

 

 炎刃は、剣に巻かれた網に触れるなり勢いを失い、霧散した。

 

「なっ!?」

 

 賞金稼ぎが目を剥(む)く。

 

 魔断絹(アンチクロス)が、魔術を食い止めたのだ。

 剣に巻きついた網が黒く焼け焦げ、ボロボロと崩れて石畳へ落ちていく。

 

「やっぱり、この質だと一度限りの効果か」

 

 ハルスフォートは、剣にこびりついた燃えカスを払った。

 

「囲め! 一斉にかかれ!」

 

 隊長の号令で、残った衛兵たちがヤリを揃えて迫ってくる。

 

「悪いな。斬り合いはおれの領域だ」

 

 ハルスフォートは、低く踏みこんだ。

 突き出されたヤリの穂先を剣の腹で逸(そ)らし、その内側へ滑りこむ。

 

 ズッ!

 

「ぐあっ!?」

 

 罪なる傷(シェヴムシャード)の切っ先が、脇の下を浅く抉(えぐ)った。

 

 一人目がヤリを取り落とす。

 

「ぎゃあぁっ!」

 

「痛でえっ!」

 

 返す刃で、二人目の腿(もも)を鎧(よろい)の隙間から突く。三人目は肘(ひじ)の内側。

 

「くそっ、隙間ばかり狙ってきやがる!」

 

「下がれ! 迂闊(うかつ)に近づくな!」

 

 衛兵たちの足が、じりじりと鈍っていく。

 刃に絡んだ血を、罪なる傷(シェヴムシャード)が静かに吸い上げた。

 

「時間稼ぎはこれくらいにしとくか」

 

 ハルスフォートは、退路へ目を走らせた。

 

 衛兵たちは間合いを取り、包囲は崩れかけている。

 霧の残る路地へ飛びこめば、振り切れるはずだ。

 

 足に力をこめた瞬間、視界の端で大男が腕を振りかぶった。

 

「おうおう。帰るにゃ、まだ早えだろ」

 

 ブォンッ!

 

 大男の手から、投網(とあみ)が投げ放たれた。

 

「だから、同じ手は食わんと──」

 

 再び刀身をくるりと回し、網を絡め取りにいく。

 

 スパッ。

 

 網は、絡まなかった。

 刃に触れた端から、手応えもなく、糸くずのように断たれていく。

 

「魔断絹(アンチクロス)がない──?」

 

 イヤな予感が、ハルスフォートの背筋を駆け上がった。

 

 巻き取るつもりの剣に、振り払う勢いはない。

 ばらけた網の残骸が、鈍色(にびいろ)の光を散らしながら、ハルスフォートの頭から肩へと覆いかぶさった。

 

 頬に触れた糸は、ひやりと冷たい。

 網に編みこまれていたのは、鉄の糸だった。

 

「斬ってくれると思ったよ」

 

 大男の背後に、いつの間にか女が立っていた。

 髪に木屑を絡ませたまま、手の平をこちらへかざしている。

 

「刺雷(ラン・ボルト)」

 

 バチィッ!

 

 ハルスフォートの体を覆った鉄糸へ、紫電が突き刺さった。

 

「が──ッ!?」

 

 雷は網目を伝い、肩へ、腕へ、指の先へと奔(はし)る。

 全身が、内側から跳ね上がった。

 

 ドサッ。

 

 ハルスフォートの体が、その場に崩れ落ちた。

 石畳の冷たさが、頬に張りついている。

 

 意識は、かろうじて残っていた。

 だが指一本、思うように動かない。

 

 ドスッ。

 

 背中に、重たい足が乗った。

 

「……ドレイクの件といい……おれ……雷と相性が悪いな……」

 

「おうおう、なんだか知らねえが、同じ手は食わねえんじゃなかったか?」

 

 頭上から、大男の声が降ってくる。

 

「待て! その男の身柄は衛兵隊が預かる!」

 

 隊長の声が割って入った。

 ガシャガシャと鎧を鳴らして、隊長が大男の前に立ちはだかる。

 

「はぁ? 仕留めたのはオレらだぜ」

 

「罪人だぞ。身柄は国が押さえるのが筋だ」

 

「生死不問(dead or alive)だろ? だったら首だけ運べば十分じゃねえか。そっちの方が軽いしな」

 

「馬鹿を言え! 国に弓を引いた大罪人だぞ!

 生け捕りにできた以上、こんな路地裏で首を落として、それで終わりにできるか!

 王都の処刑台に引き立て、民衆の目の前で裁いてこそ、逆賊の末路を示せるというものだ!」

 

 大男と隊長の怒声が、真上で飛び交う。

 首をいつ、どこで落とすか。議題はただ、それだけだった。

 

「……おれの首の話を、おれの上でするな……」

 

 呆れて舌は回るものの、体は相変わらず言うことを聞かない。

 本気でマズい状況だというのに、頭の上の言い争いは盛り上がる一方だった。

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