いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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第4章 罪の報酬は、
第20話 白日の下に


「……お久しぶり、だと?」

 

 ハルスフォートは頬を伝う血を親指で拭い、男の顔を見返した。

 

 柔らかな目元に、木漏れ日を受けて淡く光る緑の髪。

 神父姿という手がかりを頼りに記憶を手繰っても、この顔に行き当たる場面は一つも浮かんでこなかった。

 

「誰だかは知らないが……穏やかな間柄じゃないことは確かだな」

 

「ええ。そうでしょうね」

 

 男は、覚えられていないことなど最初から承知しているようだった。

 短く肯(うなず)くと同時に、手の平をこちらへ向ける。

 

 ヴ――。

 

 呪算紋(グリマ・グリフ)の展開音が、森の静けさを裂いた。

 8つの呪算紋(グリマ・グリフ)が、男を取り巻くように並ぶ。

 

 図柄は、松明(たいまつ)と船。

 

「名乗っておきましょう。僕はヘクトール。

 ――もっとも、覚えていただく必要はありませんが」

 

「…………」

 

 シャッ。

 

 罪なる傷(シェヴムシャード)を抜く。

 

 魔術の行使には、必ず呪算紋(グリマ・グリフ)が伴う。

 そこから何の魔術が放たれるかを探り、感覚を研ぎ澄ます。

 

「何かは分かりませんが――」

 

 横で、リスティが新品の短剣を手に取った。

 

「物騒な挨拶をした以上、お礼に備えなくちゃいけないね」

 

 ラニアは右手に大剣を、左手に拳銃を構える。

 

 3つの武器が、黒衣の男へ向けられる。

 

「ええ、構いませんよ」

 

 ヘクトールは3人を順に見渡してから、最後にハルスフォートへ視線を戻した。

 

「最初から、邪魔が入るのは織り込み済みですから」

 

 ざわり、と頭上の梢が鳴った。

 風に揺れた枝葉の隙間から差す光が、男の足元でまだらに揺れていた。

 

 ヘクトールの手の平で、8つの呪算紋(グリマ・グリフ)がひときわ強く明滅し、

 

「引返(アトラクト)!」

 

 ギッ!

 

 背後で、木の軋(きし)む音がした。

 

「後ろかっ!」

 

 グイッ!

 

 振り向くより先に、ハルスフォートは体を横へ倒していた。

 

 シュウッ!

 

 大木の幹から抜けた杭が、引き絞られた矢のように一直線に飛んでくる。

 耳元を風が抜け、断ち切られた銀髪が数本、宙に散った。

 

 杭はハルスフォートの脇をすり抜け、ヘクトールの左手へ吸いこまれるように収まった。

 

 右手に一本、左手に一本。

 鉄製の杭だ。黒ずんだ鉄の表面には、細かな刻印が彫られている。

 

 先端こそ鋭く研がれているが、根元へ向かうにつれ捩(ねじ)れながら太くなっていく。

 刺すためというより、刺したものをこじ開けるための造りに見えた。

 

 照真棘(アレーシア)。

 宵祓(よいばらい)がよく携帯している魔式装具(マギスレイヴ)だ。

 

 ――あれを、マトモに食らってはいけない。

 

 ハルスフォートの背筋を、冷たいものが撫で下ろした。

 

 ダッ!

 

 落ち葉を蹴散らし、ヘクトールが一息に間合いを詰めてくる。

 右の杭が、胸元めがけて突き出された。

 

 ギィンッ!

 

 罪なる傷(シェヴムシャード)の腹で、杭の先端を横へ逸(そ)らす。

 

「くっ……!」

 

 腕に伝わった衝撃に、ハルスフォートは目を見開いた。

 受け流したはずなのに、手首がじんと痺れていた。あの細身の体のどこに、これほどの力が隠れているのか。

 

「ご存知でしょう? 宵祓(よいばらい)は普通の人間とは違う。

 それは魔力のみならず、膂力(りょりょく)の面でも同じことです」

 

 シュッ!

 

 間髪を入れず、左の杭が脇腹を狙って跳ね上がった。

 

「ちっ!」

 

 身を引いてかわし、返す刃でヘクトールの首筋を薙(な)ぐ。

 

 ギャリッ!

 

 ヘクトールは右の杭を立て、それを難なく受け止めた。

 刃と鉄が擦れ合い、火花が散る。

 

 普段のハルスフォートなら、多少の傷は承知のうえで深く踏みこみ、骨を断ちにいくところだ。

 

 しかし、あの杭は違う。たとえ浅手でも、抉(えぐ)られればそれだけでマズい。

 受けも、かわしも、一つとして誤るわけにはいかなかった。

 

「ハルスフォートさん!」

 

 リスティは短剣を胸の前に構えたまま、空いた手をノドに当てている。公式詠唱の構えだ。

 

「巻き込まないようにしなくちゃね……!」

 

 ラニアもまた、大剣を提(さ)げてヘクトールの側面へ回りこもうとしていた。

 

 鍔(つば)迫り合いのまま、ヘクトールの目がちらりとリスティへ流れる。

 

「リスティさん、でしたね。

 あなたについては、ジェーンから聞きました」

 

 ヘクトールの肩越しに、呪算紋(グリマ・グリフ)が再び灯った。

 

「豊富な魔力から放たれる魔術は厄介です。なら――この子と遊んではくれませんか?」

 

 パチン。

 

 ヘクトールの指が鳴ると同時に、

 

「爪翼(タロン・ウィング)」

 

 ピィィィッ!

 

 甲高い鳴き声とともに、呪算紋(グリマ・グリフ)から茶色の影が飛び出した。

 

 ノスリ――タカの一種だ。

 ただし、その大きさは尋常ではない。広げた翼は大人が両腕を伸ばしたよりもなお長く、鉤爪の一本一本は刃のよう。

 

 ノスリは木々の間を滑るように飛び、まっすぐリスティへ襲いかかった。

 

「きゃあっ!」

 

 キンッ!

 

 振り下ろされた鉤爪を、リスティはとっさに短剣で受けた。

 詠唱が、途中で途切れる。

 

 ピィイッ!

 

 ノスリは一度高く舞い上がると、すぐさま角度を変えて再び急降下してきた。

 

 視界の端に、短剣で爪を弾き、身をかがめて嘴(くちばし)をかわすリスティの姿が映る。

 詠唱をやり直そうと口を開くたび、羽ばたきの風圧がその声をかき消していた。

 

「リスティ!」

 

 踏み出しかけたハルスフォートの鼻先を、左の杭が掠(かす)めた。

 とっさに仰(の)け反(ぞ)り、足が止まる。

 

「余所見をしている余裕があるんですか?」

 

 ドンッ!

 

 ヘクトールの言葉に、銃声が重なった。

 

「おや」

 

 ヘクトールがわずかに首を傾けると、その頬のすぐ横を弾丸が抜けていく。

 その後ろの木で、樹皮が弾け飛んだ。

 

「こうも近いと、難しいね」

 

 少し離れた場所で、ラニアが左手の拳銃をまっすぐに構えていた。

 

「珍しいものを使ってますね」

 

 ハルスフォートと刃を交えたまま、ヘクトールは目だけをラニアへ向けた。

 

「瀑流水(アクア・ブラスト)」

 

 ドドォッ!

 

 呪算紋(グリマ・グリフ)から、滝を横倒しにしたような水流が噴き出した。

 

「水かっ……!」

 

 ザバアッ!

 

 二発目を撃とうとしたラニアを、水の塊が正面から呑みこむ。

 長身の体が押し流され、落ち葉を巻き上げながら後ろへ後ろへと引きずられていった。

 

「やってくれるね」

 

 ラニアは銃口から滴る水を見下ろし、拳銃をホルスターへ押しこんだ。

 

 筒の中に水が残っていれば、発射の圧が逃げ場を失い、銃身ごと破裂しかねない。

 今やあれは、手元で暴発するしか能のないガラクタだ。

 

「撃てないのなら、斬るまでだ!」

 

 ラニアは大剣を両手で握りこむと、落ち葉を蹴散らして一直線にヘクトールへ駆けた。

 背後から足音が迫っても、ヘクトールは振り返りもしない。

 

「天留釘(クラウス・カエリ)」

 

 ヒュウゥ……。

 

 ラニアの周りで風の流れがねじれ、駆けていた足がふいに空を蹴った。

 

「これはっ!?」

 

 ラニアの体が、ふわりと宙に浮いた。

 巨大なフックで吊り下げられたかのように、大人の背丈ほどの高さでぴたりと止まる。

 地面との距離は、大剣を伸ばしても届かない。

 

「跳空(エアステア)さえ使えれば……力場を乱して解放できたんだけど……!」

 

 ラニアが魔力を使えば、その身は巨怪へ変じる。

 理性を失った獣がリスティのすぐそばで暴れ出せばどうなるか――それは、本人が誰よりもよく知っているはずだ。

 

 宙で歯を食いしばるラニアの横顔が、その葛藤を物語っていた。

 

「……余程、場数を踏んでいるらしいな」

 

 ハルスフォートは、改めて目の前の男を見据えた。

 

 この男は、自分と斬り結びながら片手間のように魔術を三つ放った。

 しかも、そのどれもが的確に相手の手を封じている。

 

 召喚したノスリは今もリスティを追い回し、ラニアを縫い留めた風もほどける気配がない。

 

 ギィンッ!

 

 ヘクトールの杭を弾き返し、ハルスフォートは大きく後ろへ跳び退った。

 ヘクトールは追ってこない。両手の杭を軽く下げ、乱れのない呼吸のまま、こちらを見据えている。

 

 リスティもラニアも、すぐには動けない。

 ここから先は、実質一対一だった。

 

 ヘクトールが、左手の杭をゆっくりと持ち上げた。

 ただし、杭の先が向けられたのはハルスフォートではなく――枝葉の隙間から覗く、青い空だった。

 

「天灼(ヘリオス・ピラー)」

 

 ジリッ。

 

 うなじに、焼けた鉄を押し当てられたような熱が走った。

 

 足元に目を落とすと、落ち葉の上に揺れていた木漏れ日の輪が、白く膨れ上がっていた。

 光は見る間に眩(まばゆ)さを増していく。まるで頭上から、太陽そのものが降りてこようとしているかのようだった。

 

「ッ!」

 

 ハルスフォートは、考えるより先に地面を蹴って横へ跳んだ。

 

 ゴォッ!

 

 一瞬前まで立っていた場所に、光の柱が突き立った。

 

 枝葉の隙間から地面まで、白熱した光が一本の柱となって森を貫いている。

 柱に触れた枝先の葉は、燃える間もなく灰になって散った。地面の落ち葉は弾けるように消え失せ、その下の土がみるみる赤く爛(ただ)れていく。

 

 光が消えたのは、ほんの数拍の後だった。

 あとには、黒く焼け焦げた円が残されていた。その中心では、熱で溶けた土がガラスのように固まり、細い煙を立ちのぼらせている。

 

「……炎じゃない。日の光か」

 

 頬を炙(あぶ)る熱気の名残に、ハルスフォートは顔をしかめた。

 

 あれは、降り注ぐ日差しを極限まで強めたものだ。

 あんなものをまともに浴びれば、骨すら残らないだろう。

 

「察しがいいですね」

 

 焼け跡の向こうで、ヘクトールは穏やかに頷いた。

 

「もっとも、気づいたところで避けられるかは別の話ですが」

 

 ジリッ。

 

 今度は右手側だった。

 次に踏み出そうとしていた先で、木漏れ日が白く膨れ上がる。

 

 ゴォッ!

 

 踏み出しかけた足を引き戻すと、目と鼻の先を光の柱が貫いた。

 

 ハルスフォートは足元を見回した。

 地面のいたるところに光の斑(まだら)が散らばり、どこに足を置こうとしても、一歩先には必ず日なたがある。ここは、木漏れ日の森だった。

 

 ハルスフォートは、手近な大木の陰へ滑りこんだ。

 

 ダッ!

 

 それを待っていたかのように、ヘクトールが踏みこんでくる。

 

 ギィンッ! ギャリッ!

 

 両の杭が、左右から交互に襲いかかってきた。

 陰は狭い。背後には太い幹が迫り、下がる余地はほとんどない。

 横へ逃れようにも、陰の外では木漏れ日が待ち構えている。

 

 天灼(ヘリオス・ピラー)で足場を奪い、残った陰へ追いこんだところを、杭で仕留める。

 ヘクトールの狙いは明白だった。

 

「――跳空(エアステア)!」

 

 足裏に力場を作り、蹴る。

 ハルスフォートの体は光の斑点を飛び越え、隣の陰へ転がりこんだ。

 

 ゴォッ!

 

 背後で、光の柱が地面を焼いた。

 

 息をつく間もなく、ヘクトールが追ってくる。

 

 杭を受け、かわし、足元が光れば跳ぶ。

 陰に逃げこめば杭が待っていて、杭を避ければまた光が膨らむ。

 

 四度目の跳空(エアステア)を踏んだところで、足裏の力場が、わずかに頼りなく揺らいだ。

 

「クソッ、品切れかっ……!」

 

 ハルスフォートの脆弱な魔力など、元より湯水のように使えるものではない。

 そのうえ、システリムでは霧を起こし、宙を駆け、氷刃(ひょうじん)と颶風(ぐふう)を放った。

 

 休む間もない連戦で、魔力が尽きかけている。

 ヘクトールが、まばたきのない瞳でハルスフォートの足元を一瞥(いちべつ)する。

 

「もう、ウサギのように跳ねられないようですね」

 

 ヘクトールが、右の杭をゆっくりと逆手に持ち替えた。

 

 ハルスフォートの背後には、大木の幹がある。左右の地面には、木漏れ日が白い斑を落としていた。

 

 ――どうする?

 

 柄(つか)を握る手に、じっとりと汗が滲(にじ)んだ。

 その時。

 

 ピィィィッ!?

 

 ひときわ甲高い鳴き声が、森に響いた。

 ヘクトールの肩越しに見えたのは、ノスリの胸を深々と貫く短剣だった。

 

「抜いて、自分と相手を隔てるようにっ……!」

 

 自分が教えた言葉だった。

 リスティは両手で柄(つか)を握りしめ、暴れるノスリを短剣ごと押さえこんでいる。

 

 ピィッ……。

 

 ノスリは翼を数度ばたつかせたあと、輪郭からほどけるように光の粒となって消えていった。

 

「おや――」

 

 ヘクトールの目が、わずかにそちらへ流れた。

 その一瞬の隙に、頭上から気合いが降ってきた。

 

「ふんっ!」

 

 宙に縫い留められたまま、ラニアが大剣を大きく振りかぶっていた。

 そして、渾身の力でヘクトール目がけて投げ放つ。

 

 ブォンッ!

 

 鉄塊が唸りを上げ、回転しながら一直線に飛んでくる。

 

「おっと」

 

 ヘクトールは半歩身を引き、左の杭で大剣の腹を叩いて軌道を逸(そ)らした。

 

「うおおおおぉぉっ!?」

 

 魔力の尽きた足で、ハルスフォートは慌てて横へ跳んだ。

 

 ガギィンッ! ドスッ!

 

 弾かれた大剣が、近くの木の幹へ深々と突き立つ。

 

「よしっ!」

 

「何が『よしっ』だ!?」

 

 危うく死にかけたハルスフォートは、声の主を睨みつけた。

 

 ラニアの手が、枝をがっちりと掴(つか)んでいた。

 大剣を投げた反動で、木の枝に身を寄せたのだ。

 

 ラニアが腕一本で体を引き寄せると、ねじれた風の力場から、その長身がずるりと抜け出した。

 

 ストッ。

 

 枝から手を離し、ラニアは危なげなく地面へ降り立った。

 

「ラニアさん!」

 

 リスティが短剣を握り直して立ち上がる。

 ラニアは素手のまま、拳を握りこんだ。

 

 ハルスフォートの肩から、張り詰めていたものがわずかに抜けた。

 3対1に戻れば、まだ勝ち目はある。

 

 ダッ!

 

 リスティは左から、ラニアは右から、ヘクトールを挟みこむように駆けてくる。

 

 しかし、ヘクトールは振り返らなかった。

 ハルスフォートを見据えたまま、口だけを開く。

 

「お二人は、この男が何者か知ったうえで、共に旅をしているのですか?

 この男は100人以上の人間を殺した、殺人鬼ですよ」

 

 ザッ。

 

 落ち葉を踏む足音が、一つ乱れた。

 

「……え?」

 

「100人……以上?」

 

 二人の足が、目に見えて鈍った。

 

「そして、僕の恋人――エレナを殺した男だ」

 

 リスティの足は、止まっていた。

 短剣を握ったまま、ハルスフォートの顔を見つめている。

 

 その目は、否定の言葉を待っていた。

 

「ハルスフォート、さん……?」

 

「…………」

 

 ラニアもまた、拳を握ったまま立ち止まっていた。

 何も言わず、ただ探るように、ハルスフォートとヘクトールを見比べている。

 

 ハルスフォートは、口を開かなかった。

 否定する言葉を、持っていなかったからだ。

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