いつかは魔王!【第一部完結】   作:元近ちか

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第21話 嘘か真か

 沈黙が続いていた。

 

 ハルスフォートは何も言わない。

 ヘクトールの言葉を否定することも、言い返すこともなく、大木の陰に立ち尽くしている。

 

 ──100人以上の人間を殺した、殺人鬼。

 

 リスティにとって、その言葉はどうしても目の前の人と重ならなかった。

 

 生け贄にされかけた自分を、首都から攫(さら)い出してくれた人。

 ゴブリンから村を守り、瀕死の少女を救う決断を引き受け、共に魔王を倒してくれた人。

 

 しかし、振り払おうとするほど、黒い疑いが頭をもたげてくる。

 

 ──軽く言える範囲で言うなら。

 

 焚き火を囲んだ夜の、彼の声がよみがえった。

 故郷を魔王ズア=ディハに滅ぼされたと語る前に、ハルスフォートは確かにそう前置きしていた。

 

 あの夜、彼が口にしなかった部分が、これなのではないか?

 

「違う」と言いたかった。

 けれど、ノドまで上がった言葉は、そこから先へ出ていかなかった。

 

 人を殺めたことがあるのは、リスティも同じだったからだ。

 戦場で利用され、何人を焼いたのか、自分でも分からない。

 

 だから、知っている。

 人の命を奪った過去は、隣で笑う人の内側にさえ、何食わぬ顔で潜んでいられるのだと。

 そして、どんな事情があろうと、焼かれた側から見ればそれは言い訳にしかならないのだと。

 

 リスティの足は、根が生えたように動かなかった。

 

 ヘクトールを挟んだ向こう側で、ラニアもまた、拳を握ったまま立ち止まっていた。

 つい先ほど「そんなに悪いやつに見えない」と笑っていた彼女でさえ、一歩を踏み出せずにいる。

 

 天灼(ヘリオス・ピラー)の焼け跡から立ちのぼる細い煙だけが、時間の流れを告げていた。

 

 その沈黙を、ヘクトールは見逃さなかった。

 

 ダッ!

 

 落ち葉を蹴る音がして、黒衣が翻(ひるがえ)る。

 

 ギィンッ!

 

 右の杭が、ハルスフォートの罪なる傷(シェヴムシャード)を叩き上げる。

 受けの構えを取る暇すら与えなかった。

 

「速(はや)ッ──!」

 

 体勢が崩れたところへ、ヘクトールが肩から体ごとぶつかっていった。

 ハルスフォートの背が、大木の幹に叩きつけられる。

 

 ガッ!

 

 間を置かず、左の杭が振り下ろされた。

 罪なる傷(シェヴムシャード)を握る右腕──その袖を貫いて、杭は幹へ深々と食いこんだ。

 

「ぐっ……!」

 

 杭が貫いたのは袖だけで、肌には触れていない。

 だが、袖ごと幹に縫い留められた右腕は、もう剣を振るえない。

 

 そして、右の杭の切っ先が、ハルスフォートの胸元へぴたりと据えられた。

 

「待って!」

 

 ラニアが声を上げ、ヘクトールへ手を伸ばしながら踏み出す。

 

「動けば、この男を殺します」

 

 振り返りもしないヘクトールの声に、ラニアの手が宙で凍りついた。

 

「……くっ」

 

 ヘクトールの向こうで、ラニアの足が地面を躙(にじ)る音がする。

 しかし、それ以上は進まない。

 

 ヘクトールとハルスフォートの距離は、杭一本ぶん。

 リスティやラニアが駆け寄るよりも、あの切っ先が胸を貫く方が早い。

 

 何より。

 

 あの杭を止めたところで、それは果たして「正しい」のか?

 その答えを、リスティは持っていなかった。

 

「……なぜ、すぐに殺さない」

 

 ハルスフォートが、静かに問う。

 すると、ヘクトールの肩が小さく揺れた。

 

 笑ったのだと、リスティは遅れて気づいた。

 

「簡単なことですよ。

 今ここで殺したら、貴方は何も失わずに死ねるでしょう?」

 

 杭の先が、胸元の服をわずかに押しこむ。

 

「仲間に醜い本性を知られないまま、綺麗な顔で死ぬ。

 そんなこと、許すわけがない。貴様を信じる者たちに失望されて──それから死んでいけ」

 

 ヘクトールは、ハルスフォートから目を離さないまま語り始めた。

 

「僕た(・)ち(・)がいたのは、ここから遥か北西。

 カヴァニー連合王国の、小さな町だった」

 

 語り口は、不気味なほど静かだった。

 

「僕はただの、どこにでもいる男だった。

 遠い土地で魔王ズア=ディハが生まれたなんてウワサが、聞こえてきた頃だった」

 

 魔王ズア=ディハ。

 ハルスフォートが語った、故郷を焼いた魔王の名だ。

 

「あの日、僕は机の脚を直していた。

 机の下に潜りこんで、釘を打ち直していたんだ。魔王の戦火なんて、全く知らずにね。

 そうしたら──エレナが扉を叩いた」

 

 ヘクトールの言葉が、そこで一度途切れた。

 

「『逃げて!』と叫びながら、彼女は扉を開けた。

 僕は何事かと思って、机の下から少しだけ顔を出した」

 

 ヘクトールの指に、ぎり、と力がこもる。

 

「その時、見たんだ。

 銀髪の剣士が──エレナの心臓を、後ろから一突きにするのを」

 

 リスティの視線は、ひとりでにハルスフォートの頭へ吸い寄せられていた。

 陰の中にあってさえ、その銀色の髪ははっきりと見て取れた。

 

「僕はすぐに頭を引っこめた。

 机の下で息を殺して……隠れていることしかできなかった。

 

 剣士が去ったあとも、一時間は動けなかった。

 すぐそこに、僕を逃がそうとしたエレナが倒れていた。その彼女を見捨てて、僕は机の下でガタガタ震えていた」

 

 その声は、ハルスフォートへの怒りに満ちていながら、ヘクトール自身をも苛(さいな)んでいるように聞こえた。

 

「町だけで、100人ばかりが殺された。

 後で調べてみれば、他の土地にも同じような爪痕が残っていたらしい。

 ──全部、貴様がやったことだろう? ハルスフォート」

 

 ハルスフォートは、すぐには答えなかった。

 

 杭を突きつけられたまま、ヘクトールの顔をじっと見返している。

 記憶の底を探るような、長い間があった。

 

「……悪いが、覚えていない」

 

 ようやく返ってきた声は、ひどく平坦だった。

 

「おれが殺した人間の顔も、名前も、全部は覚えちゃいない。

 だが、あんたは仇としておれの前に立っている。

 それなら、事実なんだろう」

 

 否定しなかった。

 言い訳の一つも口にせず、ハルスフォートはヘクトールの目を真っ直ぐに見据えていた。

 

「……そうか」

 

 ヘクトールが、掠(かす)れた声で笑った。

 

「覚えてすらいない、か。

 エレナは、貴様にとってその程度のものだったか」

 

 ヘクトールの手の甲に、青い筋が浮かんでいく。

 

「だが──貴様の罪は、それだけじゃない」

 

 ヘクトールは杭を突きつけたまま、空いた手で自らの装束(しょうぞく)を示した。

 牧師の服に似た、宵祓(よいばらい)の衣だ。

 

「この服を見ろ。

 ただの町人だった僕が、魔人を狩る宵祓(よいばらい)になったのは、あの日の後だ。

 何故だか分かるか?」

 

 ヘクトールが、肩越しにリスティたちを振り返る。

 その瞳は、見開かれたまま微動だにしなかった。

 

「この男が、ズア=ディハの魔人だからだ」

 

 ざわり、と背筋が粟立(あわだ)った。

 

「町の生き残りから、話を集めて回った。

 その中に、あの銀髪の剣士に斬りかかった男がいた。

 そいつは命と引き換えに、剣士の片手をどうにか斬り落としたそうだ」

 

 杭の先が、かすかに震えた。

 

「落ちた手は、地面の上で形を崩して──何かの虫に変わったと」

 

「……!」

 

 ラニアが息を呑む。

 リスティにも、その意味は分かった。

 

 魔人は、骨を含んだ身体の一部を切り離されると、その断片だけが本性へと変じる。

 

「人間の手は、虫になどならない。

 貴様は人の皮を被った、魔王の手先だ!」

 

「──違う!」

 

 ヘクトールのなじりに、ハルスフォートが顔を青くして首を振った。

 

 リスティは、思わず目を見開いた。

 

 殺人鬼と呼ばれても淡々と認めた彼が、磔(はりつけ)にされた右腕を軋(きし)ませ、初めて声を荒らげていた。

 

「おれは魔人じゃない! それはなにかの誤解だ!」

 

「誤解、ですか」

 

 ヘクトールの口元が、ゆっくりと吊り上がった。

 剥がれていたはずの丁寧な口調が、嘲(あざけ)るように戻ってくる。

 

「ならば、その身で示してもらいましょう」

 

 ズッ──。

 

 杭が、ハルスフォートの胸へ沈んだ。

 

「が、ぁ……ッ!」

 

 ハルスフォートの左手が、とっさにヘクトールの手首を掴(つか)む。

 押し返そうとする腕と、押しこもうとする腕が、杭を挟んで一歩も譲らずせめぎ合った。

 

 狙いが、心臓の位置からわずかに横へ逸れていく。

 それでも、止まらない。じわり、じわりと肉を割って進んでいく。

 

「ハルスフォートさん!」

 

 思わず叫んだリスティへ、ヘクトールは顔も向けずに言った。

 

「ご安心を。人間であれば、ただ痛いだけで済みます」

 

 刻印の彫られた黒い鉄が、ハルスフォートの血を吸って鈍く光る。

 

「照真棘(アレーシア)に抉(えぐ)られれば、魔人は人の姿を保っていられない。

 皮を剥ぎ、肉をこじ開け──その奥に隠した本性を、引きずり出すのです」

 

 リスティは、息を詰めてハルスフォートを見つめた。

 

 魔女エリス・タークトッドは、最後には無数のネズミへと崩れていった。

 もし、目の前の人の輪郭もほどけて、何か別のものへ変わってしまったら──。

 

 その瞬間を、半ば覚悟していた。

 

 ズッ……。

 

 杭がさらに一段深く押しこまれた。

 傷口から、赤い筋が服を伝って滴り落ちていく。

 

「ぐ、うっ……!」

 

 呻(うめ)き声が漏れる。

 額に脂汗が浮かび、ヘクトールの手首を掴む指が白く強張(こわば)っている。

 

 しかし。

 

 銀色の髪も、苦痛に歪(ゆが)む顔も、杭を押し返そうとする腕も。

 何ひとつ、人の形を崩さない。

 

 ヘクトールの手が、止まった。

 

「何故……本性を現さない……!?」

 

 ラニアの目が、鋭く光る。

 

「今なら──!」

 

 ダンッ!

 

 土が爆(は)ぜた。

 リスティとは反対の側から、長身の影が一直線に駆けこんでいく。

 

 ヘクトールが振り向くより早く、ラニアの拳がその頬にめりこんだ。

 

 ゴッ!

 

「がっ……!?」

 

 鈍い音とともに、黒衣の体が真横へ吹き飛んだ。

 杭から手が離れ、ヘクトールは落ち葉を巻き上げながら地面を転がっていく。

 

 鉄塊のような大剣を軽々と振り回す、ラニアの腕力である。

 素手であろうと、その一撃はまさしく鉄拳だった。

 

「リスティ!」

 

「は、はいっ!」

 

 ラニアの声に背を押され、リスティは駆け出していた。

 

 ハルスフォートの胸には、杭が刺さったままだった。

 リスティは短剣を腰に差し、黒い鉄に両手をかけて、歯を食いしばって引く。

 

「うっ……!」

 

 ズルッ──。

 

 捩(ねじ)れた刻印の鉄が、肉から抜けた。

 不意に手応えが消え、リスティは後ろへたたらを踏んだ。

 

 裂けた服の隙間から、白いものがちらりと覗(のぞ)いた。

 

 ──布?

 

 胸元に巻かれた、包帯のような布。

 それを確かめるより先に、ハルスフォートが動いていた。

 

 ビリィッ!

 

 縫い留められた袖を力任せに引き裂き、右腕を幹から引き剥(は)がす。

 ずるりとヒザをつき、幹に手をついて体を支える。

 

「ハルスフォートさん、血が……!」

 

「傷は浅い……おれなんかの心配はするな」

 

 胸を押さえる指の間から、血が滲んでいる。

 しかし、ハルスフォートは罪なる傷(シェヴムシャード)を握り直し、自分の足で立ち上がった。

 

「……っ、く」

 

 転がった先で、ヘクトールが身を起こした。

 口の端を手の甲で拭い、そこについた血を見下ろす。

 

 その目が、こちらへ向いた。

 

「何故だ……!」

 

 低い声が、すぐに叫びへ変わった。

 

「何故その男を助けようとする!?

 聞いていただろう! そいつは人殺しだ! 自分でそう認めたんだぞ!」

 

 リスティは、抜き取った杭を握りしめたまま、ハルスフォートの前へ進み出る。

 口をついて出た声は、自分でも驚くほどはっきりと森に響いた。

 

「それでも──わたしだって、人を殺めてきたんです!

 この人がそうだったとしても、わたしはこの人を助けたい!」

 

 だからこそ、彼にも何か事情があったのだと信じたかった。

 

「少なくとも、貴方の言ったことの一つ──魔人だっていうのは、誤りだったからね」

 

 ラニアが、リスティの隣へ並ぶ。

 指の骨を鳴らし、ヘクトールを正面から見据えた。

 

 二人の背後には、血を流しながら立つハルスフォートがいる。

 

「正直、疑っているんだ。その事件の犯人が、本当にこの人なのか。

 仮に本当だとしても──それが、この人の意志によるものなのか」

 

 ヘクトールの口元が歪(ゆが)んだ。

 それが怒りなのか、笑いなのか、リスティには分からなかった。

 

「たとえ魔人でなかったとしても、関係ない」

 

 ヘクトールの視線が、二人の間をすり抜けて、ハルスフォートだけを捉える。

 

「机の下から見上げた、あの顔。

 この瞳に焼きついて、一度たりとも離れなかった顔だ」

 

 まばたき一つしない目に、暗い炎が揺れていた。

 

「──間違いなく、そこの男と同じ顔だ」

 

 ヘクトールが言うと同時に、横手から風を裂く音がした。

 

 ドスッ!

 

 リスティの足元から数歩先の地面に、一本の矢が突き立った。

 矢羽根が、まだ小刻みに震えている。

 

「……矢?」

 

 ヘクトールのものではない。

 この場の誰でもない、何者かが放ったものだ。

 

 ガサッ、ガサガサッ。

 

 木々の奥で、茂みが揺れた。

 金属の擦れ合う音が、あちこちから近づいてくる。

 

 木漏れ日の中に、いくつもの人影が現れた。

 揃いの兜に、揃いの胸当て。

 ヤリを構える者の後ろで、弓兵が次の矢をつがえている。

 

「兵士が来たか……!」

 

 ラニアが、苦々しく舌打ちした。

 

 あれだけの剣戟(けんげき)の音を響かせ、天灼(ヘリオス・ピラー)の光の柱を何本も森に立ち上らせたのだ。

 三人を追って兵士たちがシステリムを発(た)ったなら、それに気づかないはずがなかった。

 

「邪魔者が……!」

 

 ヘクトールも、忌々しげに兵士たちを睨(にら)んでいる。

 

 兵士の列が左右に割れた。

 その奥から、見覚えのある男が進み出る。

 

「動くな! 全員、その場で武器を捨てろ!」

 

 水路から這い上がったまま直行してきた、ずぶ濡れの衛兵隊長だった。

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